島ノ下信号場
島ノ下信号場 | |
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島ノ下信号場(駅跡)(2018年6月) | |
しまのした Shimanoshita | |
◄T28 野花南 (13.9 km) (5.5 km) 富良野 T30► | |
所在地 | 北海道富良野市字島ノ下 |
駅番号 | (○T29) |
所属事業者 | 北海道旅客鉄道(JR北海道) |
所属路線 | ■根室本線 |
キロ程 | 49.1 km(滝川起点) |
電報略号 | マシ |
駅構造 | 地上駅 |
ホーム | 2線 |
乗車人員 -統計年度- |
0人/日(降車客含まず) -2012年- |
開業年月日 | 1913年(大正2年)11月10日[1] |
備考 | 2017年(平成29年)3月4日に駅として廃止し[2]、信号場化。 |
島ノ下信号場(しまのしたしんごうじょう)は、北海道富良野市字島ノ下にある北海道旅客鉄道(JR北海道)根室本線の信号場。電報略号はマシ、事務管理コードは▲130409[3]。旅客駅時代の駅番号はT29。
歴史
[編集]当初旅客扱いを行う駅として設置されたが、2017年(平成29年)に旅客扱いを終了し[2]、信号場となった[4]。
- 1913年(大正2年)11月10日:国有鉄道釧路本線の駅として開業[1]。一般駅[1]。
- 1921年(大正10年)8月5日:所属路線が根室本線と改称。
- 1949年(昭和24年)6月1日:公共企業体日本国有鉄道(国鉄)に移管。
- 1960年(昭和35年):同年より翌年度にかけ駅前に花壇を整備[5]。
- 1961年(昭和36年)
- 1982年(昭和57年)
- 1983年(昭和58年)9月:完全無人化(乗車券発売の民間委託も終了)[6]。
- 1987年(昭和62年)4月1日:国鉄分割民営化に伴い、北海道旅客鉄道(JR北海道)に承継[1]。
- 1991年(平成3年)10月22日:当駅 - 野花南駅間が滝里ダムの建設に伴う線路付替で島ノ下トンネルと滝里トンネル(計8.4km)を通る新ルートに変更。滝里駅廃止[1]。
- 2007年(平成19年)10月1日:駅ナンバリングを実施(T29)[9]。
- 2016年(平成28年)6月上旬:JR北海道が2017年(平成29年)3月のダイヤ改正に合わせて廃止する意向を地元に伝える[10]。
- 2017年(平成29年)3月4日:利用者減少とダイヤ改正に伴い、旅客扱いを廃止[2]。島ノ下信号場になる[4]。
信号場名の由来
[編集]所在地名より。
当地で空知川本流に注ぐ尻岸馬内(しりきしまない)川のアイヌ語名、「モシㇼケソマナイ(mosir-kes-oma-nay)」(島〔=空知川の中州〕・の末端・にある・川)の和訳、あるいは和人がその中州の姿を見て同様に単なる和名として名付けた、とされている[5][11][12][13][14]。
廃止時の駅構造
[編集]互いのホームは千鳥状に完全に離れ、駅舎横の富良野側に上り方面の単式ホームと、野花南側に島状であるが駅裏側片面使用の下り方面単式ホームからなる2面2線の構造を持っていた。互いのホームは構内踏切で連絡していた。
廃止時まで使用された駅舎は、1982年(昭和57年)に改築されたコンクリート造の建物[注釈 1]で、待合室とトイレを有していた。
かつてはその外側に1本の副本線と駅舎横の野花南側の貨物積み卸し場(高床式のホームは無い)に当初は2本、後に1本の引き込み線を有していたが、貨物荷物取扱いの廃止や無人化にあわせて貨物用の側線や副本線が撤去または接続が切られ、単式ホーム2面2線のみの運用となっていた。
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2005年6月当時の駅舎
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駅構内と、下り普通列車が発車(キハ40 1759・富良野行き2431D。2017年3月1日)
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駅舎寄りの上りホームに存在した、「名所案内」の看板(2017年3月1日)
利用状況
[編集]乗車人員の推移は以下のとおり。年間の値のみ判明している年については、当該年度の日数で除した値を括弧書きで1日平均欄に示す。乗降人員のみが判明している場合は、1/2した値を括弧書きで記した。
また、「JR調査」については、当該の年度を最終年とする過去5年間の各調査日における平均である。
年度 | 乗車人員 | 出典 | 備考 | ||
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年間 | 1日平均 | JR調査 | |||
1973年(昭和48年) | 19,781 | (54.2) | [15] | ||
1978年(昭和53年) | 10,421 | (28.6) | |||
1983年(昭和58年) | 6,935 | (18.9) | 1981年に石勝線開通 | ||
1988年(昭和63年) | 2,590 | (7.1) | |||
2015年(平成27年) | 「1名以下」 | [16] |
周辺
[編集]島ノ下の集落がある。信号場正面の道は勾配がきついため歩行者専用の砂利道。車両は信号場正面から見て左側の市道を上り下りする。
隣の駅
[編集]脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]- ^ a b c d e f 石野哲 編『停車場変遷大事典 国鉄・JR編 II』(初版)JTB、1998年10月1日、873頁。ISBN 978-4-533-02980-6。
- ^ a b c “平成29年3月ダイヤ改正について” (PDF). 北海道旅客鉄道 (2016年12月16日). 2016年12月16日閲覧。
- ^ 日本国有鉄道営業局総務課 編『停車場一覧 昭和41年3月現在』日本国有鉄道、1966年、232頁。doi:10.11501/1873236 。2022年12月10日閲覧。
- ^ a b 「存廃に揺れる北辺の本線」『鉄道ジャーナル』No.610、2017年8月、56頁。
- ^ a b c d 富良野市 編『富良野市史』 2巻、富良野市、1969年、607-608頁。doi:10.11501/9490526 。2022年9月19日閲覧。
- ^ a b c d 富良野市 編『富良野市史』 3巻、富良野市、1994年、459-460頁。doi:10.11501/9490957 。2022年9月23日閲覧。
- ^ “日本国有鉄道公示第45号”. 官報. (1982年5月28日)
- ^ “「通報」●根室本線東滝川駅ほか6駅の駅員無配置について(旅客局)”. 鉄道公報 (日本国有鉄道総裁室文書課): p. 4. (1982年5月28日)
- ^ 『駅番号表示(駅ナンバリング)を実施します』(PDF)(プレスリリース)北海道旅客鉄道、2007年9月12日。オリジナルの2007年9月30日時点におけるアーカイブ 。2014年9月6日閲覧。
- ^ “東鹿越駅と島ノ下駅を来年3月廃止 JR北海道が意向” (日本語). 北海道新聞. どうしんウェブ/電子版(社会) (北海道新聞社). (2016年7月21日). オリジナルの2016年7月21日時点におけるアーカイブ。 2016年7月21日閲覧。
- ^ “アイヌ語地名リスト シベ~セツ P61-70P”. アイヌ語地名リスト. 北海道 環境生活部 アイヌ政策推進室 (2007年). 2014年1月11日時点のオリジナルよりアーカイブ。2017年11月8日閲覧。
- ^ 札幌鉄道局 編『駅名の起源』北彊民族研究会、1939年、58頁。NDLJP:1029473。
- ^ 『北海道 駅名の起源』(第1版)日本国有鉄道北海道総局、札幌市、1973年3月25日、119頁。ASIN B000J9RBUY。
- ^ 山田秀三『北海道の地名』(2版)草風館、浦安市〈アイヌ語地名の研究 別巻〉、2018年11月30日。ISBN 978-4-88323-114-0。
- ^ 富良野市 編『富良野市史』 3巻、富良野市、1994年、455頁。doi:10.11501/9490957 。2022年9月23日閲覧。
- ^ 『平成28年度事業運営の最重点事項』(PDF)(プレスリリース)北海道旅客鉄道、2016年3月28日、6頁。オリジナルの2020年2月5日時点におけるアーカイブ 。2020年2月5日閲覧。
- ^ “島の下 のりば地図”. 北海道中央バス. 2019年6月5日閲覧。