山本浩章
山本 浩章 やまもと ひろあき | |
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内閣府地方創生推進室より公表された肖像 | |
生年月日 | 1969年5月13日(55歳) |
出生地 | 日本 滋賀県甲良町 |
出身校 | 東京大学法学部第1類 |
前職 | 益田市議会議員 |
所属政党 | 無所属 |
公式サイト | 山本浩章 公式webサイト |
当選回数 | 4回 |
在任期間 | 2012年8月2日 - 現職 |
当選回数 | 1回 |
在任期間 | 2011年9月9日 - 2012年3月30日 |
山本 浩章(やまもと ひろあき、1969年〈昭和44年〉5月13日[1] - )は、日本の政治家、実業家。島根県益田市長(4期)。元・益田市議会議員(1期)。
来歴
[編集]滋賀県甲良町出身。甲良町立甲良東小学校、甲良町立甲良中学校、滋賀県立彦根東高等学校卒業。1988年(昭和63年)4月、東京大学教養学部文科一類入学。1992年(平成4年)3月、東京大学法学部第1類卒業[2]。
大学卒業後は、実家の家業である米穀商に従事しながら、司法試験への挑戦を継続していたが、1998年(平成10年)4月、妻の親族企業である株式会社ひょうま(旧名:兵間仏閣堂)に入社。2010年(平成22年)12月、同社の代表取締役社長に就任。この間、2008年(平成20年)1月、益田青年会議所理事長、2009年(平成21年)1月、日本青年会議所中国地区島根ブロック協議会会長を歴任。
2011年(平成23年)8月28日に行われた益田市議会議員選挙に出馬し初当選。9月9日、市議に就任[3]。
2012年(平成24年)3月30日、在職わずか7ヶ月で市議を辞職。同年7月29日に行われた益田市長選挙に自由民主党県議の支援に加え、連合島根や市農政会議の推薦を受けて出馬。『人口拡大』を掲げ、現職の福原慎太郎との接戦を制し初当選した(山本:14,645票、福原:13,494票)。投票率は68.89%[4][5]。8月2日、市長に就任[3]。
2014年(平成26年)2月、日本創成会議による『地方消滅』論や地方創生に先んじて、『益田市人口拡大計画』を策定。
2016年(平成28年)7月24日の益田市長選挙では、「市政の継続と安定」をスローガンに掲げる一方、萩・石見空港東京便の1日2便運航復活などの実績を強調して幅広い支持を集め、「益田を一つに」をキャッチフレーズとした福原慎太郎との再度の一騎討ちを制し、再選を果たした。(山本:17,447票、福原:10,086票)。投票率は68.56%[6][7][8]。
2020年(令和2年)7月20日の同選挙で、元市議の久城恵治らを破り3選。2024年(令和6年)、無投票で4選[9]。
脚注
[編集]- ^ 『全国歴代知事・市長総覧』日外アソシエーツ、2022年、330頁。
- ^ 市長プロフィール - 益田市ホームページ
- ^ a b 島根県:県内市町村の長・議員の任期満了一覧(トップ / 県政・統計 / 各種委員会 / 選挙管理委員会 / 島根の選挙 / あなたのまちの選挙)
- ^ “益田市長に新人・山本氏”. 山陰中央新報. (2012年7月30日) 2015年10月14日閲覧。
- ^ 益田市長選挙(2012/07/29投票)結果 | 選挙ドットコム
- ^ “益田市長に山本氏再選 福原氏を大差で下す”. 山陰中央新報. (2012年7月24日) 2016年8月4日閲覧。
- ^ “益田市長選 山本氏が再選 実績強調、支持固める”. 毎日新聞. (2012年7月25日) 2016年8月4日閲覧。
- ^ 益田市長選挙(2016/07/24投票)結果 | 選挙ドットコム
- ^ “益田市長選 現職の山本氏、無投票で4選”. 中国新聞. (2024年7月14日) 2024年7月15日閲覧。
外部リンク
[編集]- 山本浩章 公式webサイト
- 山本浩章 (hiroaki.yamamoto1) - Facebook
- 市長の部屋 - 益田市ホームページ