尚貞王
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尚貞王 | |
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琉球国王 | |
在位 | 1669年-1709年 |
全名 | 尚貞 |
名乗 | 朝周[1] |
出生 |
1646年1月22日 |
死去 |
1709年8月18日(満63歳没) |
埋葬 |
1709年 琉球国・首里玉陵 |
王世子 | 尚益 |
配偶者 | 奥間按司加那志 |
真壁按司加那志 | |
子女 | 別記 |
家名 | 第二尚氏 |
王朝 | 第二尚氏王統 |
父親 | 尚質王 |
母親 | 美里按司加那志 |
サイン |
尚貞王(しょうていおう、1646年1月22日(順治2年12月6日) - 1709年8月18日(康熙48年7月13日))は、琉球王国第二尚氏王統の第11代国王(在位1669年 - 1709年)。第10代国王尚質王の子。
尚貞王のときに蔡鐸(蔡温の父)が中山世譜を編集した。 在世中に御茶屋御殿(首里、崎山)を建造した。
家族
[編集]- 父 - 尚質王
- 母 - 美里按司加那志
- 妃 - 奥間按司加那志(号・月心。父は佐久真殿内二世宜野湾親方正信)
- 継妃 - 真壁按司加那志(号・慈恩。父は方氏六世立津親方全敦)
- 妻 - 武富阿護母志良礼(号・仙岳。父は馬氏三世牧港親雲上厚宗)
- 子女
脚注
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