向氏嘉味田殿内
表示
この記事のほとんどまたは全てが唯一の出典にのみ基づいています。 (2014年3月) |
嘉味田家 (嘉味田殿内) | |
---|---|
本姓 | 向氏(第二尚氏) |
家祖 | 尚龍徳(越来王子) |
種別 | 琉球王族・琉球士族 |
出身地 | 琉球王国・首里 |
主な根拠地 | 琉球王国 |
著名な人物 | 向銓(歌人) |
支流、分家 | 屋良家、山村家、仲地家、新田家、島袋家など |
凡例 / Category:日本の氏族 |
向氏 嘉味田殿内(しょううじ かみだどぅんち)は、尚真王の四男尚龍徳・越来王子朝福(生没年不詳)を元祖とする琉球士族。第二尚氏の分家。代々越来間切、喜屋武間切などの按司地頭職を務める琉球王国の王族・大名家であったが、王国時代最後の当主、向椿の代で御殿から殿内に家格落ちし、士族となった。
一世尚真王の四男尚龍徳・越来王子朝福と二世までは越来間切を治める。代々喜屋武間切などの按司地頭を務めてきたが、王国末期に養子が続き御殿から殿内に家格落ちし、真和志間切真嘉比村の脇地頭となり、嘉味田殿内と呼ばれる。
系譜
[編集]弟(次男)・向成章・屋良按司朝久(別有家譜)
弟(次男)・向兆麟・嵩嶋親雲上朝景(別有家譜)
- 七世・向棟・喜屋武按司朝寛
兄(長男)・向鼎 ・翁長按司朝徳
弟(三男)・向柱・長元親方(別有家譜)
- 八世・向憲・喜屋武按司朝隆
- 九世・向銓・喜屋武按司朝教
- 十世・向弘業・喜屋武按司朝昌(分家十世、山村家より養子)
- 十一世・向椿・嘉味田親方朝愛(分家十世、山村家より養子、朝昌の従兄弟)
- 十二世・嘉味田朝珍
系統の歩み
[編集]成化年間、嘉靖年間越来間切総地頭職。その後250年近く喜屋武間切総地頭職を務める。
康煕31年(1692年、向殿柱41歳)王府に家譜を提出、「向」の氏名と「朝」の名乗り頭を賜る。(それまでは「袁」の氏名と「頼」の名乗り頭を用いていた。)
琉球国末期、十世向承基が19歳で早逝したため御殿の継承問題がもちあがった。分家十世朝昌を養子に迎え、朝昌は喜屋武按司を継承した。しかし朝昌にも子がなく、実甥の朝郁を養子に迎えた。朝郁も喜屋武按司となったが、6歳で夭逝したため、朝昌の実従兄弟朝愛が朝昌の跡目となった。朝愛は当初喜屋武按司を継いだが、養子が続いたため真和志間切真嘉比村の地頭職に転任(降格)となった。この時から嘉味田親方を名乗り、お家も御殿から殿内に降格となった。
参考文献
[編集]- 沖縄県姓氏家系大辞典 編纂委員会編『沖縄県姓氏家系大辞典』 角川書店 1992年