小鹿村 (鳥取県)
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おしかそん 小鹿村 | |
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廃止日 | 1953年11月1日 |
廃止理由 |
新設合併 三朝村、三徳村、小鹿村、旭村、竹田村 → 三朝町 |
現在の自治体 | 東伯郡三朝町 |
廃止時点のデータ | |
国 | 日本 |
地方 | 中国地方(山陰地方) |
都道府県 | 鳥取県 |
郡 | 東伯郡 |
市町村コード | なし(導入前に廃止) |
総人口 |
1,649人 (国勢調査、1950年) |
隣接自治体 |
旭村、三朝村、三徳村、気高郡小鷲河村、八頭郡西郷村・佐治村 岡山県苫田郡上齋原村 |
小鹿村役場 | |
所在地 | 鳥取県東伯郡小鹿村大字高橋 |
座標 | 北緯35度23分14秒 東経133度55分19秒 / 北緯35.38725度 東経133.92183度座標: 北緯35度23分14秒 東経133度55分19秒 / 北緯35.38725度 東経133.92183度 |
ウィキプロジェクト |
小鹿村(おしか[1][2]そん)は、鳥取県東伯郡にあった村。現在の東伯郡三朝町の一部にあたる。
地理
[編集]歴史
[編集]- 1889年(明治22年)10月1日、町村制の施行により、河村郡吉田村、西尾村、高橋村、西小鹿村、東小鹿村が合併して村制施行し、小鹿村が発足[1][2]。旧村名を継承した吉田村、西尾村、高橋村、西小鹿村、東小鹿村の5大字を編成[2]。河村郡神中村と組合村を結成し、組合村役場を大字高橋村に設置[2]。
- 1896年(明治29年)4月1日、郡の統合により東伯郡に所属[2]。
- 1914年(大正3年)11月1日、「小鹿村大字○○村」から大字の「村」を削除し、「小鹿村大字○○」と改称[3]。
- 1917年(大正6年)11月1日、東伯郡神中村と合併し小鹿村が存続[1][2]。継承した神倉・中津の2大字を加えて7大字を編成[2]。
- 1953年(昭和28年)11月1日、東伯郡三朝村、三徳村、旭村、竹田村と合併し、町制施行し三朝町を新設して廃止[1][2]。合併後、三朝町大字吉田・西尾・高橋・西小鹿・東小鹿・神倉・中津となる[2]。
産業
[編集]教育
[編集]- 1874年(明治7年)高橋学校開校[4]。1878年(明治11年)東小鹿小学校が開校し1883年(明治16年)東小鹿簡易小学校に改称[6]。1893年(明治26年)2校を統合し大字東小鹿村に小鹿尋常小学校を設立[2][6]。1908年(明治41年)小鹿尋常高等小学校に改称[2]。1910年(明治43年)校舎焼失[2]。1941年(昭和16年)校舎焼失[2]。同年小鹿国民学校となり、1947年(昭和22年)小鹿小学校に改称[2]。
- 1950年(昭和25年)小鹿小学校に隣接して三朝村・三徳村との3か村組合立三朝中学校を開校[2]。(現三朝町立三朝中学校)
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 角川日本地名大辞典 31 鳥取県
- 『市町村名変遷辞典』東京堂出版、1990年。