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竹田村 (鳥取県東伯郡1953年)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
たけだそん
竹田村
廃止日 1953年11月1日
廃止理由 新設合併
三朝村三徳村小鹿村旭村竹田村 → 三朝町
現在の自治体 東伯郡三朝町
廃止時点のデータ
日本の旗 日本
地方 中国地方山陰地方
都道府県 鳥取県
東伯郡
市町村コード なし(導入前に廃止)
総人口 1,982
国勢調査、1950年)
隣接自治体 旭村、倉吉市関金町
岡山県真庭郡中和村苫田郡羽出村上齋原村
竹田村役場
所在地 鳥取県東伯郡竹田村大字穴鴨
座標 北緯35度19分40秒 東経133度50分13秒 / 北緯35.32769度 東経133.83708度 / 35.32769; 133.83708 (竹田村)座標: 北緯35度19分40秒 東経133度50分13秒 / 北緯35.32769度 東経133.83708度 / 35.32769; 133.83708 (竹田村)
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竹田村(たけだそん[1][2])は、鳥取県東伯郡にあった。現在の東伯郡三朝町の一部にあたる。

地理

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天神川とその支流・加茂川の流域に位置していた[2]

歴史

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  • 1889年(明治22年)10月1日、町村制の施行により、河村郡西竹田村東竹田村源村が発足[3]
  • 1896年(明治29年)4月1日、上記3村は郡の統合により東伯郡に所属。
  • 1911年(明治44年)1月1日、上記3村が合併して竹田村が発足[1][2]。合併旧村から継承した下西谷、上西谷、福本、福山、穴鴨、加谷、木地山、大谷、下畑、田代の10大字を編成[2]
  • 1934年(昭和9年)大洪水で役場・産業組合が流出し、農地に大きな被害が発生した[2]
  • 1953年(昭和28年)11月1日、東伯郡三朝村、三徳村、小鹿村、旭村と合併し、町制施行し三朝町を新設して廃止[1][2]。合併後、三朝町大字下西谷・上西谷・福本・福山・穴鴨・加谷・木地山・大谷・下畑・田代となる[2]

産業

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  • 農業、畜産[2]
  • 産物:米、和牛(竹田牛)[2]

交通

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乗合バス

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  • 1922年(大正11年)穴鴨線運行開始[2]
  • 1950年(昭和25年)木地山線運行開始[2]

教育

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  • 1907年(明治40年)穴鴨尋常小学校に高等科併設[2]。1917年(大正6年)実業補習学校併設[2]。1941年(昭和16年)穴鴨国民学校となり、1947年(昭和22年)竹田小学校に改称[2]

脚注

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  1. ^ a b c 『市町村名変遷辞典』457頁。
  2. ^ a b c d e f g h i j k l m n 『角川日本地名大辞典 31 鳥取県』469頁。
  3. ^ 『市町村名変遷辞典』593、650、768頁。

参考文献

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関連項目

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