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三徳村

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
みとくそん
三徳村
廃止日 1953年11月1日
廃止理由 新設合併
三朝村三徳村小鹿村旭村竹田村 → 三朝町
現在の自治体 東伯郡三朝町
廃止時点のデータ
日本の旗 日本
地方 中国地方山陰地方
都道府県 鳥取県
東伯郡
市町村コード なし(導入前に廃止)
総人口 1,621
国勢調査、1950年)
隣接自治体 東郷町、三朝村、小鹿村、気高郡小鷲河村日置村青谷町
三徳村役場
所在地 鳥取県東伯郡三徳村大字片柴1009番地
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三徳村(みとくそん[1][2])は、鳥取県東伯郡にあった。現在の東伯郡三朝町の一部にあたる。

地理

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三徳川の上流、三徳山の北川に位置していた[2]

  • 河川:波関川[3]、小鹿川[4]

歴史

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  • 1889年(明治22年)10月1日、町村制の施行により、河村郡門前村、俵原村が合併して村制施行し、三徳村が発足[1][2]。旧村名を継承した門前村、俵原村の2大字を編成[2]。河村郡鼎村組合役場を鼎村大字片柴村に設置[2][5]
  • 1896年(明治29年)4月1日、郡の統合により東伯郡に所属[2]
  • 1912年(大正元年)水害により鼎村とともに大きな被害を受けた[2]
  • 1914年(大正3年)
    • 9月11日、組合役場全焼により役場位置を大字片柴村1009番地に変更[6]
    • 11月1日、大字門前村・俵原村を門前・俵原に改称[7]
  • 1917年(大正6年)12月1日、東伯郡鼎村と合併し三徳村が存続[1][2]。継承した余戸・片柴・坂本の3大字を加えて5大字を編成[2]
  • 昭和農業恐慌に対応するため農村更生運動に取り組み、1929年(昭和4年)県内の酪農先進地域として乳牛19頭を導入した[2]
  • 1953年(昭和28年)11月1日、東伯郡三朝村、小鹿村、旭村、竹田村と合併し、町制施行し三朝町を新設して廃止[1][2]。合併後、三朝町大字門前・俵原・余戸・片柴・坂本となる[2]

地名の由来

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三徳山にちなむ[2]

産業

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  • 農業

教育

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  • 1918年(大正7年)大字片柴の鼎尋常高等小学校を三徳尋常高等小学校に改称[2]。1929年(昭和4年)校舎が倒壊・焼失し1930年(昭和5年)校舎再建[2]
  • 1947年、三朝村・小鹿村との3か村組合立三朝中学校を開校[2]。(現三朝町立三朝中学校

名所・旧跡

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脚注

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  1. ^ a b c d 『市町村名変遷辞典』754頁。
  2. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p 『角川日本地名大辞典 31 鳥取県』742頁。
  3. ^ 「片柴〈三朝町〉」『角川日本地名大辞典 31 鳥取県』221-222頁。
  4. ^ 「余戸〈三朝町〉」『角川日本地名大辞典 31 鳥取県』828頁。
  5. ^ 鳥取県町村合併誌112頁(鳥取県、1964年)
  6. ^ 「村役場位置変更」『官報』1914年11月12日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  7. ^ 「字名改称並区域変更」『官報』1914年10月9日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  8. ^ 「門前〈三朝町〉」『角川日本地名大辞典 31 鳥取県』775頁。

参考文献

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関連項目

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