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西郷村 (鳥取県八頭郡)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
さいごうそん
西郷村
廃止日 1955年3月28日
廃止理由 新設合併
国英村、河原町(初代)、八上村西郷村散岐村河原町
現在の自治体 鳥取市
廃止時点のデータ
日本の旗 日本
地方 中国地方山陰地方
都道府県 鳥取県
八頭郡
市町村コード なし(導入前に廃止)
面積 43.5 km2
総人口 2,811
国勢調査、1950年)
隣接自治体 鳥取市、八上村、散岐村、佐治村
気高郡小鷲河村
東伯郡三朝町
西郷村役場
所在地 鳥取県八頭郡西郷村大字中井338番地
座標 北緯35度22分55秒 東経134度09分55秒 / 北緯35.38183度 東経134.16533度 / 35.38183; 134.16533座標: 北緯35度22分55秒 東経134度09分55秒 / 北緯35.38183度 東経134.16533度 / 35.38183; 134.16533
特記事項 村役場は旧JA鳥取いなば西郷支店(現・一般社団法人結夢)の位置に所在[1]
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西郷村(さいごうそん)は、鳥取県八頭郡にあった自治体である。

概要

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現在の鳥取市河原町中井・河原町本鹿(ほんが)・河原町牛戸・河原町神馬・河原町小河内(おごうち)・河原町湯谷・河原町小畑・河原町弓河内(ゆみごうち)・河原町北村に相当する。千代川中流域の西方に位置した。

元々は五総村明治村組合役場を設置していたが、これを発展的解消して西郷村となった。

村名は西にある郷の意で、八頭郡西端に位置することによるとされる[2]

沿革

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行政

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歴代村長

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氏名 就任年月日 退任年月日 備考
坂本頼蔵 1915年(大正4年)4月1日 1915年(大正4年)7月 前・五総村明治村組合村長
村長臨時代理者[7]
坂本頼蔵 1915年(大正4年)7月 1943年(昭和18年)9月
上原延愛 1943年(昭和18年)9月 1946年(昭和21年)11月
下田清房 1947年(昭和22年)4月 1948年(昭和23年)8月
露木博三 1948年(昭和23年)10月 1952年(昭和27年)10月
有田輝男 1952年(昭和27年)10月 1955年(昭和30年)3月27日
参考文献 - [1]

坂本頼蔵の村長就任期間は1905年(明治38年)2月から約38年と長年にわたり、また1938年(昭和13年)には県町村長会長に挙げられた。その功績をたたえて旧役場隣接地に頌徳碑が建てられた[1]

教育

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  • 西郷村立西郷小学校(現・鳥取市立西郷小学校
  • 組合立八上中学校:八上村・散岐村・西郷村の組合立として八上村大字曳田に創設。1962年に統合により河原町立河原中学校となり、現在は鳥取市立河原中学校[1]

脚注

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  1. ^ a b c d 河原町誌(河原町誌編集委員会、1986年)
  2. ^ 角川日本地名大辞典 鳥取県「西郷村(近代)」
  3. ^ 「村廃置」『官報』1915年3月17日国立国会図書館デジタルコレクション
  4. ^ 「村役場位置」『官報』1915年4月13日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  5. ^ 「町村役場位置変更」『官報』1927年11月15日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  6. ^ 「鳥取県告示第135号・市町村の廃置分合」『鳥取県公報 号外第29号』1955年3月25日鳥取県立公文書館
  7. ^ 自治制発布五十周年記念帖(帝国地方行政学会、1938年)

関連項目

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