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小池正晁

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
小池 正晁
1884年 - 1941年
大日本帝国陸軍軍医総監 小池正晁
生誕 朝鮮釜山
死没 東京市
最終階級 陸軍軍医総監
指揮 陸軍軍医学校教官
東京第一・第二衛戍病院長
第1師団軍医部長
朝鮮軍軍医部長
勲章 正三位勲二等男爵
除隊後 貴族院議員
墓所 東京都
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小池 正晁(こいけ まさあき、1884年明治17年)2月23日 - 1941年昭和16年)6月18日[1])は、日本陸軍軍人政治家貴族院議員・陸軍軍医総監正三位勲二等医学博士男爵。男爵・小池正直の長男。東京市小石川(現・東京都文京区小石川)出身。

略歴

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日本陸軍軍医・小池正直の長男として朝鮮釜山に生れる。1902年(明治35年)第一高等学校を首席で卒業する。1909年(明治42年)12月、京都帝国大学の分科大学である福岡医科大学(現・九州大学医学部)を卒業。

歩兵第3連隊(麻布三連隊)に入営。1910年(明治43年)6月、二等軍医となり、近衛歩兵第2連隊に配属された。1912年(明治45年)1月、東京帝国大学大学院に入学した。1914年(大正3年)1月15日、東京第一衛戍病院付 兼 陸軍軍医学校教官に就任[2]1913年(大正2年)12月31日に父が死去し、1914年(大正3年)1月20日、男爵を襲爵した。1920年(大正9年)ドイツ及びフランス留学[1]1922年(大正11年)に帰国。 同年4月1日、陸軍軍医学校教官に就任[3]1923年(大正12年)4月9日、医学博士号(東京帝国大学)が授与された[4]

1931年(昭和6年)8月1日、東京第一・第二衛戍病院(現・国立国際医療研究センター戸山病院)長となり、以後、第1師団軍医部長、朝鮮軍軍医部長を歴任し、1935年(昭和10年)8月1日、陸軍軍医総監に昇進。1937年(昭和12年)3月29日、予備役に編入された。

1938年(昭和13年)6月4日、貴族院議員補欠選挙に当選し[5][6]公正会に所属し1941年(昭和16年)6月18日に死去するまで在任[1][7]。享年58。

年譜

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  • 1910年(明治43年)6月 - 二等軍医
  • 1912年(大正元年)12月 - 一等軍医
  • 1914年(大正3年)
    • 1月15日 - 補 東京第一衛戍病院付 兼 陸軍軍医学校教官
    • 1月20日 - 男爵を襲爵。
  • 1920年(大正9年)- ドイツ及びフランスに留学。
  • 1922年(大正11年)- 帰国
    • 4月1日、補 陸軍軍医学校教官
  • 1923年(大正12年)4月9日 - 医学博士号授与[8]
  • 1931年(昭和6年)8月1日 - 東京第一・第二衛戍病院長
  • 1932年(昭和7年)8月8日 - 第1師団軍医部長
  • 1934年(昭和9年)3月5日 - 朝鮮軍軍医部長
  • 1935年(昭和10年)8月1日 - 陸軍軍医総監[9]
  • 1937年(昭和12年)3月29日 - 予備役編入
  • 1938年(昭和13年)6月4日 - 貴族院議員補欠選挙当選
  • 1941年(昭和16年)6月18日 - 死去

栄典

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位階
勲章等

家族親族

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著書

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  • 1925年(大正14年) - 『皮膚及花柳病講義録』 陸軍二等軍医正 小池正晁(著) 陸軍軍医団

脚注

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  1. ^ a b c 『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』70頁。
  2. ^ 『官報』第438号「叙任及辞令」1914年1月16日。
  3. ^ 『官報』第2898号「叙任及辞令」1922年4月4日。
  4. ^ 『官報』1923年4月13日 彙報 学位授与 「東京帝国大学ニ於テ本月九日 東京府小池正晁ニ医学博士ノ学位ヲ授与セリ」
  5. ^ 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、46頁。
  6. ^ 『官報』1938年6月7日 帝国議会 貴族院 男爵議員当選 「男爵小池正晁 貴族院議員補欠選挙ニ当選セシ 本月四日」
  7. ^ 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、50頁。
  8. ^ 『官報』第3208号「彙報-学事-学位授与」1923年4月13日。
  9. ^ 『官報』第2575号「叙任及辞令」1935年8月2日。
  10. ^ 『官報』第1330号「叙任及辞令」1917年1月11日。
  11. ^ 『官報』第3423号「叙任及辞令」1924年1月23日。
  12. ^ 『官報』第1418号「叙任及辞令」1931年9月18日。
  13. ^ 『官報』第2928号「叙任及辞令」1936年10月3日。
  14. ^ 『官報』第3096号「叙任及辞令」1937年5月3日。
  15. ^ 『官報』第443号「叙任及辞令」1914年1月22日。
  16. ^ 『官報』第1312号・付録「辞令」1916年12月15日。
  17. ^ 『官報』第1647号・付録「辞令」1918年1月31日。
  18. ^ 『官報』第2799号「叙任及辞令」p5二段目1921年11月30日。
  19. ^ 『官報』第2786号「叙任及辞令」1921年11月14日。
  20. ^ 『官報』第4030号「叙任及辞令」1926年2月2日。
  21. ^ 『官報』第1411号「叙任及辞令」1931年9月10日。
  22. ^ 『官報』第2601号・付録「叙任及辞令二」p29三段目 1935年9月2日。
  23. ^ 『人事興信録 6版』1921、「井内勇」

参考資料

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  • 『皮膚及花柳病講義録』陸軍軍医団、1925年。
  • 『男爵小池正直伝』佐藤恒丸編 東京陸軍軍医団、1940年。
  • 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、貴族院事務局、1947年。
  • 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
  • 『昭和人名辞典』高野義夫、1987年。
  • 『日本陸軍将官辞典』福川秀樹編著、芙蓉書房出版、2001年。ISBN 4-8295-0273-8


日本の爵位
先代
小池正直
男爵
小池(正直)家第2代
1914年 - 1941年
次代
小池正弘