小池正晁
小池 正晁 | |
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1884年 - 1941年 | |
大日本帝国陸軍軍医総監 小池正晁 | |
生誕 | 朝鮮釜山 |
死没 | 東京市 |
最終階級 | 陸軍軍医総監 |
指揮 |
陸軍軍医学校教官 東京第一・第二衛戍病院長 第1師団軍医部長 朝鮮軍軍医部長 |
勲章 | 正三位・勲二等・男爵 |
除隊後 | 貴族院議員 |
墓所 | 東京都 |
小池 正晁(こいけ まさあき、1884年(明治17年)2月23日 - 1941年(昭和16年)6月18日[1])は、日本陸軍の軍人、政治家。貴族院議員・陸軍軍医総監・正三位・勲二等・医学博士・男爵。男爵・小池正直の長男。東京市小石川(現・東京都文京区小石川)出身。
略歴
[編集]日本陸軍軍医・小池正直の長男として朝鮮釜山に生れる。1902年(明治35年)第一高等学校を首席で卒業する。1909年(明治42年)12月、京都帝国大学の分科大学である福岡医科大学(現・九州大学医学部)を卒業。
歩兵第3連隊(麻布三連隊)に入営。1910年(明治43年)6月、二等軍医となり、近衛歩兵第2連隊に配属された。1912年(明治45年)1月、東京帝国大学大学院に入学した。1914年(大正3年)1月15日、東京第一衛戍病院付 兼 陸軍軍医学校教官に就任[2]。1913年(大正2年)12月31日に父が死去し、1914年(大正3年)1月20日、男爵を襲爵した。1920年(大正9年)ドイツ及びフランスに留学し[1]、1922年(大正11年)に帰国。 同年4月1日、陸軍軍医学校教官に就任[3]1923年(大正12年)4月9日、医学博士号(東京帝国大学)が授与された[4]。
1931年(昭和6年)8月1日、東京第一・第二衛戍病院(現・国立国際医療研究センター戸山病院)長となり、以後、第1師団軍医部長、朝鮮軍軍医部長を歴任し、1935年(昭和10年)8月1日、陸軍軍医総監に昇進。1937年(昭和12年)3月29日、予備役に編入された。
1938年(昭和13年)6月4日、貴族院議員補欠選挙に当選し[5][6]、公正会に所属し1941年(昭和16年)6月18日に死去するまで在任[1][7]。享年58。
年譜
[編集]- 1910年(明治43年)6月 - 二等軍医
- 1912年(大正元年)12月 - 一等軍医
- 1914年(大正3年)
- 1月15日 - 補 東京第一衛戍病院付 兼 陸軍軍医学校教官
- 1月20日 - 男爵を襲爵。
- 1920年(大正9年)- ドイツ及びフランスに留学。
- 1922年(大正11年)- 帰国
- 4月1日、補 陸軍軍医学校教官
- 1923年(大正12年)4月9日 - 医学博士号授与[8]
- 1931年(昭和6年)8月1日 - 東京第一・第二衛戍病院長
- 1932年(昭和7年)8月8日 - 第1師団軍医部長
- 1934年(昭和9年)3月5日 - 朝鮮軍軍医部長
- 1935年(昭和10年)8月1日 - 陸軍軍医総監[9]
- 1937年(昭和12年)3月29日 - 予備役編入
- 1938年(昭和13年)6月4日 - 貴族院議員補欠選挙当選
- 1941年(昭和16年)6月18日 - 死去
栄典
[編集]- 位階
- 1917年(大正6年)1月10日 - 正五位[10]
- 1924年(大正13年)1月21日 - 従四位[11]
- 1931年(昭和6年)9月1日 - 正四位[12]
- 1936年(昭和11年)10月1日 - 従三位[13]
- 1937年(昭和12年)4月28日 - 正三位[14]
- 勲章等
- 1914年(大正3年)1月20日 - 男爵襲爵[15]
- 1915年(大正4年)
- 1920年(大正9年)11月1日 - 大正三年乃至九年戦役従軍記章[18]
- 1921年(大正10年)7月1日 - 勲六等瑞宝章[19]
- 1926年(大正15年)1月27日 - 勲五等瑞宝章[20]
- 1931年(昭和6年)9月8日 - 勲四等瑞宝章[21]
- 1934年(昭和9年)4月29日 - 勲二等瑞宝章・昭和六年乃至九年事変従軍記章[22]
家族親族
[編集]- 高祖父:小池仲伯 - 米沢藩士
- 曽祖父:小池仲郁 - 蘭方医、米沢藩医
- 祖父:小池正敏 - 庄内藩医
- 父:小池正直 - 陸軍軍医総監、貴族院議員、男爵
- 母:小池金子 - 長崎県士族・亀田佐記の次女
- 義父:瀬川昌耆 - 医学博士
- 姉:小池貞子 - 北島多一(第2代日本医師会会長) 妻
- 妹:井内泰 - 井内勇(函館税関長) 妻。勇は佐賀藩士・井内伝一長男、東京帝国大学法科大学卒。のち朝鮮銀行検査長などを務めた。[23]
- 義兄:瀬川昌世 - 医学博士
- 妻:小池順子 - 瀬川昌耆の次女
- 長女:小池千賀 - 南達夫 妻
- 長男:小池正弘 - 男爵小池家3代当主
- 次男:小池正英
- 次女:小池直子 - 實吉純一(工学博士、第6代日本音響学会会長) 妻
- 三男:小池正忠 - 科学技術庁参事官
- 三女:小池慶子 - 佐々木洋興(理学博士、慶應義塾大学教授) 妻
- 弟:小池正彪 - 三井本社常務理事
- 姪(正彪・長女):小池郁子 - 福岡県士族 吉田良明 妻
- 姪(正彪・次女):小池恵子 - 川本文夫 妻
- 姪(正彪・三女):小池貴久子 - 岡本武雄 妻
- 甥(正彪・長男):小池正宣
- 甥(正彪・次男):小池正邦
- 弟:小池正教 - 農学士
- 妹:小池泰子 - 井内勇(朝鮮銀行理事) 妻
- 弟:小池正朝 - 医学博士、順天堂大学医学部教授、江東病院長
- 甥(正朝・長男):小池正純
- 甥(正朝・次男):小池正恒
著書
[編集]- 1925年(大正14年) - 『皮膚及花柳病講義録』 陸軍二等軍医正 小池正晁(著) 陸軍軍医団
脚注
[編集]- ^ a b c 『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』70頁。
- ^ 『官報』第438号「叙任及辞令」1914年1月16日。
- ^ 『官報』第2898号「叙任及辞令」1922年4月4日。
- ^ 『官報』1923年4月13日 彙報 学位授与 「東京帝国大学ニ於テ本月九日 東京府小池正晁ニ医学博士ノ学位ヲ授与セリ」
- ^ 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、46頁。
- ^ 『官報』1938年6月7日 帝国議会 貴族院 男爵議員当選 「男爵小池正晁 貴族院議員補欠選挙ニ当選セシ 本月四日」
- ^ 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、50頁。
- ^ 『官報』第3208号「彙報-学事-学位授与」1923年4月13日。
- ^ 『官報』第2575号「叙任及辞令」1935年8月2日。
- ^ 『官報』第1330号「叙任及辞令」1917年1月11日。
- ^ 『官報』第3423号「叙任及辞令」1924年1月23日。
- ^ 『官報』第1418号「叙任及辞令」1931年9月18日。
- ^ 『官報』第2928号「叙任及辞令」1936年10月3日。
- ^ 『官報』第3096号「叙任及辞令」1937年5月3日。
- ^ 『官報』第443号「叙任及辞令」1914年1月22日。
- ^ 『官報』第1312号・付録「辞令」1916年12月15日。
- ^ 『官報』第1647号・付録「辞令」1918年1月31日。
- ^ 『官報』第2799号「叙任及辞令」p5二段目1921年11月30日。
- ^ 『官報』第2786号「叙任及辞令」1921年11月14日。
- ^ 『官報』第4030号「叙任及辞令」1926年2月2日。
- ^ 『官報』第1411号「叙任及辞令」1931年9月10日。
- ^ 『官報』第2601号・付録「叙任及辞令二」p29三段目 1935年9月2日。
- ^ 『人事興信録 6版』1921、「井内勇」
参考資料
[編集]- 『皮膚及花柳病講義録』陸軍軍医団、1925年。
- 『男爵小池正直伝』佐藤恒丸編 東京陸軍軍医団、1940年。
- 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、貴族院事務局、1947年。
- 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
- 『昭和人名辞典』高野義夫、1987年。
- 『日本陸軍将官辞典』福川秀樹編著、芙蓉書房出版、2001年。ISBN 4-8295-0273-8
日本の爵位 | ||
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先代 小池正直 |
男爵 小池(正直)家第2代 1914年 - 1941年 |
次代 小池正弘 |