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佐藤恒丸

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佐藤恒丸

佐藤 恒丸(さとう つねまる、明治5年8月28日[1]1872年9月30日) - 昭和29年(1954年4月16日[1])は、日本の医師陸軍軍医総監中将相当官)。宮中顧問官医学博士

経歴

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愛知県出身。1896年(明治29年)、帝国大学医科大学を卒業。翌年、陸軍三等軍医となり、1922年大正11年)に軍医総監に至った。その間、陸軍軍医学校教官、京城衛戍病院院長、朝鮮駐箚軍軍医部長などを歴任した。1907年(明治40年)からドイツに留学し、1911年(明治44年)に医学博士号を受けた。また1920年(大正9年)には、現官のまま日本赤十字社病院院長に任命された。1923年(大正12年)、予備役編入。

1927年(昭和2年)より侍医頭となり、赤十字病院院長は解職[2]。1937年3月、宮中顧問官に任ぜられ、侍医頭を辞す[3]

1947年(昭和22年)11月28日、公職追放仮指定を受けた[4]

栄典

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脚注

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  1. ^ a b 『昭和物故人名録』日外アソシエーツ、1983年。
  2. ^ 『日本赤十字社社史稿 第4巻 (大正12-昭和10年)』(1957年)p9。
  3. ^ 『官報』1937年3月10日[1]
  4. ^ 総理庁官房監査課編『公職追放に関する覚書該当者名簿』日比谷政経会、1949年、「昭和二十二年十一月二十八日 仮指定者」138頁。
  5. ^ 『官報』第4438号・付録「辞令二」1941年10月23日。

参考文献

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  • 人事興信所編『人事興信録 第11版(上)』人事興信所、1937年。