瀬川昌耆
表示
瀬川 昌耆(せがわ まさとし、安政3年4月17日〈1856年5月20日〉- 1920年(大正9年)12月21日)は、日本の医学者、小児科医。医学博士。瀬川小児病院初代院長。
略歴
[編集]- 1856年(安政3年)5月20日 - 江戸(現・東京都)に生まれる。
- 1882年(明治15年) - 東京大学医学部卒業
- 宮城県立宮城医学校(現・東北大学医学部)講師
- 1886年(明治19年) - 同校の校長に就任
- 1888年(明治21年) - ドイツに留学
- 1891年(明治24年) - 帰国する。
- 千葉県高等学校医学部部長
- 1898年(明治31年) - 瀬川小児病院を設立
- 1920年(大正9年)12月21日 - 死去する。墓所は青山霊園(1イ-5)
栄典
[編集]著書
[編集]- 『病家必携』 瀬川昌耆、1888年(明治21年)
- 『學校衛生法綱要』 瀬川昌耆、1893年(明治26年)
- 『學校衛生』 金港堂、1904年(明治37年)
- 『實驗の育兒』 新橋堂、1906年(明治39年)
- 『胃癌と胃病』 広文堂書店、1912年
- 『身體強壯法』 広文堂、1912年
- 『最新育兒のをしへ』 至誠堂書店、1913年(大正2年)
- 『最新小兒病手當法』 至誠堂書店、1914年(大正3年)
- 『病兒及虚弱兒の養育法』 新橋堂書店、1916年(大正5年)
- 『茶の湯釜』 瀬川昌世(編纂) 至誠堂書店、1933年(昭和8年)
訳著
[編集]- 『小児病各論』 瀬川昌春、1884年(明治17年)
監修
[編集]- 『病名便覧』 黒沢惟則(編纂) 静水堂、1884年
家族親族
[編集]- 五世祖父:瀬川元浩(? - 1758年) - 高槻藩藩医
- 高祖父:瀬川丈庵(? - 1804年) - 医者
- 曾祖父:瀬川淘以(? - 1830年) - 医者
- 祖父:瀬川淳庵(? - 1867年) - 医者
- 父:瀬川昌蔵(? - 1909年) - 医者
- 妻 瀬川寿々 - 工学博士厚木勝基 叔母
- 長男:瀬川昌世 - 医学博士、瀬川小児科病院2代院長、古市公威(男爵・工学博士)の娘婿
- 二男:瀬川昌邦 - 実業家
- 次女:瀬川順子 - 小池正晁(男爵・医学博士)妻
脚注
[編集]外部リンク
[編集]- 瀬川小児神経学クリニック - ウェイバックマシン(2010年2月9日アーカイブ分)