コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

小山三郎 (技師)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
こやま さぶろう

小山 三郎
小山三郎
生誕 明治18年3月16日
1883年3月16日
日本の旗 日本 埼玉県大里郡熊谷宿
(現)埼玉県熊谷市
死没 不明
出身校 旧制学習院高等科東京帝国大学
時代 大正、昭和
著名な実績 技師として台湾各地の鉄道建設に貢献
肩書き 台湾総督府鉄道部技師
阿里山作業所技師など
栄誉 勲六等瑞宝章
勲五等瑞宝章
勲四等瑞宝章
勲三等瑞宝章
テンプレートを表示


飯田豊二記念碑の小山による碑文(高雄市大樹区九曲堂駅前)
台中線震災復興紀念碑

小山 三郎(こやま さぶろう、1885年明治18年)3月16日[1] - 没年不明[注 1][注 2] [注 3][注 4][注 5]埼玉県出身の土木技術者台湾総督府の技師として日本統治時代台湾各地で鉄道敷設に関わった[注 6]

経歴

[編集]

1885年(明治18年) - 埼玉県大里郡熊谷宿(熊谷市の前身)で出生[1]、本籍は東京市芝区三田綱町(現・東京都港区三田[1]。 父・保政逓信省、臨時台湾鉄道隊の鉄道技師で、日本統治直後の台湾で鉄道調査、鉄道整備に従事し、1899年に病死している[6]

  • 1906年(同39年)7月、旧制学習院高等科卒業[7]
  • 1909年(同42年)7月 - 東京帝国大学工学部土木工学科(東京大学大学院工学系研究科・工学部の前身)を卒業、台湾総督府鉄道部技手として工務課に配属[1]
  • 1910年(同43年)4月 - 阿里山作業所技手[8]
  • 1911年(同44年)4月 - 阿里山作業所技師[8]
  • 1912年(大正元年)8月 - 鉄道部技師[8]
  • 1914年(同3年) - 打狗保線事務所長[9]
  • 1919年(同8年) - 鉄道部宜蘭出張所長[1]
  • 1920年(同9年)1月 欧米に出張[11](翌年1月帰国)。[12]
  • 1923年(同12年)2月 - 監督課長兼保線係長[7]
  • 1924年(同13年) - 汽車課長[1]
  • 1927年(昭和2年) - 運転課長兼花蓮港鉄道出張所長[1]
  • 1928年(同3年)12月 - 改良課長[1][7]
  • 1929年(同4年)9月 - 市区計画委員会委員[8]
  • 1930年(同5年)11月 - 交通局鉄道職員共済組合審査会審查委員兼高雄改良事務所事務取扱[8]
  • 1931年(同6年)12月 - 工務課長兼務[7]
    • 1935年(同10年)7月 - 都市計画法施行準備委員会委員、道路港湾課技師を兼任[8]
  • 1937年(同12年) - 2月より台湾防衛委員会幹事、5月より台湾都市計畫委員会委員[8]
  • 1938年(同13年)5月、健康上の理由で退職、日本に戻る[10]

1935年(昭和10年)の新竹・台中地震後は震災調査委員会の委員として被害調査および復旧事業などを担った[10][13]泰安旧駅台中市豊原区)には小山による地震記念碑が現存しているほか[14]屏東線下淡水渓鉄橋(旧橋)建設で殉職した友人の技師飯田豊二の記念碑を建てている[15]

栄典

[編集]

叙位

勲等


脚注

[編集]

註釈

[編集]
  1. ^ 1942年、ボルネオに向かうべく大洋丸に乗船した記載が八田與一の伝記にあるが[2]、沈没後の安否については不明となっている。
  2. ^ ただし、大洋丸遭難の死亡者、生存者、行方不明者名簿[3]には、小山の名前はない。
  3. ^ 同姓同名の可能性があるが、昭和19年9月鉄道砂利株式会社の商業登記(変更)[4]に取締役小山三郎の名前がある。
  4. ^ 帝国鉄道協会誌 汎交通 43巻6号(昭和17年6月号) 106頁の訃報覧には小山の名前はない。
  5. ^ 日本交通協会誌 汎交通 49巻8号(昭和24年8月号)49頁には「前回報告(昭和24年5月)から昭和24年7月までの間に訃報に接した会員」のなかに小山の名前がある。
  6. ^ なお中央研究院の電子版職員録の人名での検索結果には、台中庁や台南州の職員だった同姓同名の小山三郎 (内務官僚)も含まれる[5]

出典

[編集]
  1. ^ a b c d e f g h 太田肥州 (1940-01-01). 新臺灣を支配する人物と産業史. 臺灣評論社. p. 61. http://mhdb.mh.sinica.edu.tw/mhpeople/bookimage.php?book=SS&page=61  中央研究院近現代史研究所 近現代人物資迅整合系統
  2. ^ 斎藤充功 (2009). 日台の架け橋・百年ダムを造った男. 時事通信出版局. p. 215. ISBN 9784788709508. https://books.google.co.jp/books?id=iDMAMDM8JowC 
  3. ^ 大洋丸遭難に関する件」 アジア歴史資料センター Ref.C01000429200 
  4. ^ 台湾総督府官報 第764号
  5. ^ (繁体字中国語)查詢結果 小山三郎”. 臺灣總督府職員錄系統 中央研究院台湾史研究所. 2020年4月4日閲覧。
  6. ^ (繁体字中国語)蔡龍保 (2005年9月). “長谷川謹介與日治時期臺灣鐵路的發展”. 國史館學術集刊 (国史館) (第六期): 96. ISSN 1726-7331. https://www.drnh.gov.tw/var/file/3/1003/img/32/024.pdf. 
  7. ^ a b c d 唐澤信夫 (1937-06-23). 臺灣紳士名鑑. 新高新報社. p. 229. http://mhdb.mh.sinica.edu.tw/mhpeople/bookimage.php?book=TM&page=229  中央研究院近現代史研究所 近現代人物資迅整合系統
  8. ^ a b c d e f g h (繁体字中国語)蔡龍保 (2007年11月). “日治時期台灣總督府之技術官僚-以土木技師為例”. 興大歷史學報 (国立中興大学) (第十九期): 374. ISSN 1028-2009. http://www.shihoukai-innter.com/rizhishiqi.pdf.  史訪会
  9. ^ (繁体字中国語)蔡龍保 (2012). 推動時代的巨輪: 日治中期的臺灣國有鐵路1910-1936. 五南圖書出版股份有限公司. pp. 37-38. ISBN 9789866318788. https://books.google.co.jp/books?id=JzAyCgAAQBAJ 
  10. ^ a b c (繁体字中国語)蔡龍保 (2018-09-10). “總督府鐵道部技術團隊(二之二)─特出人物舉隅”. 臺灣學通訊 (国立台湾図書館台湾学研究中心) (第107期): 10-11. ISSN 1999-1851. https://www.ntl.edu.tw/public/Attachment/891716303010.pdf. 
  11. ^ 台湾総督府報 第2028号
  12. ^ 台湾総督府報 第2305号
  13. ^ 台湾地方震災調査委員会 (1936年8月). “附録 昭和10年台湾中部地方震害調査報告”. 土木學會誌 (土木学会) (第二十二巻 第八号): (附録)頁1-27. ISSN 0021468X. http://library.jsce.or.jp/jsce/open/00034/22-08/22-8-12533.pdf.  土木学会附属 土木図書館
  14. ^ (繁体字中国語)地震紀念碑”. 台湾鉄路管理局台中運務段 (2013年10月23日). 2013年10月24日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年3月28日閲覧。
  15. ^ (繁体字中国語)黃招榮. “大樹>高屏鐵橋與飯田豐二技師”. 高雄市政府文化局. 2020年4月4日閲覧。 高雄小故事
  16. ^ 台湾総督府報 第3268号
  17. ^ 台湾総督府報 第367号
  18. ^ 台湾総督府報 第1148号
  19. ^ 台湾総督府報 第1963号
  20. ^ 台湾総督府報 第2804号
  21. ^ 台湾総督府報 第267号
  22. ^ 台湾総督府報 第1716号
  23. ^ 台湾総督府報 第3207号
  24. ^ 台湾総督府報 第3315号
  25. ^ 台湾総督府報 第2844号
  26. ^ 台湾総督府報 第24号
  27. ^ 台湾総督府報 第858号
  28. ^ 台湾総督府報 第1981号

関連項目

[編集]