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小山保政

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
こやま やすまさ

小山 保政
小山保政
生誕 嘉永5年10月10日
1852年11月21日
日本の旗 日本 近江国伊香郡小山村
(現)滋賀県長浜市
死没 明治32年8月23日
(1899-08-23) 1899年8月23日(46歳没) )
台湾総督府台南医院
墓地 青山墓地
国籍 日本の旗 日本
時代 明治
著名な実績 初期の台湾鉄道の実地調査
肩書き 鉄道局技師
臨時台湾鉄道敷設部技師など
子供 小山三郎
栄誉 勲八等瑞宝章
勲七等瑞宝章
勲五等双光旭日章
勲四等瑞宝章
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小山 保政(こやま やすまさ、1852年嘉永5年) - 1899年(明治32年)8月23日)は、明治期の鉄道技術者。

経歴

[編集]

1852年(嘉永5年) - 近江国伊香郡小山村(現在の滋賀県長浜市[1]で出生、幼名五郎。東京市芝区三田綱町(現・東京都港区三田)に居住する。鉄道技師として領有後の台湾で、既設の台北~新竹間の鉄道路線の調査や縦貫鉄道建設のため現場の調査に活躍する。明治32年8月台南~打狗の路線調査中、乗車していた人力軽便鉄道の顛覆事故により負傷し台湾総督府台南医院にて死亡する。同じく台湾総督府鉄道の技師である小山三郎は子息。


  • 1869年(明治2年)4月 大津県准権少属。[1]
  • 1871年(明治4年)
    • 5月 工部省出仕。[1]
    • 9月 工部省鉄道寮鉄道技術二等見習となり。建築師長ボイル、副長イングランドに付き数学及測量製図等を学ぶ。またゴールウエイ氏に従って近江の山野を測量する。[1]
  • 1872年(明治5年)工部省鉄道寮技術二等見習い。[2]
  • 1873年(明治6年)1月 工部省鉄道寮技術一等見習。[3]
  • 1874年(明治10年)工部省鉄道寮九等技手補。[4]
  • 1878年(明治11年)工部省鉄道寮九等技手。[5]
  • 1879年(明治12年)工部省鉄道寮八等技手。[6]
  • 1881年(明治14年)工部省鉄道寮七等技手。[7]
  • 1882年(明治15年)工部省鉄道寮六等技手。[8]
  • 1884年(明治16年)工部省鉄道寮四等技手。[9]
  • 1887年(明治20年)内閣鉄道局技手三等。[10]
  • 1890年(明治23年)内務省鉄道庁技手二等。[11]
  • 1891年(明治24年)内務省鉄道庁技手一級。[12]
  • 1894年(明治27年)7月17日 逓信省鉄道技師となる。[13]
  • 1895年(明治28年)
    • 3月16日 日清戦争にあたり臨時鉄道隊付を命ぜられ、中国大陸に派遣される。[14][1]
    • 5月22日 台湾出張を命じられ、6月6日台湾基隆に上陸、総督の命により、ただちに基隆台北間の既設鉄道線路調査に着手する。[15][14]
    • 6月10日 総督府内に台湾鉄道線区司令部が置かれ、鉄道線区司令部運輸担当者に任命される。[16][17]
    • 6月20日 臨時鉄道隊解散し、大本営付台湾出張となる。[18]
    • 8月25日 臨時台湾鉄道隊勤務令が定められる。鉄道隊は総督府陸軍局長に隷属して鉄道全般を統括する。[19]台湾総督は新竹以南香山を経由して中港に至る鉄道建設の促成を命じ、新竹香山間は海岸線を採択する旨の報告書と意見書を民政長官に提出する。[20]
    • 9月17日 臨時台湾鉄道隊付を命ぜられる。[21]陸軍省臨時台湾鉄道隊長山根武亮大佐は台北に到着したが、鉄道班長の長江種同がまだ台湾に到着しないため、従前の業務を指揮するように命令を受ける。[22]
    • 9月24日 台湾鉄道線区司令部が廃止され、台湾鉄道停車場司令部設置される。[23]
    • 9月30日 基隆台北間および台北新竹間線路実査報告書を提出する。[24]
    • 10月1日 台湾に到着した鉄道班長長江種同へ旧鉄道課の業務引継を行う。[25]
    • 10月20日 台湾南部線路予測を命ぜら、海路で打狗に向かい28日到着し、打狗嘉義間の測量に従事する。[26]
  • 1896年(明治29年)
    • 3月31日 臨時台湾鉄道隊付を解かれ[16]、逓信省に復帰し鉄道局工務課設計掛勤務となる。[27]
    • 5月27日 台湾縦貫鉄道調査を嘱託される。[28]
  • 1897年(明治30年)
    • 3月18日 台湾縦貫鉄道調査の嘱託の任を解かれる。[28]
    • 4月24日 台湾総督府民政府技師として台湾総督府に採用される。[29]
    • 7月8日 台湾総督府民政局通信部臨時鉄道掛長となる。[30]
    • 6月22日 台湾総督府通信部鉄道課長を命ぜられる。[31]
  • 1899年(明治32年)
    • 4月1日 台湾縦貫鉄道が官設として建設されることになり、臨時台湾鉄道敷設部官制が公布される。[32]、臨時台湾鉄道敷設部技師となる。[33]
    • 8月19日 台南打狗間鉄道線路調査中、人力軽便鉄道顛覆し負傷する。[34]
    • 8月23日 台湾総督府台南医院にて死去。[34]
    • 9月9日 東京市芝区三田綱町の自宅にて葬儀執行、墓所は青山墓地。[35]

受章

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叙位

勲等

  • 勲八等 勲八等瑞宝章 1892年(明治25年)12月[39]
  • 勲七等 勲七等瑞宝章 1896年(明治28年)6月[39]
  • 勲五等 勲五等双光旭日章 1896年(明治29年)7月4日。[33]
  • 勲四等 勲四等瑞宝章 1899年(明治32年)8月23日[38]

脚注

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註釈

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出典

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  1. ^ a b c d e 『小山保政君小伝』帝国鉄道協会〈第1巻第4号〉、1899年、431-1頁。国立国会図書館書誌ID:000000015503 
  2. ^ 職員録・明治五年六月・官員全書改(工部省) 国立公文書館デジタルアーカイブ
  3. ^ 職員録・明治六年一月・袖珍官員録改 国立公文書館デジタルアーカイブ
  4. ^ 官員録. 明治10年4月』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
  5. ^ 職員録・明治十一年五月、十月・職員録(工部省)改 国立公文書館デジタルアーカイブ
  6. ^ 明治官員録. 明治12年7月』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
  7. ^ 明治官員録. [明治14年版]』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
  8. ^ 改正官員録. 明治15年5月』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
  9. ^ 改正官員録. 明治16年11月』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
  10. ^ 改正官員録. 明治20年甲1月』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
  11. ^ 改正官員録. 明治23年甲10月』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
  12. ^ 改正官員録. 明治24年甲10月』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
  13. ^ 『官報』第3978号、1894年7月18日。 
  14. ^ a b 台湾鉄道史・上 1910年 329頁』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
  15. ^ 台湾鉄道史・上 1910年 105頁』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
  16. ^ a b 台湾鉄道史・上 1910年 197頁』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
  17. ^ 「台北・基隆間鉄道開始」『台湾総督府公文類纂 明治二十八年 乙種永久保存』國史館臺灣文献館(台湾)
  18. ^ 「臨時鐵道隊解散ニ付隊員所屬變更」『台湾総督府公文類纂 明治二十八年 乙種永久保存』國史館臺灣文献館(台湾)
  19. ^ 台湾鉄道史・上 1910年 201~202頁』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
  20. ^ 台湾鉄道史・上 1910年 238頁』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
  21. ^ 台湾鉄道史・上 1910年 330頁』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
  22. ^ 台湾鉄道史・上 1910年 202頁』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
  23. ^ 9月25日 台湾総督伯爵樺山資紀発 参謀総長彰仁親王宛 鉄道輸送規則改正の件」 アジア歴史資料センター Ref.C06061525100 
  24. ^ 「鐵道線路實查報告」『台湾総督府公文類纂 明治二十八年 乙種永久保存』國史館臺灣文献館(台湾)
  25. ^ 台湾鉄道史・上 1910年 198頁』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
  26. ^ 台湾鉄道史・上 1910年 150頁』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
  27. ^ 『官報』第3843号、1896年4月14日。 
  28. ^ a b 台湾鉄道史・上 1910年 331頁』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
  29. ^ 逓信省鉄道技師小山保政以下五名任官ノ件 国立公文書館デジタルアーカイブ
  30. ^ 「技師新元鹿之助外五名鐵道掛技術監督命免」『明治三十年臺灣總督府公文類纂乙種永久保存』國史館臺灣文献館(台湾)
  31. ^ 「技師岩田武夫外四名課長命免」『明治三十年臺灣總督府公文類纂乙種永久保存』國史館臺灣文献館(台湾)
  32. ^ 『官報』第4721号、1899年3月31日。 
  33. ^ a b 『官報』第3978号、1896年9月30日。 
  34. ^ a b 「技師小山保政敘位敘勳ノ儀上奏ニ關スル件內務大臣」『明治三十二年臺灣總督府公文類纂永久保存』國史館臺灣文献館(台湾)
  35. ^ 「小山保政葬儀広告」朝日新聞 東京7面 1899年9月6日
  36. ^ 『官報』第2798号、1892年10月24日。 
  37. ^ 「辞令」『台湾総督府報 第472号』
  38. ^ a b 『官報』第4846号、1899年8月25日。 
  39. ^ a b 『小山保政君小伝』帝国鉄道協会〈第1巻第4号〉、1899年、431-2頁。国立国会図書館書誌ID:000000015503