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飯田豊二

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
いいだ とよじ

飯田 豊二
飯田豊二
生誕 1874年(明治7年)
日本の旗 日本 静岡県
死没 1913(大正2年)6月10日
台南市台湾総督府台南病院
死因 伝染病
記念碑 飯田豊二記念碑 
国籍 日本の旗 日本
出身校 東京工手学校(現工学院大学
職業 鉄道技術者
活動期間 明治 - 大正
雇用者 鉄道局、台湾総督府鉄道部
著名な実績 下淡水渓鉄橋工事監督
肩書き 台湾総督府鉄道部技手、技師など
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九曲堂駅横の飯田豊二記念碑

飯田 豊二(いいだ とよじ、1874年明治7年) - 1913年大正2年)6月10日)は静岡県出身の鉄道技術者。日本統治時代台湾総督府鉄道部所属の技師(1897年 - 1913年)。

経歴

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静岡県沼津市で父飯田弘と吉田姓の母の間に生まれる。東京工手学校(現在の工学院大学)に進学し、土木工学を修めた[1][2][注釈 1]

  • 1896年(明治29年)鉄道局名古屋鉄道局出張所技手。[3]
  • 1897年(明治30年)5月、台湾総督府民政局通信課雇となる[4]
  • 1897年9月 台湾鉄道会社による鉄道建設のため民政局を退職し、会社に移る。[5]
  • 1898年(明治31年)3月 台湾鉄道会社の計画が頓挫したため、台湾総督府民政局通信課雇として復帰する[6]
  • 1899年(明治32年)
    • 5月 臨時台湾鉄道敷設部技手となる[7]、技師長の長谷川謹介に命じられ阿里山の森林資源の搬出について調査する[8]
    • 6月 臨時台湾鉄道敷設部打狗出張所が設置され[9]、打狗出張所に所属し、台湾南部の鉄道工事を担当する。
  • 1907年(明治40年)10月 打狗・九曲堂間の工事が完了し営業開始する。[10]
  • 1910年(明治43年)10月 技師に昇任。[11]
  • 1911年(明治44年) 総督府が推進する鳳山庁(現在の高雄市鳳山区)から阿緱庁(現在の屏東市)に至る鉄道路線阿緱線(現在の屏東線)の建設事業で打狗出張所九曲堂派出所の主任[2][12]。として、当路線で最高難度といわれた[1][2]下淡水渓鉄橋(現在の高屏橋)の架橋工事に携わる。工事期間中、何度も豪雨や増水に見舞われ、飯田は疲労の蓄積から病に倒れる。
  • 1913年(大正2年)
    • 6月10日、台南医院で死去する[13][12]。死後小山三郎によって遺墨が作られ、資金があつめられて九曲堂駅横に記念碑が建立された[2]
    • 12月20日 下淡水溪鉄橋竣工し、九曲堂~阿緱間が営業を開始する。[14][15]

栄典

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叙位

  • 従七位 1910年(明治43年)12月20日[16]
  • 正七位 1913年(大正2年)5月30日[17]

親族

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その他

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  • 下淡水渓鉄橋が遊歩道(天空歩道)として再整備された際に子孫が記念式典に招かれ、記念煉瓦を進呈された[20][21]

脚注

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注釈

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  1. ^ 『台湾記憶』の画像は九曲堂駅近くにある碑文を撮影したものである。

出典

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  1. ^ a b (繁体字中国語)蔡龍保 (2012年10月). 《推動時代的巨輪:日治中期的臺灣國有鉄路》 (四版一刷 ed.). 台灣書房. pp. 37-38. ISBN 978-986-6318-78-8 
  2. ^ a b c d e (繁体字中国語)「飯田豊二記念碑記」『台湾記憶』
  3. ^ NDLJP:779925/62『逓信省職員録 明治29年7月現在』逓信省録 1896
  4. ^ 藤崎経太郎外s数名井本修造属及郵便電信書記ニ任用 明治三十年台湾総督府公文類纂乙種永久保存
  5. ^ 森彦六外数名解雇 明治三十年臺灣總督府公文類纂乙種永久保
  6. ^ 飯田豊二一名雇ヲ命ス 明治三十一年臺灣總督府公文類纂乙種永久保存
  7. ^ 臨時台灣鐵道敷設部技手飯田豐二外雇等二十人府事務ヲ囑託ス 明治三十二年臺灣總督府公文類纂永久保存
  8. ^ 長谷川博士伝編纂会編『工学博士長谷川謹介伝』長谷川博士伝編纂会、1937年、106頁。国立国会図書館書誌ID:000000713033 
  9. ^ NDLJP:805264/13『台湾鉄道史・中』台湾総督府鉄道部 1911年 10頁
  10. ^ 「告示」台湾総督府報 号外
  11. ^ 「叙任及辞令」 台湾総督府報第3082号
  12. ^ a b (繁体字中国語)楊彦騏 (2001年7月). 『台湾百年糖期』. 猫頭鷹出版. pp. 113-114. ISBN 957-469-503-4 
  13. ^ 『鐵道部技師飯田豊二(病氣危篤、昇級、賞與ノ件)』大正二年台湾総督府公文類纂永久保存進退(高)第五巻秘書
  14. ^ 「縱貫延長線開通(台北)」『朝日新聞』東京朝刊2面 大正2年12月21日
  15. ^ 「告示」『台湾総督府報』第376号
  16. ^ 「叙任」『台湾総督府報』 第3124号
  17. ^ 「叙任及辞令」『台湾総督府報』 第240号
  18. ^ 明治時代沼津に居た兄弟二人の鉄道マン(飯田耕一郎と豊二)①
  19. ^ 飯田耕一郎『満蒙の旅嚢』飯田耕一郎、1918年。国立国会図書館書誌ID:000001006678 
  20. ^ 「日本時代に供用の鉄道橋が遊歩道にリニューアル/台湾・高雄」『フォーカス台湾 中央社 日本語版』2014年9月7日
  21. ^ (繁体字中国語)「高屏鐵橋改建天空步道 日工程師後代見證」『自由時報電子版』2014年9月4日

関連項目

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