宮田為益
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宮田 為益(みやた ためます、1900年(明治33年)10月11日[1] - 1955年(昭和30年)7月2日[2])は、日本の内務・厚生官僚。官選岩手県知事。
経歴
[編集]島根県能義郡広瀬町(現・安来市)出身[1]。第一高等学校を卒業。1925年11月、高等試験行政科試験に合格。1926年、東京帝国大学法学部法律学科(英法)を卒業。内務省に入省し佐賀県属となる[3][4]。
以後、高知県警察部警務課長、山口県警察部保安課長兼工場課長、和歌山県学務課長兼社寺兵事課長、兵庫県商工課長、同知事官房主事兼秘書課長、同人事課長、茨城県学務部長、厚生省書記官・薬務課長、山梨県書記官・総務部長兼経済部長[5]、神奈川県官房長、厚生省大臣官房会計課長、同衛生局資材課長などを歴任[3][6]。
1945年4月、岩手県知事に就任し終戦を迎えた。1946年1月に知事を辞任し退官[3]。その後、公職追放となる[4]。
退官後、製薬会社顧問、厚生省薬事審議会委員などを務め、1953年11月、全国国民健康保険団体中央会(のち国民健康保険中央会)専務理事に就任し、国民健康保険の国庫補助法制化の運動に尽力。在任中に病のため死去した[6]。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 歴代知事編纂会編『新編日本の歴代知事』歴代知事編纂会、1991年。
- 秦郁彦編『日本官僚制総合事典:1868 - 2000』東京大学出版会、2001年。
- 『「現代物故者事典」総索引 : 昭和元年~平成23年 1 (政治・経済・社会篇)』日外アソシエーツ株式会社、2012年。
- 「国保中央会専務理事故宮田為益さんを偲びて」『国民健康保険』6(8)、国民健康保険中央会、1955年、9頁。