柿沼竹雄
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柿沼 竹雄(かきぬま たけお、1868年 8月20日(慶応4年7月3日)[1] - 1951年(昭和26年)[2])は、日本の文部・内務官僚。官選県知事。
経歴
[編集]下野国都賀郡鹿沼町(現栃木県鹿沼市)出身[2]。今宮神社社家・柿沼雅雄の長男として生まれる[1][2]。祖父、日光二荒山神社宮司・柿沼広身の薫陶を受けた。柿沼の教育のため一家で東京に移住[2]。
第一高等学校を経て、1898年、東京帝国大学法科大学政治学科を卒業。文部省に入省。1900年11月、文官高等試験行政科試験に合格した[3][4]。
1901年4月、福島県視学官に就任。以後、徳島県視学官、同県事務官、宮崎県事務官・第一部長兼第三部長[5]、山梨県事務官・内務部長、岩手県内務部長などを歴任[1]。
1916年10月、高知県知事に就任。県庁舎・県会議事堂の改築、水害対策などに尽力[6]。1919年4月、岩手県知事に転任[3]。1922年10月、知事を休職[7]。1923年2月28日に依願免本官となり退官した[8]。
その後、愛国婦人会事務局長、実践女学校専務顧問、済生会理事などを務めた[2][3]。
栄典
[編集]著作
[編集]- 『柿沼廣身略伝』柿沼菊雄発行・編集、1979年。※祖父の伝記。