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宮代事件

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

宮代事件(みやしろじけん)とは、1980年(昭和55年)3月21日埼玉県南埼玉郡宮代町で発生した強盗殺人放火事件のこと。宮代町母子殺人放火事件[1]などとも呼ばれる。

犯人とされた兄弟のうち、兄は死刑、弟は無期懲役が確定した。

事件概要

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  • 1980年3月21日未明、宮代町内の民家から出火しているのを近隣住民が発見し、消火したが、2階から家主の妻(当時51歳)と大学生の長男(当時22歳)の遺体が発見された。2人は絞殺されており、殺人・放火事件として杉戸警察署に捜査本部が設置された。
  • 4月20日栃木県警3月31日栃木県日光市で発生した強盗傷害事件で、兄弟(兄は当時23歳、弟は同20歳)を逮捕した。手口が似ていたことから、埼玉県警は栃木に捜査員を派遣し、兄弟を宮代事件で事情聴取した。
  • やがて兄弟は犯行を認め、5月20日、強盗殺人と放火の容疑で逮捕された。兄と被害者の長男はバイト先の同僚で、長男がバイト代を貯金していることを知っており、その金を狙ったという。深夜、被害者宅に侵入して物色していたが、妻に気付かれて殺害。さらに、長男が帰宅したため、長男も殺害し、手提げ金庫を奪った後、証拠隠滅のために放火した。近隣住民が気付いたため、火はすぐに消し止められた。
  • 逮捕後、兄弟は再び否認に転じ、6月11日証拠不十分で不起訴となったが、30日になって改めて起訴された。
  • 兄弟は宮代事件のほか、強盗致傷・窃盗など6件で起訴されたが、殺人放火事件については公判でも一貫して否認した。1985年(昭和60年)9月26日、浦和地裁(現:さいたま地裁)は求刑通り、兄に死刑、弟に無期懲役判決。両名とも控訴1992年(平成4年)7月29日東京高裁は兄弟の控訴を棄却。両名とも上告したが、弟は取り下げて無期懲役が確定。1998年(平成10年)10月8日最高裁は兄の上告を棄却。兄の死刑が確定した。
  • 2021年現在、兄は東京拘置所収監されている。

冤罪説

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以下のことから、現在でも冤罪説が囁かれ、兄は再審請求中である[2][3][4]

  • 別居中だった被害者の夫(当時52歳)が兄弟より前に犯行を自供している。
  • 警察が兄弟の母親に対し、強引な事情聴取を行った。
  • 警察が兄のアリバイを証言した女性に対し、強引な事情聴取を行い、女性が失踪するに至った。
  • 兄弟によれば、取り調べの際、警察官から脅迫まがいの言動を受けた。「わからず屋に何を言っても無駄だ」と思い、自供に至った。裁判官なら真相を見抜いてくれると思ったとのことである。
  • 首の索状痕と自白が一致しない。
  • 自白の放火方法と現場の状況が一致しない。
  • 金品を物色した形跡がない。
  • 格闘の形跡がない。
  • 現場から持ち出したという手提げ金庫は発見されていない。
  • 被告人に発見された記念硬貨が盗品とされているが、多数発行されたもので証拠とはいえない。

脚注

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  1. ^ 殺害後の放火であるため、放火殺人ではない。なお、宮代町では1994年(平成6年)5月にも母子殺人放火事件が起きているが、本事件とは無関係である。
  2. ^ 田丸美寿々、テレビ朝日『ザ・スクープ』取材班 (1994年2月14日). 死刑の現在 -今、何が行なわれているのか- P72-99. 太田出版 
  3. ^ 安田好弘 (2008年4月20日). 死刑弁護人 -生きるという権利 P188-212. 講談社 
  4. ^ 上告趣意書(最高裁判所裁判集刑事274号 P1-320)

参考文献・サイト

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関連項目

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