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孝勝寺

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孝勝寺こうしょうじ
本堂
所在地 宮城県仙台市宮城野区榴岡4丁目11-11
位置 北緯38度15分27.7秒 東経140度53分26秒 / 北緯38.257694度 東経140.89056度 / 38.257694; 140.89056座標: 北緯38度15分27.7秒 東経140度53分26秒 / 北緯38.257694度 東経140.89056度 / 38.257694; 140.89056
山号 光明山
宗派 日蓮宗
寺格 本山(由緒寺院)、仙台藩一門格
創建年 1295年永仁3年)
開基 日門
正式名 光明山孝勝寺
札所等 奥陽身延
文化財 釈迦堂(仙台市登録有形)
法人番号 1370005000445 ウィキデータを編集
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孝勝寺(こうしょうじ)は、宮城県仙台市宮城野区榴岡にある仏教寺院である。山号は光明山。日蓮宗の本山(由緒寺院)である。

寺の名は大仙寺(だいせんじ)、全勝寺(ぜんしょうじ)、孝勝寺(こうしょうじ)と変遷した。孝勝寺の名は、江戸時代仙台藩第2代藩主伊達忠宗の夫人・振姫の法名孝勝院」にちなむ。

概要

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永仁3年(1295年)日門により創建と伝えるが、確実な史料で確認できるのは江戸時代に下る。柳町に続く柳町通の東の延長、孝勝寺前という通りの突き当たりで、榴ヶ岡の近く、仙台城城下町の東縁にあった。寺の場所は変わらないが、寺域は往時より縮小して市街地になっている。

2代藩主伊達忠宗の正妻振姫、3代綱宗の側室で4代綱村の母三沢初子が帰依し、以後仙台藩の厚い保護を受けた。三沢初子は江戸時代の歌舞伎『伽羅先代萩』の登場人物政岡のモデルと信じられ、その墓は「政岡の墓」として知られ、寺から東に少し離れた飛び地にある。

江戸時代には末寺、子院多数を持ち、子院のうち3つ、妙音院、法輪院、蓮香院は独立した寺院として隣り合わせている。

現住は55世谷川日清貫首(石巻市久円寺より晋山)。潮師法縁。

歴史

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釈迦堂(左は三沢初子像)
振姫、初子の墓所
五重塔

寺伝によれば、永仁3年(1295年)、日蓮弟子・日門が大仙寺を創建したのが始まりである。日持奥羽巡教に発したとされるのが同じ年で、大仙寺にも足をとどめて教勢を盛んにしたという。伊達政宗はたびたびこの寺で祈願し、勝利を得たため、寺の号を全勝寺と改めさせたという[1]

隆盛のきっかけは伊達忠宗正室・振姫の帰依にあり、慶安2年(1649年)春に火災で焼失すると、忠宗の指示でいっそう大規模に再建された。寺伝には再建は慶安3年(1650年)に忠宗夫人によるとも言う。万治2年(1659年)に孝勝院と呼ばれた振姫が葬られると、子の伊達綱宗が寺の名を孝勝寺と改めさせた。

綱宗の側室で幼い藩主・亀千代(綱村)の養育にあたった三沢初子も孝勝寺に帰依した。綱村は寛文元年(1661年)に孝勝寺を増築、拡張し、500石の寺領を与えた[2]貞享3年(1668年)に初子は亡くなり、孝勝寺に葬られた。綱村は母の持仏である釈迦如来像を祀るため、近くの榴ヶ岡釈迦堂を建立し、孝勝寺に管理させた[3]。釈迦堂は後に移転して現在は孝勝寺の境内にある。

振姫、初子両人の追善供養の法事は、江戸時代を通じて伊達家の年中行事の一つとなっており、藩士が奉仕した[4]。また、藩が作った寺格という寺院の序列の中で、孝勝寺は御一門格という最高の格に位置づけられた。当時は僧員百余人を抱えていたという[5]

嘉永年間には仙台城の山門が移築された[6]

年表

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  • 永仁3年(1295年) - 日門が大仙寺を創建する。
  • 伊達政宗が度々戦勝祈願をし、寺号を全勝寺と改める。
  • 寛永19年(1642年) - 伊達忠宗が寺号を善勝寺と改める。
  • 慶安2年(1649年) - 火災により諸堂焼失。伊達忠宗が直ちに再興する。
  • 万治2年(1659年) - 伊達忠宗室振姫(孝勝院)没、当寺に埋葬。伊達綱宗は寺号を孝勝寺と改める。
  • 万治3年(1660年) - 伊達綱宗が塔頭五院を創建。
  • 元禄8年(1695年) - 伊達綱村が榴ヶ岡に釈迦堂を創建。
  • 宝永6年(1709年) - 綱村、飯高檀林首座六牙院日潮(潮師法縁縁祖)を当山に招く。
  • 享保12年(1727年) - 火災。
  • 明和元年(1764年)10月27日 - 火災。
  • 嘉永6年(1853年)1月8日 - 火災。
  • 1960年昭和35年) - 放火により山門を除き全山焼失。以降再建を図る。
  • 1973年(昭和48年) - 釈迦堂を孝勝寺境内へ移設。
  • 1978年(昭和53年) - 宮城県沖地震で甚大な被害を受ける。
  • 1982年(昭和57年) - 本堂再建。
  • 2003年平成15年) - 五重塔建立(礎石を含めた高さは31.9m[7])。
  • 2023年令和5年) - 釈迦堂の復元工事が完了[8]

子院

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江戸時代に子院は5つあったが、2つは廃院となった。3つは現在隣り合わせで独立した寺院になっている。

  • 妙音院
  • 法輪院
  • 蓮香院
  • 華香院(大正元年に廃院、本尊は法輪院の鬼子母神堂に祀られる。)
  • 経王院(廃院)

旧末寺

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日蓮宗は1941年昭和16年)に本末解体をしたため現在では旧本山、旧末寺と呼びならわしている。

アクセス

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脚注

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  1. ^ 山本晃「仙台の社寺と教会」293頁。
  2. ^ 山本晃「仙台の社寺と教会」293-294頁。
  3. ^ 山本晃「仙台の社寺と教会」294頁。
  4. ^ 仙台市史編さん委員会・編『仙台市史』通史編4(近世2)318頁、仙台市発行、2003年。
  5. ^ 『宮城県名勝地誌』140頁。
  6. ^ 光明山孝勝寺|宮城県仙台市”. 光明山孝勝寺|宮城県仙台市. 2021年3月11日閲覧。
  7. ^ 日蓮宗新聞社 : 本山孝勝寺に五重塔建立”. news-nichiren.jp. 2021年3月11日閲覧。
  8. ^ 仙台・孝勝寺、328年ぶり全面修復した釈迦堂公開 伊達騒動ゆかりの仏像レプリカを安置”. 河北新報 (2023年5月16日). 2023年5月26日閲覧。

参考文献

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  • 仙台市史編さん委員会・編『仙台市史』通史編4(近世2)、仙台市発行、2003年。
  • 宮城県教育会・編集発行『宮城県名勝地誌』、1931年。
  • 山本晃「仙台の社寺と教会」、仙台市史編纂委員会『仙台市史』第7巻、仙台市役所、1953年。復刻版は萬葉堂より1975年。

外部リンク

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