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孝勝院

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

孝勝院(こうしょういん、慶長12年4月21日1607年6月15日) - 万治2年2月5日1659年3月27日))は、仙台藩伊達忠宗の正室。姫路藩池田輝政の次女で、母は徳川家康の次女・督姫[1][2]。名は振姫(ふりひめ)。3代将軍徳川家光水戸藩徳川光圀は従兄弟にあたる。

生涯

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慶長12年(1607年)、姫路城で生まれる。

慶長16年(1611年)4月に祖父・家康と側室の英勝院の養女となった[3]。夭折した叔母の市姫が伊達忠宗の許嫁となっており、その代わりであった。家康が死去したため元和3年(1617年)10月、改めて叔父である2代将軍徳川秀忠の養女となり、12月13日に忠宗に輿入れした。忠宗との間に長女鍋姫、長男虎千代丸、次男光宗の2男1女をもうけた。

万治2年(1659年)、53歳で死去した。孝勝寺に葬られた。

参考文献

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  • 幕府祚胤伝(『徳川諸家系譜』第2巻)

脚注

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  1. ^ 『池田氏家譜集成』巻三十『因州鳥取慶安寺略記』 
  2. ^ 『池田家履歴略記』文禄三年甲牛 良正院殿入輿 
  3. ^ 『寛政重修諸家譜』巻第二百六十三. https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1082719/213