コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

女性参政権

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
女性参政権運動から転送)
財務省舎前で婦人参政権を求めるデモを行うアメリカ人女性(1913年3月3日)
女性参政権を求めてデモを行うアメリカ人女性(1913年2月)

女性参政権(じょせいさんせいけん)とは、女性が直接または間接的に地方自治体の政治に参加するための諸権利のこと。かつて婦人参政権(ふじんさんせいけん)と呼ばれていた用語を現代的に言い換えた表現である。

概説

[編集]

欧米

[編集]

18世紀末のフランス革命で、普通選挙が実現したが、参政権が付与されたのは男性のみであった。

欧米社会にあっても、社会参加は男性が行い、女性は男性を支えていればよいとの意識が強かった。

女性参政権は19世紀後半にごく一部で実現したが、欧米において女性参政権が広まったのは20世紀に入ってからであった。

スイスでは1870年代に女性運動が組織化され、1886年には女性の法学者エミリー・ケンピン=スピリの法曹団体への参加が認められなかったことがあったが、1971年には女性参政権(選挙権)が可決された[1]

世界初

[編集]

世界初の恒常的な女性の参政権は、1869年にアメリカ合衆国ワイオミング州で実現した(ただし選挙権のみ)。

1871年フランスパリ・コミューンで短期間ながら女性参政権が実現された。

被選挙権を含む参政権の実現は、1894年のオーストラリアの南オーストラリア州が世界初である。

現代

[編集]

女性参政権は20世紀を通してほとんどの国で認められるようになった。ヨーロッパで比較的遅いスイスでは、1971年(連邦レベル)、1991年(全土)であった。

21世紀に入ってからは、ほぼ全ての国で女性参政権が認められるようになり、現在でも女性参政権を認めていない国は、バチカン市国のみである。

日本

[編集]

日本の「婦人参政権運動(婦人運動)」の中では以下の3つを合わせ、「婦選三案」[2][3]あるいは「婦選三権」[疑問点]と呼ばれてきた[誰によって?]

  1. 国政参加の権利、衆議院議員の選挙・被選挙権。
  2. 地方政治参加の権利、地方議会議員の選挙・被選挙権(公民権)。
  3. 政党結社加入の権利(結社権)。

日本における女性参政権獲得までの歴史

[編集]
新婦人協会の第1回総会(1921年)。平塚らいてう奥むめお市川房枝ら。
警官に囲まれて行われる婦選運動同愛会の演説(1927年2月23日)
1929年3月15日、女性参政権を求める集会「東京市政浄デー」が開かれた。集会に参加する婦選獲得同盟のメンバーたち。
第1回婦選デーのためのポスターを作成する山高しげり市川房枝ら(1932年)
戦後初の総選挙で誕生した女性代議士(1946年)

欧米で女性運動が高まりつつあった1880年代、女性参政権を検討したスイスの法律書は、女性参政権を否定する内容に誤訳され、『国会議員選挙論』として伝わり[4]、大日本帝国憲法においては女性参政権は成立しなかった。

日本で普通選挙が実現したのは、1925年(大正14年)であった。しかし、フランス革命当時の欧米と同じように、男性のみの参政権が明文化された[5]

日本の婦人運動は、戦争の激化による中断はあるものの明治末年からの歴史を有し、女性の中には政治的権利を希求する意識が醸成されていた[6]

明治の末年から大正デモクラシーの時期にかけて、女性参政権を求める気運が徐々に高まってくる。堺利彦幸徳秋水らの「平民社」による治安警察法改正請願運動を嚆矢として、平塚らいてう青鞜社結成を経て、 平塚と市川房枝奥むめおらによる新婦人協会(1919年)の設立[7]や、 ガントレット恒子久布白落実らによる日本婦人参政権協会(1921年、後に日本基督教婦人参政権協会)が婦人参政権運動(婦人運動)を展開。続いて各団体の大同団結が図られ、婦人参政同盟〔日本婦人協会〕(1923年)〈理事山根キク〉、婦人参政権獲得期成同盟会(1924年、後に婦選獲得同盟と改称)が結成、さらに運動を推進した。

これらの運動は、戦前の日本において、女性の集会の自由を阻んでいた治安警察法第5条2項の改正(1922年)や、女性が弁護士になる事を可能とする、婦人弁護士制度制定(弁護士法改正、1933年)等、女性の政治的・社会的権利獲得の面でいくつかの重要な成果をあげた。

1925年と翌1926年に、婦人参政権、婦人公民権、婦人結社権を認める治安警察法改正案が提出されるが成立には至らなかった。1927年 - 1929年の各年には、婦人参政権法案、婦人結社権法案、婦人公民権法案が帝国議会に提出されるが、これらも成立には至らなかった[8]

1931年には婦人参政権を条件付で認める法案が衆議院を通過するが、貴族院の反対で廃案に追い込まれた[9](婦人公民権法案において、女性には市町村では選挙権・被選挙権を認めるが、道府県では認めず、また議員就任には夫の同意が必要とした[10])。

1932年1月22日、無産婦人団体を含む4団体で「婦選団体連合委員会」が組織された[11]。同年2月13日、同委員会は全国一斉に第1回婦選デーを開催した[12]

その後、市川は戦争遂行の国策に協力することで女性の政治地位向上を目指し、婦人参政権運動団体は最終的に大日本婦人会へ統合され、市川は大日本言論報国会の理事として活動した。これは戦後に市川の公職追放理由となった。

1945年10月10日、幣原内閣では、GHQの「指示に先じて施策する」として、婦人参政権に関する閣議決定が独自になされた[13]。また、終戦後10日目の1945年(昭和20年)8月25日には、市川房枝らによる「戦後対策婦人委員会」が結成され、衆議院議員選挙法の改正や治安警察法廃止等を求めた五項目の決議を、政府(東久邇宮内閣)及び主要政党に提出。同年11月3日には、婦人参政権獲得を目的とし、「新日本婦人同盟」(会長市川房枝、後に日本婦人有権者同盟と改称)が創立され、婦人参政権運動を再開している[13]

1945年11月21日には、まず勅令により治安警察法が廃止され、女性の結社権が認められる。次に、同年12月17日の改正衆議院議員選挙法公布により、女性の国政参加が認められる(地方参政権は翌年の1946年9月27日の地方制度改正により実現)。1946年(昭和21年)4月10日の戦後初(かつ帝国議会最後)の衆議院選挙(第22回衆議院議員総選挙)の結果、日本初の女性議員39名が誕生する。そして、同年5月16日召集の第90特別議会での審議を経て、10月7日に大日本帝国憲法の全面改正案が成立し、第14条の「法の下の平等」で女性参政権が明確に保障された日本国憲法が同年11月3日公布、1947年(昭和22年)5月3日に施行された。しかし、新憲法施行に先立ち4月25日に行われた第23回衆議院議員総選挙では女性当選者は15人に激減し、1976年の第34回衆議院議員総選挙ではさらに6人まで落ち込んだ後、2005年の第44回衆議院議員総選挙で43人が当選するまで22回、59年間にわたって1946年総選挙の39人を超える事はできなかった。なお、参議院では1947年の第1回参議院議員通常選挙で10人の女性議員が登場した[14]

日本初の女性参政権

[編集]
投票する日本の女性たち

1878年(明治11年)の区会議員選挙で、「戸主として納税しているのに、女だから選挙権がないというのはおかしい。」と楠瀬喜多高知県に対して抗議した[15]。しかし、県には受け入れてもらえず、楠瀬は内務省に訴えた。そして1880年(明治13年)9月20日、3ヶ月にわたる上町町会の運動の末に県令が折れ、女戸主に限定されていたものの、日本初の女性参政権が認められた。その後、隣の小高坂村でも同様の条項が実現した[16]

この当時、世界で女性参政権を認められていた地域はアメリカワイオミング準州や英領サウスオーストラリアピトケアン諸島といった極一部で、欧州の殆どの国では実現してはおらず、日本でのこの動きは女性参政権を実現したものとしては世界で数例目となった。しかし、4年後の1884年(明治17年)、日本政府は「区町村会法」を改訂し、規則制定権を区町村会から取り上げたため、町村会議員選挙から女性は排除された。

世界各国の国政選挙における女性参政権の獲得年次

[編集]
女性参政権を求める行進(1912年、ニューヨーク

女性の参政権を認めていない、もしくは制限付きでのみ認めている国

[編集]

以下の通りである。

  • ブルネイの旗 ブルネイ: イギリスの自治領となった1959年に女性参政権が認められたが、1962年以降は男女とも選挙権が認められていない。議会は1982年に解散され、2004年からはスルタンの完全任命制による立法評議会が設置されている。
  • レバノンの旗 レバノン: 女性のみ初等教育を受けた証明が必要。また、投票は男性には義務化されているが女性は任意である。
  • バチカン市国の旗 バチカン市国: 議会を有さない。なお国事運営の最高機関は聖職者によって構成されるが、女性は聖職者に就任できない。なお、女性職員はおり、2020年1月に副大臣級ポストに女性が就任している。

脚注

[編集]

出典

[編集]
  1. ^ スイスの女性参政権ドイツ語版。「武者小路実世#エピソード」も参照。
  2. ^ 丸山 2001, pp. 175–180.
  3. ^ 今井 2002, pp. 1–11.
  4. ^ 武者小路実世#エピソード」参照。
  5. ^ 大正14年(1925)3月|普通選挙法が制定される:日本のあゆみ”. www.archives.go.jp. 国立公文書館. 2024年8月29日閲覧。
  6. ^ 児玉 1981, pp. 13–15, 303–305.
  7. ^ ウーマン・リブ『朝日新聞』1970年(昭和45年)11月5日 12版 23面
  8. ^ 松田恵美子. “近代日本女性の政治的権利獲得運動”. 名城大学法学部. p. 12. 2024年8月31日閲覧。
  9. ^ 女性が参政権を得るまで | 届けよう看護の声を!私たちの未来へ”. 届けよう看護の声を!私たちの未来へ |. 日本看護連盟 (2021年10月26日). 2024年8月31日閲覧。
  10. ^ 松田恵美子. “近代日本女性の政治的権利獲得運動”. 名城大学法学部. p. 14. 2024年8月31日閲覧。
  11. ^ 『市川房枝集 別巻』, p. 115.
  12. ^ 『決定版 昭和史 第6巻』毎日新聞社、1984年2月29日。
  13. ^ a b 橋本富記子 (2021). “婦人参政権獲得運動から戦後初の女性議員誕生まで ――女性の政治活動について”. 人文公共学研究論集 (千葉大学) (43): 5. https://opac.ll.chiba-u.jp/da/curator/900119885/S24332291-43-P001.pdf. "戦後社会の動きを女性の政治への参加という面から見てみると、戦前の「婦選」の活動家が手をこまねいて、GHQの改革を待っていたわけではない。戦前・戦中と「婦選」運動の中心となった市川房枝しかりである。終戦の詔が発せられてからわずか10日後の8月25日には市川が中心となって「戦後対策婦人委員会」が組織され、女性参政権の獲得及び女性に関する問題等への取り組みを開始している。 GHQからの女性参政権の付与に先んじるために、市川は終戦2日後に組閣された内閣の総理大臣の東久邇稔彦に、日本政府が先に婦人参政権(の付与)を決めるよう申し入れをする(中略)。また、市川らは自由党の結成を準備していた鳩山一郎にも会い、党の政策に婦人参政権を入れるように依頼し、鳩山はそれを承諾した。 1945(昭和20)年 10月に東久邇内閣の後を受けて組閣された幣原喜重郎内閣は、GHQの「指示に先じて施策する」として、同年10月10日「20歳以上の国民に男女の別なく選挙権を与 える」ことを閣議決定した)。同年11月3日には市川によって、戦後初の女性市民組織である「新日本婦人同盟」が、女性参政権と女性の政治教育を設立趣旨として設立された。" 
  14. ^ (2) 女性議員数の推移、「平成13年度女性の政策・方針決定参画状況調べ」内”. 内閣府男女共同参画局. 2018年5月20日閲覧。
  15. ^ 中村 2016(反骨の記録:1)「民権ばあさん」扉開く
  16. ^ 「民権ばあさん」没後100年 高知の記念館で企画展:朝日新聞デジタル”. 朝日新聞デジタル. 朝日新聞社 (2020年10月9日). 2024年8月29日閲覧。
  17. ^ 佐藤円「寡頭制か民主制か――強制移住直前のチェロキー族の政治体制に関する評価をめぐって」『法政史学』第50号、法政大学史学会、1998年3月、110頁。 
  18. ^ LeBow, Diana. “Rethinking matriliny among the Hopi”. Women in Search of Utopia: Mavericks and Mythmakers. Schocken. p. 18 
  19. ^ Fassett, Sarah (1986年). “Navajo Women's Story 1868 to 1960: Separation of the Sexes”. Georgetown Law Library. 2023年6月30日閲覧。
  20. ^ Diane-Michele Prindeville (March 2004). “Feminist Nations? A Study of Native American Women in Southwestern Tribal Politics”. Political Research Quarterly (Sage Publications) 57 (1): 101-112. 
  21. ^ Sally Roesch Wagner (2020年12月14日). “How Native American Women Inspired the Women’s Rights Movement”. 2023年6月30日閲覧。
  22. ^ 江守五夫『母権と父権』弘文堂〈弘文堂選書〉、1973年、149-151頁。 
  23. ^ デイヴィッド・スタサヴェージ 著、立木勝 訳『民主主義の人類史――何が独裁と民主を分けるのか?』みすず書房、2023年(原著2020年)、48頁。 
  24. ^ Stemmerett for kvinner – Grunnloven § 50 - stortinget.no:”. Stortinget (2012年11月6日). 2016年6月24日閲覧。
  25. ^
  26. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q 国本伊代(編著)「ラテンアメリカの新しい社会と女性 20世紀最後の四半世紀の変化をめぐって」『ラテンアメリカ新しい社会と女性』新評論、2000年3月、[要ページ番号]頁。 NCID BA45731818 

参考文献

[編集]

本文の典拠。主な執筆者の50音順

関連項目

[編集]

外部リンク

[編集]