太平洋の鷲
太平洋の鷲 | |
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監督 | 本多猪四郎 |
脚本 | 橋本忍 |
製作 | 本木荘二郎 |
出演者 | |
音楽 | 古関裕而 |
撮影 | 山田一夫 |
編集 | 岩下広一 |
製作会社 | 東宝[1][2] |
配給 | 東宝[1] |
公開 | 1953年10月21日[出典 1] |
上映時間 | 119分[出典 2] |
製作国 | 日本 |
言語 | 日本語 |
配給収入 | 1億6,318万円[8] |
『太平洋の鷲』(たいへいようのわし、副題『日本連合艦隊はかく戦えり[9]』)は、1953年(昭和28年)10月21日に公開された戦争映画である[3][4]。モノクロ、スタンダード[3][2]。監督は本多猪四郎、脚本は橋本忍、特殊技術は円谷英二。昭和28年度芸術祭参加作品[4]。
解説
[編集]山本五十六の半生をもとに[出典 3]、日独伊三国軍事同盟の締結から真珠湾攻撃、ミッドウェー海戦、海軍甲事件を描くことで、太平洋戦争がどのようにして開戦して推移したのかを、構想2年、制作費1億7,000万円[注釈 1]をかけてドキュメンタリー風に描いた作品である。
太平洋戦争をはじめとする第二次世界大戦を題材にした映画作品は数多く制作されているが、戦争に巻き込まれた市井の人々を中心に描いた他の作品とは異なり、制作当時存命中だった人物を含む戦争責任があるとされる人物を登場させ、さらに戦闘場面を再現することで、本格的に戦争を取り上げた戦後初の映画である。また、ミッドウェー海戦を初めて描いた作品でもある[4]。
主人公の山本五十六は大河内傳次郎が演じ、他の作品で描かれる山本とは異なる独自の人物像となっている[4]。
キャスト
[編集]- 山本五十六:大河内傳次郎
- 古河中佐:二本柳寛
- 鹿島中佐:清水将夫
- 米内光政:柳永二郎
- 近衛文麿:高田稔
- 及川古志郎:菅井一郎
- 畑俊六:山田巳之助
- 高野:汐見洋
- 関根:小川虎之助
- 城田:村上冬樹
- 村崎:青野平義
- 陸軍参謀・大佐:志村喬
- 同・中佐:小杉義男
- 同・大尉:堺左千夫
連合艦隊
[編集]機動部隊
[編集]- 司令官:見明凡太郎
- 参謀長:恩田清二郎
- 機関参謀:熊谷二良
- 通信参謀:池田忠夫
- 航空参謀:手塚勝巳
- 戦務参謀:三國連太郎
- 航海参謀:小林桂樹
- 整備参謀:伊豆肇
- 赤城艦長:牧壮吉[注釈 2]
- 飛行隊長:津田光男
- 艦上攻撃機隊長:桜井巨郎
- 通信兵:越後憲三
- 偵察機操縦員:三上淳[注釈 2]
- 偵察員:坂本晴哉[注釈 2]
- 飛龍整備員:日方一夫
- 赤城見張員:岩本弘司
- 赤城整備員:広瀬正一
- 友永大尉:三船敏郎
ラバウル基地
[編集]その他
[編集]- 右翼の青年:堤康久
- 特高係官:川越一平、草間璋夫
- 米内大臣秘書官:大川平八郎
- 軍務局長:片桐常雄[注釈 2]
- テストパイロット:鴨田清
- 橘正晃[12]
- 搭乗士官:岡豊、岡部正、帯一郎
- 大本営・陸軍中佐:千葉一郎
- 同・陸軍大佐:千田是也
- 海軍省交換手:嶋清子
- 女学生:高倉典江
- 商人:光秋次郎
- 労働者:瀬良明、鈴木治夫
- 号外売り:峯三平
スタッフ
[編集]本編
[編集]- 製作:本木荘二郎
- 脚本:橋本忍
- 音楽:古関裕而
- 撮影:山田一夫
- 美術監督:北猛夫
- 美術:阿久根巌
- 録音:宮崎正信
- 照明:大沼正喜
- 編集:岩下広一
- 助監督:小松幹雄
- 製作担当者:黒田達雄
- スチール:吉崎松雄
- 音響効果:三縄一郎
- 現像:東宝現像所
- 応援監督:小田基義
- 監督:本多猪四郎
特殊技術
[編集]製作
[編集]のちに『ゴジラ』(1954年)を生み出すことになる本多猪四郎と円谷英二の初コンビ作品である[出典 4][注釈 3]。本多は、本作品でも描いている太平洋戦争開戦当時は中支戦線で従軍しており、山本五十六と近衛文麿が開戦について語る場面では身の引き締まる思いで演出を行ったという[15]。当初、本多は神風特別攻撃隊を題材とすることを検討していたが、プロデューサーの森岩雄が時期尚早と判断し、内容を改めた[14]。
森は、ハリウッドの製作方式を参考に絵コンテを細分化した「ピクトリアル・スケッチ」を導入し、本編と特撮の合理化が図られた[出典 6][注釈 4]。ただし、戦闘シーンは主に『ハワイ・マレー沖海戦』や『加藤隼戦闘隊』などの戦争映画からの流用である[4]。そのため、海軍には配備されていない一式戦闘機が多く登場するほか、スーパーマリン スピットファイアなどのイギリス軍戦闘機がミッドウェー島に存在する。
撮影に際し、漁船を改造した航空母艦「赤城」および「飛龍」の13メートル大の巨大ミニチュアや実物大セットなどが組まれた[出典 7]。ミニチュアの設計・制作は、本作品で東宝特撮に初参加した美術助手の入江義夫が手掛けた[21]。このミニチュアの撮影は、勝浦および多摩川で行われた[10]。撮影を担当した有川貞昌は、ミニチュアの船内に乗り込んで小さな穴からレンズを出して水雷による水柱を撮影しており、いつ分解してもおかしくないひ弱な船内にて板子の一枚下は地獄の心持ちであったと述べている[20]。さらに、円谷の発案で沖に出て撮影することになり、美術部の反対を押し切って出た外洋にて有川は無事に帰れるか不安に感じていたが、円谷は船上でも一心不乱にコンテ作りを行っていたという[20]。
クライマックスでの一式陸攻がジャングル上空を飛ぶシーンでは、カメラと一式陸攻のミニチュアを固定し、台車上に作ったセットを動かして撮影している[4]。P-38 ライトニングのミニチュアにはUコンが用いられたが、実機の着陸脚が引き込み式であることから車輪を付けられず、発進時は手で投げている[4]。
山本が戦艦長門の甲板上に佇む場面では、スクリーン・プロセスが用いられた[15]。
本編での飛行場のシーンは、伊勢市の旧日本陸軍明野飛行場跡地でロケが行われたが、最初の1週間は雨天で撮影できず、取り切れなかった部分は東宝撮影所で撮影している[22]。整備兵役の加藤茂雄によれば、雨天で撮休の間は釣りをしたり、ミキモト真珠島を見学したりしていたという[22]。
航空兵役の中島春雄は、本作品で身体に火をつけての日本初のファイヤー・スタントを演じた[出典 8]。中島は、衣裳の中に石綿を入れていたと証言している[出典 8]。これがきっかけで、中島は『ゴジラ』でのゴジラ役に選ばれたとされる[23][25]。
映像ソフト
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脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]- ^ a b c d e f g “太平洋の鷲”. 映画資料室. 東宝. 2024年11月12日閲覧。
- ^ a b c 本多全仕事 2000, p. 122, 「本多猪四郎作品リスト」
- ^ a b c d e 東宝特撮映画全史 1983, p. 544, 「東宝特撮映画作品リスト」
- ^ a b c d e f g h i j 日本特撮映画図鑑 1999, pp. 86–87, 「太平洋の鷲」
- ^ a b 本多全仕事 2000, p. 10, 「本多猪四郎特撮映画の世界」
- ^ a b c d e 円谷英二特撮世界 2001, p. 36, 「太平洋の鷲」
- ^ 初代ゴジラ研究読本 2014, pp. 22–23, 「『ゴジラ』企画から公開後まで 特撮と怪獣映画小史」
- ^ 『キネマ旬報ベスト・テン85回全史 1924-2011』(キネマ旬報社、2012年)104頁
- ^ a b c 小林淳「序章 東宝空想特撮映画誕生前夜」『東宝空想特撮映画 轟く 1954-1984』アルファベータブックス〈叢書・20世紀の芸術と文学〉、2022年5月14日、22-23頁。ISBN 978-4-86598-094-3。
- ^ a b c d e 東宝特撮映画全史 1983, pp. 87–89, 「東宝特撮映画作品史 前史」
- ^ 東宝特撮映画全史 1983, p. 535, 「主要特撮作品配役リスト」
- ^ a b 「東宝脇役俳優大全 インタビュー 加藤茂雄(構成・友井健人)」『別冊映画秘宝 モスラ映画大全』洋泉社〈洋泉社MOOK〉、2011年8月11日、104頁。ISBN 978-4-86248-761-2。
- ^ ゴジラ画報 1999, p. 72, 「EX column1 『ゴジラ』以前の東宝ジャンル映画黎明期 特撮戦記映画」
- ^ a b c 本多全仕事 2000, pp. 106–109, 本多猪四郎「特撮の魔術師・円谷おやじ」(初出 『[[文藝春秋 (雑誌)|]]』昭和45年4月号)
- ^ a b c 東宝特撮映画全史 1983, p. 61, 「本多猪四郎 私と特撮映画」
- ^ 円谷英二特撮世界 2001, p. 27, 「初期作品紹介 1950-53年」
- ^ ゴジラ大全集 1994, pp. 52–53, 「東宝特撮映画史 ゴジラ誕生 ゴジラ誕生」
- ^ a b c 有川貞昌「1954-68 GODZILLA ゴジラは新しさへ挑戦する精神 特撮は映画界の裏街道だった」『ゴジラ映画クロニクル 1954-1998 ゴジラ・デイズ』企画・構成 冠木新市、集英社〈集英社文庫〉、1998年7月15日(原著1993年11月)、213-215頁。ISBN 4-08-748815-2。
- ^ a b 『日本特撮・幻想映画全集』勁文社、1997年、49頁。ISBN 4766927060。
- ^ a b c 東宝特撮映画全史 1983, pp. 67–68, 「有川貞昌 素晴らしき特撮映画」
- ^ a b ゴジラ大全集 1994, p. 136, 「INTERVIEW 入江義夫 郡司隆夫」
- ^ a b 初代ゴジラ研究読本 2014, pp. 78–87, 取材・文 友井健人「俳優インタビュー 加藤茂雄」
- ^ a b 「ゴジラ40年記念座談会 回想の東宝特撮円谷組」『ゴジラVSメカゴジラ』東宝 出版・商品事業室〈東宝SF特撮映画シリーズVOL.8〉、1993年12月11日、159-160頁。ISBN 4-924609-45-5。
- ^ 東宝ゴジラ会 2010, p. 132, 「第二章 円谷組スタッフインタビュー INTERVIEW10 中島春雄」
- ^ a b 初代ゴジラ研究読本 2014, pp. 72–77, 取材・文 中村哲 友井健人「俳優インタビュー 中島春雄」
- ^ ゴジラとともに 2016, pp. 172–173, 構成・文 友井健人「中島春雄」(『映画秘宝』2010年8月号掲載)
- ^ a b 日本特撮映画図鑑 1999, p. 96, 「特撮映画 裏のウラ[3]」
出典(リンク)
[編集]参考文献
[編集]- 東京国立近代美術館フィルムセンター編 『日本映画史研究(2) 東宝映画50年のあゆみ(2)』1983年。
- 『東宝特撮映画全史』監修 田中友幸、東宝出版事業室、1983年12月10日。ISBN 4-924609-00-5。
- 『テレビマガジン特別編集 誕生40周年記念 ゴジラ大全集』構成・執筆:岩畠寿明(エープロダクション)、赤井政尚、講談社、1994年9月1日。ISBN 4-06-178417-X。
- 『東宝編 日本特撮映画図鑑 BEST54』特別監修 川北紘一、成美堂出版〈SEIBIDO MOOK〉、1999年2月20日。ISBN 4-415-09405-8。
- 『ゴジラ画報 東宝幻想映画半世紀の歩み』(第3版)竹書房、1999年12月24日(原著1993年12月21日)。ISBN 4-8124-0581-5。
- 竹内博 編『本多猪四郎全仕事』朝日ソノラマ〈ファンタスティックコレクション〉、2000年5月1日。ISBN 4-257-03592-7。
- 『円谷英二特撮世界』ケイブンシャ、2001年8月10日。ISBN 4-7669-3848-8。
- 東宝ゴジラ会『特撮 円谷組 ゴジラと東宝特撮にかけた青春』洋泉社、2010年10月9日。ISBN 978-4-86248-622-6。
- 『別冊映画秘宝 初代ゴジラ研究読本』洋泉社〈洋泉社MOOK〉、2014年8月24日。ISBN 978-4-8003-0452-0。
- 別冊映画秘宝編集部 編『ゴジラとともに 東宝特撮VIPインタビュー集』洋泉社〈映画秘宝COLLECTION〉、2016年9月21日。ISBN 978-4-8003-1050-7。