長崎県立大村高等学校
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長崎県立大村高等学校 | |
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北緯32度53分47秒 東経129度57分47秒 / 北緯32.89639度 東経129.96306度座標: 北緯32度53分47秒 東経129度57分47秒 / 北緯32.89639度 東経129.96306度 | |
過去の名称 |
【藩校】 集義館 静寿園 五教館 【旧制中学】 長崎県立下等大村中学校 長崎県立初等大村中学校 私立大村中学校 長崎県立中学玖島学館 長崎県立大村中学校 長崎県立大村高等学校 【高等女学校】 大村町立女子手芸学校 東彼杵郡立女子手芸学校 長崎県立大村高等女学校 長崎県立大村女子高等学校 |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 長崎県 |
学区 |
県央学区 県北学区のうち東彼杵町 |
併合学校 |
長崎県立大村高等学校(男) 長崎県立大村女子高等学校 長崎県立大村農業高等学校 |
校訓 | 両道不岐 |
設立年月日 |
1670年(藩校) 1884年11月1日(旧制中学校) |
創立記念日 | 11月1日 |
創立者 | 大村藩4代目藩主、大村純長 |
共学・別学 | 男女共学 |
課程 |
全日制課程 定時制課程 |
単位制・学年制 | 学年制 |
設置学科 |
【全日制課程】 * 普通科 *数理探求科 * 家政科 【定時制課程】 * 普通科 |
学校コード | D142210000097 |
高校コード | 42115E |
所在地 | 〒856-0835 |
長崎県大村市久原1-591 | |
外部リンク | 公式ウェブサイト |
ウィキポータル 教育 ウィキプロジェクト 学校 |
長崎県立大村高等学校(ながさきけんりつおおむらこうとうがっこう, 英: Nagasaki Prefectural Omura High School)は、長崎県大村市久原一丁目にある県立高等学校。略称は「大高」(だいこう)。
概要
[編集]- 歴史
- 大村藩4代目藩主・大村純長が、1670年(寛文10年)、玖島城内桜馬場に九州で初めに開学した藩校「集義館」を前身とする。廃藩置県とともに藩校は廃止され、学制施行により長崎県立下等大村中学校が設置されるも、3年あまりで廃校。その後すぐ、1884年(明治17年)に旧藩主の伯爵家により「私立大村中学校」が創立。数回の移管・改称を経て、戦後の学制改革で「長崎県立大村高等学校」(男子校)となる。間もなく旧・高等女学校の「長崎県立大村女子高等学校」を統合し、男女共学の「長崎県立大村高等学校」となり、現在に至る。
- 「私立大村中学校」の開校した1884年(明治17年)を創立年としており、2024年(令和6年)に創立140周年を迎えた。
- 設置課程・学科
- 施設
- 「大高坂」- 校門から本館入口に至る、約150mの坂。春の季節には桜の並木道となる。
- 「本館」 - 5階建て。2・3学年教室、職員室、事務局、特別教室など。
- 「別館」 -4階建て。1学年教室、特別教室、定時制校舎など。
- 「体育館」 -大体育館と小体育館。
- 「図書館・体験実習室」 -1階は多目的室。2階は図書館。
- 「五教寮」- 生活宿舎のための寮ではなく、研修会や合宿等で使用される。
- 通学手段
- 徒歩、自転車、路線バス、電車(JR)
沿革
[編集]- 藩校
- 1670年(寛文10年)- 四代藩主・大村純長により、玖島城内桜馬場[3]に藩校「集義館」(しゅうぎかん)が設立。
- 1679年(元禄7年) - 「静寿園」(せいじゅえん)と改称。江戸から荻生徂徠学派の学者・本田鉄州を教官として招聘。
- 1790年(寛政2年) - 「五教館」(講学所)と「治振軒」(演武場)を大村城外桜田屋敷に建設。
- 1872年(明治5年)11月 - 五教館を廃校。
- 長崎県立大村中学校(旧制中学校、男子校)
- 1880年(明治13年)10月 - 「長崎県立下等大村中学校」(3年制)が設立。54名が入学。
- 1881年(明治14年)7月 - 「長崎県立初等大村中学校」(4年制)と改称。
- 1884年(明治17年)(創立年)
- 1886年(明治19年)9月 – 「私立尋常大村中学校」(5年制)と改称。
- 1896年(明治29年)5月 - 「私立尋常中学玖島学館」と改称。
- 1898年(明治31年)4月 – 「長崎県尋常中学玖島学館」と改称。
- 1901年(明治34年)4月 – 「長崎県立中学玖島学館」と改称。
- 1919年(大正8年) 4月 – 「長崎県立大村中学校」と改称。
- 1922年(大正11年)4月 - 北高来郡諌早村(現・諫早市)に諌早分校[5]を設置。
- 1928年(昭和3年)11月 - 校歌を制定。
- 1933年(昭和8年)5月 - 久原ヶ丘(現在地)に新校舎が完成し、移転。
- 1947年(昭和22年)4月 - 学制改革の新制中学校発足に伴い、併設中学校[6]を設置し、旧制中学校の2・3年生を収容。旧制中学校の生徒募集を停止。
- 1948年(昭和23年)4月 – 学制改革により、「長崎県立大村高等学校」(新制高等学校、男子校)と改称。
- 長崎県立大村高等女学校
- 1911年(明治44年)8月 – 「東彼杵郡立大村実科高等女学校」を設立。
- 1919年(大正8年)4月 – 「東彼杵郡立大村高等女学校」と改称。
- 1922年(大正11年)4月 – 「長崎県立大村高等女学校」と改称。
- 1934年(昭和9年)4月 - 長崎県女子師範学校[7]と併設。
- 1947年(昭和22年)4月 - 学制改革の新制中学校発足に伴い、併設中学校[6]を設置し、高等女学校の2・3年生を収容。高等女学校の生徒募集を停止。
- 1948年(昭和23年)4月 – 学制改革により、「長崎県立大村女子高等学校」と改称。
- 長崎県立大村高等学校(男女共学)
- 1948年(昭和23年)
- 11月 - 長崎県立大村高等学校、大村女子高等学校、および大村農業高等学校を統合し、「長崎県立大村高等学校」(男女共学、総合高等学校)と改称。
- 1949年(昭和24年)
- 1951年(昭和26年)
- 3月 – 別科を廃止。
- 4月 - 農業部が分離独立し、長崎県立大村農業高等学校(現長崎県立大村城南高等学校)となる。
- 8月 - 新校歌を制定。旧制中学校校歌を学生歌とする。
- 1953年(昭和28年)
- 4月 - 被服科に代わり、家庭課程を設置(定員80名)、定時制普通科(夜間)2学級となる。(定員80名)
- 5月 - 補習科を1学級附設する。
- 1956年(昭和31年)8月 – 補習科を廃止。
- 1984年(昭和59年)
- 2月 – 創立100周年記念館「五教寮」が完成。
- 10月 – 創立100周年記念式典を挙行。
- 1985年(昭和60年)3月 – 「大村高校百年史」を刊行。
- 1988年(昭和63年)4月 - 定員を全日制普通科8クラスとする。
- 1989年(平成元年)1月 - 新校舎(本館)が完成。
- 1990年(平成 2年)1月 - 中庭「語らいの広場」と校門が完成。
- 1992年(平成 4年)9月 - 体育館が完成。
- 1993年(平成 5年)3月 - グラウンド整備を完了。
- 1994年(平成 6年)
- 3月 - 南館・東館の改修工事を完了。
- 4月 - 長崎県内で初めて、全日制理数科を設置。(1学級定員40名)全日制普通科7クラスとする。
- 10月 - 創立110周年記念庭園が完成し、創立110周年記念式典を挙行。
- 1997年(平成 9年)
- 1月 -「魅力ある図書館づくり」で図書館を改修。
- 3月 - 南館(家政科実習室棟)を改修。語らいの広場の環境整備工事が完了。
- 1998年(平成10年)3月 - 第2体育館が完成。
- 2000年(平成12年)
- 3月 - ハンドボールコート・パソコン室・テニスコートを整備。
- 4月 - 全日制家政科の定員を1学級とする。
- 2001年(平成13年)12月 - 校内LANを整備。
- 2004年(平成16年)10月 - 創立120周年記念式典を挙行。
- 2006年(平成18年)3月 - グラウンドを改修。
- 2010年(平成22年)3月 - クライミングウォールが完成。
- 2011年(平成23年)4月 - 理数科の募集を停止し、数理探究科の募集を開始[9]。
- 2013年(平成25年)3月31日 - 理数科を廃止。
- 2019年(令和元年)11月8日 - 野球部が第92回選抜高校野球大会「21世紀枠」長崎県推薦校に選出。
- 2022年(令和4年)4月1日 - 普通科(6学級)、数理探求科(1学級)、家政科(1学級)を普通科(5学級)、文理探求科(仮称、2学級)、家政科(1学級)に改編(予定)[10]。
分離・独立した学校
[編集]- 長崎県立諫早高等学校
- 長崎県立大村城南高等学校
- 長崎県立西彼農業高等学校
- 1949年(昭和24年)4月30日 - 「長崎県立大村高等学校農業部 亀岳分校」(昼間定時制)が亀岳村立亀岳中学校に併設される。
- 1951年(昭和26年)4月1日 - 「長崎県立大村農業高等学校 亀岳分校」と改称。
- 1955年(昭和30年)4月1日 - 「長崎県立大村園芸高等学校 琴海分校 亀岳教室」と改称。
- 1956年(昭和31年)4月1日 - 「長崎県立西彼農業高等学校」として分離・独立。
- 長崎県立長崎明誠高等学校
- 1949年(昭和24年)4月30日 - 「長崎県立大村高等学校農業部 村松分校」(昼間定時制)が村松村立村松中学校に併設される。
- 1951年(昭和26年)3月31日 - 「長崎県立大村農業高等学校 村松分校」と改称。
- 1955年(昭和30年)4月1日 - 「長崎県立大村園芸高等学校 琴海分校 村松教室」と改称。
- 1956年(昭和31年)4月1日 - 「長崎県立西彼農業高等学校 村松分校」に改称。
- 1968年(昭和43年)4月1日 - 移管により、「長崎県立長崎西高等学校 琴海分校」と改称。
- 1974年(昭和49年)4月1日 - 「長崎県立琴海高等学校」として分離独立。
- 1998年(平成10年)4月1日 - 学科改編により、「長崎県立長崎明誠高等学校」に改称。総合学科校となる。
部活動
[編集]- 19体育部と13文化部
- クラブに入部する生徒は、例年半数を超えている。中には漕艇部、弓道部、山岳部、コーラス部、吹奏楽部等のように、全国大会や九州大会で活躍する部もある。
体育部 | 文化部 |
著名な出身者
[編集]項目別に卒年順。本校の源流となった藩校・五教館の出身者は五教館#主な出身者を参照。
財界
[編集]- 浜田彪 (大村中) - 三菱造船会長
- 今里広記 (中27期) - 日本精工社長、経団連副会長
- 服部正也 (中39期) - 世界銀行副総裁
- 河野俊二 (大村中) - 東京海上火災保険社長・会長、日本損害保険協会会長、経団連副会長
- 田崎俊作 (中48期) - 田崎真珠創業者
- 杉田亮毅 (高8期) - 日本経済新聞社社長・会長、日本記者クラブ理事長
- 池内比呂子 (高30期) - テノ. ホールディングス創業者・社長、女性初の九州経済連合会理事
学界・教育界
[編集]- 楠本長三郎 (中1期) - 内科学者、大阪大学第2代学長・名誉教授
- 朝永三十郎 (中1期) - 哲学者、京都大学名誉教授、朝永振一郎の父
- 黒板勝美 (中2期) - 歴史学者、東京大学名誉教授、「国史大系」・「大日本古文書」の編纂に尽力
- 三根円次郎 (中4期) - 教育者、旧制土佐中学初代校長
- 松尾三郎 (大村中) - 文学者、國學院大學学長
- 外山幹夫 (高3期) - 日本史学者、長崎大学名誉教授
防衛
[編集]芸術
[編集]文学
[編集]政界
[編集]- 今里準太郎 (大村中) - 国会議員(衆議院)
- 田川大吉郎 (大村中) - 国会議員(衆議院)、東京市助役
- 田中茂穂 (大村中) - 国会議員(参議院)、閣僚(国務大臣行政管理庁長官)、鹿児島県議会議長
- 田口健二 (高1期) - 国会議員(衆議院)
- 笠井達彦 (高26期) - 駐カザフスタン特命全権大使、一橋大学大学院社会学研究科客員教授
その他
[編集]- 竹下重人 (大村中) - 弁護士、女優竹下景子の父
- 江口貴勅 (高42期) - 作曲家・サウンドプロデューサー
- 晦日尚子 (高60期) - ボート選手
- 根井三郎 (大村中) - 外交官、杉原千畝の「命のビザ」で逃れてきたユダヤ系難民の日本入国を認めさせた人物。
縁のある人物
[編集]- 岩崎弥太郎 - 土佐藩出身。三菱財閥創始者。少年時代に五教館に国内留学し、渡邊昇と親交。
- 森有礼 - 薩摩藩出身。初代文部大臣(伊藤博文内閣)。1886年(明治19年)に私立大村中学校を訪問。
- 石井筆子 - 渡邊清の長女、渡邊昇の姪。大村高校近隣の大村市玖島で生まれ育つ。日本初の知的障害者教育の創始者[12]。
- アリス・ルーズベルト
- - セオドア・ルーズベルト(アメリカ合衆国大統領)の娘。軍艦オハイオ(BB-12)で日本を訪問。1906年(明治39年)に大村に立ち寄った際、彼女の案内役を旧制大村中学校校長(第14代・米沢武平)および職員が務めた[13]。
交通アクセス
[編集]- 最寄りの鉄道駅
- 最寄りのバス停
- 県営バス 大村市内線 「(大村)公園入口」バス停下車後、徒歩3分。
- 最寄りの道路
- その他
- 長崎空港から自動車で10分程度。
周辺
[編集]- 大村市役所
- 長崎県教育センター
- 大村市学校給食会
- 大村市立大村小学校
- 大村市立玖島中学校
- 長崎県立大村城南高等学校
- 大村公園・玖島城跡
- 国立病院機構長崎医療センター
- 活水女子大学看護学部(大村キャンパス)
- 長崎県立大村特別支援学校
参考文献
[編集]- 「秋の目玉」 (1966年講談社) - 福田清人著 大正期の旧制大村中学 / 野間児童文芸賞受賞
- 「野口山荘随筆」(1967年 同窓会刊) - 明治17年・私立大村中学一期生(朝永三十郎など)から第二次大戦後まで
- 「不帰春」(1984年 同窓会刊) - 第二次大戦中の旧制大村中学
- 「大村高校百年史」 (1985年 同窓会刊) - 1670年から1984年までの大村高校史
- 「ルワンダ中央銀行総裁日記」(1972年、増補版2009年)、「援助する国される国」(2001年)(中央公論社、中央公論新社)- 服部正也(元世界銀行副総裁)著 昭和初期の旧制大村中学
- 「ゴーイング マイ ウェイ」(2003年財界研究所) - 田崎真珠創業者 田崎俊作著 第二次大戦前の旧制大村中学
- 「もう一つの維新史」 (新潮社)- 外山幹夫著 幕末から明治の五教館、第二次大戦直前から戦中
- 「大村史 琴湖の日月」(国書刊行会) - 久田松和則著 五教館の歴史、人物
- 「大村史談」(定期刊行物)- 五教館、旧制大村中学 明治、大正、昭和の歴史、人物
脚注
[編集]- ^ 読みは「りょうどうふき」。「文武(学問と武道)、あるいは心身など、全ては分かれるものでなく、一つの道につながっている」という意味。
- ^ 山田耕筰の自筆の楽譜が、大村高校図書館に所蔵されている。
- ^ 現・大村公園長崎県教育センター
- ^ 文部省令により、長崎県内の大村・諫早・島原・福江(五島)・厳原(対馬)・壱岐の中学校が廃止され、長崎県立長崎中学校1校のみとなった。
- ^ 1923年(大正12年)1月に長崎県立諌早中学校となる。現在の長崎県立諫早高等学校の前身。
- ^ a b 旧制から新制への移行期における特別措置として設置され、旧制中等教育学校(旧制中学校・高等女学校)の2・3年生(1945年(昭和20年)4月と1946年(昭和21年)4月の入学生)を収容し、1949年(昭和24年)3月に最後の卒業生を送り出し、廃止された。
- ^ 1938年(昭和13年)4月に官立(国立)移管に伴い、長崎師範学校女子部となる。長崎大学教育学部の前身。
- ^ 原武史『昭和天皇御召列車全記録』新潮社、2016年9月30日、102頁。ISBN 978-4-10-320523-4。
- ^ 平成23年度 ハイスクールガイダンス 長崎県教育委員会
- ^ 長崎県教育だより ながさき(保護者向け情報誌)「げんき広場」No.78 令和3年7月発行「文理探求科(仮称) 大学進学重点学科の設置 「深い学び」による高い進路目標の実現!」
- ^ 漕艇(ボート)部は、明治期、長崎に寄港した英国海軍の軍人たちが、ボートの楽しさを教えたことが、旧制大村中学ボートの始まり。なお、歴史的旧跡が艇庫となっている点に特長がある。所在地は、御船蔵(おふなぐら)跡とよばれる。大村純長の時代に、構築された。ほぼ当時のまま現存している。練習には寺島おもいで漕艇場(東浦漁港)を使用している。
- ^ 参考文献:「もう一つの維新史」
- ^ 参考文献:「野口山荘随筆」
- ^ 参考文献:「不帰春春」
- ^ a b c 参考文献:「大村高校百年史」
- ^ マドリッド王室造幣局製。
関連項目
[編集]- 長崎県高等学校一覧
- 旧制中等教育学校の一覧 (長崎県)
- 日本の家庭に関する学科設置高等学校一覧
- 日本の理数科設置高等学校一覧
- 日本の高等学校設立年表
- 藩校
- .np -ネパールのccTLD。かつて「Nippon」の省略形として用いられ、大村高校のドメインに「omura.ed.np」が使用されていた。
外部リンク
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