大川政三
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大川 政三(おおかわ まさぞう、1923年1月3日 - 2007年3月21日)は、日本の経済学者。一橋大学名誉教授、東京国際大学名誉教授。専門は財政学。勲三等旭日中綬章受章。
日本財政学会代表理事、日本経済政策学会理事、日本地方自治研究学会理事、国際財政学会理事、財政制度審議会委員、大学設置審議会委員、日本学術会議会員、国税審議会会長などを歴任。
指導学生に堀場勇夫(青山学院大学名誉教授)[1]、内藤忠顕(元日本郵船社長)[2]、永田雄志(元東洋エンジニアリング会長)[3]、伊藤隆敏(コロンビア大学教授)、金田勝年(元法務大臣)、進藤孝生(日本製鉄会長)、塚原治(元国税庁国税審議官)、鹿取克章(元駐インドネシア大使)、吉國眞一(元国際決済銀行アジア太平洋総代表)、星野茂夫(元国土交通省海事局長)など[4]。
年譜
[編集]- 1923年1月3日:栃木県足利市に生まれる
- 1940年4月:東京商科大学(現一橋大学)附属商学専門部入学
- 1942年10月:東京商科大学入学(1943年12月から1945年9月まで軍務のため休学)
- 1948年3月:東京商科大学卒業(指導教官:板垣與一、木村元一)[5]
- 1954年3月:東京商科大学特別研究科修了
- 1954年4月:茨城大学文理学部講師
- 1956年10月:茨城大学文理学部助教授
- 1959年10月:一橋大学経済学部助教授
- 1965年4月:一橋大学経済学部教授
- 1981年9月〜1984年9月:一橋大学附属図書館館長[6]
- 1986年3月:一橋大学定年退官、一橋大学名誉教授
- 1986年4月:東京国際大学商学部教授
- 1989年4月〜1993年3月:東京国際大学経済学部長
- 1997年3月:東京国際大学退職、東京国際大学名誉教授
- 1998年11月:勲三等旭日中綬章受章[7]
- 2007年3月21日:午後8時15分、肺炎のため東京都品川区の病院で逝去[8]
著書
[編集]単著
[編集]共著
[編集]- (池田浩太郎)『近世財政思想の生成:重商主義と官房学』(千倉書房、1982年)
- (池田浩太郎・佐藤博・小林威)『財政学:現代財政の理論と政策』(春秋社、1990年)
- (大森誠司・江川雅司)『地域財政論:中央集権と地方分権の財政・経済分析』(創成社、1994年/改訂版・1995年)
- (大森誠司・江川雅司・池田浩史)『日本の財政:国の財政と地方財政の連関分析』(創成社、1999年/改訂版・2000年、増補改訂版・2001年、新訂版・2004年)
共編著
[編集]- (宇田川璋仁)『財政学講義』(青林書院新社、1969年)
- 『財政論:理論・制度・政策の総合』(有斐閣、1975年)
- (石弘光)『財政学研究:木村元一名誉教授記念論文集』(春秋社、1976年)
- (牛嶋正)『ワークブック財政学』(有斐閣、1977年/増補版・1982年)
- (池田浩太郎・佐藤博)『財政政策の新展開』(千倉書房、1980年)
- (小林威)『財政学を築いた人々:資本主義の歩みと財政・租税思想』(ぎょうせい、1983年)
- (佐藤博)『準公共財の財政論』(多賀出版、1984年)
- (池田浩太郎)『新財政論:理論・制度・政策の総合』(有斐閣、1986年)
訳書
[編集]- ゲルハルト・コルム『財政と景気政策』(木村元一、佐藤博との共訳、弘文堂、1957年)
- チャールズ・L・シュルツ『PPBSと予算の意思決定』(加藤隆司との共訳、日本経営出版会、1971年)
- C.V. ブラウン、ピーター・マクロード・ジャクソン『公共部門の経済学』(佐藤博との監訳、マグロウヒル好学社、1982年)
記念論文集
[編集]- 大川政三先生退官記念論文集刊行会編『現代財政学研究』(春秋社、1986年)
関連項目
[編集]脚注
[編集]- ^ 「企業の財務政策と税制」
- ^ 昭和後半の一橋大学点描一橋大学創立150年史準備室ニューズレター
- ^ 母校と卒業生をつなぐもの : 家族から見た大学教員たる父とゼミテンとの交流一橋大学創立150年史準備室
- ^ 一橋大学で得たもの : 大学紛争時代という特異な時代に学園生活を送って(ゼミナールの肖像4:宮沢健一ゼミナールとラグビー部)一橋大学創立150年史準備室ニューズレター
- ^ 橋問叢書第14号「一橋財政学の伝統と新視点」
- ^ [1][リンク切れ]
- ^ 「98年秋の叙勲 勲三等以上と在外邦人、及び外国人の受章者一覧」『読売新聞』1996年11月3日朝刊
- ^ 大川政三氏死去 一橋大名誉教授
参考文献
[編集]- 「大川政三先生追悼号」『東京国際大学論叢』第39号、2008年9月