木村元一
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木村 元一(きむら もとかず、1912年1月1日 - 1987年4月7日 )は、日本の経済学者。専門は財政学。一橋大学名誉教授。井藤半彌門下。ドイツ流の財政社会学を日本の財政学に導入。
略歴
[編集]1928年和歌山高等商業学校(現・和歌山大学経済学部)に無試験入学。1934年東京商科大学(現・一橋大学)卒業(井藤半彌ゼミナール)[1]、同大学大学院研究科に進学するとともに、高輪商業学校(現・高輪中学校・高等学校)等で教鞭をとる。
- 1940年から東京商科大学助手及び同大予科助教授。
- 1942年から東京商科大学助教授及び同大予科教授
- 1950年から一橋大学東京商科大学教授
- 1951年から一橋大学経済学部教授
- 1957年から1959年まで一橋大学評議員
- 1962年経済学博士(一橋大学)
- 1963年から1971年まで一橋大学評議員
- 1965年から1971年まで一橋大学経済学部長
1973年に胃癌が発見され東京女子医科大学消化器病センターで胃3分の1の切除手術を受ける。
1975年に一橋大学を停年退官し一橋大学名誉教授の称号を受ける。
1987年4月7日心不全のため東京女子医科大学病院で死去。75歳。
社会的活動等
[編集]- 1959年から1969年まで政府税制調査会委員
- 1960年から1962年まで医療制度調査会委員
- 1960年から外務公務員採用上級試験試験委員
- 1960年から経済審議会委員
- 1962年から1965年まで補助金等合理化審議会委員
- 1963年から1966年まで全国知事会地方行政調査特別委員会委員
- 1964年から自治省参与
- 1965年から国有財産関東地方審議会委員
- 1966年から地方制度調査会委員
- 1967年からアジア経済研究所主査
- 1969年から日本学術会議経済学連絡委員会委員
- 1972年から1974年まで司法試験考査委員
- 1972年から国際財政学会(IIFP)理事
- 1973年から財政制度審議会委員
- 1974年から国税審査会会長
門下
[編集]大川政三(一橋大学名誉教授)、石弘光(一橋大学学長や放送大学学長を歴任)[2]、林正寿(早稲田大学名誉教授)[3]、花角和男(元税務大学校長)[4]、西山一郎(元香川大学教授)[5]、松田忠三(千葉大学名誉教授)[6]等。
ゼミ出身者
[編集]親族
[編集]経済学者の木村光彦(神戸大学教授や青山学院大学教授を歴任)は三男[7]。
著書
[編集]単著
[編集]- 『ゾムバルト「近代資本主義」』(春秋社、1949年)
- 『財政学:その問題領域の発展』(春秋社、1949年)
- 『財政学総論』(新紀元社、1951年)
- Conditions for direct taxation and other essays(Tokyo : Science Council of Japan , 1958)
- 『近代財政学総論』(春秋社、1958年)
- 『昭和四十一年度の財政と税制改正について』(黎明会、1966年)
- 『少壮経済学者の戦時日記』(木村光彦、2021年)
共編著
[編集]- (山田雄三・板垣与一)『経済学の学び方』(白桃書房、1958年)
- 『財政』(春秋社、1960年)
- 『インドの税制と経済発展』(アジア経済出版会、1969年)
- (アジア経済研究所)『アジア諸国の財政金融事情:韓国、タイ、マレーシアについて』(アジア経済出版会、1969年)
- 『財政・金融編』(アジア経済研究所、1970年)
- 『アジアの財政』(東洋経済新報社、1970年)
訳書
[編集]- ハワード・パタースン編『民主資本主義の将来:アメリカ自由社会の解剖』(小野武雄との共訳、三都書房、1951年)
- シュムペーター『租税国家の危機』(勁草書房、1951年)
- ゲルハルト・コルム『財政と景気政策』(大川政三・佐藤博との共訳、弘文堂、1957年)
記念論文集
[編集]脚注
[編集]- ^ 橋問叢書第5号「一橋の財政学について」
- ^ a b 「[時代の証言者]税制一路 石弘光<2>日本経済と一緒に成長」読売新聞
- ^ 「昭和41・42年度学位授与・単位修得論文」一橋研究
- ^ 「昭和46年度 学位授与・単位修得論文」一橋研究
- ^ [1]
- ^ [2]
- ^ 「名誉教授木村元一略歴」一橋論叢