河辺精長
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(大中臣精長から転送)
河辺 精長(かわべ きよなが、1602年1月28日〈慶長6年12月6日〉 - 1688年9月23日〈元禄元年8月29日〉)は、江戸時代前期の神職、国学者である。本姓は大中臣。幼名は清長。通称は喜左衛門。法名は慶順。
経歴・人物
[編集]河辺仁清の子として、伊勢の山田(現在の三重県伊勢市)に生まれる。若くして出家し大中臣氏と名乗ったが、伊勢神道の興隆に興味を持ったため、還俗し出口延佳から神道を学ぶ。
これによって伊勢神宮の神職となり、1653年(承応2年)に大宮司となり従五位下に叙せられた。伊勢神宮の外宮、内宮の摂社を修築したりする等一躍名を馳せた。死去から丁度250年後の1928年(昭和3年)には昭和天皇により従四位下に叙せられる等、死後も多くの人々から尊敬される神職であった。著書に『寛文摂社再興記』がある。