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和崎ハル

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
和崎 ハル
生年月日 (1885-02-01) 1885年2月1日
出生地 日本の旗 日本秋田県秋田市楢山本横町
没年月日 (1952-12-30) 1952年12月30日(67歳没)
死没地 日本の旗 日本大阪府
出身校 女子音楽学校
所属政党 無所属

選挙区 秋田県全県区
当選回数 1回
在任期間 1946年4月11日 - 1947年3月31日
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和崎 ハル(わざき ハル、1885年2月1日[1] - 1952年12月30日[2])は日本の美容師政治家衆議院議員(1期)を歴任した。旧姓、栗谷[3]

来歴

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秋田県秋田市楢山南新町出身[4][注 1]1904年秋田県立秋田高等女学校(現・秋田県立秋田北高等学校)卒業[5]。上京して女子音楽学校で学ぶ一方、キリスト教小学校に勤務する[5]。在学中に陸軍騎兵将校和崎豊之と結婚する[1]。1921年に美容師となり[5]、1922年に夫が死去すると故郷の秋田に戻る[1]。秋田初の美容師として生計を立てたと言われる[6]

和崎の美容院は評判を呼び、秋田魁新報社の身の上相談欄の回答者に和崎が選ばれるほどであった[1][2]。同年、早川かいらと日本基督教婦人矯風会秋田支部を設立し[5]公娼廃止運動に尽力した[1]

1924年、芸妓学校のぞみの会を開校する[1][5][7]。1930年、田畑染らと婦選獲得同盟秋田支部を結成し、支部長に就任[5][2]。1937年、大阪へ転居[5][8]名古屋から秋田に疎開し[8]横手で終戦を迎える[8]。終戦後、新日本婦人同盟秋田支部を結成[2][8]1946年第22回衆議院議員総選挙で秋田県から無所属で立候補し[8]当選、秋田県初の婦人代議士となる[5]。翌年の第23回衆議院議員総選挙秋田1区から立候補して落選した[1]。続く1949年第24回衆議院議員総選挙民主党から立候補したが落選した[9]。1952年、大阪府で死去[5][10]

脚注

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注釈

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  1. ^ 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』717頁では「大阪府出身」と記載。

出典

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  1. ^ a b c d e f g 和崎ハル (武塙三山)|あきた(通巻5号)1962年(昭和37年)10月1日発行”. common3.pref.akita.lg.jp. 秋田県. 2022年2月9日閲覧。
  2. ^ a b c d 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』717頁。
  3. ^ 『新しき明日の来るを信ず』152頁。
  4. ^ 秋田市の先人たち”. 秋田市. 2024年2月29日閲覧。
  5. ^ a b c d e f g h i 和崎ハル”. アキハクコレクション. 秋田県立博物館. 2024年2月29日閲覧。
  6. ^ 秋田人物伝(vol.1 和崎ハル)”. AKT秋田テレビ. AKT秋田テレビ. 2022年2月9日閲覧。
  7. ^ 『新しき明日の来るを信ず』156頁。
  8. ^ a b c d e 『新しき明日の来るを信ず』157頁。
  9. ^ 『国政選挙総覧 1947-2016』36頁。
  10. ^ 『新しき明日の来るを信ず』159頁。

参考文献

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  • 『議会制度百年史 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年11月。
  • 岩尾光代著『新しき明日の来るを信ず-はじめての女性代議士たち』(日本放送出版協会、1999年)ISBN 4140804394
  • 『国政選挙総覧:1947-2016』日外アソシエーツ、2017年。