葉月(はづき)1970年代生まれの高知市出身のwikipedian。
Wikipedia:ユーザーボックス
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【Wikipedia】
wiki-1 | この利用者は簡単な記事の書き方を理解しています。 |
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【Operating System】
【Markup Language】
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- <html><body><p>この利用者はHTMLが分かりません。</p></body></html>
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xml-0
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<article>この利用者はXMLが分かりません。</article>
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LaTeX -0
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\begin{document}この利用者は\LaTeX が分かりません。\end{document}
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【Browser】
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livedoor | この利用者は主にlivedoorをインターネット検索に使用しています。 |
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Infoseek | この利用者は主にInfoseekをインターネット検索に使用しています。 |
【Language Ability】
神戸弁-1 | この利用者は簡単な神戸弁をしゃべんねん。<方言バベル |
標準語-1 | 標準語-1 この利用者はすこしおかしな標準語をしゃべります。<方言バベル |
en-1
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This user is able to contribute with a basic level of English.
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【Principles】
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この利用者は神道を信仰しています。
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| この利用者は天皇制(皇室制度)を支持します。 |
【License】
【Pet】
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この利用者は犬を飼っています。
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Template:User Loves Beagles
Template:User Golden Hamster
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この利用者はインコを飼っています。
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profile
- 高知市高須新町(中学校1~3年)
- 高知市朝倉乙(高校1年~3年)
- 奈良市佐保台(大学1年~M2)
- 社会人時代…平野区杭全
- 宝塚市野上
- フリーター時代…八尾市桜ヶ丘
- 契約社員時代…天王寺区玉造
- 職業:契約社員
- 勤務地:大阪府大阪市天王寺区
- 資格:中学校教諭専修免許状(社会科)・管理栄養士・宅地建物取引主任者
- 趣味:映画鑑賞・歴史の勉強・引越し・転職
- 参加したい分野:歴史・地理。
- 専門:
- 好きな歴史上の人物(日本史)
- 好きな歴史上の人物(世界史)
- 中国
- 郭子儀…安史の乱の鎮定の立役者。名将にして名宰相。諸葛孔明をはるかに超越する大器。
- 郭侃…郭子儀の末裔。モンゴル帝国の漢人将軍。「神人」と称された名将。
- 関心のあること
- これから作りたい記事および加筆したい記事
- 出身地の高知県関連の記事。
- シルクロード(唐・突厥・廻鶻<ウイグル>・西廻鶻・甘州廻鶻・蒙古・朝鮮・日本<奈良時代・平安時代>)関連の記事。
- ライフワークの「氏」「姓」「苗字」などの記事。
- 同じくライフワークの日本文学作品や作者に関しての記事。
- 今までに新規作成した記事(各項目50音順)
- 日本史(用語)関連
- 日本史(人物)関連
- 日本史(氏族)関連
- 世界史関連
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私のwikipediaでの歴史に関する執筆に対する考え方
- 学生時代の専攻は東洋史(中央ユーラシア史)でしたが、大学での学問を離れたいと思っていますのでほとんど参加していません。
- しかし、歴史学には関心が強いので、身近な歴史を中心に勉強および調査しながら参加しています。
- 歴史を記述するにあたって気をつけていることは、歴史学を学んだものとしての良心に従うことですね。当時の史料で複数の確認が取れれば、断定的に記述します。もし、当時の史料がひとつしかない場合でも確信が持てるものであれば、断定的に記述しています。後世(事象から50年以上を経てから)の史料に関しては傍証がない限り、「とする史料がある」程度にとどめています。特に、子孫と称する人の宣伝などは記述する価値を認めていません。ただし、傍証があったりする場合は除きますが。なかでも家伝で史料がない場合や写本で現物がない場合、写本すらない場合、史料批判に耐えられない史料の場合も記述はしないほうがいいと考えています。
- 最近のWikipediaで、気になっているのは、子孫といわれる人が著述したという小説や物語を無批判に記述する方が多いことですね。あと、寺伝や神社の縁起、古老の言い伝えなどを根拠に断定的に記述されるのは困ります。それを言い出すと、それらを根拠に地域の歴史を記述している地方自治体も同じですが。特に郷土史家を称しながら地元礼賛をもっぱらにして史料批判を行わない歴史家は歴史を語る資格はありません。
- ただし、史料批判がすべてではありません。史料的には無価値でも、そういう伝承が現在あるということは重要な事柄です。「史実ではないが(史実とは確認できないが)、○○○という伝承が現存している」という記述は有用なものだとは考えています。
- 結論をいえば、史料批判に耐えられるもので、史料的価値のある史実に関してはそのまま記述して、伝承や言い伝え、史料批判に耐えられないものは「伝承」や「異説」、「主張」として取り上げるべきだと思います。また、史料批判に耐えられるものはないが、複数の説や伝承などがある場合は両論併記で対応することが必要だと考えます。
- たとえば、宮本武蔵の出生地論争などは基本的には両論併記が必要でしょう。史料的には「美作説」は否定されていますが、現在の人々の感覚としては、吉川英治や司馬遼太郎の小説の影響から「美作説」を信じている人も多いのは事実ですので、それを削除する必要はなく、『史料的には「播磨説」だが、「美作説」もあり、現在は多くの人々に信じられており、いろいろな観光イベントも行われている』とするのが妥当でしょう。
- また研究されている歴史家のなかでも結論が出ていないものや具体的な論証ができていないもの、未研究のものに関しても、各説をとりあげたり、研究中である旨、未研究であることなどを記述することや、これからの研究の課題についても記述することは利用者にとって有用な情報であると考えていますので、それらも明確にわかるように記述するべく努力しています。
- 歴史は断定できないというのが私の持論です。新しい遺物や文献、史料が発見されることで今までの通説がひっくり返ることが歴史の研究においては起こり得ることです。すでに複数の同時代の史料があったり、遺物がある場合は別として、学界で定説とされていて反対意見がないような説であっても、新発見によって修正されることがあることを踏まえて記述することがwikipediaの信用性を高めると考えて執筆しています。
- そのため、一部の利用者の方には、「記述を何度も訂正される」「たいして内容が変わらないのに編集する」「あいまいな表現が多くて史実なのにどうしてそんなに確定的な記述ができないのか」という不満を感じられているようです。しかし、それは上記のような理由ですのでご理解をお願いしたいと思っています。
- また、最近気になるのが、新しい学説が出てきて、そちらが定説になったからといって、過去に通用していた定説を削除する方が多いことです。ある事象に関して、「○○○○年頃までは、×××説が定説であったが、近年の研究(発見・発掘)の結果、□□□説が定説になった」などの表記にしていったほうがいいと思うのです。wikipediaをご覧になられる方の多くは専門家ではありません。研究家でもありません。たぶん「あれ?学生時代に習ったことと違うなー」と感じられると思うのです。そうすると、この記述は間違いなのではないか?とwikipedia自体の信用に?がつきかねません。また、「間違っているから訂正しよう」となるかもしれません。そして、「訂正した」つもりなのに、別の人が「訂正した」部分を書き直すと、理由がわからず編集合戦を誘発させてしまうかもしれません。そして、同じwikipediaを使う人たちのなかで諍いの元になるかもしれません。それは悲しいことです。ですので、新しい定説を書く際には、旧来の定説を消さずに、「現在は□□□説が有力」または、「現在は□□□説が定説である」を加筆する形にして削除をあまりしないほうがいいのではと個人的に思っています(他人に強制する気はありませんが、折に触れて勧誘はしていきたいと思っています)。