利用者:石巻敎祖/sandbox
ここは石巻敎祖さんの利用者サンドボックスです。編集を試したり下書きを置いておいたりするための場所であり、百科事典の記事ではありません。ただし、公開の場ですので、許諾されていない文章の転載はご遠慮ください。
登録利用者は自分用の利用者サンドボックスを作成できます(サンドボックスを作成する、解説)。 その他のサンドボックス: 共用サンドボックス | モジュールサンドボックス 記事がある程度できあがったら、編集方針を確認して、新規ページを作成しましょう。 |
鋸南町岩井袋
[編集]岩井袋 | |
---|---|
大字 | |
令和5年5月14日撮影の岩井袋隧道。 | |
国 | 日本 |
都道府県 | 千葉県 |
市町村 | 安房郡鋸南町 |
人口情報(2023年(令和5年)[1]) | |
人口 | 145 人 |
世帯数 | 87 世帯 |
面積 | |
0.355779891 km² | |
人口密度 | 407.56 人/km² |
設置日 | 1889年(明治22年) |
郵便番号 | 299-2116[2] |
市外局番 | 0470[3] |
ナンバープレート | 袖ケ浦 |
運輸局住所コード | 要追記[4] |
ウィキポータル 日本の町・字 ウィキポータル 千葉県 ウィキプロジェクト 日本の町・字 |
岩井袋(いわいふくろ[5]、いわいぶくろ[6])は、千葉県安房郡鋸南町の大字であり、旧安房郡勝山町岩井袋および、1889年(明治22年)以前の平郡[注 1]岩井袋村と同一の区域である。2023年現在の人口は145人で、世帯数は87世帯。郵便番号は272-0826[2]。
歴史
[編集]沿革
[編集]- 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制の施行により加知山村、下佐久間村、岩井袋村、竜島村が合併し、勝山村が成立。これに伴い、岩井袋は勝山村の大字になる。
- 1896年(明治29年)1月20日 - 勝山村が町制を施行し勝山町(初代)となる。
- 1897年(明治30年)4月1日 - 平郡が安房郡に編入。
- 1955年(昭和30年)3月10日 - 佐久間村と勝山町が合併し、改めて勝山町(2代目)が新設。
- 1959年(昭和34年)3月30日 - 保田町と勝山町が合併し鋸南町が成立。これに伴い、岩井袋は鋸南町の大字になる。
- 2019年 - 令和元年房総半島台風(ファクサイ)が来襲。当地に被害をもたらす(後述)。
地理
[編集]北は下佐久間や竜島、南東は南房総市久枝と接し、西部は東京湾に面する。
小字
[編集]施設
[編集]- 岩井袋野球場
- 岩井袋コミュニティセンター
交通
[編集]隧道
[編集]- 岩井袋隧道
鉄道
[編集]域内に鉄道は走っていない。最寄駅はJR内房線の安房勝山駅や岩井駅が挙げられる。
バス
[編集]寺社仏閣
[編集]- 豊龍神社:宮宿の市街地北西の丘の上に所在し、豊玉姫大神を祭神とする[8]。明和年間に出羽松山藩医の羽柴玄倫の著した宗古録によれば、844年(承和11年)に延暦寺の僧である安慧が出羽国を巡り歩き、この地に講場を開いた際に、龍の神霊を鎮め祀って、この地の鎮守とし、別当宝筺山東守寺を建立したとされる[8]。なお、豊龍神社付近では、経筒を納める容器として用いられたと推測される12世紀末の珠洲系陶器が出土した[8]。境内には、幹囲約9メートル、樹高約40メートルの大杉があり、山形県の天然記念物に指定されている[8]。
- 熊野山福昌寺:曹洞宗の寺院で本尊は釈迦如来である[9]。当初は、鳥屋ヶ森館主岸美作守義満が巣林寺(現在の尾花沢市に所在)七世第鷹俊最を招き、永禄元年頃に根古屋に寺を建立し、山号を三宝山と称したとされる[9]。しかし、最上義光が鳥屋ヶ森館を攻略したとき、寺は兵火にかかったため、三本木に移転し、山号を三本山と改めた[8]。その後、1589年(天正17年)に宮宿付近の開拓の進展に伴い、熊野権現社地へと移り、山号を現在の熊野山に改めた。
祭り
[編集]- 朝日町ワイン祭り:エコミュージアムコアセンター創遊館にて毎年9月頃開催される[10]。入場券は完全前売制で、朝日町ワインのほか、バーベキューやぶどう踏み競争、抽選会を楽しめる引用エラー:
<ref>
タグに対応する</ref>
タグが不足しています。
人物
[編集]関連項目
[編集]参考文献
[編集]- 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 編『角川日本地名大辞典 6 山形県』角川書店〈2版〉、1992年6月30日。ISBN 4040010604。
- 吉田東伍『『大日本地名辞書』第七巻奥羽』冨山房〈9〉、1990年3月20日。ISBN 4-572-00033-6。
- 長井政太郎『『日本歴史地名大系』第六巻山形県の地名』平凡社、1990年2月26日。ISBN 4-582-49006-9。
外部リンク
[編集]- 千葉県鋸南町岩井袋 (124630140) | 国勢調査町丁・字等別境界データセット - Geoshapeリポジトリ
日の出町平井
[編集]平井 | |
---|---|
大字 | |
国 | 日本 |
都道府県 | 東京 |
郡 | 西多摩郡 |
市町村 | 日の出町 |
郵便番号 | 190-0192 |
市外局番 | 042 |
ナンバープレート | 八王子 |
町字ID | ? |
運輸局住所コード[11] | ? |
ウィキポータル 日本の町・字 ウィキポータル 東京都 ウィキプロジェクト 日本の町・字 |
平井(ひらい)は東京都西多摩郡日の出町の大字で、旧多摩郡上平井村・中平井村・下平井村、多摩郡のち西多摩郡平井村、西多摩郡日の出村平井に相当する。
石巻市田道町
[編集]田道町 | |
---|---|
町丁 | |
座標位置:石巻市役所 | |
国 | 日本 |
都道府県 | 宮城県 |
市町村 | 石巻市 |
地域 | 本庁地域 |
設置日 | 1967年4月1日 |
郵便番号 |
○○○[2] 986-8501(石巻市役所)[12] |
市外局番 | 0225[13] |
ナンバープレート | 宮城 |
運輸局住所コード | ○○○[14] |
ウィキポータル 日本の町・字 ウィキポータル 宮城県 ウィキプロジェクト 日本の町・字 |
田道町(たみちちょう)は、宮城県石巻市の町丁であり、旧牡鹿郡蛇田村の一部、旧牡鹿郡石巻町のち石巻市の蛇田字揚慮原、蛇田字横堤、蛇田字新横堤の各一部に相当する[15][16]。郵便番号は○○○[2]。石巻市の住民基本台帳によると、2024年(令和6年)3月末現在における域内の人口は○○人、世帯数は○○世帯である[1]。全域で住居表示が実施されている[17]。
地理
[編集]石巻市の西南部、本庁地域の西部に位置する[16]。
沿革
[編集]施設
[編集]交通
[編集]鉄道
[編集]域内に鉄道駅は所在しないが、北域に東日本旅客鉄道仙石線・仙石東北ラインが通過している。鋳銭場に所在するJR石巻駅が最寄駅として挙げられる[18]。
道路
[編集]- 石巻広域都市計画道路
- 七窪蛇田線
バス
[編集]小・中学校の学区
[編集]町丁 | 字・番地 | 小学校 | 中学校 |
---|---|---|---|
田道町 | 一丁目 | 石巻市立山下小学校 | 石巻市立石巻中学校 |
二丁目 | 石巻市立貞山小学校 | 石巻市立山下中学校 |
脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ もしくは平群郡とも。
出典
[編集]- ^ a b “町丁別人口(住民基本台帳)”. 市川市 (2017年10月10日). 2017年11月6日閲覧。 引用エラー: 無効な
<ref>
タグ; name "population"が異なる内容で複数回定義されています - ^ a b c d “千葉県安房郡鋸南町岩井袋の郵便番号”. 日本郵便. 2023年9月5日閲覧。 引用エラー: 無効な
<ref>
タグ; name "postal"が異なる内容で複数回定義されています - ^ “市外局番の一覧”. 総務省. 2023年9月5日閲覧。
- ^ “自動車登録関係コード検索システム”. 国土交通省. 2023年8月16日閲覧。
- ^ “千葉県安房郡鋸南町岩井袋”. NAVITIME. 2024年2月27日閲覧。
- ^ “岩井袋 (1246301005) 農業集落境界データセット”. Geoshapeリポジトリ. 2024年2月27日閲覧。
- ^ a b c “令和4年度山形県西村山地域公共交通マップ” (PDF). 朝日町. 2023年6月3日閲覧。
- ^ a b c d e 長井政太郎 1990, p. 370.
- ^ a b 長井政太郎 1990, p. 369.
- ^ “朝日町ワイン祭り”. 山形観光物産協会やまがた観光情報センター. 2023年6月3日閲覧。
- ^ “自動車登録関係コード検索システム”. 国土交通省. 2024年6月29日閲覧。
- ^ “市民課・各総合支所・各支所一覧”. 石巻市 (2023年2月2日). 2024年5月2日閲覧。
- ^ “市外局番の一覧”. 総務省. 2022年1月11日閲覧。
- ^ “自動車登録関係コード検索システム”. 国土交通省. 2024年5月3日閲覧。
- ^ 角川日本地名大辞典 1979, p. 348.
- ^ a b c 角川日本地名大辞典 1979, p. 604.
- ^ “住居表示申請について” (2022年4月6日). 2024年9月24日閲覧。
- ^ “駅の情報(石巻駅)”. 東日本旅客鉄道. 2024年9月24日閲覧。
- ^ “中学校学区一覧”. 石巻市 (2021年11月27日). 2024年9月24日閲覧。
- ^ “小学校学区一覧”. 石巻市 (2021年11月27日). 2024年9月24日閲覧。
参考文献
[編集]- 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 編『角川日本地名大辞典』 4 宮城県、角川書店、1979年12月1日。ISBN 4040010302。
外部リンク
[編集]- Geoshapeリポジトリ - 宮城県石巻市田道町一丁目 (04202037001) | 国勢調査町丁・字等別境界データセット
- Geoshapeリポジトリ - 宮城県石巻市田道町二丁目 (04202037002) | 国勢調査町丁・字等別境界データセット
{{石巻市の町・字}} {{デフォルトソート:たみちちよう}} [[Category:石巻市の町・字]] [[Category:1967年制定の町・字]]
石巻市中央
[編集]中央 | |
---|---|
町丁 | |
国 | 日本 |
都道府県 | 宮城県 |
市町村 | 石巻市 |
地域 | 本庁地域 |
設置日 | 1966年5月1日 |
郵便番号 | ○○○[1] |
市外局番 | 0225[2] |
ナンバープレート | 宮城 |
運輸局住所コード | ○○○[3] |
ウィキポータル 日本の町・字 ウィキポータル 宮城県 ウィキプロジェクト 日本の町・字 |
中央(ちゅうおう)は、宮城県石巻市の町丁であり、旧牡鹿郡石巻村の一部、旧牡鹿郡石巻町のち石巻市の石巻字本町、石巻字八ツ沢、石巻字裏町、石巻字仲町、石巻字新田町、石巻字横町の各一部に相当する[4][5]。郵便番号は○○○[1]。石巻市の住民基本台帳によると、2024年(令和6年)3月末現在における域内の人口は○○人、世帯数は○○世帯である[6]。全域で住居表示が実施されており、中央一丁目、中央二丁目、中央三丁目を擁する[7]。
地理
[編集]石巻市の西南部、本庁地域の中央に位置する[5]。
沿革
[編集]施設
[編集]交通
[編集]鉄道
[編集]域内に鉄道駅は所在しない。鋳銭場に所在するJR石巻駅が最寄駅として挙げられる[8]。
道路
[編集]- 主要地方道
バス
[編集]小・中学校の学区
[編集]町丁 | 字・番地 | 小学校 | 中学校 |
---|---|---|---|
中央 | 一丁目 | 石巻市立石巻小学校 | 石巻市立石巻中学校 |
二丁目 | |||
三丁目 |
脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]- ^ a b “宮城県”. 日本郵便グループ. 2024年3月13日閲覧。
- ^ “市外局番の一覧”. 総務省. 2022年1月11日閲覧。
- ^ “自動車登録関係コード検索システム”. 国土交通省. 2024年5月3日閲覧。
- ^ 角川日本地名大辞典 1979, p. 348.
- ^ a b c 角川日本地名大辞典 1979, p. 604.
- ^ “人口”. 石巻市 (2024年4月26日). 2024年4月29日閲覧。
- ^ “住居表示申請について” (2022年4月6日). 2024年9月24日閲覧。
- ^ “駅の情報(石巻駅)”. 東日本旅客鉄道. 2024年9月24日閲覧。
- ^ “中学校学区一覧”. 石巻市 (2021年11月27日). 2024年9月24日閲覧。
- ^ “小学校学区一覧”. 石巻市 (2021年11月27日). 2024年9月24日閲覧。
参考文献
[編集]- 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 編『角川日本地名大辞典』 4 宮城県、角川書店、1979年12月1日。ISBN 4040010302。
外部リンク
[編集]- Geoshapeリポジトリ - 宮城県石巻市中央一丁目 (04202001001) | 国勢調査町丁・字等別境界データセット
- Geoshapeリポジトリ - 宮城県石巻市中央二丁目 (04202001002) | 国勢調査町丁・字等別境界データセット
- Geoshapeリポジトリ - 宮城県石巻市中央三丁目 (04202001003) | 国勢調査町丁・字等別境界データセット
{{石巻市の町・字}} {{デフォルトソート:ちゆうおう}} [[Category:石巻市の町・字]] [[Category:1966年制定の町・字]]
塩竈市海岸通
[編集]海岸通 | |
---|---|
町丁 | |
JR本塩釜駅 | |
国 | 日本 |
都道府県 | 宮城県 |
市町村 | 塩竈市 |
人口情報(2024年(令和6年)6月30日[1]) | |
人口 | 395 人 |
世帯数 | 202世帯 世帯 |
面積 | |
0.136990225 km² | |
人口密度 | 2883.42 人/km² |
設置日 |
1963年(昭和38年) 5月1日 |
郵便番号 | 985-0002[2] |
市外局番 | 022[3] |
ナンバープレート | 宮城 |
運輸局住所コード[4] | 04502-0157 |
ウィキポータル 日本の町・字 ウィキポータル 宮城県 ウィキプロジェクト 日本の町・字 |
海岸通(かいがんどおり)は、宮城県塩竈市にある町丁であり、旧塩竈市字尾島・字町・字門前・字千賀ノ浦の各一部に相当する[5][6]。郵便番号は985-0002[2]。丁目を持たない単独町名である。全域で住居表示が実施されている[6]。2024年(令和6年)6月30日現在における人口は395人、世帯数は202世帯である[1]。
地理
[編集]塩竈市の中央部に位置し、北部および北東部で塩竈湾に面する。北側は北浜と、東側は港町と、西側は国道45号をはさんで本町と、南側は国道45号をはさんで尾島町と接する。
歴史
[編集]年表
[編集]地名の由来
[編集]明治期の築港後、本塩釜駅前の東部を海岸通と呼んでいたことにちなむ[7]。
町名の変遷
[編集]実施後 | 実施年月日 | 実施前(各町名ともその一部) | |
---|---|---|---|
海岸通 | 1963年5月1日 | (大字なし) | 字尾島 |
字町 | |||
字門前 | |||
字千賀ノ浦 |
世帯数と人口
[編集]2024年(令和6年)6月30日現在の世帯数と人口は以下の通りとなる[1]。
丁目 | 世帯 | 男 | 女 | 人口 |
海岸通 | 202世帯 | 179人 | 216人 | 325人 |
計 | 202世帯 | 179人 | 216人 | 325人 |
小・中学校の学区
[編集]小・中学校の学区は以下の通りとなる[8]。
町丁 | 丁目 | 小学校 | 中学校 |
---|---|---|---|
海岸通 | 15番地以外 | 塩竈市立第一小学校 | 塩竈市立第一中学校 |
海岸通 | 15番地 | 塩竈市立第一小学校もしくは塩竈市立第三小学校 | 塩竈市立第一中学校もしくは塩竈市立第三中学校 |
施設
[編集]交通
[編集]鉄道
[編集]道路
[編集]東日本大震災
[編集]海岸通を含めた塩竈市の中心市街地では地盤沈下が発生し、また津波による被害を受けた。そのため、被災後、海岸通1番2番地区第一種市街地再開発事業が始動し、海岸通の商業エリアとしての再開発がスタートした[6]。
参考文献
[編集]- 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 編『角川日本地名大辞典』 4 宮城県、角川書店、1979年12月1日。ISBN 4040010302。
脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]- ^ a b c 塩竈市役所政策課政策企画係統計担当: “地域別人口”. 塩竈市. 2024年8月3日閲覧。
- ^ a b “宮城県”. 日本郵便グループ. 2024年7月29日閲覧。
- ^ “市外局番の一覧”. 総務省. 2024年7月29日閲覧。
- ^ “自動車登録関係コード検索システム”. 国土交通省. 2024年8月7日閲覧。
- ^ a b c 角川日本地名大辞典 1979, p. 640.
- ^ a b c d e f 「自治省告示第91号」『官報』号外第70号1965年6月15日。2024年7月29日閲覧。 引用エラー: 無効な
<ref>
タグ; name ":1"が異なる内容で複数回定義されています - ^ 角川日本地名大辞典 1979, p. 159.
- ^ “塩竈市立小・中学校通学区域一覧表(五十音順)”. 塩竈市. 2024年7月29日閲覧。
- ^ 産業建設部商工観光課: “塩竈市海岸通駐車場について”. 塩竈市 (2019年12月2日). 2024年8月7日閲覧。
- ^ “イオンタウン塩釜アクセス”. イオンタウン. 2024年8月7日閲覧。
外部リンク
[編集]- 宮城県塩竈市海岸通 (042030010) | 国勢調査町丁・字等別境界データセット - Geoshapeリポジトリ
宮町 | 北浜 | 松島湾 | ||
本町 | 港町 | |||
南錦町 | ||||
南町 | 尾島町 | 港町 |
東松島市野蒜ケ丘
[編集]野蒜ケ丘 | |
---|---|
町丁 | |
国 | 日本 |
都道府県 | 宮城県 |
市町村 | 東松島市 |
地区 | 鳴瀬地区 |
面積 | |
0.585453126 km² | |
郵便番号 | 981-0416 |
市外局番 | 0225 |
ナンバープレート | 宮城 |
町字ID | ? |
運輸局住所コード[1] | ? |
ウィキポータル 日本の町・字 ウィキポータル 宮城県 ウィキプロジェクト 日本の町・字 |
野蒜ケ丘(のびるがおか)は、宮城県東松島市の町丁であり、旧桃生郡野蒜村、旧桃生郡鳴瀬町野蒜、旧東松島市野蒜の各一部に相当する。郵便番号は981-0416[2]。石巻市の住民基本台帳によると、2024年(令和6年)3月末現在における域内の人口は○人、世帯数は×世帯である。野蒜ケ丘一丁目、野蒜ケ丘二丁目、野蒜ケ丘三丁目を擁し、全域で住居表示が実施されている。
地理
[編集]東松島市の西部、鳴瀬に地域の中央部に位置し、東部・北部・南部で野蒜と、西部・西南部で大塚と接する。
沿革
[編集]施設
[編集]交通
[編集]鉄道
[編集]道路
[編集]- 主要地方道
バス
[編集]小・中学校の学区
[編集]町丁 | 字・番地 | 小学校 | 中学校 |
---|---|---|---|
穀町 | 全域 | 石巻市立山下小学校 | 石巻市立石巻中学校 |
脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]参考文献
[編集]- 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 編『角川日本地名大辞典』 4 宮城県、角川書店、1979年12月1日。ISBN 4040010302。
外部リンク
[編集]- 宮城県東松島市野蒜ケ丘一丁目 (04214030001) | 国勢調査町丁・字等別境界データセット - Geoshapeリポジトリ
- 宮城県東松島市野蒜ケ丘二丁目 (04214030002) | 国勢調査町丁・字等別境界データセット - Geoshapeリポジトリ
- 宮城県東松島市野蒜ケ丘三丁目 (04214030003) | 国勢調査町丁・字等別境界データセット - Geoshapeリポジトリ
志津川 | |
---|---|
大字 | |
北緯38度40分49.616秒 東経141度27分44.996秒 / 北緯38.68044889度 東経141.46249889度座標: 北緯38度40分49.616秒 東経141度27分44.996秒 / 北緯38.68044889度 東経141.46249889度 | |
座標位置:南三陸町役場 | |
国 | 日本 |
都道府県 | 宮城県 |
市町村 | 本吉郡南三陸町 |
地域 | 志津川地域 |
設置日 | 1889年(明治22年)4月1日 |
郵便番号 | 986-0700[1] |
市外局番 | 0225[2] |
ナンバープレート | 宮城 |
運輸局住所コード | 04815-0066[3] |
ウィキポータル 日本の町・字 ウィキポータル 宮城県 ウィキプロジェクト 日本の町・字 |
志津川(しづがわ、英語: Shizugawa)は、宮城県本吉郡南三陸町の大字であり、旧本吉郡志津川町志津川地区[注 1]に相当する[4]。郵便番号は986-0700[1]。大崎市ホームページによると2022年(令和4年)4月1日時点での域内の人口は194人であり、世帯数は○○人である。
地理
[編集]南三陸町にある4つの大字の一つであり、入谷、戸倉、歌津とともに南三陸町を構成する[4]。
河川
[編集]小字
[編集]志津川の擁する小字は以下の通りである[3]。
- 黒崎
- 内山
- 林
- 大久保
- 上保呂毛
- 下保呂毛
- 田尻畑
- 竹川原
- 中瀬町
- 廻館
- 秋目川
- 熊田
- 小森
- 御前下
- 廻館前
- 塩入
- 汐見町
- 助作
- 城場
- 上の山
- 五日町
- 十日町
- 南町
- 本浜町
- 大沢
- 磯の沢
- 平井田
- 新井田
- 天王山
- 天王前
- 大森
- 大森町
- 袖浜
- 沼田
- 平磯
- 深田
- 蒲の沢
- 平貝
- 北の又
- 権現
- 立沢
- 米広
- 大上坊
- 大畑
- 松井田
- 内井田
- 志津川町
- 植松
- 小田
- 荒坂
- 清水浜
- 阿曽
- 森山
- 細浦
- 蛇王
- 西田
- 旭ヶ浦
歴史
[編集]沿革
[編集]交通
[編集]鉄道
[編集]東北地方太平洋沖地震による被害を受けるまでは、JR気仙沼線志津川駅が鉄道駅として設置されていたが、現在は廃止されている。最寄駅は気仙沼駅や柳津駅が挙げられる。
脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]- ^ a b “宮城県本吉郡南三陸町志津川”. NAVITIME. 2024年3月19日閲覧。
- ^ “市外局番の一覧”. 総務省. 2022年1月11日閲覧。
- ^ a b “自動車登録関係コード検索システム”. 国土交通省. 2024年3月19日閲覧。
- ^ a b c “合併による住所表示の変更”. 南三陸町 (2013年1月26日). 2024年1月18日閲覧。
事件・不祥事
[編集]1976年(昭和51年)3月25日、卒業式会場にヘルメットをかぶった過激派学生が乱入、壇上を占拠し卒業式粉砕を訴えたが、式の開催を望む卒業生との間で乱闘騒ぎとなった。結果的に学長が避難したため告辞は取りやめとなり、代理の学部長が各学部総代に卒業証書を授与しただけで卒業式が終了することとなった[1]。
同大では、ハラスメント事案が続いた時期があり、2014年(平成26年)4月2日、大学院医学系研究科に所属する男性准教授が、図書館職員にクレームをつけて土下座を強要したりサービスカウンターをたたきながら暴言を吐いたりといった行為を何度も繰り返したとして、4月1日付で停職1か月の処分を発表した。その2日前には、大学院経済学研究科の男性講師が、研究会で知り合った他大学の女子大学院生を飲食に誘い、気分が悪くなったという女子学生をホテルに連れて行ってわいせつな行為を働いたため、懲戒解雇になっている[2]。
また、東北大学大学院工学研究科・工学部では、2014年2月28日に男性客員教授が職場の懇親会の席上で女性職員にセクハラ行為をはたらき、2月27日付で停職6か月に、2015年3月には男子学生が女児の下半身を触った強制わいせつの疑いで逮捕、7月には男子学生が強姦容疑で逮捕、8月には職員が窃盗の疑いで逮捕と不祥事が続出したことを受けて、工学部長の滝沢博胤は「社会規範に反する行為、倫理観の欠如による行為は、慚愧の念に堪えない」として「非常事態宣言」を発出した[3]。
2015年(平成27年)10月20日、総合技術部勤務の技術職員の万引き行為などが確認されたとして、懲戒処分(諭旨解雇)を行ったと公表した[4]。
2015年(平成27年)10月28日、工学部・工学研究科の事務員が上司と部下という優越的な立場を背景に、複数の職員に対してハラスメント行為をはたらいたとして、懲戒処分(停職1月)を行ったと公表した[5]。
東日本大震災
[編集]地震発生後、東北大学本部事務機構施設部による応急危険度判定が行われた研究科の建物では、風洞水槽実験室、衛星受信解析室、車庫の3棟が立ち入り危険、物理A棟、化学棟、合同棟、総合棟の4棟が立ち入り要注意と判定された[6]
物理A棟の被害は,西側非常階段の出入り口付近の破損、中階段低層階でのモルタルの剥離、屋上に設置された天文ドームの破損などが主なものである[6]。化学棟では、エレベーター棟と本棟をつなぐエクスパンション・ジョイント部がほぼすべての階で壊れ、周辺の梁のモルタルの剥離や落下が目立った[6]。また、屋上に設置されていたガスヒートポンプ(GHP)の屋外機のいくつかが倒れた。総合棟と合同棟も両棟を結ぶジョイント部分の破損があり、また、新営3期棟との接続が予定されている部分の外壁が損傷した[6]。
後日、コンクリート建造物の耐震工学を専門とする工学研究科のグループ、および、耐震改修を施工した業者により、より詳しい建物調査が行われた[6]。その結果、二つのグループとも、どの建物も主な柱等には損傷がほとんどなく、今後の継続的な使用に耐えるとの判断が出された[6]。
4月25日現在、余震で落下する危険のあるところのモルタルの除去など、日常的な使用に支障がないよう応急手当てが終わり、化学棟の上層階を除き、各棟とも立ち入りが自由となった[6]。
附属地震・噴火予知研究観測センター(青葉城址に近い工学研究科に隣接した区域)で、セミナー室付近に地割れが発生し、セミナー室は立ち入り禁止の措置が取られた[6]。
理学研究科は実験設備の被害について、2011年4月初め、概算で約40億円の被害と見積もって本部に報告している[6]。
- ^ 東北大、卒業式大荒れ 学生乱入 学長告辞を中止『朝日新聞』1976年(昭和51年)3月26日、13版、23面
- ^ “教員のパワハラ、セクハラ続いた東北大学 「相談窓口」活用で学内浄化進むか”. J-CASTニュース. (2014年4月3日) 2018年12月1日閲覧。
- ^ “東北大工学部が不祥事で非常事態宣言”. ウェイバックマシン. 2015年9月6日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年7月25日閲覧。
- ^ “東北大学人事企画部|懲戒処分の公表”. www.bureau.tohoku.ac.jp. 2018年12月1日閲覧。
- ^ “東北大学人事企画部|懲戒処分の公表”. www.bureau.tohoku.ac.jp. 2018年12月1日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i “東北地方太平洋沖地震による理学研究科の被害と対応”. 東北大学大学院理学研究科地球物理学専攻. 2024年6月26日閲覧。