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利用者‐会話:ジャコウネズミ/過去ログ4

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「尖閣諸島問題」の編集へのお礼

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ジャコウネズミさんへ 2013年2月より、「尖閣諸島問題」>現状>日本・中国・台湾の主張で、私、モンゴメリーが編集に参加して以来、お世話になりっぱなしで、誠に有難く感謝申し上げます。また、その後私からご指導を請い、早々に校正賜りましたこと、重ね重ね御礼申し上げます。そしてされに、Chinese mythologyは、現代の日本社会で既知の情報ではありませんのに、嫌がらずにご協力下さいますこと、ほんとうにすばらしいボランティア精神と感動しています。

そこで、キリスト教神話における旧約聖書の創世記とは異なるChinese mythologyと創世伝承の関係をご紹介します。創世伝承はChinese mythologyの内に含まれますが、時系列でも神話の冒頭には位置しません。それは、創世伝承が女媧のみに属すからです。Chinese mythologyの中の女媧における創世伝承は、泥と縄を用いたのが凡庸な人となり、泥を用いたのが貴人となったという、泥と縄で瓶を創った縄文人が人間の始まりで、泥で瓶を創ったのが貴人の始まりという、人文による猿人と人との区分けのことで、何も無いところから人類をクリエイトしたというキリスト教神話とは異なります。また、Chinese mythologyにおける天体の創造は、北極星であり太陽を産んだ太陽の女神羲和、月になった嫦娥、などがあります。

ただ今、私がお礼記事を書いている間に、早くもジャコウネズミさんから、わたしの会話にメッセージが届きましたので、つづきはモンゴメリーの会話でお話します。 --モンゴメリー会話2013年3月18日 (月) 02:21 (UTC)[返信]

次に、モンゴメリー会話に記した私のメッセージを転載します。

返信【三皇としての伏羲の件】

>三皇としての伏羲を尖閣諸島問題で十全に書き表そうとするのは、項目の主題から言って、バランスが悪いかと存じます。

客観的に見るとそうみえますか、、、表現力が乏しいためにお手数をおかけ致します。私が追記の必要を感じた理由は、中国のメディアでの主張の背景とその媒体を紹介したかったからです。中国のメディアとしては、国の主張を著す中国国営メディア、中国の影響が及ぶインターネットメディア、そして、中国人や華人の利用頻度が高く彼らの公用語を使用した民間のウィキペディアも、欠くことはできないと判断したからです。そして、この主張の背景に係る情報は、中国という一国の上だけにあるのでは無く、ネット上では多言語に渡っていることを、ウィキペディアの実例を挙げて紹介したかったからです。なお、三皇について、権威の名称にこだわっているわけではなく、中国人や華人の認識として、人類を餓死から救う知恵として「魚釣り」を発明して教えた人を、その神話または古代史において尊厳ある存在として位置づけている現状を、紹介したいわけです。

日本人に、中国人や華人が利用する媒体の規模に対する認識がないと、中国との問題を隣国一国の問題として日本人の認識に誤算が生じるだろうと察するからです。私は、香港に暮らす日本人として両国の緊張緩和の一助になることを願い、編集しておりますため、視点の違いによって、また表現力の至らなさによって、客観性を欠く表現もあろうかと想像します。今後とも、ご指導のほど、よろしくお願い申し上げます。 --モンゴメリー会話2013年3月18日 (月) 04:33 (UTC)[返信]

ジャコウネズミさんへ 細かいところまで校正の面倒を見てくださって本当にありがとうございます。恐れ入ります。心強いです。でも、ご迷惑をおかけしてごめんなさい。簡単なことを見落としてしまう私の能力の低さを、本当に申し訳なく思います。ジャコウネズミさんの寛大さと公平性を旨とするお志を感じます。ありがとうございます。--モンゴメリー会話2013年3月18日 (月) 04:33 (UTC)[返信]

モンゴメリーさんの編集の面倒を見る、ということではなく、当該記述が看過されるべきでない視点であるとともに項目尖閣諸島問題としては異質な記述であると認識するが故に、後で抹消されないよう穏当かつ明確な論旨を持つ記述とすべく腐心している次第です。--ジャコウネズミ会話2013年3月18日 (月) 07:50 (UTC)[返信]

『ヨハネ・ヒルカノス1世』の項では、リンクについて、どんな風に書き換えたらあんなふうになるのかもわからないくらい校正してくださり、ほんとうにありがとうございます。ジャコウネズミさんのご親切と聡明さとそうしたスキルには、惚れ惚れします。本当は勉強になりましたとお礼申し上げるのが筋でしょうが、どうにもスキルが及ばず、ただただ、『ヨハネ』の項でもコピーして貼り付けさせて頂くのがせいいっぱいでした。お手数ばかりおかけしてほんとうに恐縮ですが、心より感謝申し上げます。--モンゴメリー会話2013年3月22日 (金) 07:19 (UTC)[返信]

校正というより、出典表記の整頓ですけどね。ご存じかもしれませんが、他の誰かの手が加わった文章を他のページにコピーする際には、投稿時に要約欄で「どこどこから転記」や「誰々と共著」と書くなどWikipedia:ウィキペディア内でのコピーに則ること(このページを読んでもどう書けばよいかわからないと思いますが、ガイドラインで書き方を規定するのはおかしい、という理由でこのような表現になっているようです)が必要です。ただし、今回のコピー・アンド・ペーストはその必要性の基である著作権の「著作性」が全くないので(←わたしの作業が単なる「出典表記の整頓」であるため)、全く問題ありません。ということを付言しておきます。--ジャコウネズミ会話2013年3月22日 (金) 08:08 (UTC)[返信]
ジャコウネズミさんは、ほんとに何でも知っているんですね。感動です。私は定款や法律や本の凡例などを予め読むの苦手で、ご親切にご指導いただけるとわかりやすくてとても助かります。ありがとうございます。--モンゴメリー会話2013年3月23日 (土) 07:21 (UTC)[返信]
ジャコウネズミさんへ
尖閣諸島問題の項では、気付きのお導きを頂いた上に、鮮やかな整理をして下さりまことにありがとうございます。
また、呂尚の項でも、きれいに整理くださり重ね重ね御礼申し上げます。
ありが鼠^^--モンゴメリー会話2013年4月21日 (日) 08:02 (UTC)[返信]

Bergoglioについて

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先ほど、ノート:フランシスコ (ローマ教皇)のほうに書いて投稿しようとしたら、編集競合にあいまして、書いていたのが吹っ飛んでしまいました。公式発表のほうでいいのではという意見が出ましたので、注で実際の発音(この確認実は大変ですが)等を記すという方法もありかなと思いますので、ノートのほうにジャコウネズミさんの疑問に対する返答を書くことにいたしました。

ジャコウネズミさんの疑問は-lioのことだと思いますが、この音声表記については言語学者でもスペイン語を専門にしない人は、間違った解釈をするようです。[ljo]という発音表記のうちのjは子音ではありません。ioは二重母音で、この場合は上昇二重母音で、jは二重母音の第一要素のヨッドで、音節核母音oの前にあるので半子音とスペイン語学では呼ばれます。下降二重母音oiのように音節核母音の後ろにある、第二要素の場合は半母音と呼ばれます。したがって、リオというカナ表記でいいと思います。この二重母音にアクセントがある場合例えばアスンシオンという都市名がありますが、音声表記では[asunˈsjon](セセオ、標準語発音では[asunˈθjon])。私は自身の経験上アスンションのように発音しています。Bergoglioの場合はアクセントが-go-の音節にあり、リオと表記すると母音接続と同じような読みになるので、私個人としてはベルゴグリォのように記したいぐらいですが、一般的にはベルゴグリオのようにあらわされると思います。リョのようにあらわされるのは発音表記では[ʎo]となります。この発音も実際にはジョのように記すほうがより即した表記だと私は思っています。ジェイスモを参照ください。

あと二重母音で < u > であらわされるものがあり(Guatemala、autor)、こちらはワウと呼ばれ、音声表記では[wa]、[aw]となるものがあります。ウア、アウのようになり、最初のものはワではないのですが、実際にはワのように聞こえなくもないです。関係ないことも書きましたが、答えになっているでしょうか。--Xapones会話2013年3月19日 (火) 16:16 (UTC)[返信]

音声学の範疇のことは概ね把握しております。わたしが知らないのは"Bergoglio"の現地音と、例示くださいましたアスンシオンのような音訳例です(なるほど、アスンションのようには音訳しないのですね)。en:Pope Francis国際音声記号を使った注記は日本語版に取り入れましたので、続きの議論があればノート:フランシスコ (ローマ教皇)に戻りましょう。--ジャコウネズミ会話2013年3月19日 (火) 16:35 (UTC)[返信]
釈迦に説法でしたかね。それでは簡潔にお伝えします。スペインとアルゼンチンの公共TVで、教皇選出のニュースをネットで確認しました。スペインのものはかなり明瞭にベルゴグリォと発音しています。アルゼンチンのものも、少しアルゼンチン訛りではありますがアナウンサーはベルゴグリォと発音しています。しかし、一般の人の発音ではグがあるのか、わからないぐらい弱くなっています。--Xapones会話2013年3月19日 (火) 17:38 (UTC)[返信]
なるほど。スペインの公共TV、アルゼンチンの公共TV、一般の人の発音を、直接耳で聞いた感触を教えていただいたのは、とても重要な情報であり、かつ、感謝なことです。国際音声記号も発音の明瞭さまでは包絡していませんので、ご教示いただいた件は、わたしの懸念していた事柄を一掃するものです。アクセントのあるベルグリオは「ガ行」でよさそうだが、ベルゴリオはどれだけ「ガ行」に聞こえるのか?というのがわたしの主な懸念でした。《ホルヘ・マリオ・ベルゴリオ(現地音は「ベルゴグリオ」に近いが本項ではカトリック中央評議会及び日本の主要報道機関の音訳に則り「ベルゴリオ」に統一する)》など、宣言してしまうのも一手かも知れませんね。決して「釈迦に説法」だったのではありません。ただ、正規に学んだわけではありませんが、Wikipedia外のこんな記事を書くくらい、発音記号とそのおおよその音声について雑学として蓄えている「オタク」である、というだけのことです。--ジャコウネズミ会話2013年3月19日 (火) 18:12 (UTC)[返信]
一般の人というのは、アルゼンチンの公共TVでの、番組内に出ているる一般人で、発声のプロであるアナウンサーでない人という意味ですので、念のため。glioというのはもともとのスペイン語の音の連続ではないと思われるので、ほとんど聞こえない、ひょっとしたら発音してないかもしれません。ネットで他国のニュースも見れる便利な世の中です。それでは失礼いたします。--Xapones会話2013年3月19日 (火) 20:16 (UTC)[返信]

お礼

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日本語版 Wikipedia 項目『愛』にお誘い頂き、ありがとうございます。しかし、正直このような途方もない名前の項目が Wikipedia に存在するとは知りませんでした。やはり、古典古代は残忍なシニシズムの時代で、肉欲的ではない「愛」という概念は、キリスト教による革命だと思います。しかし、私の専門分野は神学ではないので、お役に立てますかどうかいま一つ自信がございません。一応「教父研究会」の会員ではあるのですが、西洋古典が専門というわけではないので、ギリシア語やラテン語を恐るべき速度で読む老大家たちに唖然とするばかりです。確かに編集回数は多いですが、単に誤字脱字や文体が気になったからで、長文で書いたものは、杉原千畝ベルナデッタ・スビルー宮間あや(←最後のは、単なるサッカー趣味)くらいであります。Kinno Angel さんからのお誘いで、Wiki:キリスト教プロジェクトというのにはお誘い頂きました。「詩人」でもあり科学者でもあるジャコウネズミさんには、今後とも宜しくお願い申し上げます。先の項目には、いずれ参加させて頂きます。ありがとうこざいました。Tizizano会話2013年3月19日 (火) 12:03 (UTC)[返信]


「伝統」について

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具体的な典拠をご教示下さり、ありがとうございます。しかし、あの個所のそもそもジャコウネズミさんの加筆分ではなかったのではないでしょうか?あの部分だけテーマが急変していて不自然なので、この点を先に確認させて下さい。Tizizano会話2013年3月24日 (日) 09:44 (UTC)[返信]

1) 後で、他の記述にも使えそうな2つの出典を消すのはもったいなかったので、ベネディクト16世が典礼と伝統の重視としたことの出典として、復活させたこと。2) 破門を解いた、と書かれるならそれにも出典が必要なので、ベネディクト16世の記事から一部転記して出典とした。この2点であり、テーマを一変させる意図はなかったのですが、不自然でしょうか?--ジャコウネズミ会話2013年3月24日 (日) 09:51 (UTC)[返信]
いえ、そうではないのです。私が典拠を付け忘れたところを補って下さい感謝しております。そうではなくて、元々の記述にあった「トリエント・ミサ」云々は、「ジャコウネズミさんの加筆分ではなかったのではないでしょうか?」、つまり別人の文ではなかったのでしょうかという質問なのです。長老派のジャコウネズミさんがそのような点に関心を持たれるのはとても不思議で、この点、いかがでしょうか?Tizizano会話2013年3月24日 (日) 10:03 (UTC)[返信]
いいえ、「トリエント・ミサ」云々はわたしの訳出ではありません。画面配置の再校を致しましたのでご高覧下さい。
画像の洗練されたご配置に感謝申し上げます。やはり、そうでしたか。あの個所の書き込みは、ジャコウネズミさんの加筆分ではなく、某会(プロテスタントで喩えると福音派の極右派)のシンパの書き込みではないかとにらんでいたのですが、やはり思った通りでした。カトリック信者なら読んだ瞬間にわかるのですが、S.B.さんのご指摘があるまで、私もすっかり騙されていました。元新聞に言及がないなど想像もしませんでした。画像の件、ありがとうございました。Tizizano会話2013年3月24日 (日) 10:14 (UTC)[返信]
はっきり言ってWikipediaでの画像の左配置は難しいです。ただ、わたしも画像は右配置多用でかつ広い画面幅向きのレイアウトながら、南西諸島近海地震のような見栄えに凝った記事も書いていますし、やれないことではないわけで、ご納得のいく配置ができてよかったです。「出典を付けながら出典にないことを書いていた」ことに関しては、当然ながら不当に思いますが、どんな方が書いたかなどについてのコメントは差し控えます。--ジャコウネズミ会話2013年3月24日 (日) 10:34 (UTC)[返信]
「出典を付けながら出典にないことを書いていた」ことが不自然とは、まったくご指摘の通りで、閲覧者を瞞着する行為だと思います。ジャコウネズミさんの価値中立的立場を崩されない断固たる姿勢に、改めて敬意を表させて頂きます。Tizizano会話2013年3月24日 (日) 10:51 (UTC)[返信]
やはり、「同じ76歳で就任し」云々という言及は、元記事にはありませんでした。記述の内容からして、悪意はないと思いますが、願望と事実を混同し余計な手間を他の編集者にとらせる方は困りますね。Tizizano会話2013年3月27日 (水) 15:21 (UTC)[返信]
「事実」ではありますが、後ろの出典と組み合わせるとミスリードになっていましたね。--ジャコウネズミ会話2013年3月28日 (木) 03:35 (UTC)[返信]

ジャコウネズミさん、こんにちは

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ジャコウネズミさんこんにちは。Mello0925についての回答が遅れて申し訳ございません。まず確証は残念ながらありませんが、該当記事の変更履歴を見ると類似の編集をしてるユーザーが存在します。 ネット右翼の記事ではSidolyarn[1])が無意味な荒らしを行った形跡がある。二回目の荒らしを警告されて以降一回も編集を行ってないのでこのアカウントは捨て垢にしたのでは? 右翼の記事でも60.32.23.185が右翼、行動する保守関連の記事に粘着して記事内容を減らす荒らしをおこなったようです。 行動する保守でも58.94.149.43が記事の白紙化を行った形跡があります。編集パターンが似てると思いまして。--Vocared会話2013年3月29日 (金) 01:57 (UTC)[返信]

詩集『月明りの森』について

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項目「新しいミサ」の意味不明・意図不明個所をいろいろと手直し下さり、ありがとうございます。Amazonで注文し、詩集を拝読しました。このような過酷な運命を知りませんでした。明日の復活際に控えまして、ジャコウネズミさんとご家族に、主の大きな祝福がありますようお祈り申し上げます。「この大祭司は、わたしたちの弱さに同情できない方ではなく、罪を犯されなかったが、あらゆる点において、わたしたちと同様に試練に遭われたのです。だから、憐れみを受け、恵みにあずかって、時宜にかなった助けをいただくために、大胆に恵みの座に近づこうではありませんか。」(ヘブライ人への手紙、4:15-16)。Tizizano会話2013年3月30日 (土) 10:38 (UTC)[返信]

お尋ね

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別件ですが、上掲のことは感謝致しますが、どうして文章が推敲された結果が、「ドイツ・ロマン派の詩人フリードリヒ・ヘルダーリンの詩を愛唱し、ドストエフスキーの作品に傾倒していた。神学分野ではとりわけロマーノ・グアルディーニ(ドイツ語版)、ヨーゼフ・ラッツィンガー、ウルス・フォン・バルタザールを好んでいる」という文章になってしまうのでしょうか。周知のように、ヘルダーリンは生涯独身です。「ドイツ・ロマン派の」という形容があるのに、わざわざ「フリードリヒ」を付ける必要はないでしょう。つまり「ドイツ・ロマン派の」という形容は、「戦前は伊東静雄が傾倒し、邦訳全集すらある、みなさんよくご存じの」という意味ですよ。ドイツ文学史のなかで、「ヘルダーリン」と言えば、シェリングヘーゲルの学友だった「あの」ヘルダーリン以外にはいません。文章の書き出しが重くなるのもバランスを欠きます。あなたが詩人であるの同様に、私はこういう分野ではアマチュアではないので、とりわけ辞書項目程度の文章でミスは犯しません。また「愛唱し」「傾倒し」と2度繰り返しがあるので、単調さを消すためにわざわざ「また」を挿入しておいたのに、どうして削除されるのでしょう。閲覧者への効果を考え抜いて作文しているのですよ。また、カギ括弧は原文にあるもので、記入者の恣意で勝手にはずしては、典拠の意味がありません。現著者の実際に書いた文章を、括弧を外さずに尊重すべきだと思います。→“Mgr Bergoglio récite des poésies d'Hölderlin ; il a une prédilection pour les ouvrages de théologie de Romano Guardini, le professeur de Joseph Ratzinger, d'Urs von Balthazar et un engouement sans faille pour l'oeuvre de Dostoïevski.”Tizizano会話2013年3月31日 (日) 20:32 (UTC)[返信]

「フリードリヒ・ヘルダーリン」は「ヘルダーリン」に戻しました。「 」を外した意図については、わたしの推敲が不十分で伝わらなかったようですが、文学、神学及び絵画について、それぞれ纏めようとしたものです。文学→神学→ドストエフスキー、とジャンルが行き来していたのを修正しようとしたのですが、推敲が不十分でしたので再度入れ換え直しました。ご高覧ください。--ジャコウネズミ会話2013年3月31日 (日) 21:10 (UTC)[返信]
お手数をお掛け致します。「文学、神学及び絵画について、それぞれ纏めようとした」というご意図はすぐにわかりました。さんざんお世話になりながら、言葉が過ぎたと反省しきりです。しかし、おかげさまで、例の項目は、2週間の突貫工事にしては、全体として良い方向に行っているのではないかと存じます。例の項目で文章で問題なのは、Sasaki-TA さんが激怒されていた某氏でしょう。加筆内容自体は問題はなく、すべて善意の書き込みなのですが、長い文に一つの読点もない、異様な文章を書かれるので、何がどこにかかっているかさっぱりつかめず、何度も直さないと読むに耐える文章にはならないのです。ジャコウネズミさんや私のように普段文章を書き慣れている者ばかりではないので仕方がない話ですが、余計な手間がかかり過ぎるので、頭を抱えます。お手間をお掛け致しました。Tizizano会話2013年3月31日 (日) 21:46 (UTC)[返信]
どうかなあ…。自分を含め五十歩百歩の気も致しますが…。--ジャコウネズミ会話2013年3月31日 (日) 22:15 (UTC)[返信]
謙虚な美しいお言葉だと思いますが、読点が一つもない長文は、一瞬荒らしか機械翻訳かと思ったほどです。写真が三つ輻輳している個所を直したのですが、直す前の文章は、まず読めません。面白いのは面白いのですが、辞書項目なので、笑いをとらなくても良いのにと思う次第です。まあ、そういう所も「楽しい」と感じなくては Wikipedia は長続きしないのてしょう。実生活ではなかなか得がたい経験ではあります。Tizizano会話2013年3月31日 (日) 22:53 (UTC)[返信]
Wikipediaが「幻想」として曲がりなりにも信頼を置いているところが「集合知」ですので。他人の気付かない見地から出典や記述を提示する才能と、他国語版から目ぼしい記事を拾ってくる才能と、文章構成力や日本語の文才とは、それぞれ別の編集者が持っている、と考えた方がよいでしょう。各々ではどうしようもない記事しか書けない者同士が集まって、それなりの記事に仕上がる時が「Wikipediaが機能した」時なのだと思います。--ジャコウネズミ会話2013年3月31日 (日) 23:06 (UTC)[返信]
どうも、Kinno Angel さんのご指摘を額面通りとらえられたのかもしれないという懸念があり、気が向かれたら、私のノート欄をご覧下さい。気が向かなければ、そのままで結構です。どうもこのノートに一度書いたものを、またジャコウネズミさんにお手間を取らせてはいけないと思い削除したのがいけならかったようです。以後ルールを遵守しますと申し上げても、Kinno Angel さんはその通り受け取って下さらないので、投稿ブロックになるかもしれません。Tizizano会話2013年4月3日 (水) 05:42 (UTC)[返信]

ジャコウネズミさんへ 教えてください

1)書こうとする内容を適切な項目へ投稿すること、2)書こうとする内容と項目における重要性との均衡を弁えること

と、モンゴメリー会話でご指導くださいましたが、私にはこの定義がわかりません。教えてください。

わたしがナショナルニュースペーパー2紙で計12年間連載をもっていたおりは、その頁の見出しの大きさは日々変わり、分類されるカテゴリーも切り口を変えて移動させられました。また、記事の面積として表れる重要性も、世の中の出来事に合わせて変化しました。ナショナルニュースペーパーは、営利事業ですから、広告枠をお買い上げくださるお客様のご機嫌を伺いながら、また会社経営上の都合に合わせながら重要性を決定しました。

一方、ウィキペディの編纂に参加している私が考える重要性は、仕事の場合とは全く違います。人の命が重要性の第一位を占めます。だから、命を維持したい人が必要とする情報を編纂した百科事典であることを理想としています。存命でなければウィキペディアを利用する人もないわけですからね^^

ただし、私は、からだが痛くて苦しくて安楽死を求める人がその重要性をもって編纂する場合も、認められるべきと思っています。そんな次第で、重要性に普遍性を求めることはできないと思っています。

ジャコウネズミさんはどうですか?--モンゴメリー会話2013年4月25日 (木) 21:06 (UTC)[返信]

1)書こうとする内容を適切な項目へ投稿すること

書こうとする内容が主題となっている項目が他にないか、考え、また、探してください。主題となっている項目の存在を知らなかった場合においてまで、わたしはあなたを責めるつもりはありません。しかし、最初はともかく2度目以降においては、あなたは「天皇」「チェルノブイリ原発事故の影響」等の項目を知っていたはずです(項目「被曝」もあることを付記しておきます)。わたしには、あなたが「より一般の目に触れやすい話題性の高い項目」に「書きたいことをねじ込んでいる」ように見受けられ、それは、Wikipediaにとって「とても迷惑なこと」であると感じています。わたしの見立ての通りなら、そのようなことは今後なさらないでいただきたい。一方、この事象が、「今話題の項目にとても深く、強く関連しているのだ」というあなたの「強い思い込み」等、別の事由に由来するものであるならば、あなた自身の傾向性を自覚して、経験として学んで矯正してください(あなたの思い込みの強さは、別件、ある人物とわたしとを同一人物と勘違いしていた件でも実証済みです)。

2)書こうとする内容と項目における重要性との均衡を弁えること

「大きな節」を新規に立てる前に、既存の節の一部に加筆できないか考えてください。もし、該当するような先行する記述が無い場合は、無論、節を新設すべき場合もありますが、それ以前に、1)で述べたように、他の項目に関連する記事がないか、考え、また、探してください。投稿する前に、記事が項目の主題からずれてしまっていないか検討してください。--ジャコウネズミ会話2013年4月25日 (木) 21:53 (UTC)[返信]
ジャコウネズミさんへ
あなたの言う適切の定義を教えてください。
あなたの言う重要性の定義を教えてください。
>あなたの思い込みの強さは、別件、ある人物とわたしとを同一人物と勘違いしていた件でも実証済みです
この勘違いをしたという会話は、どこに記載がありますか?
喩え話をさせていただきます。私はあなたが、どんなハンドルネームをお持ちなのかも主だった20件ほどは承知しているつもりです。そうして管理者にもなり訪問者にもなり、自作自演で誘導する能力もある。またあなたは、他人のメールを覗き見できるほど、その技術力はずば抜けて優れた方だと察しております。今やあなたは日本の警察もアンタッチャブルな日本語ネット界の支配者です。どうか老女である私のプライバシーを覗き見するのはおやめください。。。勘違いしてますよね?こういう話を勘違いと言いますよね^^
ただ、私はあなたが神経性の持病をお持ちだとウィキペディアで自己紹介しておられるので、さまざまな攻撃的感情表現を水に流していることをご理解頂ければ幸いです。他の方もみなさまもそういうお優しい心をお持ちかと察しています。 --モンゴメリー会話2013年4月25日 (木) 23:13 (UTC)[返信]
  1. あなたの言う適切の定義を教えてください。 → 他の多くの読者及び編集者の目に触れた時に、項目の主題(記事の一番上に定義部が書かれています)に就いての記述であると認められるということです。あなただけ又はわたしだけで定義できるものではありませんが、これまでの経緯として、あなたの感覚がずれていることは自覚してください。
  2. あなたの言う重要性の定義を教えてください。 → どれだけ密接に項目の主題と結びついているか、また、その上で、どれだけ既往の記事に欠けた視点を補っているか、ということとして申し上げています。あなたの投稿は「既往の記事に欠けた視点を補う」意図と自信と矜持とを以ってなされていることと見受けますが、項目の主題から外れて行ってしまえばただの落書きにしかなりません。これも、あなただけ又はわたしだけで定義できるものではありませんが、これまでの経緯として、あなたの感覚がずれていることは自覚してください。
  3. この勘違いをしたという会話は、どこに記載がありますか? → 以前、直接メールさせていただいた時期の、最後に起きた事象のことです。お忘れですか?
  4. 喩え話をさせていただきます。(後略) → 譬え話の誘導する事象が本件と関係ないと判断し、これについてはコメント致しません。
  5. 私はあなたが神経性の持病をお持ちだとウィキペディアで自己紹介しておられるので、(後略) → わたしの度量はおそらく広くも狭くもありません。極限まで我慢する前に直接あなたに苦言を申し上げ、コメント依頼をしました。それ以上でも以下でもないことです。--ジャコウネズミ会話2013年4月26日 (金) 05:19 (UTC)[返信]
ジャコウネズミさんへ
>これまでの経緯として、あなたの感覚がずれていることは自覚してください。
もちろん、在日日本人とは言葉一つの定義も異なれば、歴史認識も異なります。だから12年間も日本のナショナルニュースペーパーに需要があったわけです。
>極限まで我慢する前に直接あなたに苦言を申し上げ、コメント依頼をしました。
ウィキペディアでの荒らしでもない外国在住の日本人の編集にそこまで激しく感情を動かされたということは、あなたが日本語社会と言う世界的にはマイノリティな価値観を守ろうとしているからだと思います。わたしはマイノリティを平等に尊重することを心から支援しますが、マイノリティな価値観に支配されるのはお断りで申し上げます。
>あなたの投稿は「既往の記事に欠けた視点を補う」意図と自信と矜持とを以ってなされている
あなたの生活観の中での推察の限界だとお察しします。わたしはウィキペディアでの編集活動を自信と矜持を満足する目的のためにしたことはありません。わたしが編集に参加している目的は、明治以降の日本人が持っていない視点での情報を提供することで、少しでも国際間の摩擦が緩和されること、また、日本のマスコミが書かない情報をご提供することで、一人でも多くの日本在住の子どもたちが被曝死を免れることの二つです。もしも自己顕示欲が目的なら、私の編集後、たいてい削除するあなたと喧嘩をしたことでしょう。わたしはあなたと編集の件で喧嘩をするつもりはありません。それが、日本のマスコミの啓蒙の結果だろうと反省しつつ、償いのつもりで触れ合っています。
あなたが私の編集活動に対して感情的に極限までの我慢を要するということは、あなたがずれていると感じない価値観へ統一しようとする誘導が成功しないことへの不満ではないでしょうか?
>以前、直接メールさせていただいた時期の、最後に起きた事象のことです。お忘れですか?
プライベートなメールの内容をウィキペディアの会話に掲載するのがこの日本語ウィキペディアの節度ですか?では、お応え申し上げます。
忘れてはいませんよ。「わたしだけを抱きたい場合以外は、もう二度とメールをしてこないでください」と書きました。あなたがわたしに本気で恋をしておられるのなら、私は誠意をもってお応えできるよう尽力しますが、変質者のように、老女の性に興味をお持ちの場合は、プライベートなメールはお断り申し上げますと言うことです。私の返信を不満に思っておられるなら、どうぞメールくださっていいのですよ。--モンゴメリー会話2013年4月26日 (金) 07:13 (UTC)[返信]
  • あなたの執筆に対して、編集除去等の対応を執っている者がわたしだけでないのは、あなたがご存じのはずです。むしろ、わたしはあなたの執筆を除去せずにその項目に収める工夫をしてきたではありませんか。開き直りもいい加減にしてください。
  • プライベートなメールの内容と仰いますが、そのような誤解をまき散らすような言いぐさはやめなさい。削除の上、わたしに「膝を縛って」謝りなさい。直メールは、/過去ログ3#ジャコウネズミさんへの質問にて、あなたからいただいて始まったものですし、そのような捨て台詞も全てあなたの妄想に過ぎません。--ジャコウネズミ会話2013年4月26日 (金) 09:02 (UTC)[返信]

在日特権をゆるさない市民の会の編集について

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利用者‐会話:モンゴメリーからの転載】 少なくとも「在日外国人による歴史捏造」とは異質な記述なので、節「在日外国人による歴史捏造」から節「天皇制」にへ移動させました。出典(注釈)が非常に長文ですが、天皇#天皇の国籍に書かれたものと同じ記述を在特会の記事で詳述する必要があるのでしょうか?それから、ご自分で書かれた注釈からしても、天皇には戸籍がなく、現国籍法も言及しておらず、民事裁判権も有しない、ということであって「外国人」という結論はどこにも見出せないのですが。--ジャコウネズミ会話2013年4月1日 (月) 22:08 (UTC)[返信]

さすが、ジャコウネズミさん、冴えた整理です、お手数をおかけいたしました。ありがとうございます。
>同じ記述を在特会の記事で詳述する必要があるのでしょうか?
ブリタニカなどの電子百科事典の場合はリンクで繋げればいいと思いますが、ウィキペディアは編纂されたニュース記事としての価値も含んでいると期待しています。だから、報道の特集記事のように、多くの読者が常識的に知らない背景や前提条件などは、詳述するのが親切だと判断しています。
>「外国人」という結論はどこにも見出せないのですが。
「該当しなければ適用されない」というのが、憲法や法律や定款や契約書の読み方です。その結果が、司法の判例にあるとおり、原審裁判の理由として「天皇といえども日本国籍を有する自然人一人であって(後略)」が提出されたけど、「天皇は日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であることにかんがみ、天皇には民事裁判権が及ばない」と判決が出たわけです。
また、外国人の定義は、ウィキペディアのその項にあるとおり、「外国の国籍を有しているか否かではなく、自国の国籍を有しているか否かを問題にする(日本の国籍法でもこの定義である)。」だということです。ですから、「日本国籍を有していない=外国人」という認識を、はっきりと持つ必要があるでしょう。天皇に対して外国人という形容をする編集の巻き戻しをお願い申し上げます。それを自覚することによって、初めて、天皇びいきの方なら「天皇は米軍の捕囚のままだから国籍が無いのか、おかわいそうに、それで日本が米国に追従しなけりゃならんのか」とか、また天皇嫌いの方なら「日本は天皇が国籍を有している国の属国っていうことだろう」とか、現実の上に立った政治議論ができるわけです。--モンゴメリー会話2013年4月2日 (火) 08:35 (UTC)[返信]
それはあなたの解釈です。独自研究の部分があれば、即刻削除します。--ジャコウネズミ会話2013年4月2日 (火) 10:09 (UTC)[返信]
国籍法は天皇(家)の国籍に言及していないのですから、同法の判断するところに基づいて「天皇(家)は法的に日本国籍を有していないが故に外国人である」とする論理は成立しません。--ジャコウネズミ会話2013年4月3日 (水) 02:26 (UTC)[返信]

天皇の国籍に関して

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お世話になっております。180.0.190.222でございます。本件のモンゴメリー様の編集ですが、天皇#天皇の国籍に及びまして、出典の無い記述を問題視し編集除去させていただきました。このままですとモンゴメリー様には申し訳ありませんが問題のある記事になってしまうと判断し、ノート:天皇ノート:在日特権を許さない市民の会の議論への案内を出させて頂きました。また、ジャコウネズミ様が「(前略)~筋道まで「やっと」こぎつけたところです。」とおっしゃっていて余計な手出しをしてしまったかもしれません。その点お詫び申し上げます。--180.0.190.222 2013年4月6日 (土) 02:20 (UTC)[返信]

問題ないでしょう。モンゴメリー氏の加筆・推敲と他者からの批判・修正・削除が同時進行で行われていけない理由はありません。在特会に記事において発生した問題を項目「天皇」に飛び火させたことは申し訳なく思いますが、内容として、項目「天皇」に属する主題であり、批評・修正・削除もまた項目「天皇」内で行われた方が、より高い見識からのものとなるであろうと期待してのこと故、何卒お許しください。--ジャコウネズミ会話2013年4月6日 (土) 02:31 (UTC)[返信]
ご無沙汰しております。180.0.190.222でございます(IPアドレスが変わってしまいました)。あの後実生活が忙しくなってしまい、ジャコウネズミ様に丸投げになってしまったことお詫び申し上げます。礼のコメント依頼ですが、JapaneseA様が鋭いご指摘をなさっており、私からは特に追加でのコメントは無い状態で静観しています。今後何か動きがありましたらお邪魔させていただくことになるかもしれません。この度は誠に有難うございました。--180.12.70.65 2013年5月16日 (木) 10:27 (UTC)[返信]

Wikipedia:コメント依頼/のぎでのコメントについて

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はじめまして。Wikipedia:コメント依頼/のぎでのコメントを拝見しましてお邪魔しました。他の方のコメントの途中にご署名をされていますが、もし何かの間違いでありましたらご修正願います。また、何か意図がおありでのご編集でありましたら無礼をお許しください。--据え膳会話2013年5月18日 (土) 07:39 (UTC)[返信]

失礼しました。ミスです。修正しました。--ジャコウネズミ会話2013年5月18日 (土) 09:40 (UTC)[返信]

お礼

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フランシスコ (ローマ教皇)のノートを整備して頂き、ありがとうございます。教皇から子供たちに返信があったことは意想外で、感動しました。Tizizano会話2013年5月26日 (日) 00:16 (UTC)[返信]

教皇に手紙を出したまでの記事は、私個人の感想として、正直、細かいことまで取り上げて記事にしちゃってるかな、と思っていましたが、返事が届いたことで日本語版Wikipediaの記事の一文としては充分特筆性が得られたかな、と思っております。--ジャコウネズミ会話2013年5月26日 (日) 16:16 (UTC)[返信]

ご病気の癒しの一助になれば幸いです

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躁鬱病の発症率が最も高い国は日本かなぁ?米国かなぁ?ヘルスケアシステムの発達と躁鬱病の発症率はもしかすると比例しているんじゃないかと思います。というのも、ヘルスケアシステムは、医者と政府と銀行と保険会社が人の生活を管理するシステムだからです。それまで家族や恋人が癒してきたことが全て価値を失い、当人たちも癒しを放棄しあるいは癒されることを拒んでヘルスケアシステムに委ねてしまったということです。

これまでに最も胸が痛くなった恋愛映画に狼男があります。その物語は恋人と共に満月の夜を過ごすと狼男に変身しないという設定でした。でも二人は許されぬ仲。恋人は、狼に変身する前の男を心から愛していているのに、いっしょに過ごすことがかなわない。観ていて辛くてなりません。

マリアにあやかりたいという思いに駆られます。--モンゴメリー会話2013年6月1日 (土) 21:05 (UTC)[返信]

わたしは、この件についてはプライベートに関わる話と認識し、言及を拒否いたします。別件ですが、本ページのこの編集の末尾の発言について、良識ある対処を重ねて要求いたします。--ジャコウネズミ会話 | 投稿記録2013年6月2日 (日) 00:15 (UTC)[返信]
愛し合っているなら、文通したり、電話で話したり、会ったりするのが癒し合える方法だと思います。--モンゴメリー会話2013年6月2日 (日) 03:28 (UTC)[返信]
隣人愛は一時ありましたが、今はいかなる種類の愛もありません。--ジャコウネズミ会話 | 投稿記録2013年6月2日 (日) 03:32 (UTC)[返信]
んー、狼男のような殺意はあったように思いますが、隣人愛があったとは思えませんね。
仮にですよ、「ぐつぐつ ぐつぐつ めらめら めらめら ぐさぐさ ぐさぐさ みしみし みしみし しんじまえ」というメールを頂いた人は、それを隣人愛と理解するでしょうか?私に対して殺したいほど深い恨みがあるのだと察します。
もしもジャコウネズミさんがこういう言葉を他人から頂いて、それを隣人愛の範疇だと理解するならば、QHQの制御の下で政府が決定した国語は、私の想像の及ばない域まで来てしまったと言えるでしょう。--モンゴメリー会話2013年6月2日 (日) 04:34 (UTC)[返信]
例に挙げられたメールは、あなたこそよくご存じの「設定」のもとに書いたものです。無論、わたしがあなたの言動に憤って隣人愛を捨てた状態で書いたものですが、何度か修復してきました。今は修復する気すら起きません。本節は対話が成立しておりません。この節は終了としましょう。別件、言いたいことがあれば、新しい節を作成してください。--ジャコウネズミ会話 | 投稿記録2013年6月2日 (日) 07:29 (UTC)[返信]