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利用者‐会話:エヴァンズの秘書

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プレビュー機能のお知らせ[編集]

投稿時、中央のボタンを押すとプレビューできます。(詳細画像

こんにちは。ウィキペディアへのご寄稿ありがとうございます。エヴァンズの秘書さんが同じ記事に対して短時間に連続して投稿されているようでしたので、プレビュー機能のお知らせに参りました。投稿する前に「プレビューを実行」のボタンを押すと、成形結果を先に見ることができます。

これを使うことで

などをあらかじめチェックし、修正してから投稿していただくことにより、同じ記事への連続投稿を減らすことができます。この利点については、同じ記事への連続投稿を減らすの項目に説明がありますので、よろしければお読みください。また、ガイドブックにウィキペディア全体のことについて分かりやすく解説されていますので、あわせてお読みいただけると幸いです。ご理解とご協力をよろしくお願いします。なお、もしすでにご存知のことでしたら、悪しからずお願いいたします。

それと、要約を使うのは構わないのですが、長々と書かれると傍からは逆に見づらいと思われますので、もっと簡単にしていいと思います。--Cross-j 2010年9月15日 (水) 14:40 (UTC)[返信]

常用漢字表以外の漢字の使用について[編集]

みそがいと申します。早速ですが百億の昼と千億の夜等で変更している常用漢字表外の漢字の書き換えについて、私の考えを示します。 「表記ガイド」において、漢字については大前提となるものには下記の部分があります。

  • 「Unicodeで規定されている文字」
  • 「JIS X 0208にも規定されていない文字は、できるだけ使わない」

ここまでに常用漢字表に関する制限はありません。 つぎに、漢字そのものについては

  • 「漢字の字体は、原則として常用漢字表に従います」
    • 「常用漢字表にないものは、平成12年12月に国語審議会が答申した「表外漢字字体表」に示された印刷標準字体に従います」
  • 「ただし、歴史的文書の引用と固有名詞の表記に際しては、常用漢字以外の漢字を使用してよい場合があります」

の記述があります。ここで問題にしているのは「字体」についてであり、記載されている事例としては「竜」と「龍」、「学」と「學」であって、いずれも同一文字をどういう字体で、具体的には新字体と旧字体等のどちらで表すかであり、その部分は常用漢字表に記載されている「字体」以外でもよい、ということであると理解しています。2つめの項では常用漢字表にない漢字の場合の「字体」についてのガイドです。

(段落のレベルとしては「漢字の字体は…」と「ただし、歴史的…」は同一ですが、内容は後者が従属していることはあきらかです)

また、「記事名の付け方」における記事名の書式には、

  • 「複数の字体がある漢字については、常用漢字表にある字体を使うことが原則です」

と記載されており、これも「字体」に関する基準です。 さらに、「まぜ書き」の項には、

  • 「熟語は、常用漢字外をかなとする「熟語のまぜ書き」にせず、読みがなを全角括弧内に併記します」

とあり、これは常用漢字表外字使用を許容していることを前提としています。

以上、示したように、常用漢字表外の漢字を記事中で使用を禁止していないと私は理解しております。したがって、エヴァンズの秘書さんが行っている常用漢字への書き換えは、表記ガイドからすると必然性のないものと言えるのではないかと考え、いくつかの記事については変更を元に戻した次第です。 (さらには、書き換えたことばは、もとの意味から意図するニュアンスが異なることがあり、記事を編集した人の意図するものと離れてしまうおそれがありますので十分な注意が必要と考えます)

また、大前提として、表記ガイドは「考慮すべきガイドライン」であって、絶対的な基準ではないことをご理解下さい。法令や公用文書などは常用漢字による漢字使用制限に縛られておりますが、Wikipediaはその縛りが基本的には無いと考えておりますので「ガイドライン自体で使用禁止していない」ことに表れているのだと思います。

繰り返しとなりますが、常用漢字以外は使用禁止と規定されていない考えております。したがって、必要であれば表記をもとに戻すことも実施する考えではおりますが、まずはエヴァンズの秘書さんが何らかの(記載を復帰する)処置を行うことがいいのではないかと思っています。

これらの点につきまして、意見があれば明らかにしていただきたいと思います。よろしくお願いします。みそがい 2010年10月11日 (月) 00:16 (UTC)[返信]


みそがいさん、ご指摘いただきましてありがとうございます。改めて表記ガイドを見直し、お蔭様で見落としていた箇所が明らかになりました。今後、大いに参考にさせていただきます。
ところで、みそがいさんご指摘の“表記ガイドは常用漢字表外の漢字を記事中で使用を禁止していない”につきまして、以下に回答申し上げます。


まず、表記ガイドの漢字の項に記されていることは既にみそがいさんが記されているとおりですが、問題はその解釈です。
  • 「漢字の字体は、原則として常用漢字表に従います」
    • 「常用漢字表にないものは、平成12年12月に国語審議会が答申した「表外漢字字体表」に示された印刷標準字体に従います」
この記載は、文字通り漢字の字体は常用漢字表に従うが、常用漢字外の漢字を記す場合は「表外漢字字体表」に示された印刷標準字体を用いるというものです。それでは、常用漢字外の漢字を記す場合とはどのような場合かとして、次の2例が記載されています。
  • 「ただし、歴史的文書の引用と固有名詞の表記に際しては、常用漢字以外の漢字を使用してよい場合があります」
  • 「熟語は、常用漢字外をかなとする「熟語のまぜ書き」にせず、読みがなを全角括弧内に併記します」
(下の「熟語は、常用漢字外云々」は、「常用漢字と常用漢字外とが混合している熟語」であって、「常用漢字外だけの熟語」ではないことを念のため記しておきます。「常用漢字外だけの熟語」の場合には全部仮名書きに修正のため「まぜ書き」は生じません。)
上記2例を言い換えますと、歴史的文書の引用と固有名詞、および「常用漢字と常用漢字外とが混合している熟語」を常用漢字外記載する場合には「表外漢字字体表」に示された印刷標準字体を用いる、それら以外、すなわち歴史的文書の引用と固有名詞以外で、なおかつ「常用漢字と常用漢字外とが混合している熟語」ではない常用漢字外の場合は、「表外漢字字体表」に示された印刷標準字体を用いない、ということになります。


具体的に例を挙げますと、「常用漢字と常用漢字外とが混合している熟語」としては表記ガイドの例にある、「でん粉 → 澱粉(でんぷん)またはデンプン」、「破たん → 破綻(はたん)」があります。澱粉の場合、「澱」は常用漢字外・「粉」は常用漢字で、この場合、常用漢字外の「澱」を仮名書きによるまぜ書き「でん粉」とせず両方とも漢字記載し読みがなを全角括弧内に併記するか、仮名書きにするとなっています。
一方、「常用漢字と常用漢字外とが混合している熟語」ではない常用漢字外、つまり常用漢字外だけのものとしては百億の昼と千億の夜で私が修正した「邂逅」、「凛とした」があり、これらについて表記ガイドでは「表外漢字字体表」に示された印刷標準字体の使用は認められておりません。
以上のことから、私は「常用漢字外の漢字を『原則』仮名書き」として修正しております。原則には例外もあり、その例外が既に上述の歴史的文書の引用と固有名詞、および「常用漢字と常用漢字外とが混合している熟語」(仮名とまぜ書きしない)です。


ただし、私は「常用漢字と常用漢字外とが混合している熟語」(仮名とまぜ書きしない)について今まで見落としており、今回みそがいさんからご指摘をいただき初めて知りました。今後は表記ガイドどおり、澱粉の例のように仮名書きにするか漢字記載にて読みがなを全角括弧内に併記のいずれがよいかを、ページ全体の記載の整合性なども勘案しながら修正してまいります。また、昨日修正した萩尾望都トーマの心臓のうち、「常用漢字と常用漢字外とが混合している熟語」である「親戚」(「親せき」に修正)・「切磋琢磨」(「努力精進」に修正)・「碧眼」(「青い目」に修正)は、早速元に戻した上で読みがなを全角括弧内に併記しましたので、よろしければご確認ください。また、過去に同様の例で修正したものについては、それぞれ同様に元に戻した上で読みがなを全角括弧内に併記してまいります。
また、みそがいさんが私の修正を取り消されたマージナルの「一切」につきまして、表記ガイドの記載「常用漢字表以外の音訓については、積極的に読み仮名を付けます」に従って、読みがな(いっさい)を全角括弧内に併記しましたので、よろしければご確認ください。


なお、常用漢字表外の漢字で仮名に修正したものではなく別の表現に変えたもの(例えば百億の昼と千億の夜の「邂逅」→「出会う」、「凛とした」→「りりしい」)については、仮名にすると却って意味がわかりにくいと思いこの表現に変えたものですが、より適切な修正がありましたら変えていただいて結構です。
それと、表記ガイドは「考慮すべきガイドライン」であって、絶対的な基準ではないということについては充分理解しているつもりです。ただ、原則としては表記ガイドに従い、表記ガイドに沿わない場合(例えば、あえて常用漢字表外の漢字で表記する場合)にこそきちんと要約欄などでその理由を説明すべきではないかと考えております。なぜなら、私のようにガイドに従った修正をする人がほかにもいらっしゃるかも知れませんから。
以上、大変長々となってしまいましたが、ご確認のほど、よろしくお願いいたします。--エヴァンズの秘書2010年10月11日 (月) 16:03 (UTC)[返信]


みそがいです。返信ありがとうございます。
繰り返しになり申し訳ありませんが、
  • 「漢字の字体は、原則として常用漢字表に従います」
  • 「ただし、歴史的文書の引用と固有名詞の表記に際しては、常用漢字以外の漢字を使用してよい場合があります」
において、後者は前者の従属している文ですから(なので「ただし」という接続詞がある)、字体について言及しているので、「歴史的文書等は、常用漢字表以外の漢字字体を使用してよい」と言えます。(これは原文表現を尊重する意味合いからすれば当然です)
熟語については、常用漢字と常用漢字外の混合されたものについては交ぜ書きにしない、ということであって、常用漢字外のみの熟語が使用を禁止されているとは読み取れません。すぐには思いつきませんが、常用漢字外漢字のみで構成される熟語を使用する場合は、読みがなを付けるべきではありましょう。
また、まぜ書きの項には、「JIS X 0208の第一、第二水準外の漢字は交ぜ書きにする」という部分が従属されています。この点からすると、「邂逅」はいずれも常用漢字ではありませんが、第二水準の漢字ですから、交ぜ書きの対象ではありません。「凛」については常用漢字ではありませんが、人名用漢字であり第二水準漢字です。(したがって、上記の部分からしても、第一、第二水準外の漢字の使用を禁止しているのでもありません。ただし、振り仮名は付けるべきかもしれません)
元々、
  • 「Unicodeで規定されている文字」
  • 「JIS X 0208にも規定されていない文字は、できるだけ使わない」
という大前提があり、これは、漢字はJIS基本漢字(第一、第二水準漢字)以外使わないようにしよう、と理解できます。(JIS X 0208参考ページ:http://www.asahi-net.or.jp/~AX2S-KMTN/ref/jisx0208.html )
エヴァンズの秘書さんが懸念されているように、常用漢字表と表外漢字字体表に字体の無いものはどうすればいいか、という点については、現段階では直接的には表記ガイドに示されていません。(厳密に考えれば、字体が問題なのか、文字コード体系が問題なのか、という部分も残されますね)  示されていない部分を「禁止」とみなすか「許容」とみなすか、については、まさにエヴァンズの秘書さんと私で見方が異なっている部分です。この点は私は、JIS基本漢字の使用は許容されているという前提から「許容」と考えているわけです。またその場合に結果として表示される表記(字体)についてはオンライン辞書のもつ問題点であり、OSなりブラウザなりに依存している部分であろうと思います。しかし、少なくともJIS基本漢字はWindowsPCやMacで対応しているでしょうし、Unicodeへの対応も大分進んでいることと思いますので、常用漢字および表外漢字を用いたとしても、表示できなかったりすることは無いでしょう。
私は表記ガイドを上記のように理解しており、一般的な国語辞典に掲載されているような見出し語であれば特に気にする必要のないものではないか、とも考えています。(Wikipediaは百科事典であり、使えない(一般的な)漢字表現がある、ということが記事の表現の限界になってしまうことも懸念しています。また、前回書きましたように、法令や公文書ではありませんので常用漢字表の縛りは無いものと考えています)
ともあれ、エヴァンズの秘書さんが納得できない部分もあると思います。この点については、あくまで「表記ガイド」を各人が編集しようとする記事にどのように適用するかによります。例えばエヴァンズの秘書さんが追加編集する部分はエヴァンズの秘書さんが適用する表記とし、別の人が編集した部分についてはそれを尊重し(個々の)表現の変更を行わない等の切り分けで対処することもありかと思います。(もちろん、記事内の表現自体が記事としておかしい部分は除きますが)
なお、「一切」については常用漢字表の用例に明示されている音訓なので振り仮名を付ける必要はありません。(http://www.bunka.go.jp/kokugo/pdf/jyouyou_kanjihyou.pdf 等を参照願います)
個々の記事についてはエヴァンズの秘書さんが内容を充実させていますので、それらの編集に携わった部分についてはエヴァンズの秘書さんの編集内容を尊重したいと考えています。ただし、それ以外の部分については、私は私なりの考えにしたがって表現の変更を戻す部分があるかもしれません。その点はお気を悪くなさらぬようお願いいたします。また、私が「表記ガイド」あるいは関連するガイドラインを見落としている部分があるかもしれません。その点につきましてはご指摘いただければありがたいと思っております。
以上、長々と書き込んでしまい申し訳ありませんでした。みそがい 2010年10月14日 (木) 14:16 (UTC)[返信]


みそがいさん、返信いただきましてありがとうございます。
まず最初に、「一切」につきまして、常用漢字表以外の音訓であると思い違いをしておりました。申し訳ございません。早速、マージナルの「一切」の読みがな(いっさい)を削除いたしましたので、よろしければご確認ください。
これは言い訳ですが、以前に別の記事で「副詞のうち、本来の意味がほとんど失われているもの」は仮名書きにするとして、表記ガイドの例にはありませんがこれに該当するものとして「一切」を仮名書きにしたことがあり、それを忘れて「一切」が常用漢字表以外の音訓のため仮名書きにしたものと記憶違いをしていたようです。ちなみに、マージナルの記事中の「一切」は全部・すべてなどを意味する名詞のため、この場合でも仮名書きにする事例には該当しないことを確認いたしております。
それで、以下のことはあくまでも私の考えである、ということでご理解ください。


  • 「ただし、歴史的文書の引用と固有名詞の表記に際しては、常用漢字以外の漢字を使用してよい場合があります」
  • 「熟語は、常用漢字外をかなとする「熟語のまぜ書き」にせず、読みがなを全角括弧内に併記します」
そもそもなぜ上記のような記載があるのか、ということです。


もしも私が主張しております「常用漢字外の漢字は『原則』仮名書き」でないのなら、上の「歴史的文書の引用と固有名詞の表記に際しては、常用漢字以外の漢字を使用してよい場合があります」の記載は意味がありません。「歴史的文書の引用」や「固有名詞」であろうがなかろうが、好きなように常用漢字以外の漢字を使用してよいはずです。それをわざわざ上記のように記載しているのは、「常用漢字外の漢字は『原則』仮名書きである」という前提に立ってのものではないかと考えております。
さらに、後段の記載「常用漢字以外の漢字を使用してよい場合があります」ということは、逆に「歴史的文書の引用と固有名詞の表記」であっても「常用漢字以外の漢字を使用してはいけない場合がある」ということです。これが具体的にどのような場合なのかは私にはわかりませんが、「歴史的文書の引用と固有名詞の表記」であってさえ使用してはいけない場合がある常用漢字以外の漢字を、「熟語のまぜ書き」を避ける場合を除いて、それ以外でどのような場合に用いることができるのか、よほど特殊な事例しかないのではないか、その特殊な事例を考えねばならないということが、「常用漢字外の漢字は『原則』仮名書きである」ということを表しているようにしか私には思えないのです。


それと下の「熟語は、常用漢字外をかなとする「熟語のまぜ書き」にせず、読みがなを全角括弧内に併記します」につきましても、(通常は)常用漢字外を仮名書きとすることを前提にした記載にしか見えません。
もしも「常用漢字外の漢字が『原則』仮名書き」でないのなら、「熟語は、漢字と仮名書きとを混ぜた「熟語のまぜ書き」にはしません」とだけ記せばよいわけで、わざわざ「常用漢字外をかなとする「熟語のまぜ書き」にせず」と記載していること自体、原則としては常用漢字外は仮名書きとする、しかし「熟語のまぜ書き」は望ましくないので例外としてこの場合のみ常用漢字外は仮名書きしない、というようにしか私には読み取れません。


以上のように考えてはおりますが、とは申しましても私の考えが絶対的に正しいと押し通すつもりはございません。誤りは誤りとして正してまいりますし、見解あるいは解釈の相違については折り合いをつけていきたいと考えております。
とくに、例えば「邂逅」や「凛とした」などは、表記ガイドには読み仮名をつけるとの記載すらなく、私の考えをガチガチに適用すると読み仮名つきでさえその記載を認めないということになってしまい、不都合が生じることは私自身認識しております。この場合は例え表記ガイドには記載はなくても、読み仮名をつけていけばいいのではないかと考えております。
ただ、その一方で、ガイドの記載に即していない(と思われる)ことは、私としてはしたくはありませんので、従来どおりのスタンスで当面は編集を続けてまいりたいと思います。その中で表現の変更を戻されるものにつきましては、それが上記の「邂逅」や「凛とした」などに読み仮名をつけるなど妥当に思われるものにつきましては、異を唱えたりはいたしません。ただ、どうしても納得がいかないというような場合には、その旨を要約欄に編集の意図や理由を記載して修正させていただきますので、またそれに対してのご意見を頂戴できればと考えております。


以上、大変長々となってしまいましたが、ご容赦のほど、お願いいたします。--エヴァンズの秘書2010年10月14日 (木) 16:55 (UTC)[返信]


憑かれる疲れるの区別が「つかれる」では分かりません。強迫観念のようなものをお持ちのようですが漢字使いましょうよ。あなたの編集は、分かりづらいです。--微積01 2010年12月14日 (火) 18:17 (UTC)[返信]

微積01さん、上記ご指摘ならびに「名探偵コナンの登場人物」の要約欄に記されました「分かりづらい。ハングルじゃないんだから漢字使おう」につきまして、以下のとおり回答申し上げます。
まず最初にご理解いただきたいことは、私が「Wikipedia:表記ガイド」に従って編集を行っているということです。
  • 「漢字の字体は、原則として常用漢字表に従います」
  • 「ただし、歴史的文書の引用と固有名詞の表記に際しては、常用漢字以外の漢字を使用してよい場合があります」
  • 「熟語は、常用漢字外をかなとする「熟語のまぜ書き」にせず、読みがなを全角括弧内に併記します」
  • 「常用漢字表以外の音訓については、積極的に読み仮名を付けます」
以上は表記ガイドに記載されていることで、これらの記載に従って、原則として(歴史的文書の引用と固有名詞以外は)常用漢字外の漢字は用いない、また常用漢字と常用漢字外とが混ざった熟語と常用漢字表外の音訓については読み仮名を付すように編集を行っております。
従いまして、微積01さんがご指摘の私の編集が「分かりづらい」のは、表記ガイドに従って編集を行った結果ですので、この点はやむを得ないこととご理解の程、お願いいたします。
ただ、「憑かれる疲れるの区別が「つかれる」では分かりません」というのはご指摘のとおりだと思います。私自身、この編集は正直迷いましたが、他の記載はガイドに基づき編集しているのに「憑かれる」だけを例外とするのもどうかと思い仮名書きにしたものですが、この点、ご指摘のように強迫観念のようなものがあったのかも知れません。
しかしながら、微積01さんが「名探偵コナンの登場人物」で編集された「お人好(よ)し」の読み仮名の削除と「めんどう」の漢字表記は上記表記ガイドには沿わないものです。(「面倒」は「仮名書き」の項に「以下の例は、かな書きとします」の例に挙げられています)
表記ガイドは絶対的なルールではなく基準のようなものと理解できますので、個々の事例には当然例外もあろうかと思いますが、表記ガイドに沿わない編集を行われる場合には、なぜガイドに沿わない編集を行うのかの理由をきちんと要約欄に記載すべきではないかと思います。
ですので、このたび微積01さんが「名探偵コナンの登場人物」で編集された「お人好(よ)し」の読み仮名の削除と「めんどう」の漢字表記につきましては、表記ガイドに従っていったん元に戻させていただきます。その上で、「憑かれる」のように充分納得のいく理由を記載いただいての読み仮名削除や漢字表記の再編集であれば、杓子定規にガイドに沿って改めて読み仮名を付したり仮名書きに戻したりはいたしませんので、よろしくお願いいたします。
それと、これも表記ガイドに記載されているとおり、数字はアラビア数字が原則ですので、「一度」も「1度」に戻させていただきます。熟語としての「一度」(もう一度とか、一度ご説明にまいります、とか)の場合は漢数字ですが、この場合は熟語ではなく1回、2回と同じで単なる回数の表現ですので、ご理解・ご承知の程、お願いいたします。--エヴァンズの秘書2010年12月15日 (水) 16:05 (UTC)[返信]

細かな修正をちまちま繰り返されても迷惑ですよって(連続投稿)、一旦記事を全部メモ帳か何かに保存してですね、気になったところを直して、そうしてから一気に投稿して下さりませんか。週1くらいでいいでしょう語尾やらなにやらの修正は! --微積01 2010年12月28日 (火) 18:34 (UTC)[返信]

今回新たに微積01さんからいただきました上記ご指摘につきまして、「連続投稿」に関して意味を取り違えておりました。申し訳ございません。
以前に別の方から連続投稿について指摘され、それが同日付での短時間間隔でのものであったため、同日付のものがダメで翌日以降であれば構わないものと思い込んでおりました。今後はご指摘いただきましたとおり、連続となる場合は1週間程度の間隔を空けるように努めてまいりますので、ご容赦のほどお願いいたします。
なお、微積01さんから上記ご指摘の前に12月15日付でいただきました「名探偵コナンの登場人物」の要約欄に記されました「分かりづらい。ハングルじゃないんだから漢字使おう」に対する回答(「Wikipedia:表記ガイド」に従って編集を行っているのでやむを得ないということ)につきましては異論がないようですので、この点についてはご理解・ご納得いただけたものと受け止めさせていただきます。--エヴァンズの秘書 2010年12月29日 (水) 16:35 (UTC)[返信]

11人いる!について[編集]

粗筋を随分と削られましたけど、Wikipedia:ストーリー紹介の在り方についての解説素案も参考にして頂けませんかね?--113.197.200.9 2010年12月29日 (水) 15:57 (UTC)[返信]


113.197.200.9さんの上記ご指摘につきまして、正直申しまして意図されるところが理解できず困惑しています。
Wikipedia:ストーリー紹介の在り方についての解説素案も参考にして頂けませんかね?」とのことですが、私も事前に確認しておりますが、解説素案の要点は次の4点かと思います。
    • 要点をはっきり示す。
    • 簡潔に表現する。
    • 曖昧な表現をしない。
    • 客観的・中立的な立場を維持する。
私が12月3日付で行った編集(12月14日付の再編集も同内容)は、上記4点に沿っていると思いますが、いかがでしょうか? 私が編集する前のあらすじの方が、2点目の「簡潔に表現する。」に大きく外れているように感じますが。
上記4点の記載の後には「ストーリーを細かく忠実に再現する必要もありません。また、読者の感情をあおったりしてはいけません。」ともあります。


以上のとおり、このたびのご指摘につきまして、どの点を捉まえられてのことなのか理解しかねております。具体的にご指摘いただけましたら、それが改めるべきことと納得のいくものであれば改める所存ですので、よろしくお願いいたします。--エヴァンズの秘書 2010年12月29日 (水) 17:03 (UTC)[返信]

APTX4869の正式名称について[編集]

Shellingford221bです。ご連絡頂いていたのに、返答が遅れまして申し訳ありません。 件の名称についてですが、名探偵コナン24巻で灰原哀が見ていたモニター上に、正式名称が出ていたのではないかと記憶しています。しかしながら、現時点で私の方で24巻を確認できる環境にないため、明言しかねることをお許しください。 --Shelling ford 221b 2011年6月12日 (日) 21:19 (UTC)

Shellingford221bさん、ご回答いただきましてありがとうございます。名探偵コナン24巻「過去からの銃弾」で灰原哀が見ていたモニター上に、確かに「APOPTOXIN4869」と表示されているのを確認いたしました。今後ともご教示のほど、よろしくお願いいたします。--エヴァンズの秘書 2011年6月12日 (日) 15:19 (UTC)[返信]

名探偵コナン 工藤新一への挑戦状の前後番組について[編集]

こんにちは。名探偵コナンの連続ドラマ(「名探偵コナン 工藤新一への挑戦状」)の項目で前後番組のテンプレートをキャストの前に移動されてましたが、Template:前後番組内のテンプレートの解説に「貼付位置は基本的に記事の末尾とするが、メディアミックスの記事では番組に関する節の末尾でもよい。」とありますので、末尾に移動しました。--Welovekobe 2011年7月10日 (日) 22:01 (UTC)[返信]

Welovekobeさん、「貼付位置は基本的に記事の末尾」のこと、承知いたしました。ご教示いただきましてありがとうございます。また、末尾への移動につきましてお手数をおかけいたしました。今後ともご教示のほど、よろしくお願いいたします。--エヴァンズの秘書 2011年7月11日 (月) 16:08 (UTC)[返信]

ジョン・ディクスン・カー[編集]

ジョン・ディクスン・カーの項目の英語版からディクスン名義の各作品へのリンクをたどり、掲載されている初版本の 書影をご覧ください。それでも訂正するおつもりがないのであれば、私は午前6時頃に再リバートいたします。--Butterwort会話2012年4月30日 (月) 19:24 (UTC)[返信]

Butterwortさん、上記初版本の書影を確認しました。大変失礼いたしました。また、ご教示いただきましてありがとうございます。まさか中島河太郎ほどのその道の大家が間違ったことを記しているとは思いもよりませんでした。早速訂正いたします。今後ともご教示のほど、よろしくお願いいたします。--エヴァンズの秘書 2012年4月30日 (月) 19:43 (UTC)[返信]

違反情報でもないのにいきなり削除しないこと[編集]

エヴァンズの秘書さんよ。著作権違反や非公表個人情報でもないのにいきなり削除するのは完全な規定違反なんだ。「萩尾望都」のところを独占したい気かあるんじゃないのかな。最初は多数対談があるから二つだけ特記するのというおかしな理由で突然削除。今度はWEB対談は著作ではないときた。著作というのは「著作権」というように、著作というのはWEBやゲームも含む。つまり君の言うことは全く間違っているんだ。コミュニティの機能妨害になっているから、独占支配する気などやめなさい。--奈良たかし会話2013年4月3日 (水) 14:50 (UTC)[返信]

奈良たかしさん、萩尾望都のページの編集に関する貴方の主張は一応理解しました。しかしながら、従来出版物(漫画、小説、エッセイ集、対談集、絵本・画集、TVゲーム)の記述に分類・統制されていたものが、貴方の編集により節の中の統制が乱されたのは事実で、私はそれを正しただけです。もちろん独占支配などする気はなく、適切でない記述を修正しているだけです。ですので、貴方がその後、別の節(WEB)を設けられたので、それに対しては口を挿むつもりはありません。ただ、対談集が対談のままになっていたり、他にも誤りがありますので、それは従来どおり修正します。
なお、もう少し穏当な表現はできませんものでしょうか。「ここはあなたのものではないし、勝手な基準ですよ」とか「あなたが自分で何もかも支配したいだけだ」の決め付けとか、最初からケンカ越しに見えます。穏やかな対話をお願いします。--エヴァンズの秘書2013年4月3日 (水) 15:24 (UTC)[返信]
いきなり削除したり、著作ではないとか、統制を乱したりとまた勝手な事故基準を持ち出して、自分のことを棚に上げてそれで穏やかな対話とはあきれたものだ。それなら削除しなさんな。ケンカを売っているのはあなただ。--奈良たかし会話2013年4月3日 (水) 15:29 (UTC)[返信]
「自己基準」とすべきところを「事故基準」とされるあたり、怒りに任せて書き殴られたからでしょう、少し冷静になっていただきたいものです。
さて、その「自己基準」とのご指摘ですが、私の勝手な自己基準ではなくウィキペデイア利用者の(少なくとも萩尾望都のページ執筆者の)共通認識です。
先にも説明したように、「著作」の節はさらに出版物(漫画、小説、エッセイ集、対談集、絵本・画集、TVゲーム)の記述に分類・統制されてきています。これは私が初めてこのページの編集を行った2010年5月23日以前の編集(この時点では「漫画、小説、エッセイ、絵本・画集、TVゲーム」となっていました)と構成はほとんど変わらず、単独の対談が記述されることはそれ以前も以後もありませんでした。これは萩尾望都のページに限らず、同じ24年組竹宮惠子大島弓子、同時代に活躍した山岸涼子池田理代子里中満智子なども同じで、単独の対談を「著作」や「作品」として扱っているものはありません。
その理由は、単独の対談を一々採り上げていたらキリがないということ、対談が「著作」と見なされていないこと(著作権法の話ではありません。「ウィキペデイア百科事典」の萩尾望都や24年組等のページ執筆者の間で、です)などが共通認識として築き上げられ、著者名義の出版物に記載を限るものと歴代の執筆者の皆さんが「暗黙の了解」として編集をされてきた結果です。
では「対談集」はどうかというと、これは「著者 萩尾望都」の書籍が出版されたから、上記趣旨(著者名義の出版物に記載を限るとの「著作」に関する共通認識)に沿って追記したものであって、単独の対談とは異なります。
「対談集」の節に(「対談集」を「対談」に変えて)貴方が追記された「荒俣宏との対談」を2回にわたり除去しましたが、その際最初は「個別の対談は多数あり。これだけを特記する理由なし」、2度目は「対談集は作者名義で出版されている「著作」、単独の対談は「著作」ではない」と説明記載しました。これは先にも述べたとおり上記趣旨に沿ったもので、またここでいう「著作」とは著作権法上の「著作」ではなくウィキペデイア百科事典」での(少なくとも萩尾望都や24年組等のページ執筆者の間での)共通認識としての「著作」です。
昨日の説明(従来出版物(漫画、小説、エッセイ集、対談集、絵本・画集、TVゲーム)の記述に分類・統制されていた)で充分ご理解いただけるものと思っていましたが、言葉足らずでご理解いただけなかったようで、その点はお詫びします。
ただ、単独での対談(「対談集」でなく)の記述が不要なものとの考えは上記趣旨に基づくものです。貴方が追記された「WEB」の節とその中の「荒俣宏との対談」も同様に考えていますが(WEBだからどうこうではなく、単独の対談だからです)、これを除去せず残しているのは、百歩譲っての譲歩・妥協であることをご理解願います。--エヴァンズの秘書 2013年4月4日 (木) 16:02 (UTC)[返信]

(インデントを戻す)そのような規定を超えて暗黙の了解をしていいということなどありません。Wikipedia:ウィキペディアは何ではないか#ウィキペディアはブログ、ウェブスペース、ソーシャルネットワーク、追悼サイトではありません 。別にブログでもされたらどうですか。前にも書いたように漫画化プロジェクトのWEBでネット上のインタビューなど記述するようプロジェクト:漫画家#Web推奨しているのに勝手なことをしないでください。何が譲ってですか。まさに私物化じゃないですか。だからあなたがたのものではありませんって。ファンサイト化は中でも最も禁止されてることですよ。やめてください。--奈良たかし会話2013年4月4日 (木) 16:26 (UTC)[返信]

本来の議論のテーマである貴方の編集(「荒俣宏との対談」の追記とその除去)が適切であるか否かについて、旗色が悪くなったので個人攻撃(悪意をもって相手を非難する、あるいは根拠無く相手を非難する行為を繰り返す。個人の人格、個性などに対するコメント。)に転じられたようですが、Wikipedia:個人攻撃はしないにあるとおり、個人攻撃は絶対に行ってはなりません。いかなる場合であっても、他の投稿者を攻撃する理由はありません。このことを肝に銘じてください。
それでも一応、今回の貴方の個人攻撃文章のいくつかにお答えしますが、私は日ごろから適切な追記・記述を心がけており、むしろ不要・余計な記述を除去することでページのファンサイト化を防ぐことに尽力する立場をとっています。今回の「荒俣宏との対談」の除去もその1例です。ですので、新しく見聞きしたことを要・不要に関係なく何でも記述するようなファン気質の人と違って、貴方がお奨めするプロジェクト:漫画家#Web(このこと自体が個人攻撃です)には向いておりません。
次に「規定を超えて暗黙の了解をしていいということなどありません」について、貴方の言う「規定」とは何か、その「規定を超えて」の基準も全く不明ですが、この「暗黙の了解」とは合意形成の中の編集作業の結果としての合意に該当します。したがって、貴方の言う「規定を超えて暗黙の了解をしていいということなどありません」も「まさに私物化じゃないですか。だからあなたがたのものではありません」もまったくの貴方の見当違いというものです。ちなみに「私物化」という決め付けも個人攻撃にあたります。貴方の文章には他にも「独占支配する気などやめなさい」など一方的な決め付けによる個人攻撃が散見されます。厳にお慎みください。
なお、冒頭に申したように、本来の議論のテーマである貴方の編集(「荒俣宏との対談」の追記とその除去)が適切であるか否かについて、昨日の私の趣旨説明には個人攻撃以外の反論がありませんので、貴方の編集が不適切なものであったとお認めになったものと思われます。しかしながら、先日から申しているとおり、貴方がこれを「web」の節を新設してそちらに「荒俣宏との対談」移行されたことに対しては私は譲歩・妥協して口を挿まないと申していますので、この件は解決済みです。そのことに異論があるのであればともかく、単に個人攻撃を繰り返すためだけにこの場に記述することはおやめください。--エヴァンズの秘書 2013年4月5日 (金) 16:20 (UTC)[返信]
おかしければ人は言うし、それをすべて個人攻撃という方がおかしいのです。あなたの編集の趣旨が「暗黙の了解」に移っているのでそれを問うているだけで認めたわけではないでしょう。合意が「暗黙の了解」というのはあなたの頭の中にあるもので伸縮自在になるからきちんとノートで形成してください。私も入りますから。時間をかけなるべく多くの人に入ってほしい。「萩尾望都」含めたプロジェクト漫画家の下位にある「24組プロジェクト」の形成ととりあえずの萩尾望都の編集合意を提案してほしいですが、来週までにしないのでしたら私がします。--奈良たかし会話2013年4月7日 (日) 02:31 (UTC)[返信]
萩尾望都のページの編集合意を提案してほしいとのことですが、私は現時点までに形成された編集作業の結果としての合意により編集されたページを改変する必要性を感じていませんので、新たなノートページにおける合意形成の手続きは貴方の方でお願いします。それが、よりよいページ作りにつながる提案でしたら喜んで賛成いたします。よろしくお願いいたします。--エヴァンズの秘書 2013年4月7日 (日) 14:56 (UTC)[返信]

議論へのご案内[編集]

Wikipedia:表記ガイドにおいて、単位記号を用いる場合の半角スペースの扱いに関係する話題についてはちょうどWikipedia‐ノート:表記ガイド#単位の前のスペースにて議論が収束しつつあるところです。その議論ではスペースを入れることそのものは議論のそもそもの前提となっており、特に異論は出てきていないため合意事項として扱われております。単位の前のスペースはそもそも推奨すべきでないというご主張はその議論に大きく影響を及ぼしますので、スペース挿入に反対される理由を(後日フォローしやすいようにできれば当該議論の場所で)聞かせていただけましたら幸いです。よろしくお願いします。--朝彦会話2013年7月22日 (月) 23:28 (UTC)[返信]

朝彦さん、「(単位の前の)スペース挿入に反対される理由を聞かせていただけましたら幸いです」とのことですが、何か思い違いをなさっておいでのようです。私は単位の前のスペース挿入には反対していません(賛成というのでもなく、どちらでも構わないと思っています。どちらかに決まればそれに従うというスタンスです)。そうではなく、私が異を唱えているのは、単位の冒頭に「単位は原則として片仮名・漢字で書きます」として「例: m → メートル」とされているにも関わらず、いつの間にか合意なく「以下の場合はアルファベット(半角)などによる単位記号を用いることができます」に「物理単位(半角)と数値(の数字)(半角)との間には半角スペース1つを入れます」が記述され、その例として「1km」が挙げられている、これはおかしい、というものです。
この記述により、冒頭の「単位は原則として片仮名・漢字で書きます」とその例「例: m → メートル」はなし崩しに死文化しています。なぜなら、「km」という単位は物理単位であるので(距離単位は物理単位の範疇です)物理単位として以外に「キロメートル」「km」という言葉は存在しないため、この記述により「単位は原則として片仮名・漢字で書きます」とされているにも関わらず、また「例: m → メートル」と例示されているにも関わらず、いかなる場合でも(片仮名でも漢字でもない)「km」(「m」「cm」なども)という表記が可能であるということになり、 原則を骨抜きにしています。
それゆえ、原則を骨抜きにしないよう、原則に従って「km」ではなく「キロメートル」である、また「km」の表記を合意なくなし崩しに可能にしている「物理単位(半角)と数値(の数字)(半角)との間には半角スペース1つを入れます」を、Kkddkkdd (会話) による2011年6月3日の編集以前の状態に戻した次第です。
私の編集を差し戻されていますが、上記ご理解いただいた上、善処いただきたくお願いいたします。--エヴァンズの秘書 2013年7月23日 (火) 21:16 (UTC)[返信]
なるほど、お考えはわかりました。しかし、2011年というと結構前ですが、2年以上にわたって異論が出なかったことは事実上慣習として受け入れられていたことの文書化であったと考える方が自然でしょう。(もちろん、何年前からの慣習であっても議論を提起することができますが、まず異論が出ていないものに関してはそもそもWikipedia:合意形成に書かれているプロセスをたどることもありません。)
さて、問題となっている記述に関してですが、「アルファベット(半角)などによる単位記号を用いることができます」の下位に一段下げられて書かれているので、おそらくこれまでこの記述を目にしてきた多くの方は(エヴァンズの秘書様ほど深く考えることなく)、単位記号を用いる場合のみに適用される但し書きとして暗黙に解釈してきたことと思います。しかし、なるほど、字面を機械的に解釈すると確かに不備がある書き方です。「以下の場合は」とその上で言ってるのに、その「場合」に言及した文章ではありません。おそらく感じられた違和感はここに起因するものと思われます。
一方、具体的な文の表現はともかく、単位記号に関する記述の下位として加えられているこの段落は、アルファベット等による単位記号を用いる場合に限ってはスペースを入れるという趣旨で書かれ、そのように解釈されている、と考えるのが自然です。したがって、WP:NOTLAWの精神に乗っ取るならば、方針の字面よりもその意図するところを尊重し、例えば「単位記号を用いる場合は」などという一節を挿入すること(あるいは加えて段落の階層構造も調整する必要があるかもしれません)が、これまで受け入れられてきた単位記号表記法をひっくり返すこともなく、また記号で書く必要がない場合にはカナ・漢字で書くという原則に響くこともない改訂方法だと思います。--朝彦会話) 2013年7月24日 (水) 00:41 (UTC) 表現調整 --朝彦会話2013年7月24日 (水) 00:47 (UTC)[返信]
よく分かりました。私自身、これまで他の方々と同様に「物理単位(半角)と数値(の数字)(半角)との間には半角スペース1つを入れます」の記述を見過ごしており、今回「1km」が例示されて初めておかしいと気付いた次第です。私自身、別の方との議論で編集作業の結果としての合意であると指摘したものがあり、今回の議論でもそのことは指摘されるだろうとは思っていました。ただ、やはりおかしいものはおかしいとして修正を行う必要があると思います。
それで、具体的な修正についてご教示いただきました「単位記号を用いる場合は」という一節を挿入することと、段落の階層構造の調整を、下記のように具体化してみました。
  • 単位は原則として片仮名・漢字で書きます。
    例: m → メートル・(角度)30° → 30度
  • 以下の場合は例外としてアルファベット(半角)などによる単位記号を用いることができます。
    • 単位記号の初出時に片仮名・漢字による説明を付けた場合(またリンクを付けて間接的に片仮名・漢字による説明を行う場合)
    • 表中で片仮名が煩雑なとき。
    • bpsなど片仮名で書かない慣習のもの。
  • 例外で単位記号を用いる場合は、物理単位(半角)と数値(の数字)(半角)との間に半角スペース1つ( 、TeX表記する場合は「\,」)を入れます。(例:1 km,
上記太文字の「例外として」「例外で」は、ご教示以外に私が追記したことを示すために強調したもので、実際には太文字強調はしません。くどいかも知れませんが、原則に対する例外であることを示すためのものです。これで良いかご意見の程、よろしくお願いいたします。--エヴァンズの秘書 2013年7月24日 (水) 21:34 (UTC)[返信]

こんにちは[編集]

Vigorous actionTalk/History)といいます。少し気になる編集をお見かけしましたのでやってまいりました。例えばこの編集ですがcmやkgをセンチやキロに変更されています。センチやキロというのは単位ではなく、SI接頭語でしかありません。こうった表記は正しいものではありませんし、SI接頭語# 欠点にもありますが紛らわしい事態になります。どうか品質を劣化させるような編集はおやめいただき自ら修正していただきたく思います。--Vigorous actionTalk/History2013年7月28日 (日) 00:42 (UTC)[返信]

Vigorous actionさん、cmやkgをセンチやキロに変更するのは不適当、つまりセンチメートル、キログラムと表記すべきであるとのご指摘、ありがとうございます。この件につきましては、本来センチメートル、キログラムと表記すべきところであるのは承知の上で、敢えてセンチ、キロと表記しました。
理由の一つ目は、一般的に身長・体重はそれぞれセンチ、キロと呼ばれていることが多く(後のメートル、グラムが略されている)、センチメートル、キログラムと表記することに少し違和感を感じました。二つ目は、例示いただいたヘンリー・メリヴェール であれば身長177センチ、体重100キロとそれぞれ前に身長、体重と記されているので、誰でも身長177センチメートル、体重100キログラムであることがわかる(例えばこのキロを100キロメートルと誤解する人はいない)からです。
ですが、不適当と言われれば確かにそのとおりで、既にヘンリー・メリヴェール については他の方が適切に編集 されていますので、他の編集を順次訂正してまいります。今後ともご教示の程、よろしくお願いいたします。--エヴァンズの秘書 2013年7月28日 (日) 21:27 (UTC)[返信]
お返事ありがとうございます。確かに日本国内(一部の地域?)では一般の話言葉としてはcmのことをセンチと言ったりすることもありますが、公的なものなどではきちんとセンチメートル、cm、糎などと書かれているかと思います。これらはセンチという言い方はSI接頭辞でしかない。前後の文章などでわかるであろうといったものを期待するのではなく、誰が見ても間違いが起きないようにするためというのもあるかと思います。さらに、jawpは日本版ではなく日本語版であり日本語を勉強する方が閲覧することがあります。その場合日本ではセンチメートルをセンチと略することがあるといったことがわからないと、センチという別な単位系があるのかと誤解するかもしれません。私の個人的な考えですがWikipediaで記述する場合はできるだけ誤解を招かないような文であるべきだと思っています。日本語の百科事典なんですから正しい日本語で書いて欲しいと思うことが今回の件と同じようなもの以外にも多々あります。今回はRCをIRCでチェックしていた時に要約欄に書かれていた内容が気になったので内容を確認しました。あなたなら多分内容をきちんと理解していただけるであろうし、今後の活動にきちんと活かせていただけるであろうと思って本節のような書き込みをさせていただきました。今回のお返事を見てもきちんと対応していただけるようですので大変ありがたいと思います。ぜひ今後もよろしくお願いいたします。--Vigorous actionTalk/History2013年7月29日 (月) 12:58 (UTC)[返信]

議論のお知らせ(2015年1月)[編集]

現在こちらで議論を提起しております。もしよろしければご意見をいただけないでしょうか。よろしくお願い致します。--Cross-j会話2015年1月22日 (木) 20:22 (UTC)[返信]

「女王蜂 (横溝正史)」の編集の件[編集]

例え私の投稿が間違っていたとしても、指摘した上で書き換えればいいことでは?いきなり荒らし呼ばわりとは、穏やかではないですね。過去にも同じようなことをしてひんしゅくを買っていますね。顔の見えない物どうしだからこそ、気をつけるべきでは。それと、あなたと長々とした文章で議論するつもりは毛頭ないのであしからず。では!--Qwertyuiop05会話2015年6月27日 (土) 00:48 (UTC)[返信]

Qwertyuiop05会話)さんが「女王蜂 (横溝正史)」の大道寺智子に記述した「過去に欣造と肉体関係をもつ」というこの編集は、どこをどう見ても間違いによるものには見えず、故意に行ったイタズラで荒らしと判断しました。どこをどう間違えたらこのような編集になるのか知りませんが、イタズラでないというのならもっと慎重に事実を確認した上で編集を行ってください。それと、私のノートページの冒頭にあなたのサインをしないでください。どういうおつもりか知りませんが、迷惑です。--エヴァンズの秘書 2015年6月27日 (土) 01:35 (UTC)[返信]

お節介かもしれませんが[編集]

〈古典部〉シリーズでのこの編集についてなのですが、「高2の頃に中学時代の事件の真相を知り、折木に謝罪した」というのは、『小説 野性時代』105号掲載の「鏡には映らない」での内容です。『ふたりの距離の概算』にないことを理由に除去されていたので一応伝えておこうと思いまして。--121.119.107.117 2015年11月2日 (月) 03:19 (UTC)[返信]

121.119.107.117)さん、お節介だなんてとんでもありません。教えていただきありがとうございます。単行本未収録の作品があること自体知りませんでした。早速、元の記述に戻しました。今後ともご教示のほど、よろしくお願いいたします。--エヴァンズの秘書 2015年11月2日 (月) 22:38 (UTC)[返信]

引用文内の「事」を平仮名へ修正するか否かについて[編集]

エヴァンズの秘書様、こちらでは初めましてになりますでしょうか、当方は知識熊と申します。「表記ガイド」に基づいた修正や、独自研究に基づいた記述の除去など、雑草取りお疲れ様です。陰ながら私も応援させて戴いております(ご迷惑をお掛けしている身でもありますが…苦笑)。

さて、表題の件で御座いますが、「黒の組織」の記事に於いて小学館のサイトから引用した部分の「事」を貴殿が表記ガイドに従って平仮名に直されておられたのを、IPユーザ様が「引用文内での修正は不要」として取り消し、昨日の朝にその取り消しを「表記ガイドには引用文には適用しないとは書いていない」として貴殿が取り消されておられるのを先ほど拝見させて戴きました。そこで、表記ガイドではなく引用に関する方針である「著作権で保護されている文章等の引用に関する方針」と言う方針を読ませて戴いたところ、「引用の要件」と言う節で挙げられている要件の中で最後の8番に「被引用文を改変しないこと」とありました。ここで、私が気になるのは「改変」と言う言葉の及ぶ範囲です。引用文を大きく改変する事がここに当てはまるのは自明なのですが、今回のような「事」を平仮名にするだけの作業が「改変」に当たるのかどうか当方では判断を決め兼ねており、当方は当該部分を触らない事に致しました。ですが、当事者である貴殿にはお節介ながらキチンとこの件についてご一考を為さって戴くのが宜しいかと思いましてお知らせに参った所存です。尚、お考えを整理されるに当たっては井戸端などで広く議論を交わされる事も便利ではないかと存じますので、お知らせしておきます。

また、これは全くの蛇足と言うか、別の話題になってしまうのですが、名探偵コナンの登場人物についてお詳しい貴殿にお伺いしたい事が御座います。単行本60巻File.3「赤白黄色」 - File.5「新たな隣人」(アニメ509話「赤白黄色と探偵団」)において、後に赤井秀一である事が判明する沖矢昴をコナン君は「シャーロック・ホームズが好き」と言う単純な理由だけで工藤邸への彼の居候を許可したり、その後も単行本77巻File.3「部屋にいた痕跡」 - File.5「商売道具」(アニメ684話 - 685話「泡と湯気と煙」)でも沖矢昴が「えぇ…シャーロキアンですから…」と呟いたりしています。そこで、当方の疑問なのですが、来葉峠で赤井秀一が死ぬ(と見せ掛けられる)前のストーリーの内、赤井秀一が絡む全ストーリーで赤井秀一がシャーロキアンであると言う事を明示しているシーンはありましたでしょうか?当方は80巻以降しか単行本を持っておらず来葉峠より前のアニメについても記憶が曖昧なもので…名探偵コナンの知識が豊富な貴殿に尋ねてみたかっただけですので、無視されて戴いても構いません。若しくは、この投稿の主旨は第2段落ですので、そちらについてご一考を戴いてからのお返事でも構いません。以上、長々と失礼致しました。--知識熊会話2016年1月31日 (日) 22:37 (UTC)[返信]

知識熊様、日ごろ各記事ページの丹念な編集作業におかれましてはお疲れ様です。Wikipediaの品質向上に貢献されていることに感謝申し上げる次第です。
さて、私が「黒の組織」の編集にて引用文中の漢字記載の「事」をWikipedia:表記ガイド#仮名書きに基づき「こと」に修正し、「引用なので修正は不要」として差し戻されたことに対し「Wikipedia:表記ガイドに引用は例外との記載はない」と再差し戻しを行いました件につきまして、「著作権で保護されている文章等の引用に関する方針」の「引用の要件」中の8番「被引用文を改変しないこと」に該当するのではないかと遠慮がちにご指摘をいただき、また私が一考するよう配慮いただきありがとうございます。この件、「Wikipedia:著作権で保護 されている文章等の引用に関する方針」を熟読しましたところ、まさしくご指摘のとおりでございます。知識熊様は、「事」を平仮名にするだけの作業が「改変」に当たるのかどうか判断を決め兼ねるとのことですが、「引用の方針」の「用語の定義」には、「「被引用文」とは、実際に引用されている文章、その他の文字列をいいます」とあり、「引用の要件」8番の「被引用文を改変しないこと」は「実際に引用されている文章を改変しないこと」と置き換えられますので、被引用文中の漢字の「事」を平仮名「こと」に修正することもこの「文章の改変」に該当いたします。以上のことから、このたび私が行いました引用文中の漢字の「事」を平仮名「こと」を「表記ガイド」に基づき修正しましたことは誤りでございます。「表記ガイド」にこだわって近視眼的に編集を行い、さらに差し戻しに対し広い視野で熟考せずに再差し戻しを行うという狭量な姿勢を示しましたことにつきまして、反省いたしております。
知識熊様には「Wikipedia:著作権で保護されている文章等の引用に関する方針」に基づきご指摘いただきましたことにつきまして、感謝申し上げます。今後ともご教示のほど、よろしくお願いいたします。
なお別件で、名探偵コナンの登場人物中の赤井秀一シャーロキアンであることが、来葉峠での赤井の死(の偽装)以前の作品中で明示されているかというお尋ねにつきましてですが、私が知る限りにおいてはそのようなシーンには思い至りません。もっとも、私は知識熊様が思っておいでのほどには名探偵コナンの知識が豊富な訳ではありませんので、あまりあてにはならないかも知れませんが(苦笑)。もしも思いついたことがありましたら、改めてご連絡させていただきます。よろしくお願いいたします。--エヴァンズの秘書 2016年2月1日 (月) 21:40 (UTC) [返信]
「品質向上」などと大それた事を念頭に編集しているつもりは御座いませんが、感謝を戴き有難く存じます。
狭量な姿勢とはとんでもないです。私も1つの方針にこだわるあまり、他の利用者様からのご批判を戴く事は多々御座いますので、日々精進で御座います。貴殿にも当方に今後ともご教示のほど宜しくお願い致します。
別件は本当に蛇足なもので、お気になさらず編集活動を続けて下さい。では、手短ながら失礼致します。--知識熊会話2016年2月1日 (月) 23:42 (UTC)[返信]

エヴァンズの秘書さん、こんにちは、はじめまして。伊豆半島記事内の舞台小説の件ですが、こういった場合は「短編集や全集等に収録の小説」ではなくて、「個々の独立した小説」として言及されているのですから、スタイルマニュアルのガイドラインにそこまで縛られる必要性のないケースだと思うんですけど、いかがでしょうか? そのガイドラインは、あくまでも「入れ子の相対的な関係」として区別するための表記ですから、それを示す必要性のない、このような時は通常の著作物表記でいいと思います。個々の小説は、いつまでも初刊本の収録形態に従属され縛られるものではないので、その意味ではWikipedia内のCDのシングルカット表記とは性質が違うものです。

もしもエヴァンズの秘書さんの言うように、「妖婦の宿」という風に、どんな場所でも「」でなければいけないとしたら、『伊豆の踊子』も短編集に収録された一作品として刊行されたものですから、「」にしないといけなくなってしまいますし、『女怪』もそれにあてはまりますよ。ものによっては長編でも、他の作品と同時収録で刊行されている場合もあるので、文学作品名は、収録本と関係なく単独で語られている時までも、入れ子の表記に捉われる必要性はないと思います。約物なんてものは、あくまでも地の文章と分りやすくするための「記号」であり、ケースバイケースで変わるものです。いつまでも収録形態に縛られて、ずっと「」にしなくちゃいけないってものでもないと思いますが。

まあ私としては、こういうことで長々と議論したくありませんので(以前、頭痛さんと噛み合わなかったことがあります)、エヴァンズの秘書さんが「妖婦の宿」を「」表記にしたいのならば、あえて『』にはしませんが、ふつうに何の予備知識のない一般の人が「伊豆地方を舞台にした小説」の羅列を見た時、なんで同じ小説名なのに「」と『』が入り混じっているのかな、と不思議に感じると思うんですよね。いっそのこと、リストですから約物はなくてもいいかもしれません。--みしまるもも会話2016年5月11日 (水) 00:52 (UTC)[返信]

みしまるもも様、私が「伊豆地方を舞台にした小説」の編集にて短編作品『妖婦の宿』をWikipedia:スタイルマニュアル#著作物名「短編集や全集等に収録の小説は「」で囲みます」に基づき「妖婦の宿」に修正したことについて、「個々の独立した小説」として言及されているのだから、スタイルマニュアルのガイドラインにそこまで縛られる必要性のないケースだと思うとのご意見ですが、これはウイキペディアのガイドラインに沿ったものではなく、みしまるもも様の個人的見解と受け止めさせていただきます。私は今後もWikipedia:スタイルマニュアルWikipedia:表記ガイドなどのガイドラインに沿って編集を行ってまいりますので、ご承知のほどお願いいたします。
ただ、ご指摘の短編作品「女怪」を『女怪』としてしまったのは私のミスです。何を思ってこのような迂闊なことをしでかしたのか自分でもよく分かりません。「女怪」の前に『女王蜂』を追記したことからそれに引きずられてしまったのかも知れません。いずれにしても気を付けてまいります。『伊豆の踊子』については読んだことがなく、映画化された作品であることから長編作品という先入観があって「伊豆の踊子」にはしなかったわけですが、もしも短編作品だと知っていれば「伊豆の踊子」としていたはずです。今後もその編集方針に変更はございません。
なお、リストですから約物はなくてもいいかもしれませんとのこと、実際すでに「伊豆地方を舞台にした小説」から約物のうちの括弧(この場合は「」や『』)を除去されていますが、これはWikipedia:スタイルマニュアル#作品リストの「作品リストの場合は、作品のタイトルを囲む「」や『』を適宜省略することができます」に沿ったものですので、異存はございません。今後ともよろしくお願いいたします。--エヴァンズの秘書 2016年5月11日 (水) 21:15 (UTC) [返信]

エヴァンズの秘書さん、お返事どうもありがとうございます。私はガイドラインを無視して個人的な見解で言っているわけではないのです。ガイドラインでは、短編小説はどんなケースでも「」表記にしなければならないなんてことは書かれていませんし、そのような主旨にもなっていません。ガイドラインは、あくまでも相対的な入れ子の関係表記(書物や雑誌の中での作品名、作品中の章名など)を示しているものです。

ガイドラインに沿えば、「」表記にするのは、「全集や短編集の中の作品としての場合」に適用されるものであり、この意味でこの入れ子の表記は、「長編にも中編にも短編にも適用されること」です。これは下部の「坊ちゃん」の例で安易に理解されることでしょう。

それから戯曲も小説同様、雑誌掲載や作品集収録を示す際は、「」で表記されますので、いつでも『』ではありません。戯曲名が『』の方の欄に入っているからといって、いつでも機械的に『』だとするのは、逆にガイドラインの主旨をよく理解していないことになります。

また、作品集に収録されたことのある作品だからと言って、そんなことと全く関係のない場面でも恒久的・機械的に小説を「」表記にする必然性や必要性はなく、ガイドラインでも、本の収録形態の関係を示さない場所においても、それに固執せよなどという指示にはなっておらず、作中に「章」があれば、作品自体は『』にしていいことになっています。このように約物というのは、その時の相対性で変化するものです。

上で申したように、小説はそもそも元から単独の作品として発表されるもので、何か一つのコンセプトで作られたアルバムのシングルカットとは性質が違うのですよ。小説も戯曲も、先に作品集・短編集・アンソロジーありきで制作されるものではなく(中には書き下ろしの短編集もある場合もありますが)、刊行時にたまたま複数収録になるだけの話です。短めの小説や戯曲でも、その中にまた「章」「節」「幕」(比較的短小なもの)もあるのです。

なので、小説が短編だからという単純な理由のみで、どんなところでも機械的に「」に直し統一して回るようなことは、逆にガイドラインに反しますので、控えていただきたいと思います。ガイドラインをデジタル式に見ないで、よくそれぞれのケースバイケースや、その場での妥当性を見極めた上で考慮してください。エヴァンズの秘書さんは聡明な方ですので、ただやみくもに機械的に統一する方ではないと思いますので、どうかよろしくお願いします。--みしまるもも会話2016年5月12日 (木) 01:09 (UTC)[返信]

みしまるもも様、どうやら色々と思い違いをなさっておいでのようですので、以下に『』と「」の違いを明記したWikipedia:表記ガイドWikipedia:スタイルマニュアルに沿って説明させていただきます。
まず、Wikipedia:表記ガイド#かぎ括弧には次のように規定されています。
  • かぎ括弧「……」は次の場合に使います。
    • 対話、引用語、論文名、特に地の文と分けたい言葉
  • 二重かぎ括弧『……』は次のものに使います。
    • 書名、雑誌名、CDアルバム名、映画名、テレビ番組名、コンピューターゲーム名(例:夏目漱石『坊っちゃん』(岩波文庫))
    • 比較的長大な作品などの名称(詳細はWikipedia:表記ガイド#著作物名を参照してください)
ここで(詳細は参照してください)とあるWikipedia:表記ガイド#著作物名には次のように規定されています。
  • 比較的長大な作品あるいは作品群(書名、雑誌名、交響曲などの曲名、組曲などの名称、CDなどのアルバム名、映画名、戯曲名、テレビやラジオなどの番組名、イベント名、大会名など)は、和文では『 』で囲み、欧文では(入力を''……''として)イタリック体にします。
    例: 『海辺のカフカ』、『動物の謝肉祭』、Yesterday ... and Today、『ローマの休日』、『報道ステーション』
  • 比較的短小な作品や作品群に含まれる単一の作品(論文名、書中の章名、短詩の名、交響曲などの楽章名、組曲中の曲名、CDなどのシングル名、シングルやアルバム中の曲名、テレビの企画名、話名など)は、和文では「 」、欧文では、英文における “...” または各言語においてそれに相当する括弧で囲みます。
    例: Nature “Molecular Structure of Nucleic Acids”、『展覧会の絵』「プロムナード」、Yesterday ... and Today “Yesterday”、『古畑任三郎』「ラストダンス」
まずここではっきりさせておきたいのは、「比較的長大な作品」は『 』で囲み「比較的短小な作品」は「 」で囲みます、と規定されていることです。小説でいうなら前者に相当する「長編小説」は『 』で囲み後者に相当する「短編小説」は「 」で囲む、ということです。(「中編小説」についてはいったん置いておいてください)
これらは原則を規定しています。したがって「本の収録形態の関係を示さない場所においても、それに固執せよなどという指示にはなっておらず」ということはなく、この原則はあらゆる場所に適用されます。あらゆる場所と記しましたが、原則には例外が付き物で、個々に例外が明示されます。その一つが先の返信で紹介しましたWikipedia:スタイルマニュアル#作品リストの「作品リストの場合は、作品のタイトルを囲む「」や『』を適宜省略することができます」です。このように例外はその都度明示されています例外の明示がない限り、常に長編小説は『 』で囲み、常に短編小説は「 」で囲みます
別の例外が、Wikipedia:スタイルマニュアル#著作物名に示されています。
  • 書名、雑誌名、CDアルバム名、映画名、テレビ番組名、コンピューターゲーム名では、日本語のタイトルは『』で囲みます。欧文のタイトルは''弱い強調)で囲みます。(例:夏目漱石『坊っちゃん』(岩波文庫))
  • 上記以外の作品のタイトル(雑誌等所収の記事・論文名、短編集や全集等に収録の小説・詩・エッセイ等の題名、CDシングル名、シリーズ名など)では、日本語のタイトルは「」で囲みます。(例:夏目漱石「坊っちゃん」(春陽堂刊『鶉籠』収録))
この規定から、みしまるもも様は、「」表記にするのは、「全集や短編集の中の作品としての場合」に適用されるものであり、この意味でこの入れ子の表記は、「長編にも中編にも短編にも適用されること」と記されています。確かにその通りですが、これが「常に長編小説は『 』で囲み、常に短編小説は「 」で囲む」の例外であることは、実際に「全集や短編集の中の作品」を「」表記する」のがどのような場合か、を想定いただければお分かりいただけることと思います。
例文:角川文庫の『本陣殺人事件』には、長編小説「本陣殺人事件」と短編小説「車井戸はなぜ軋る」、中編小説「黒猫亭事件」が収録されている。
このように「全集や短編集の中の作品」を「」表記するのは、書籍とその収録作品を紹する場合以外に適用されることがありません。通常作品名を記載する場合は、どの書籍に収録されているかではなく、長編小説か短編小説かで区別しますので、このような例外以外は『本陣殺人事件』と「車井戸はなぜ軋る」と区別して記載されます。(中編小説の「黒猫亭事件」はいったん保留)
また、みしまるもも様は、作中に「章」があれば、作品自体は『』にしていいことになっています、と記されていますが、これは誤解によるものと思われます。これについてもう一度、Wikipedia:表記ガイド#著作物名の規定を、分かりやすいように一部強調表記して掲げます。
  • 比較的短小な作品作品群に含まれる単一の作品(論文名、書中の章名、短詩の名、交響曲などの楽章名、組曲中の曲名、CDなどのシングル名、シングルやアルバム中の曲名、テレビの企画名、話名など)は、和文では「 」、欧文では、英文における “...” または各言語においてそれに相当する括弧で囲みます。
おそらく、みしまるもも様は、ここで強調表記した「作品群に含まれる単一の作品」の例示の「書中の章名」は「 」で囲むということから、その書中の章名を有する作品については長編小説も短編小説も『 』で囲むものと誤解されているのだと思われます。しかし、ここで規定されているのは「書中の章名」は「 」で囲むということだけで、その前に「比較的短小な作品」は「 」で囲むと記されていますので、作品の中に「章」があろうがなかろうが、先に記しましたように短編小説は常に「 」で囲みます。ここで「比較的短小な作品」と「作品群に含まれる単一の作品」とを区別しているのは、Wikipedia:表記ガイド#かぎ括弧で二重かぎ括弧で囲むものを「書名、雑誌名、CDアルバム名、映画名、テレビ番組名、コンピューターゲーム名」と「比較的長大な作品などの名称」とを別々に揚げ、その後でWikipedia:表記ガイド#著作物名で「比較的長大な作品あるいは作品群」と「書名、雑誌名、CDアルバム名、映画名、テレビ番組名、コンピューターゲーム名」を「作品群」と一括りにしていることと同じことです。
以上で長編小説は『』で囲み、短編小説は「」で囲むことについてはご理解いただけたことと思いますが、「中編小説」については明確な区分ができません。そこで私は、中編小説は「比較的長大な作品」には該当しないという理由で「黒猫亭事件」のように「 」で囲むようにしています。これについては、ある程度納得性のある根拠を示していただければ『 』で囲むに変えても構わないと思っています。どうぞ今後ともよろしくお願いいたします。--エヴァンズの秘書 2016年5月12日 (木) 22:45 (UTC) [返信]


エヴァンズの秘書さん、こんにちは。んー、なぜそこで、「比較的長大な作品」=長編小説、「比較的短小な作品」=短編小説という思考になってしまうのでしょうか? まあ、そのガイドラインの説明が誤解を生むような書き方なので、生真面目なエヴァンズの秘書さんが悪いわけではないのですけどね・・・。その考え方に照らせば、短編戯曲、短編映画、短いテレビ番組も「」で囲まなければ、「なぜ小説だけ?」という不公平があるし、いったい何を基準に誰がそんな長短を定義できるのかという問題が起こりますよ。掌編小説やショートショートに比べれば、短編小説は「比較的長大な作品」となりますし、便宜上「短編」と名がついていますが文芸作品としては、そんなに短くはないものですからね。

長編小説と言われるものも短編小説と言われるものも、その中にある程度の「章」なり「分け目」が含まれている同じ性質の小説です。それから、エヴァンズの秘書さんがそこで中編小説を「比較的長大な作品ではない」として、長編と別物として扱っていることも、とてもおかしなことです。ほんの数ページの差で長編の範疇になるものもあるので、こっちが「」表記で、こっちが『』表記となるのは、意味のないことでしょう。同じ性質の小説なのに。

ガイドラインの「比較的」というのは、あくまで「入れ子の状態」での比較を指しているのであって、同格の小説同士を比べているのではありません。その「比較的」というのは、「書籍・作品集に対しての収録作品」「詩集に対しての詩」「アルバムに対してのシングル」「組曲に対しての曲」「作品に対しての章・節」を指すのです。

このことについて私は以前にWikipedia:井戸端/subj/小説における著作物名の表記の『』と「」の区別の仕方についてで、意見を募りましたが、エヴァンズの秘書さんと同じような考え方をなさる人は1人だけでした(その方は今無期限ブロックで活動していませんが)。多くの方は、ガイドラインの指針を、長編小説が『』、短編小説が「」などいう機械的な表記分けだとは解釈していませんので、よくご覧になってみて下さい。

ちなみに、文芸評論などでは、小説本体がメインですので、雑誌名を「」にすることが多いです。個々の小説の表記の仕方については評論家によって様々ですが、解説文などでは、全部『』にする人の方が比較的多いです。特に著名でない作品については、初刊本での収録状態で「」にする少数派の人もいますが(これは作品の長短でなく、書籍との入れ子で決めているわけです)、同じ条件でも著名なものは『』にしていることもあったりで、その人の中でも明確な基準はありません。こういうものは、その時の妥当性で決めるものなので、収録だから短編だから「」じゃなくちゃいけないということはなく、そんなことをガチガチに決めること自体が、はっきり言って非常識なことなんです。

例えば、川端康成の『末期の眼』という著名な短編の評論作品がありますが、これをエヴァンズの秘書さんの方式によって、「」にしてしまうと、この作品の解説で、「末期の眼」という概念を説明する際に、作品タイトルと概念が同じ表記だと、とても不都合になるんですよ。だから、なにがなんでも短編を「」表記にしなくちゃいけないという強迫観念で、どなたかのように機械的に統一して回るようなことは、お願いですので控えていただきたいのです。エヴァンズの秘書さんはそのような強引なことはなさるような方ではないと信じていますので、よろしくお願いします。私も、エヴァンズの秘書さんが立項なさる短編推理小説の記事内で、あえて『』に変えるようなことはいたしませんので。それでは、今後もお互い良い方向での妥当性を協調しながらのお付き合いよろしくお願いします。よい週末を。--みしまるもも会話2016年5月13日 (金) 02:54 (UTC)[返信]

みしまるもも様、「エヴァンズの秘書さんと同じような考え方をなさる人は1人だけでした(その方は今無期限ブロックで活動していませんが)」とは、まるで私が無期限ブロックを受けるような行為をしていると言わんばかりの記述でいささか不愉快です。その方が無期限ブロックを受けたのは、別にそれなりの理由があってのことなのではないでしょうか。
それはそれとして、私はみしまるもも様の説明には納得しかねます。Wikipedia:井戸端/subj/小説における著作物名の表記の『』と「」の区別の仕方についても、その続きのWikipedia‐ノート:表記ガイド#著作物名の表記についても拝見しました。「エヴァンズの秘書さんと同じような考え方をなさる人は1人だけでした」とのことですが、多い・少ないの問題ではなく、どちらの解釈が正しいのか、の問題です。この場合、多数派の解釈が明らかに誤っています。
Wikipedia:表記ガイド#かぎ括弧を再掲します。
  • 二重かぎ括弧『……』は次のものに使います。
    • 書名、雑誌名、CDアルバム名、映画名、テレビ番組名、コンピューターゲーム名(例:夏目漱石『坊っちゃん』(岩波文庫))
    • 比較的長大な作品などの名称(詳細はWikipedia:表記ガイド#著作物名を参照してください)
ここで「書名、雑誌名、CDアルバム名、映画名、テレビ番組名、コンピューターゲーム名」と「比較的長大な作品などの名称」は明確に別のものと規定され、それぞれに二重かぎ括弧『……』を使います、とされています。つまり「書名、雑誌名、CDアルバム名、映画名、テレビ番組名、コンピューターゲーム名」と「比較的長大な作品などの名称」とは別のものなのです。そして、それをWikipedia:表記ガイド#著作物名に次のように降ろしています。
  • 比較的長大な作品あるいは作品群(書名、雑誌名、交響曲などの曲名、組曲などの名称、CDなどのアルバム名、映画名、戯曲名、テレビやラジオなどの番組名、イベント名、大会名など)は、和文では『 』で囲み、欧文では(入力を''……''として)イタリック体にします。
  • 比較的短小な作品作品群に含まれる単一の作品(論文名、書中の章名、短詩の名、交響曲などの楽章名、組曲中の曲名、CDなどのシングル名、シングルやアルバム中の曲名、テレビの企画名、話名など)は、和文では「 」、欧文では、英文における “...” または各言語においてそれに相当する括弧で囲みます。
お分かりでしょうか。Wikipedia:表記ガイド#かぎ括弧で別々のものと規定された「書名、雑誌名、CDアルバム名、映画名、テレビ番組名、コンピューターゲーム名」と「比較的長大な作品などの名称」を、ここでは「作品群(書名、雑誌名、交響曲などの曲名、組曲などの名称、CDなどのアルバム名、映画名、戯曲名、テレビやラジオなどの番組名、イベント名、大会名など)」と「比較的長大な作品」と記載しなおして、それぞれに『 』で囲むとしているのです。そしてそれに対比する形で「作品群に含まれる単一の作品(論文名、書中の章名、短詩の名、交響曲などの楽章名、組曲中の曲名、CDなどのシングル名、シングルやアルバム中の曲名、テレビの企画名、話名など)」と「比較的短小な作品」それぞれに「 」で囲むとしているのです。
つまり、「比較的長大な作品」と作品群(書名、雑誌名、交響曲などの曲名、組曲などの名称、CDなどのアルバム名、映画名、戯曲名、テレビやラジオなどの番組名、イベント名、大会名など)」が別のものであるように、同様に「比較的短小な作品」と「作品群に含まれる単一の作品(論文名、書中の章名、短詩の名、交響曲などの楽章名、組曲中の曲名、CDなどのシングル名、シングルやアルバム中の曲名、テレビの企画名、話名など)」は別のものなのです。したがって、みしまるもも様の「比較的」というのは、「書籍・作品集に対しての収録作品」「詩集に対しての詩」「アルバムに対してのシングル」「組曲に対しての曲」「作品に対しての章・節」を指す、という解釈は誤りです。
私は「比較的長大な作品」には小説では長編小説が、「比較的短小な作品」には短編小説がこれに該当するものとして前者を『 』で囲み、後者を「 」で囲むのは、上記に掲げた規定に基づくものです。それが「その考え方に照らせば、短編戯曲、短編映画、短いテレビ番組も「」で囲まなければ、「なぜ小説だけ?」という不公平があるし、いったい何を基準に誰がそんな長短を定義できるのかという問題が起こりますよ」とか、「川端康成の『末期の眼』という著名な短編の評論作品がありますが、これをエヴァンズの秘書さんの方式によって、「」にしてしまうと、この作品の解説で、「末期の眼」という概念を説明する際に、作品タイトルと概念が同じ表記だと、とても不都合になるんですよ」とありますが、規定は規定なのです。その規定が不公平とか不都合とかは別の問題です。この点、いみじくもWikipedia:井戸端/subj/小説における著作物名の表記の『』と「」の区別の仕方についての中で、少数派の方とは別の方が「(その少数派の方が)いわれているのは、「「変だから」といった個人的な感覚に頼るよりも表記ガイドに従ってはどうか、従えないならガイドラインのノートで問題提起したらどうか、ということでしょう。」とまとめておられます。まったく同感です。
Wikipedia‐ノート:表記ガイド#著作物名の表記についてでは、最終的に著作物名の表記の改訂は「提案者は改定によって何がどう改善されうるのかを論理的に示していません。(その少数派の方)の解釈が間違っているだけで「ガイドラインをよく読めばわかる」のであれば、ガイドラインを改正する理由はないことになり、主張が矛盾しています。」との反対意見を受け、みしまるもも様は、「ガイドラインを改正」するつもりは全くありませんし、「ガイドラインを改訂しろ」とも主張してません、と改訂の提案を取り下げられていますが、表記ガイドの規定が不公平・不都合とお考えであれば、表記ガイドの改訂を再提案なさってはいかがでしょうか。私はあくまでも規定に従って編集しているだけなので、規定が変われば新しい規定に従います。
最後に、中編小説を「比較的長大な作品ではない」として、長編と別物として扱っていることも、とてもおかしなことですとのご指摘ですが、「比較的長大な作品」として『 』で囲むか、「比較的短小な作品」として「 」で囲むかの二者択一の中で便宜的に後者を選択しただけなので、「 」で囲むことにこだわっているわけではありません。「比較的長大な作品」として『 』で囲むようにしてくださいとおっしゃるのなら、そうしますよ。どっちでもいいことですから。以上、よろしくお願いいたします。--エヴァンズの秘書 2016年5月13日 (金) 23:34 (UTC) [返信]


エヴァンズの秘書さん、こんにちは。こういった約物表記には確定した定義などないので、何が正しいとか間違っているとかの問題ではなくて、妥当性があるか、その区別に意味があるのかということが問われると思うんです。だから逆に言えば、短編小説はどこでも「」表記の規定だと固執することが、そもそもそぐわないのです。

作品集との兼ね合いで、「」表記にしたけりゃすればいいし、そうでなくその小説本体の解説をメインにしている時に、他の引用部や概念と区別するために著作物タイトルとして『』にしたけりゃすればいいだけのことなんです。

井戸端の下の方に、そのガイドラインが作られた過去ログのノートで話し合いの経緯もあるので、そちらの方もよく読んでください。そこを総合的に判断すれば、「比較的長大な作品」=長編小説、「比較的短小な作品」=短編小説という意図の元でガイドラインが作られたわけではないことが、聡明なエヴァンズの秘書さんなら判断できると思います。「作品の長短」で「」『』を区別するという合意など無く、そのような導きにもなってません。

要するに、書籍や雑誌など何らかの作品を複数含む形態のものを『』、それに収録されるものを「」という関係を表わすための基本ベースがあって、そこから導かれたガイドラインなんですよ。短編小説は作品集に収録されることが多いですが、単体で出版されることも少なくはないので、なにがなんでも「」にするというのは、この意味から妥当ではないです。長短の基準ではないことは、出版業界に詳しい方がすでに過去ログで指摘しています。

ですから、ガイドラインの事例の中にも、「比較的短小な作品」の中に、「短詩の名」というのはありますが、「短編小説」なんて文言は一言も書かれていませんし、下部の例目の中にもありません。そこらへんのことをよく理解なさってください。「比較的長大な作品」の方には、「戯曲」と明示されていますが、通常の場合、文芸解説で戯曲が『』ならば、小説も『』が一般的です。ちなみに「戯曲」は「短編小説」「中編小説」と同じくらいの長さのものがほとんどです。

このことは以前に表記ガイドのノートで語りましたが、その時に利用者:Uaauaaさんが、「比較的短小な作品」という誤解を招きかねない文言を無くしてシンプルなものにした改定案がありますので([1])、そのことも念頭に入れておいてください。

*作品及び作品群(書名・雑誌名・交響曲などの曲名・組曲などの名称・CDなどのアルバム名・映画名・戯曲名・テレビの番組名・イベント名・大会名など)の名称は、和文では『 』で囲み、欧文では(入力を''……''として)イタリック体にします。
例: 『海辺のカフカ』・『動物の謝肉祭』・Yesterday ... and Today・『ローマの休日』・『報道ステーション』
  • 作品中の小題(書中の章名や見出し名・小説の章名や話名・戯曲の幕名・交響曲などの楽章名・テレビ番組の企画名や話名など)は、和文では「 」、欧文では、英文における “...” または各言語においてそれに相当する括弧で囲みます。
単独の作品でも、作品群中の一作品として記述する場合(雑誌中の収録論文名・全集中の収録作品名・詩集中の詩名・組曲中の曲名・シングルやアルバム中の曲名など)は同様とします。
 : 例: Nature “Molecular Structure of Nucleic Acids”・『展覧会の絵』「プロムナード」・Yesterday ... and Today “Yesterday”・『古畑任三郎』「ラストダンス」

本当はこれをガイドラインに反映させたかったのですが、頭痛さんの反対で不可能になり、その後のごたごたで頓挫してしまいました。最後に、別に私は、頭痛さんとエヴァンズの秘書さんを一緒にしたわけではなく、ただ()内で今は活動していない方だと言うことを付記しただけですので、ご気分を害されたのなら謝罪します。すみませんでした。--みしまるもも会話) 2016年5月14日 (土) 02:32 (UTC) 敬称の附け忘れ--みしまるもも会話2016年5月14日 (土) 07:45 (UTC)[返信]


みしまるもも様、これ以上話し合っても平行線ではないかと思われます。私はこれまで何度も繰り返してきているとおり、ガイドラインの規定に従います。みしまるもも様はガイドラインの主旨は過去ログを見れば分かる、出版業界に詳しい方の指摘もあるとおっしゃられますが、たとえそれらが一般論としては正しくとも規定に反映されていなければ、それらは「規定外の解釈」に過ぎず、私が従うと申している規定ではありません。私が従う規定は実際に表記ガイドに記されていることがすべてです。そして規定と、みしまるもも様がおっしゃる主旨とが相反している以上、お互い歩み寄る余地はなさそうに思われます。
「ガイドラインの事例の中にも、「比較的短小な作品」の中に、「短詩の名」というのはありますが、「短編小説」なんて文言は一言も書かれていませんし、下部の例目の中にもありません。そこらへんのことをよく理解なさってください。「比較的長大な作品」の方には、「戯曲」と明示されています」とのことですが、「短詩の名」が入っているのは「作品群に含まれる単一の作品」の方であって「比較的短小な作品」ではありません。「戯曲」の明示も「作品群」の中であって「比較的長大な作品」ではありません。「比較的長大な作品」と「戯曲」を含む「作品群」、「比較的短小な作品」と「短詩の名」を含む「作品群に含まれる単一の作品」とがそれぞれ別のものであることは、前回ご指摘させていただいたとおりです。そのことは、Wikipedia:表記ガイド#かぎ括弧に「書名、雑誌名、CDアルバム名、映画名、テレビ番組名、コンピューターゲーム名」と「比較的長大な作品などの名称」とが別々に明記されていることから明らかです。
私は前回申し上げたとおり、表記ガイドを改訂いただければ改訂されたガイドに従います。つきましては、みしまるもも様には表記ガイドの改訂を再提案いただくことをお勧めします。そうすればみしまるもも様のおっしゃる規定の主旨を実際に規定に反映することができ、私もその新規定に従うことができるのですべて丸く収まります。今なら反対する方もおられないでしょう。
改訂の内容は、例示いただきました利用者:Uaauaaさんの改訂案に異存はございません。ただ、Wikipedia:表記ガイド#かぎ括弧に「書名、雑誌名、CDアルバム名、映画名、テレビ番組名、コンピューターゲーム名」と「比較的長大な作品などの名称」とが別々に明記されている状態も改訂しないと禍根を残します。改訂案にはWikipedia:表記ガイド#かぎ括弧の改訂(「比較的長大な作品などの名称」の削除)の付記をお勧めいたします。みしまるもも様の今後のご健闘をお祈り申し上げております。--エヴァンズの秘書 2016年5月14日 (土) 22:47 (UTC) [返信]

エヴァンズの秘書さん、アドバイスどうもありがとうございます。どうなるかわかりませんが再提案を試みたいと思います。では、こちらこそ今後ともよろしくお願いします。--みしまるもも会話2016年5月15日 (日) 00:44 (UTC)[返信]

年 ウィキメディア財団事務長採用に関する コミュニティアンケート[編集]

ウィキメディア財団の理事会は、財団の次期事務長の選出を一任するための委員会を設立しました。そして、私たち委員会の最初の任務の一つに、事務長の職務内容の記述があり、現在、ウィキメディアのコミュニティから意見を募っています。この簡単なアンケートにご協力いただくことで、私たちはコミュニティやスタッフのウィキメディア財団の事務長に対する期待をさらに理解できると考えています。 ご協力いただきましたこと、重ねてお礼申し上げます。

ウィキメディア財団事務長採用 運営委員会 via MediaWiki message delivery会話2016年6月1日 (水) 22:10 (UTC)[返信]

要約欄での言葉遣いについて[編集]

お久しぶりです、知識熊です。今回はエヴァンズの秘書様に対して要約欄での言葉遣いについて懸念がありますので、差し出がましくも一つ助言を差し上げに参りました。

エヴァンズの秘書様は要約欄で敬体ではなく常体を使っておられ、私自身もそうであるようにそれ自体には問題はありませんが、もう少し物腰の柔らかい語調にされては如何でしょうか?例えば、記述を不要と判断した際の「(理由)不要、除去」との書き方ですが、この書き方ですと他の編集者に不快感を与え兼ねず、実際名探偵コナンの登場人物ではIP:114.151.19.152会話 / 投稿記録 / 記録 / Whois氏に不快感を与えているようですので、「(理由)により不要なので除去」と言うように工夫すれば万人受けする表現になるかと思います。また、同氏はエヴァンズの秘書様の「(出典を)示されよ」と言う表現にも不快感を抱いており、これに関しては私も少しキツい表現のように思いますので、他者に何かを要求される際には、欲を言えば敬体の「お示し下さい」が最適解なのですが、常体を維持するにしても「お示しを」くらいに留めた方が良いかと思います。

今回、実際に名探偵コナンの登場人物でのエヴァンズの秘書様の要約欄での言葉遣いを不快に感じられたIP氏との間で編集合戦が行なわれていたので、このような差し出がましい助言を差し上げる次第になりましたことをお詫び申し上げます。以上、失礼致します。--知識熊会話2016年12月16日 (金) 04:28 (UTC)[返信]

知識熊様、このたびは私の要約欄の言葉遣いに配慮が欠けていたことで知識熊様にまでご迷惑をおかけしてしまい、誠に申し訳ございません。自分では乱暴な言葉遣いにはならないよう適切な言葉を選びながら要約欄に記述しているつもりなのですが、それでもご指摘いただいた記述についてはキツイ表現だと感じられたり不快に思われても仕方のないものであったと反省しております。
114.151.19.152氏との会話ページでのやり取りも拝見いたしました。知識熊様のご配慮には、ただただ感謝申し上げるばかりです。他の編集者に不快感を与えないよう配慮を心がけてまいりますので、ご容赦願いますとともに、今後ともご教示のほどよろしくお願いいたします。--エヴァンズの秘書 2016年12月16日 (金) 16:17 (UTC)[返信]
いえいえ、私自身も以前から少々気になっていたものですから…機会があればと思っていたのですが、今回その「機会」が巡って来たものと思いご連絡を差し上げたまでです。こちらこそ、快く当方の好意を受けて戴き有難う御座います。--知識熊会話2016年12月19日 (月) 03:03 (UTC)[返信]

『三つの棺』[編集]

変更の根拠をWikipedia:表記ガイド#中黒に求めておられるが、単なる羅列ではなく、一文中での三人の人名の列挙については不適当ではないか。現にその直後のWikipedia:表記ガイド#疑問符・感嘆符では、「例: 事故死、病死などのために既に75名ほどに減少していた(1年弱で25名の減少!)。」 という例文が見られます。(その少し上にある説明文の「全角・半角の」や「文末の疑問符・感嘆符」はどちらも接続詞でつなぐべきでしょう。)--Butterwort会話2017年2月25日 (土) 16:35 (UTC)[返信]

一文中での三人の人名の列挙が不適当であるとの根拠をWikipedia:表記ガイド#疑問符・感嘆符の例文に求めておられるようですが、表記ガイドの節はそれぞれの節ごとの議論により規定されており、別の節で規定された内容に沿わないという不備がある場合があります。その不備を根拠にするのではなく、あくまでもWikipedia:表記ガイド#中黒の中で適当か不適当かを検討すべきです。
人名の例外に「外来語の羅列で中黒では区別が難しい場合には、助詞や読点を使います」として、「ウィンストン・チャーチルとフランクリン・ルーズベルト」が挙げられています。これが例外であるということは、中黒での区別が難しくない日本人の人名は、中黒で区別することになります。ご理解いただきますよう、よろしくお願いいたします。
なお、この規定が不適当であるとお考えの場合には、Wikipedia‐ノート:表記ガイドに問題提起や改訂の提案をお願いいたします。--エヴァンズの秘書 2017年2月25日 (土) 23:11 (UTC)[返信]

Wikipedia:表記ガイド#中黒にはそもそも例文が存在しません。「過去・現在・未来」も「ウィンストン・チャーチル」も「ウィンストン・チャーチルとフランクリン・ルーズベルト」も文章ではない。これを一律に文章に適用すべきではないと考えます。--Butterwort会話2017年2月26日 (日) 12:08 (UTC)[返信]

Wikipedia:表記ガイド#中黒には、単に「単語や語句の羅列の区切りには中黒を使います」とあるだけで、文章中には用いないという指定がありませんので、文章・箇条書きのいずれにも適用されると考えるのが普通ではないかと思われますが、いかがでしょうか。もしもそれで納得いただけないようであれば、Wikipedia:表記ガイド#中黒のすぐ上のWikipedia:表記ガイド#読点をお読みください。「読点は、の区切りを明確にしたい場合や、誤読のおそれがある場合に打ちます」とあります。この「句」とは、文章の場合もあれば箇条書きの場合もあるでしょうが、特に指定がありませんので、文章と箇条書きのいずれの場合にも適用されると考えるべきでしょう。そして、そのすぐ下に「区切りには、読点よりも中黒「・」を優先して用います」とあります。この「区切り」とはその上の説明文中の「句の区切り」を意味していますので、文章・箇条書きのいずれにおいても、区切りには読点よりも中黒が優先されることを示しています。
中黒の例文がないから中黒は文章には適用されないというお考えは、おそらくWikipedia:表記ガイド#中黒が他の節から独立した節としてご覧になっているからではないかと思われます。しかし、Wikipedia:表記ガイド#読点Wikipedia:表記ガイド#中黒も、Wikipedia:表記ガイド#約物の使い方という大きな節の中に含まれ、上から順に句読点、その中の句点・読点、そして中黒という順に、句の区切りにおいては、こういう場合は句点を用いる、こういう場合には読点を用いる、こういう場合には中黒を用いる、ということを説明しています。以上の流れを踏まえてご理解いただきますよう、よろしくお願いいたします。--エヴァンズの秘書 2017年2月26日 (日) 14:43 (UTC)[返信]

わたしが問題と考えているのは優先度、一文中での三人の人名の列挙において、表記ガイドを根拠に、読点を中黒へと書き換えるのは不適切ではないかということです。中黒を使わないのが重要なら、最初の投稿で記したのと同様に、接続詞(接続助詞)でつなげばいいだけです。--Butterwort会話2017年2月26日 (日) 16:55 (UTC)[返信]

表記ガイドを根拠に、読点を中黒へと書き換えるのは不適切ではないかというのは、何か根拠がおありでしょうか。貴方はこれまで私が中黒に修正した根拠を求めてこられましたが、貴方自身はその根拠をこれまでに一度も示されていないように見受けられます。仮に何らかの根拠があったとしても、ウィキペディアの編集はWikipedia:表記ガイドに従うべきであると考えます。なぜなら、貴方のおっしゃるように表記ガイドを根拠に、読点を中黒へと書き換えるのが不適切であるなら、Wikipedia:表記ガイド#読点Wikipedia:表記ガイド#中黒も不要であるということになります。
貴方のお考えは、私の編集自体よりも、Wikipedia:表記ガイド#読点Wikipedia:表記ガイド#中黒の記述に対するものと思われます。そうであれば、これらに従って編集する私に対する不満は筋違いです。Wikipedia‐ノート:表記ガイドに問題提起や改訂の提案をお願いいたします。
なお、Wikipedia:表記ガイド#読点Wikipedia:表記ガイド#中黒で定めているのは「区切りには、読点よりも中黒「・」を優先して用います」「単語や語句の羅列の区切りには中黒を使います」であり、読点ではなく中黒を用いるということであって、中黒を使わずに接続詞(接続助詞)でつなぐことには問題はありません。つまり、「江戸川乱歩、横溝正史、坂口安吾」をWikipedia:表記ガイド#中黒に基づき「江戸川乱歩・横溝正史・坂口安吾」に編集しましたが、これを「江戸川乱歩と横溝正史と坂口安吾」にされても構いません。--エヴァンズの秘書 2017年2月26日 (日) 21:54 (UTC)[返信]

議論参加のお願い[編集]

このコメントは、現在『名探偵コナン』関連記事の編集に参加している方に送っています。

先日、名探偵コナンの登場人物FBI (名探偵コナン)の間にて無断転載が行われ、これに端を発する議論が立ち上げられました。「沖矢昴をFBIに転記し赤井秀一の項目にまとめるべきか否か」というのが議題なのですが、議論立ち上げもとい無断転載を行ったIPユーザーの方は、議論の結果を待たずして「登場人物」記事内の沖矢の項目を赤井のものにまとめ、こちらが待つように言って差し戻してもすぐ自身の編集版に戻しています。私が何を言っても話を聞きそうにないため、他の方に間に立っていただきたく、失礼を承知の上でこのようにお願いという形でコメントさせていただきます。なお、議論はノート:FBI (名探偵コナン)#分割提案ノート:名探偵コナンの登場人物#赤井秀一の分割と沖矢昴との項目統一についての2箇所で立ち上げられていますが、コメントなさる場合は後者にお願いいたします。--Cross-j会話2017年5月21日 (日) 15:05 (UTC)[返信]

ブロック解除のお願い[編集]

MaximusM4さんが投稿ブロックをされたため編集ができません。身に覚えのないブロックのため、早急に解除をお願いします。ブロックID: #1069846 です。よろしくお願いします。--エヴァンズの秘書 2017年9月1日 (土) 19:12 (UTC)[返信]

広域ブロックに巻き込まれたかもしれませんね。--ラクシュミー・バーイ会話2017年9月19日 (火) 07:23 (UTC)[返信]

コメント ブロックIDと共に「広域ブロックに巻き込まれた可能性」を理由として「{{Unblock|ブロック解除理由をここに記入}}」を提出すれば良いようです。--ジャムリン会話2017年9月19日 (火) 08:28 (UTC)[返信]

ラクシュミー・バーイ会話)さん、お気遣いいただきありがとうございます。
ジャムリン会話)さん、ご教示いただきありがとうございます。「Category:ブロック解除依頼」で確認しますと、広域ブロックに巻き込まれた場合の申請は「{{unblock-auto}}|現在のブロック状況}}」とありますので、こちらで冒頭に記載しました。これで解除してもらえればいいのですが。今後もどうぞよろしくお願いいたします。--エヴァンズの秘書 2017年9月19日 (火) 21:44 (UTC)[返信]
ブロック期間が過ぎたことにより、自動的にブロックが解除されましたので、「{{unblock-auto}}|現在のブロック状況}}」のテンプレートを除去しました。
このたび、上記のような理不尽なブロックを受け、解除もしてもらえなかったことで、ウィキペディアに対する意欲が大きく減退しました。今後は付かず離れずの位置で、休日など時間があって気の向いたときの編集に留めてまいります。--エヴァンズの秘書 2017年10月2日 (月) 14:18 (UTC)[返信]

このアンケートを通してウィキメディアンとしてのご意見、ご感想をお寄せください。[編集]

WMF Surveys, 2018年3月29日 (木) 18:31 (UTC)[返信]

お知らせ: このウィキメディア・アンケートでご意見を聞かせてください[編集]

WMF Surveys, 2018年4月13日 (金) 01:29 (UTC)[返信]

あなたのフィードバックが重要です:ウィキメディア財団のグローバル調査ご協力への最後のお願い[編集]

WMF Surveys, 2018年4月20日 (金) 00:39 (UTC)[返信]

はじめまして、加賀璃子と申します。同じ『聲の形』のベテラン編集者であるあなたに、お聞きしたいことがあります。[編集]

「西宮 硝子」を主人公とする出典のサイトのページから「西宮 硝子」を説明するページへのリンクと「主人公」の表記が削除されてしまったのですが、この出典を削除するべきか、インターネットアーカイブで復元を試みるべきか、どうすればいいのでしょうか? 私はウィキペディアを始めたばかりの時期に、ほかのユーザーとトラブルを起こして、ほとんど編集しなくなったため、ウィキペディアの知識や経験は初心者並みです。エヴァンズの秘書氏はよく同じ記事を編集しているし、ベテランだと思うので上級者からの意見をもらえたらなと思います。ここにこのような文章を編集することが不適切であれば、お手数をおかけし大変恐縮ですが、私の会話ページにてお教えください。--加賀璃子会話2020年4月26日 (日) 12:12 (UTC)[返信]

はじめまして、加賀璃子さん。
上記ご質問について、別に私は上級者ではありませんので、一般的な回答しかできませんが、「西宮 硝子」を主人公とする出典のサイト(マンガペディアのことですね?)のページから「西宮 硝子」を説明するページへのリンクと「主人公」の表記が削除されてしまったのであれば、その出典は出典としての要件を満たさないので、出典削除が妥当かと思います。
インターネットアーカイブで復元を試みるべきかということについては、出典サイトであるマンガペディアについて熟知しておりませんので定かには申せませんが、マンガペディアのルールに基づいて行われるべきものであると思います。マンガペディアのコンテンツ[2]および利用規約[3]でご確認ください。
ただ、マンガペディアの「西宮 硝子」に「主人公」であるという表記を戻すにも、そのための出典が必要ではないでしょうか。また、その出典があるのであれば、わざわざ他のサイトであるマンガペディアの記述を復元しなくても、その出典を現在の出典であるマンガペディアに差し替える方が合理的に思います。
以上、一般的な回答にしかなりませんが、ご満足いただけましたでしょうか。加賀さんの今後の執筆がより良きものになることを願っております。--エヴァンズの秘書 2020年4月26日 (日) 15:30 (UTC)[返信]

嫌がらせの対応について[編集]

あなたの助言を参考にし、公式の出典のみとしました。本当にありがとうございました。ところで、私はいつも編集をするたびに嫌がらせを受けるのですが、それについても助言をいただけないでしょうか?嫌であれば、断ってくださってもかまいません。このことについても、ここにこのような文章を編集することが不適切であれば、お手数をおかけし大変恐縮ですが、私の会話ページにてお教えください。--加賀璃子会話2020年4月26日 (日) 16:16 (UTC)[返信]

加賀璃子さん、上記嫌がらせについても、一般的な回答しかできませんが、嫌がらせを受ける理由がもしも加賀さんの編集内容や編集態度にあるのであれば、それらを改める必要があります。私自身は嫌がらせと感じることは特に受けたことはありませんが、上記「#違反情報でもないのにいきなり削除しないこと」「#「女王蜂 (横溝正史)」の編集の件」のようなトラブルが幾多もあり、また「#要約欄での言葉遣いについて」のような注意をいただいたこともあります。自身に非があると思うところは気を付けるようにはしているつもりです。ただ、要約欄での言葉遣いについてが改まっているかというと、怪しげですが(苦笑)。
具体的には、総論としてはWikipedia:方針とガイドラインに基づくというところになると思います。個別には編集態度についてはWikipedia:礼儀を忘れないWikipedia:エチケットを守り、編集内容についてはWikipedia:編集方針に沿っていれば問題ないと思います。
そのうえで、加賀さんが嫌がらせを受けていると感じることがあれば、まず相手のノートページで抗議する(その場合も、Wikipedia:礼儀を忘れないWikipedia:エチケットを守ることが必要です。Wikipedia:論争の解決も参考にしてください。)、相手が改めなければ、例えばWikipedia:妨害的編集#妨害的編集者への対処としてWikipedia:投稿ブロック依頼をする、個人攻撃であればWikipedia:個人攻撃はしない#個人攻撃への対処法などの対処法かと思います。
以上、一般的な回答にしかなりませんが、ご満足いただけましたでしょうか。1日も早く加賀さんへの嫌がらせが止むことを願っております。--エヴァンズの秘書 2020年4月26日 (日) 17:36 (UTC)[返信]

今回は二度も助言をいただきありがとうございました。--加賀璃子会話2020年4月27日 (月) 04:29 (UTC)[返信]

節名を「嫌がらせの対応について」として分けました。--エヴァンズの秘書 2020年5月4日 (月) 13:55 (UTC)[返信]

ベテランユーザーからの人格攻撃について[編集]

度々申し訳ございません。私がウィキペディアをを始めたばかりの時期に、私と一度も会話もしたことのないベテランユーザー、利用者‐会話:EULEに「無知なビギナー」とノート:海賊 (ONE PIECE)#Wikipedia初心者です。分からないことがあります。教えてください。で言われたり、卑劣と評さざるを得ない。と人格否定を編集履歴に残されたり、このユーザーは他のユーザーたちに対しても、利用者‐会話:EULE#「ただの無能」は個人攻撃でも、私が批判しているのは相手の人格ではなく、行為についての批判と屁理屈と思われる理論武装で、「ただの無能」と他のユーザーにした発言など、他のユーザーたちに個人攻撃を何度か指摘されても、自己正当化をしてかわしているように思えるのですが、このようなことはウィキペディアでは許されるのでしょうか?しかも、このユーザーは利用者‐会話:EULE#感謝賞よりまでもらっているので、初心者レベルの私が何を言っても無駄だと思いますが、どうしたらよいのでしょうか?--加賀璃子会話2020年5月4日 (月) 11:54 (UTC)[返信]

加賀璃子さん、上記ベテランユーザー氏とのトラブルですが、ベテランユーザー氏による「無知なビギナー」発言は、確かにWikipedia:新規参加者を苛めないでくださいに抵触するようには感じますが、加賀さんに向けてのものではなく別のユーザーお二人に向けてのものなので、気にしないようにされてはいかがでしょうか。
それと、ベテランユーザー氏による卑劣と評さざるを得ない。とのコメントは、加賀さんによるノートページの削除に対するものです。「卑劣と評さざるを得ない。」とのコメントだけを見れば、加賀さんの言われるとおり人格否定とも取れますが、その前の加賀さんの行為には大いに問題があります。Wikipedia:ノートページ#コメントの編集に、「特に他人のコメントに本人の許可なしに取り消し線をひいてはいけません」「決して他人の言葉を、その人が考えていない内容に書き換えたり、除去してはいけません」があり、加賀さんのノートページの削除はこれに抵触します。この行為に対するベテランユーザー氏の合意形成なし。ノートの議論を削除してまでの実行は初心者と見ても卑劣と評さざるを得ない。とのコメントは、確かに表現はきついですが、もっともなものであると思います。ベテランユーザー氏は加賀さんによるノートページの削除を差し戻ししていますが、私であればそういう場合、「荒らし編集を差し戻し(Wikipedia:荒らし#不当な白紙化)」として差し戻しします(そういう風に「荒らし」と決め付けるから、「#「女王蜂 (横溝正史)」の編集の件」のようなトラブルがあるのですが(苦笑)。ただ誤解のないように申し添えますと、「荒らし」とは人のことではなく行為・編集内容のことです)。また、加賀さんの、ベテランユーザー氏のコメント「合意形成なし。ノートの議論を削除してまでの実行は初心者と見ても卑劣と評さざるを得ない。」から「卑劣と評さざるを得ない。」だけを切り取る行為も、ご自身の非を隠して相手の非だけを訴える行為で正当なものとは思えません。
それと、ベテランユーザー氏の他のユーザーに対する「ただの無能」発言も、それが適切であるか不適切であるかはともかく、加賀さんに対するものではないので、気にされる必要はないように思います。いずれにしても、上記ベテランユーザー氏の加賀さんに対するコメントは1年以上前のもので、正直、今さら蒸し返す必要のあることとも思えません。それでもどうしても気がお済みにならないのであれば、Wikipedia:管理者への依頼で管理者に相談されてはいかがでしょうか。何らかの助言をいただけるかも知れません。
以上、かなりきつめの苦言も申しており、加賀さんにとっては満足いただける回答ではないと思いますが、加賀さんの今後の執筆がより良きものになることを願っております。--エヴァンズの秘書 2020年5月4日 (月) 13:43 (UTC) 節名を「ベテランユーザーからの人格攻撃について」として分けました。--エヴァンズの秘書 2020年5月4日 (月) 13:55 (UTC)[返信]

ご回答ありがとうございます。私が「卑劣と評さざるを得ない。」とだけ書いたのは文章を簡潔に書きたかっただけで他意はありません。他にも説明したいことはありますが、長くなるのでやめることにします。これからもよろしくお願いいたします。--加賀璃子会話2020年5月5日 (火) 04:32 (UTC)[返信]

あなたには私が誤解されていると思っていることを理解したいと思ってくださる気持ちはありますか?[編集]

私はもうWikipediaを自らやめるか、アクセスブロックされるかもしれませんが、以前、私が「卑劣と評さざるを得ない。」とだけ書いたのは文章を簡潔に書きたかっただけということを信じてもらえましたか、そのうえで、私が「長くなるのでやめることにします。」と言った誤解されていると思われることを理解したいと思ってくださる気持ちがあれば、話そうと思います。なければ「ない」とあるのであれば「ある」と率直にお答えください。--加賀璃子会話2020年5月19日 (火) 13:17 (UTC)[返信]

どうやら、シカトされましたね。分かりました。--加賀璃子会話2020年5月19日 (火) 23:30 (UTC)[返信]

加賀璃子さん、何か誤解なさっておいでのようですが、私はシカトなどしておりません。私はごく一介の勤め人で、平日の夜は普通に寝て朝は勤めに行くために起きて会社に行き、日中働いています。そのため、上記コメントを平日の夜の10時過ぎにいただいても、誠意をもって真摯に回答するにはそれなりの調査や準備が必要と思われるので、ゆっくりできる週末にお返事差し上げようかと思っていたものです。加賀さんは、回答義務のない相手が日中働いている普通の勤め人でも、睡眠時間を削って真夜中あるいは早朝早起きしてまですぐ回答しなければならないとお考えなのでしょうか。相手にはそれぞれの生活や都合・事情がありますので、配慮をいただければと思います。
さて、本題の件ですが、加賀さんが「#ベテランユーザーからの人格攻撃について」で私との最後の会話を終えられてからの一連の編集(編集内容には関知しておりません。「ベルセルクの登場人物」「範馬刃牙」「範馬勇次郎」には興味も関心もありませんし、見ても分かりませんので)の要約欄の記載や利用者‐会話:Aiwokusai#編集要約欄に何も書かずに他のユーザーの編集をいきなりすべて削除したり、編集要約欄に『意味不明』と書いて他のユーザーを煽ったりしながら、他のユーザーの編集をすべて削除するのは、明確な荒らし編集ではないのでしょうか?での加賀さんの記載、加賀さんのノートページでの会話を拝見しました。その結果、「誤解されていると思っていることを理解したいと思ってくださる気持ちはありますか?」の回答は、「その気持ちはありません」です。
私は、前回の加賀さんのコメントで、一方的にベテランユーザー氏を批判するだけで、加賀さんご自身の非については一言も反省の弁を述べられていないことから、遠からず他の方とトラブルになるだろうとの危惧を抱いておりました。私はその前の「#嫌がらせの対応について」で、「嫌がらせを受ける理由がもしも加賀さんの編集内容や編集態度にあるのであれば、それらを改める必要があります」と記しました。これはごく一般的なことで、その時点で加賀さんの編集内容や編集態度に非があるかどうかは存じておりませんでした。ただ、他の方と何らかのトラブルが生じるというのは、多くの場合すべて一方だけに非があるのではなく、私自身も含めて必ず互いに(その割合はともかくとして)非があるものだということは、経験的に感じております。それで加賀さんにはそういうトラブルを避けるために、まずWikipedia:礼儀を忘れないWikipedia:エチケットを守ることをお勧めしました。しかし、加賀さんは果たしてこれらに目を通されたのでしょうか。とくに「Wikipedia:礼儀を忘れない#礼」には、礼儀を欠いた状況を生むささいな事例として、次の例が挙げられています。
  • 不作法で粗野な態度。
  • 要約欄、またはユーザーのノートページでの
    • 決めつけ語調(「不注意な誤字を修正した」)
    • 見下した発言(「長ったらしく汚い文を除去」)
    • 行きすぎた批判(「編集のしかた知らないの」「(こんな間違いをする人は)Wikipediaに来ない方がいいよ」)。
  • 加筆した人に対して、その語学力や言葉の選択を理由に見くびること。
  • 相手がやってしまった不適切なことに、あれやこれやと言いがかりをつけること。
  • 誰かをウソツキ呼ばわりすること、相手が中傷誹謗しているといって非難すること。たとえそれが事実であっても、こうした発言は争いを解決するよりもむしろ悪化させます。
  • 「個人攻撃をするつもりはないのですが、……」とはじまるコメント
加賀さんは、これら、とくに要約欄またはユーザーのノートページでの「決めつけ語調」「行きすぎた批判」を意識して、自分はこういうことをしないようにと心掛けておられましたでしょうか。例えば私に対する要約欄への「シカトされたので、話題を打ち切ります。」や、上記「どうやら、シカトされましたね。分かりました。」という決め付け語調のコメントからしても、私にはどうも加賀さんがそういう心掛けの意識が希薄であるかのように感じられてなりません。今、加賀さんが「誤解されている」と感じられている状況は、結局のところご自身が招いたものであろうと、私は感じております。
また、上記「ベルセルクの登場人物の荒らし編集を差し戻し」や「範馬刃牙の荒らし編集を差し戻し」「範馬勇次郎の荒らし編集を修正」など、どこが荒らしなのかと思わず眉を顰めてしまいました。荒らしには荒らしの類型というものがあります。この類型に該当しない編集を「荒らし」と呼ぶべきではありません。Wikipedia:安易に荒らしと呼ばないには「荒らしの定義が次のようなものを含んでいないことに注意してください」と、荒らしに該当しないものとして下記を挙げられています。よくご確認いただきたいと思います。
  • 特定の観点を推進する編集
  • 意図的でない間違いの書かれた編集
  • あなたの好まない編集
  • あなたの主張や目的に反した編集
  • あなたから見て「明白に間違っている」編集
  • あなたのしている「この上なく重要な事」の妨げとなる編集
ただ、加賀さんが安易に「荒らし編集を差し戻し」されているのは、前回の私との会話に原因があるのではないか、とすれば私にもその責任の一端があるようにも思えます。加賀さんは、前回「#ベテランユーザーからの人格攻撃について」での私の記載を誤解されているのではないでしょうか。それは次の記載です。
  • ベテランユーザー氏は加賀さんによるノートページの削除を差し戻ししていますが、私であればそういう場合、「荒らし編集を差し戻し(Wikipedia:荒らし#不当な白紙化)」として差し戻しします。
この記載について、加賀さんはひょっとして、ベテランユーザー氏が加賀さんによるノートページの削除を差し戻ししたことに対して、私が加賀さんだったら「荒らし編集を差し戻し(Wikipedia:荒らし#不当な白紙化)」として差し戻しします、と受け取られたのではないでしょうか。もしもそのように受け取られたのであればそれは大いなる誤解です。
上記記載の意図は、加賀さんによるノートページの削除は荒らしの類型の一つ「不当な白紙化」に該当します、だから私だったら加賀さんのノートページの削除を差し戻す際に「荒らし編集を差し戻し(Wikipedia:荒らし#不当な白紙化)」とコメントします、というものです。
ノートページを削除してはいけないことは、前回Wikipedia:ノートページ#コメントの編集を挙げて説明しました。本当はWikipedia:ノートページのガイドライン#コメントの編集とすべきを間違ってHelp:ノートページにリンクしてしまったのですが、こちらのHelp:ノートページ#投稿済のコメントの修正などにも「記事のノートページでは、他の利用者のコメントを書き換えたりなどの改竄行為や、編集除去したりをしないでください。利用者の署名を書き換えることも含みます。他の利用者の誤字や文法の間違いを修正する必要はありません。いきなり修正すると、一般的に相手に不快感を与えます。」と、より詳細な記載がされています。つまり、加賀さんのノートページの削除は、Wikipedia:ノートページのガイドライン#コメントの編集Help:ノートページ#投稿済のコメントの修正などと、Wikipedia:荒らし#不当な白紙化の二重の違反行為で、「荒らし編集を差し戻し(Wikipedia:荒らし#不当な白紙化)」として差し戻すのに十分なものであると考えました。
しかし、私の文章が言葉足らずだったために、私が加賀さんだったらベテランユーザー氏の差し戻しに対して、「荒らし編集を差し戻し(Wikipedia:荒らし#不当な白紙化)」として差し戻ししますというように誤解させ、その結果、加賀さんに安易に「ベルセルクの登場人物」「範馬刃牙」「範馬勇次郎」で「荒らし編集を差し戻し」させてしまったのではないかと思うと、大変申し訳なく思います。ただ、言い訳させていただきますと、ノートページの削除(不当な白紙化)をなさったのは加賀さんであってベテランユーザー氏ではない、だから私がベテランユーザー氏に対して「不当な白紙化」を理由に荒らしとして差し戻すわけがないということは、きちんと文章を読んでいただければお分かりいただけるはずだと思います。
いずれにしましても、私は今後誤解されることのないようあいまいなどっちつかずな文章にならないよう心掛けてまいりますので、加賀さんも私が「#嫌がらせの対応について」で回答しましたとおり、礼儀を忘れずWikipedia:エチケットを守っての編集を心掛けていただければと思います。
以上、長々となりましたが、加賀さんの今後の執筆がより良きものになることを願っております。--エヴァンズの秘書 2020年5月20日 (水) 15:42 (UTC)[返信]

お忙しい中、長文の返信ありがとうございます。この返信に対してもコメントしたいところですが、しばらく、規約をよく読むまでWikipediaでの活動は控えようかと思います。規約について不明な点に対して教えてくださる適任者がいれば、お時間のある時で結構ですので、会話ページのリンクがあれば貼っておいてもらえると助かります。--加賀璃子会話2020年5月23日 (土) 01:28 (UTC)[返信]

規約について不明な点に対して教えてくださる適任者とのこと、管理者の皆さんは当然、各種規約にお詳しいと思います。管理者が心得るべき文書については、一般の編集者よりも熟知されているはずです。Wikipedia:管理者の後段に管理者一覧がありますので、こちらを参照してください。
あと、私はWikipedia内のどなたとも特別な親交はありませんので詳しくは存じ上げませんが、私のノートで適切な助言をいただいたことのある知識熊会話)さんとみしまるもも会話)さんはWikipedia内の知識に精通され、懇切丁寧で信頼のおける方々です(知識熊さんについては「#引用文内の「事」を平仮名へ修正するか否かについて」「#要約欄での言葉遣いについて」、みしまるももさんについては「#「伊豆半島#伊豆地方を舞台にした小説」の表記について」を参照してください。)
以上、参考になりましたでしょうか。加賀さんの今後の執筆がより良きものになることを願っております。--エヴァンズの秘書 2020年5月23日 (土) 02:14 (UTC)[返信]

早速の返信ありがとうございました。--加賀璃子会話2020年5月23日 (土) 12:20 (UTC)[返信]

論争の解決について[編集]

度々申し訳ございません。お忙しいところ大変恐縮ですが、編集合戦のIPユーザーの方が告知しても、ノートの議論になかなか参加してもらえないので、会話ページにて誘導を促したのですが、そのページに「これはIPアドレスで識別される、匿名利用者のための会話ページです。IPアドレスは時により変化する場合があり、また、何人かで共有されることがあります。」と書かれていますが、会話ページを編集してもよかったのでしょうか?「何人かで共有されることがあります。」と書かれていることから他のユーザー様へのコメントにならないか懸念したのですが、問題ありませんか?それから、IPユーザーの方の代わりに編集合戦のため保護依頼を出したAiwokusai氏がなぜか現れて議論が始まったのですが、私の疑問を最後に急に反応がなくなったのですが、どのタイミングで「ステップ3: 第三者を交えて議論する」に移行すればよろしいのでしょうか?ちなみに『新生鷹の団』の表記を『新生・鷹の団』に変更してはどうか?での議論ですが、私に規約違反は見られますか?お時間のある時で結構ですので、コメントください。--加賀璃子会話2020年6月7日 (日) 11:18 (UTC)[返信]

  • アラートがあったので来ましたが、他者の会話ページですので手短に。加賀璃子さんは、エヴァンズの秘書にたいする『どうやら、シカトされましたね。』という発言からなんら変わっていないのでしょうか。逐一あなたに返答してスピード解決しなければいけないのでしょうか(ちなみに私が依頼を提出したのは別に誰の代わりというわけではありませんし編集合戦の時点で両者大差ないと思っています)。もうこれ以上エヴァンズの秘書さんにご迷惑をおかけすることはご遠慮すべきではないかと思います(エヴァンズの秘書さんが積極的に関わられるとおっしゃるのでしたら出すぎた真似で申し訳ありません)。急に反応がなくなったとか何故か現れたとか‥少しは言動が改善されたかと思っていただけに残念です。--Aiwokusai会話2020年6月7日 (日) 15:17 (UTC)[返信]
加賀璃子さんへ、前回、「しばらく、規約をよく読むまでWikipediaでの活動は控えようかと思います。規約について不明な点に対して教えてくださる適任者がいれば、お時間のある時で結構ですので、会話ページのリンクがあれば貼っておいてもらえると助かります。」と記載されたので、管理者一覧と他に2名の方のお名前を挙げさせていただきましたが、それらの方々には一度も連絡を取ることなくWikipediaでの活動をされ、またそれらの方々には一度も連絡を取ることなく私に上記依頼をされるとは、結局、私が返信の手間をかけただけで無意味でした。貴方は私を便利遣いにしているだけのようですので、今後はこの会話ページへの依頼等の書き込みをおやめください。
上記2点のお尋ねについては以下に簡潔に回答します。
IPユーザーの方への会話ページの編集に問題はないかについては、問題ありません。仮に何人かで共有していたとしても、該当する執筆者以外の方には無意味な記載ですので、気にされる必要はありません。ただ、接続の度に異なったIPアドレスを割り当てられている場合には、そのアドレスは使い捨てです。該当する執筆者は会話ページの記載を読まないので、実効性がないと思われます。
どのタイミングで「ステップ3: 第三者を交えて議論する」に移行すればよいか、つまりWikipedia:コメント依頼のタイミングについては、議論が膠着している場合にはいつでも構わないと思います。
以上です。重ねて申し上げますが、今後はこの会話ページへの依頼等の書き込みをおやめください。今後は何か書き込みをいただいたとしても、返信いたしません。加賀さんも今回分の返信は不要です。よろしくお願いいたします。
Aiwokusaiさんへ、お気遣いをいただき、ありがとうございます。全然ですぎたことではございません。助かります。加賀さんへは上記の通り、今後会話ページへの記載をお断りしました。ご承知のほど、よろしくお願いいたします。--エヴァンズの秘書 2020年6月7日 (日) 21:28 (UTC)[返信]

表記ガイドの「数詞を重ねる場合」の注意点と、あとお詫び[編集]

こんにちは(直接はお久しぶりです)。EULEです。エヴァンズの秘書氏の編集を見て、表記ガイドを誤読していると思われるので指摘に参りました。

具体的には、この編集ですが、当該の記述は、表記ガイドにある「数詞を重ねる場合」ではないです。ここでいう数詞を重ねる場合とは数字に量的な意味があるもので、かつ曖昧さを含んでいる場合(一定の範囲を表している)のものになります。翻って当該の記述は、量を表す数字ではなく、第5巻と第6巻という個々の固有のものを指しており、表記ガイドにある「・(中黒)」を使うべき場合にある「併せてあるまとまった一体的集合的な意味合いを示す場合」にあたります。例えば「鳥が3、4羽飛んでいく」の場合は3羽と4羽が並立しているわけではない、第5・6巻は、第5巻と第6巻が並立していると考えるとわかりやすいかもしれません。あるいは、「第1・2巻(アインクラッド)、3・4巻(フェアリィ・ダンス)、第5・6巻(ファントム・バレット)」というように表記ガイドにある読点含みの個々のまとまりにも記述できるものという捉え方もできるかもしれません(この一文を数詞を重ねているからといって全部読点で表したらどうなるか言うまでもないです)。まあ、シリーズ中の一期間と捉えれば、取り消しまではしませんが(正直どっちでも良いと思ってる)、今後、「単に数字が並んでいる=数詞を重ねる場合」と誤読して明らかに変えては不味いものまで、変えてしまわないようにここに注意をいたします。

また、上記の加賀璃子氏の件については申し訳なかったです。Aiwokusai氏が利用者への内部リンクを用いた通知を利用してくれたおかげで、実は5月の終わりあたりにはここでのやり取りには気づいていたのですが、どうアプローチしても私が関わると加賀璃子氏が暴走する可能性が高く、傍観しておりました(特に私とエヴァンズの秘書氏は古典ミステリ系で関わりがあるので、それに加賀璃子氏が気づいて、騙されたみたいな斜め上の反応で余計に迷惑かかっちゃうとか)。基本的に私のもともとのアプローチが面倒事になっても自分が被害を受けるだけと想定していたので、1年経ってまったく無関係の第三者に及ぶのは、予想しておらす私の不徳の致すところでした。本当に申し訳なく思います。

あと最後に、アガサ・クリスティの著作一覧に関して、現在英語版などでは秀逸な記事の一覧に選ばれているので、今年中にちょっと日本語版でも秀逸な記事の一覧にしてみようかなと思っております。とりあえず英語版の内容と早川書房の書誌情報など踏まえてブラッシュアップする想定ですが、広くお詳しいエヴァンズの秘書氏の協力も得られればありがたく思います。--EULE会話2020年8月2日 (日) 11:12 (UTC)[返信]

EULEさん、お久しぶりです。「ミス・マープル」の編集以来かと思います。その節は大変お世話になりました。また、このたびは上記ご指摘をいただき、ありがとうございます。当該の記述が、表記ガイドにある「数詞を重ねる場合」ではないこと、承知いたしました。ご教示いただきありがとうございます。今後の編集の際は十分注意いたしますとともに、今回の編集は誤りとして差し戻しいたします。
加賀さんの件は、お詫びには及びません。EULEさんに対する加賀さんの不満は、直接そう言うとこじれると思って書きませんでしたが、ほとんど言いがかりにしか思えませんでしたし、おそらく誰が対応しても同じような結果になっただろうと思います。加賀さんが私のところに来たのは、たまたま『聲の形』での編集がかぶっていたために過ぎませんし、私のところに来なければ他の誰かのところに行ったことでしょう。その点、私もうかつに(親切心のつもりでしたが)みしまるももさんと知識熊さんを紹介してしまったことを後悔しています。お二人に累が及ばなければと願っております。
あと、「アガサ・クリスティの著作一覧」に関しての協力のご依頼につきましては、私はさほど詳しいと言えるほどの知識も知見も持ち合わせてはおりませんが、私のできる限りのところでよろしければ協力させていただきます。どうぞよろしくお願いいたします。--エヴァンズの秘書 2020年8月2日 (日) 12:40 (UTC)[返信]

「クリスティ略伝」→「クリスチー略伝」に訂正。(江戸川乱歩の著作名は「クリスチー略伝」)[編集]

以下の画像の確認をお願いします。掲載時は「クリスティ略伝」表記です https://www.kosho.or.jp/products/detail.php?product_id=127706148        --6290F会話2020年8月22日 (土) 00:22 (UTC)[返信]

こちらをご覧ください。「クリスチー略伝」とあり、「(注1)目次では「クリスティ略伝」」と記されています。

http://mysterydata.web.fc2.com/BH/YY/BH_56.html

江戸川乱歩執筆年譜の昭和31年(1956)5月にも「クリスチー略伝」と記されています。

http://www.e-net.or.jp/user/stako/ED1/E02-1956.html        --エヴァンズの秘書 2020年8月22日 (土) 01:25 (UTC)--[返信]

メールを確認してください。[編集]

エヴァンズの秘書様: メールを確認してください。 件名: "The Community Insights survey is coming!" ご不明な点がございましたら、[email protected]までメールでお問い合わせください。

(Please check your email! Subject: "The Community Insights survey is coming!" If you have questions, email [email protected].)

Sorry for the inconvenience, you can read my explanation here.

MediaWiki message delivery会話2020年9月25日 (金) 14:17 (UTC)[返信]

『ローマの休日』、ありがとうございました[編集]

『ローマの休日』、まだウィキペディアでの編集の回数が少ないため、こちらの編集の至らないところを何度も直していただき、ありがとうございました。現在考えられる最高の状態に出来上がっていると喜んでいます。 また今後もよろしくお願いいたします。 次は81年の「水曜ロードショー」に関して調べてみます。ありがとうございました。--L'eventail de Jeanne会話2020年10月28日 (水) 01:48 (UTC)[返信]

L'eventail de Jeanneさん、わざわざお越しいただいて過分なお礼をいただき恐縮です。気の付いたところを修正しているだけですのでお礼には及びません。全体を俯瞰しての修正ではなく、目に留まったところから手を付けている状況ですので、他にも修正するところがあるかも知れませんが、その際も修正に不備がありましたら、遠慮なくご指摘ください。また、今回の編集でも、「受賞」「ノミネート」や「第3位」等の文字を目立つように太文字表記すべきか迷いながらそのままにしていますが、太文字表記の方が良いと思われましたら、遠慮なく修正してください。
それと、本当は『ローマの休日』と同じ修正((1)項目数を減らす、(2)Wikipedia:スタイルマニュアル (見出し)#見出しの中でリンクはしない違反の解消)を『マイ・フェア・レディ (映画)』でも試みたのですが、Wi-Fiの接続が思わしくないようで、編集を送信したところエラーになってしまい、修正できませんでした。明朝、もう一度チャレンジしてみますので、ご確認をお願いいたします。拙い編集ですが、今後ともどうぞよろしくお願いいたします。--エヴァンズの秘書 2020年10月28日 (水) 13:24 (UTC)[返信]
『マイ・フェア・レディ』も見てきました。ありがとうございます。『ローマの休日』もさらに見やすくなっていますね!賞歴のところ、今までは賞の名前が文字が大きくてもっさりしてると思っておりましたが、このようにすっきりとしていただき、理想形になったと思っております。本当にありがとうございました。--L'eventail de Jeanne会話2020年10月29日 (木) 09:52 (UTC)[返信]
喜んでいただけて何よりです。正直、『マイ・フェア・レディ』の編集をしながら、「『ローマの休日』も最初からこうやってれば、手間暇少なく見栄えの良い編集ができたのに、馬鹿だなぁ」と悔やんでおりました。このように試行錯誤の繰り返しで色々不備もあろうかと思いますが、今後ともどうぞよろしくお願いいたします。--エヴァンズの秘書 2020年10月29日 (木) 12:53 (UTC)[返信]

(インデントを戻す。--エヴァンズの秘書 2020年11月3日 (火) 04:27 (UTC)[返信]
『ローマの休日』、またまた修正していただきありがとうございます。ただ、アメリカン・フィルム・インスティテュートの「恋愛映画ベスト100」と「情熱的な映画ベスト100」は同じものです。オードリー・ヘプバーンのテンプレートでは「最も愛すべきラブストーリー映画ベスト100」と書かれていますが、それも同じです。元の「100 Passions」を映画会社パラマウントは「恋愛映画ベスト100」と訳し、「情熱的な映画ベスト100」のWikipediaの日本語ページを立項したIP名の人はPassionsを直訳しただけだと思います。選ばれている作品を見ると情熱的とは言えない作品もたくさん選ばれていますので、項目名と全然そぐわない感じがしますし、パラマウントの訳が本質に近いと思われますが、「情熱的な映画ベスト100」の項目名を変更するのもまた大変な作業だと思います。『ローマの休日』をどちらの項目名でまとめるかはエヴァンズの秘密さんにお任せします。あと、賞歴をいきなり調べようという人はあまりいないと思われますので、「評価」の項目の場所は、『ローマの休日』に関する重要度からデジタル・ニューマスター版の下の、前に有った場所の方がしっくりくるんですが、いかがでしょうか?--L'eventail de Jeanne会話2020年11月3日 (火) 01:54 (UTC)[返信]

L'eventail de Jeanneさん、上記2点のご指摘をいただき、ありがとうございます。アメリカン・フィルム・インスティテュートの「恋愛映画ベスト100」と「情熱的な映画ベスト100」は同じものではないかというのは編集してから気がつきました。ただ、「恋愛映画ベスト100」の出典とされている映画会社パラマウントの記事には「2000年に発表した」とあり、2002年の「情熱的な映画ベスト100」と果たして同じものなのかが気になりました(AFIアメリカ映画100年シリーズのページには「2000年」は「コメディ映画ベスト100」とあり、もちろんこれには『ローマの休日』はランキングされていません)。しかし、ここは映画会社パラマウントの記事が誤りと割り切って「恋愛映画ベスト100」の方を削除いたしました。ついでに、各ランキングの並びを年代順に修正いたしました。大アンケートによる洋画ベスト150(文藝春秋編)は雑誌の『文藝春秋』に掲載された記事かと思っていましたが、1988年に文藝春秋社が発行した文庫本でしたので、リンクも訂正いたしました。
それと、「評価」の項目の場所は、デジタル・ニューマスター版の下の、前に有った場所の方がしっくりくるとのご指摘につきましても、プロジェクト:映画/映画作品スタイルガイドでは「封切り」「DVDリリース・派生作品」「作品の評価」という並びになっていますので、ご指摘いただきましたとおり、「賞歴・ランキング」が元にあった位置に戻しました(「評価」節の位置が元々おかしかったのですね)。これなど、最初の返信でコメントしました「全体を俯瞰しての修正ではなく、目に留まったところから手を付けている」ことによる弊害ですね、気をつけてまいります。
1点、「日本初公開」の下にされている「エピソード」節は作品の製作や撮影に関わるものなので、「製作」節の中に入れさせていただきました。ご承知のほどお願いいたします。
拙い編集で色々不備もあろうかと思いますが、今後ともどうぞよろしくお願いいたします。--エヴァンズの秘書 2020年11月3日 (火) 04:27 (UTC)[返信]

『ティファニーで朝食を』の分割について[編集]

(「『ティファニーで朝食を』の分割について」の節を設けインデントを修正。--エヴァンズの秘書 2020年11月28日 (土) 08:45 (UTC)[返信]
エヴァンズの秘書さん、こんにちは。前から気になってたことをちょっとご相談なんですが、『ティファニーで朝食を』を直していただいたので、ちょうどいいタイミングかと思い、書き込みます。実はそろそろ『ティファニーで朝食を』を小説版と映画版で項目を分けるべきではないかと思っています。もう『ティファニーで朝食を』だけのくくりでは、映画版の方が比重が大きくなっていますし充分映画版だけで項目を作れるほど大きくなっていると思います。今後映画のエピソードも書こうかと考えているのですが、ますます小説版が小さくなってしまうので…。ただ、まだ僕には立項すらうまくできないので、ましてや項目の分離は難しすぎるかなーと考えています。なんかノートで項目を分離することを提案して日を置いてから分離のようですが…。エヴァンズの秘書さんのお考えをお聞かせ願えますか?--L'eventail de Jeanne会話2020年11月28日 (土) 06:45 (UTC)[返信]

L'eventail de Jeanneさん、『ティファニーで朝食を』のページの分割のご提案について、Wikipedia:ページの分割と統合ページの分割には「以下に該当すると考えられる場合は、ページの分割を検討してみて下さい」に「ページの分量が肥大化したため、読者にとって全体の見通しが悪く不便な場合、または、ページ中で特定の説明だけの分量が多く、明らかにバランスを失している場合」とあり、L'eventail de Jeanneさんのご提案は後者に該当します。残された小説のページが小さくなることを危惧されていますが、縮小されても「あらすじ」「発表までの経緯」「モデル」「主な日本語訳」の節から成るちゃんとしたページなので、「分割後に一方または双方がスタブになるときには分割すべきではありません」にも該当せず、少なくとも分割のための最低限の条件はクリアしていると思います。
分割の手順は、Wikipedia:ページの分割と統合に記載のとおり、分割提案の告知分割の手順という流れになります。
正直なところ、私は分割してもしなくてもどちらでも構いませんが、分割提案をいただきましたら、分割の条件をクリアしているという理由で賛成に票を投じさせていただきます。どうぞよろしくお願いいたします。--エヴァンズの秘書 2020年11月3日 (火) 08:45 (UTC)[返信]
エヴァンズの秘書さん、お返事ありがとうございます。条件自体は満たしていそうなので、分割の方向で考えて行きたいと思います。ただまだ立項すらできない状況なので、いくつか簡単な立項をしてみて自信がついたら『ティファニーで朝食を』を分割提案してみようと思います。お手間を取らせて申し訳ありませんでした。またその際はよろしくお願いいたします。--L'eventail de Jeanne会話2020年11月28日 (土) 09:09 (UTC)[返信]

エヴァンスの秘書さん、いつもお世話になっております。長年の懸案だったティファニーで朝食をティファニーで朝食を (映画)へ分割提案、やっと行いました!いくつかこれまでに立項もしてみましたが、やっぱり分割となるとかなり不安で延び延びにしていました。『ティファニーで朝食を』のノートの方へもご意見をよろしくお願いいたします。今もまだうまくできるのか心配でドキドキしていますが、また今後も助けていただけると嬉しいです。よろしくおねがいたします。--L'eventail de Jeanne会話2022年2月27日 (日) 06:08 (UTC)[返信]

『ティファニーで朝食を (映画)』への分割、完了しました。今回はありがとうございました。--L'eventail de Jeanne会話2022年3月6日 (日) 15:52 (UTC)[返信]

マンマミーアの3人組の件についてです。[編集]

あの3人組はダイナモスの3人組ではなく、友人のアリとリサとの3人組の意味です。wikiの2人の部分にもちゃんと3人組と書かれていますし、映画を見ていればわかる内容となっていますが、何故消したのでしょうか? 会話2021年3月13日 (土) 09:17 (UTC)[返信]


マンマ・ミーア! (映画)』で普通に3人組と言えば「ダイナモスの3人組」、すなわちドナ、ロージー、ターニャのことです。だから「何故消したのでしょうか?」と聞かれれば、ソフィは「ダイナモスの3人組」ではないからです。
その後、燦さんが記載された「アリ・リサとの3人組」については異存はございません。よろしくお願いいたします。--エヴァンズの秘書 2021年3月13日 (土) 10:36 (UTC)[返信]

ダイナモスのメンバーは3人組ではなく、ちゃんとダイナモスのメンバーって書かれてますよ? 会話2021年3月13日 (土) 21:30 (UTC)[返信]

「書かれてますよ?」と言われましても、私は映画しか見ていないので、何に書かれているのか存じません。映画を観ただけなら、普通に3人組と言えば「ダイナモスの3人組」だと思います。
なお、「アリ・リサとの3人組の中では1番小柄な為「チビ」と呼ばれる」の「為(ため)」は仮名書き指定語ですので、「ため」に修正しました(Wikipedia:表記ガイド#仮名書き参照)。ご承知のほどお願いいたします。--エヴァンズの秘書 2021年3月13日 (土) 22:58 (UTC)--[返信]

2021年ウィキメディア財団選挙の候補者を紹介します[編集]

こんにちは!

2021年ウィキメディア財団選挙が8月に始まります。今年の理事会選挙は、2021年8月4日から17日まで実施されます。ウィキペディア日本語版の編集者を含むウィキメディア・コミュニティのメンバーは、3年の任期で4人の新しい理事を選出する機会があります。理事会選挙の開始に先立ち選挙運動期間が設けられており、この期間中にコミュニティが候補者と顔を合わせる機会があります。

  • ウィキメディア財団における理事会の役割は何ですか?
理事会の簡単な説明はこちらをご覧ください
  • 候補者紹介
今回の選挙には20名の立候補者がいます。候補者についてはこちらをご覧ください

理事選挙をサポートするファシリテーター チームは、選挙運動期間中にいくつかの活動を用意しています。
7月31日(土)の19:30(JST)から、日本を含むアジア・太平洋地域のユーザーが候補者と交流できるオンラインイベントが開催されます。日本語による同時通訳も提供される予定ですので、どうぞお気軽にご参加ください。

こちらのフォームから事前に参加登録をお願いします。
フォームのプライバシーポリシーをご確認ください。

その他の活動については、メタウィキの理事選挙ページをご覧ください。

ご質問がございましたら、ファシリテーター選挙ボランティアまでお問い合わせください。

選挙ボランティア一同 2021年7月24日 (土) 15:05 (UTC)

このお知らせは2021年ウィキメディア財団理事会選挙ボランティアにより作成され、botにより配信されました。 •フィードバック •購読解除

まもなく終了 理事会選挙へ投票のお願い[編集]

エヴァンズの秘書さん

こんばんは。お忙しい時間帯に恐れ入ります。

2021年ウィキメディア財団選挙は最終盤に入っております。これまでご協力いただいた皆様、ご投票いただいた皆様に心より御礼申し上げます。

もしエヴァンズの秘書さんが投票をお済ませでなければ、ぜひこちらから清き一票をお願いいたします。

ウィキペディア日本語版の運営にも深く関与する理事会の候補者の選出に際し、投票資格をお持ちの数少ないユーザーの一人であるエヴァンズの秘書さんのご意見を反映することは非常に重要だと考えています。

投票いただくに際し、まず19名の候補者からエヴァンズの秘書さんが支持する方をお選びください。 支持する候補者を選んだら、支持する順に候補者の名前を選び、投票ボタンを押すだけです。 所要時間は5分未満で、完全な匿名性が保証されます。

投票は、日本時間の9月1日(水)の朝9時に締め切られます。

ウィキメディア財団の運営にウィキペディア日本語版コミュニティの意見を反映させるために、エヴァンズの秘書さんのご協力を重ねてお願い申し上げます。

どうぞよろしくお願いいたします。

--選挙ボランティア一同 2021年8月31日 (火) 11:20 (UTC)

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「三部作」の『からかい上手の高木さん』について[編集]

突然申し訳ありません。三部作記事のノートで確認しようかと思ったのですが『からかい上手の高木さん』という作品を知らないのでこちらでお尋ねします。リンク先記事によるとアニメは3期に分かれて放送されているようですが、これは連載作品『からかい上手の高木さん』『恋に恋するユカリちゃん』『からかい上手の(元)高木さん』がそれぞれ相当しているということでしょうか。そうであればおそらく問題ないのだと思いますが、単に『からかい上手の高木さん』という作品が3期に分かれて放送されたということであれば所謂三部作とはいえないのではないか、という疑問がわいたので確認という次第です。リンク先に具体的な内容(連載作品とアニメ作品の対応)が書かれていないので「三部作」記事を読んだだけでは「同じ一つの主題を持つ作品群」といえるのか分からなかったためです。

作品を存じている方々にとっては当たり前のことかもしれません。その場合は申し訳ありません。--みそがい会話2022年3月26日 (土) 10:19 (UTC)[返信]

みそがいさん、お久しぶりです。#常用漢字表以外の漢字の使用についてで会話して以来かと思いますので、もう10年以上前なのですね。歳月の流れにしばし感慨にふけってしまいました。
それはさておき、お尋ねいただいているアニメ『からかい上手の高木さん』『からかい上手の高木さん2』『からかい上手の高木さん3』が、それぞれ『からかい上手の高木さん』『恋に恋するユカリちゃん』『からかい上手の(元)高木さん』に相当するものか、ということについては、そうではありません。
『恋に恋するユカリちゃん』は、『からかい上手の高木さん』の主人公(西片と高木さん)のクラスメイトの1人であるユカリちゃんが、主人公(西片と高木さん)とは別視点で2人の恋模様を見守ったり想像を巡らしたりする作者(山本崇一朗)による別作品『あしたは土曜日』を、別の作者(稲葉光史)がリメイクしたスピンオフ作品です。『からかい上手の(元)高木さん』は、主人公(西片と高木さん)の結婚後(高木さんの名字が西片に変わったので「(元)高木さん」)の話です。
アニメ『からかい上手の高木さん』『からかい上手の高木さん2』『からかい上手の高木さん3』は、単に原作漫画『からかい上手の高木さん』(アニメではその中に『あしたは土曜日』が含まれています)が3期に分かれて放送されたものです。単に3期に分かれて放送されたものが三部作とはいえないのではないかという疑問につきましては、私にはお答えできかねます。シリーズ作品ですので、当然ながら「同じ一つの主題を持つ」作品群には該当すると思いますが。
三部作の記事には、このように主人公や作品設定が同じで単に3期に分かれているだけの作品が、他にも散見されます。ウィリアム・シェイクスピアヘンリー六世三部作 - 『ヘンリー六世 第1部』『ヘンリー六世 第2部』『ヘンリー六世 第3部』、筒井康隆七瀬三部作 - 『家族八景』『七瀬ふたたび』『エディプスの恋人』』、林海象監督の私立探偵 濱マイクシリーズ三部作 - 『我が人生最悪の時 THE MOST TERRIBLE TIME IN MY LIFE』『遥かな時代の階段を The Stairway to the Distant Past』『罠 THE TRAP』、バック・トゥ・ザ・フューチャーシリーズ『バック・トゥ・ザ・フューチャー』、『バック・トゥ・ザ・フューチャー PART2』、『バック・トゥ・ザ・フューチャー PART3』など。一応、これらに倣って『からかい上手の高木さん』『からかい上手の高木さん2』『からかい上手の高木さん3』を追記しました次第です。ご承知のほど、よろしくお願いいたします。--エヴァンズの秘書 2022年3月26日 (土) 17:13 (UTC)[返信]
その節はありがとうございました。そんなに前のことでしたか。まだ細々と参加しております。
さて、『からかい上手の高木さん』の原作品が3期に分かれて放送された、ということであれば私の感覚からすれば、何らかの都合によって3期に分かれたのであって三部作ではない、と判断するところです。なぜ今回この件に気がついたかというと、まさに『七瀬三部作』がきっかけで「三部作」をウォッチしていたからです。七瀬三部作は一人の主人公の異なるシチュエーションにおける物語であり、作品設定が同じで単に3期に分かれているのではなく、それぞれが独立した物語の小説(群)なので納得できるものです。『バック・トゥ・ザ・フューチャーシリーズ』も同じ主人公たちの全く異なる物語のタイムマシンものになっています。正直なところ他の作品に関してはよく知らないのでこれ以上の言及は避けますが、例としてあげられた作品群と『からかい上手の高木さん』が同列に扱えるのかという疑問は解消されませんでした。「三部作 - コトバンク」からしてもそう感じます。とはいえ、私としては具体的に編集するつもりもありませんので、この場はこれにて失礼いたします。ご返答ありがとうございました。--みそがい会話2022年3月27日 (日) 01:28 (UTC)[返信]
みそがいさんのご指摘を吟味し、アニメ『からかい上手の高木さん』シリーズを三部作とするのは不適切であると判断し、同記事から削除いたしました。このたびは丁寧・詳細にご指摘をいただき、ありがとうございました。今後ともご教示のほど、よろしくお願いいたします。--エヴァンズの秘書 2022年3月27日 (日) 16:33 (UTC)[返信]
今回は私の差し出がましいコメントに対応していただき、ありがとうございました。今後ともよろしくお願いします。--みそがい会話2022年3月28日 (月) 00:18 (UTC)[返信]

Cite news の使用法について[編集]

はじめまして。心が叫びたがってるんだ。での編集において、「新聞記事ではないソース」の{{Cite news}}を、{{Cite web}}に修正されていました。Template:Cite newsの説明文には「ニュースを扱う情報源」に対して使用するものであるという注記がございますが、これを新聞記事に限定するというガイドもしくは合意はどこかにございますでしょうか。--2022年9月24日 (土) 23:43 (UTC)--Unamu会話2022年9月24日 (土) 23:43 (UTC)[返信]

はじめまして、Unamuさん。上記ご指摘をいただき、ありがとうございます。Template:Cite newsを新聞記事に限定しているのは、ガイドもしくは合意に基づくものではなく、新聞記事は「新聞社が発行する新聞および新聞社が配信するニュースに掲載されている記事」という私の解釈によるものです。Wikipedia:出典テンプレートにおける「新聞記事  」の記載例に挙げられているのが「agency = 共同通信」と「newspaper = 毎日新聞」であることから、この限定解釈で構わないのではないかと思っております。ご承知のほど、よろしくお願いいたします。--エヴァンズの秘書 2022年9月25日 (日) 01:04 (UTC)[返信]
ご返事いただきありがとうございます。お考えは承りました。私は新聞社や通信社に限らず、専門サイトの「ニュース」欄も「ニュースを扱う情報源」とみなす立場です。あなたの編集を差し戻すことはいたしませんが、私はこの立場での編集を継続いたします。ご理解のほどお願いいたします。--Unamu会話2022年9月25日 (日) 10:50 (UTC)[返信]
Unamuさんが、新聞社や通信社に限らず、専門サイトの「ニュース」欄も「ニュースを扱う情報源」とみなす立場での編集を継続されること、承知いたしました。以後、Unamuさんが編集された箇所の出典につきましては、編集合戦にならないよう、新聞記事に限定して修正したりしないよう心がけてまいりますので、よろしくお願いいたします。--エヴァンズの秘書 2022年9月25日 (日) 11:30 (UTC)[返信]

出典テンプレートの使い方について[編集]

恐らく問題が多岐にわたる為、Wikipedia‐ノート:出典テンプレート#ニュースサイトはウェブサイトとは違うのでは?を立ち上げたので、詳細は省きますが、何かご意見等を頂戴出来ましたら幸いに存じます(このメッセージを投稿する為にこちらに来たら、上記#Cite news の使用法についてUnamu会話 / 投稿記録 / 記録さんと全く同じ話題を為さってお出ででしたね…)。--122.19.248.3 2023年1月30日 (月) 11:48 (UTC)[返信]


「天気の子」の編集について[編集]

外野からずっと見ておりましたが、Kensan19721224さんとエヴァンズの秘書さんのお二方で些細な編集の繰り返しが延々と続けられている状況は、少々目に余るものがあります。WP:NOTGUIDEをご確認ください。 率直に申し上げて、実質的に編集合戦と変わりません。133.175.192.159 2023年2月19日 (日) 13:05 (UTC)[返信]

上記ご指摘をいただき、ありがとうございます。
Kensan19721224さんとは、編集合戦をしているつもりはないのですが、Kensan19721224さんが編集された内容またはその周辺に不備を見かけて、その修正を行っているのが編集合戦と映っているのかもしれません。
ただ、周辺の不備は、Kensan19721224さんの編集以前からの不備ですので、今後は、直前に編集された内容の不備以外は、編集合戦と見られないよう、その都度の修正ではなく、ある程度まとめての修正を心がけてまいります。
以上、ご承知ならびに今後もご教示のほど、よろしくお願いいたします。--エヴァンズの秘書 2023年2月19日 (日) 15:54 (UTC)[返信]
はじめまして。いつもお世話になっております。Kensan19721224です。
コメント、拝読しました。ありがとうございます。
僕の会話ページにもコメントしましたので、一読頂ければ幸いです。そちらには編集スタンス等も記載しています。
僕もある程度まとめた上で、後数回編集したら、『天気の子』の編集は控えるつもりでいます。「悪質な編集の戻し」や「てにをは」の修正は別です。
最後になりましたが、今後ともよろしくお願いいたします。
--Kensan19721224会話2023年2月19日 (日) 22:24 (UTC)[返信]
Kensan19721224さん、はじめまして。ご丁寧にご連絡いただき、ありがとうございます。会話ページも拝読いたしました。
私の方も上記に記載しました通り、直前の編集に不備がある場合以外の周辺の不備は、ある程度まとめての(日時を置いての)修正を心がけてまいります。
ご承知ならびに今後ともよろしくお願いいたします。--エヴァンズの秘書 2023年2月19日 (日) 23:11 (UTC)[返信]

{{リダイレクトの所属カテゴリ}}について[編集]

こちらの編集で{{リダイレクトの所属カテゴリ}}の引数を追加修正為さって居られますが、テンプレートの説明文の冒頭に「本テンプレートの機能は「手動」でカテゴリへのリンクを表示させるものであって、該当の記事やリダイレクトが自動的にカテゴライズされるものではありません」とあります通り、リダイレクトページを実際にカテゴライズしなければ無意味ですので、今後は実際にリダイレクトをカテゴライズする作業とセットで行なって戴くようお願い申し上げます。--180.54.250.169 2023年3月22日 (水) 11:29 (UTC)[返信]

上記ご指摘をいただき、ありがとうございます。
かがみの孤城』のリダイレクトページ「かがみの孤城 (舞台)」と「かがみの孤城 (映画)」にカテゴリの追記をしていただくお手間をおかけして申し訳ございません。ご指摘をいただくまで、「かがみの孤城 (舞台)に関するカテゴリ」「かがみの孤城 (映画)に関するカテゴリ」がリダイレクトの所属カテゴリであると認識しておりませんでした。
今後はご教示いただきましたとおり、リダイレクトの所属カテゴリにカテゴリを追記する場合には、リダイレクトページにカテゴリを追加してまいりますので、よろしくお願いいたします。--エヴァンズの秘書 2023年3月22日 (水) 17:26 (UTC)[返信]

履歴不継承について[編集]

こんにちは、エヴァンズの秘書さん。エヴァンズの秘書さんが記事編集されたからかい上手の高木さん (アニメ)についてですが、要約欄に転記元の記事名および版が記載されていないため履歴不継承、記事に著作権侵害のおそれがありますのでお知らせに参りました。

どういうことかと申しますと、ウィキペディア内に存在する文章は全て執筆した編集者一人ひとりに著作権帰属しており、著作権放棄がされているわけではありませんWikipedia:ウィキペディア内でのコピー。ですので、元の記事から内容を転記する分割、複数の記事を1つの記事へまとめる統合、ウィキペディアの他の言語版の記事から日本語版へ内容を翻訳転記する翻訳、といった内容転記を行う場合にはWikipedia:ページの分割と統合Wikipedia:翻訳のガイドラインの説明に従わなければなりません。

今回のような、著作権侵害のおそれがある記事は公式方針「Wikipedia:削除の方針#ケース B-1:著作権問題に関して」に従い、そのまま放置することが出来ませんので、既にWikipedia:削除依頼/からかい上手の高木さん (アニメ)が提出されていることを合わせてお知らせします。

ウィキペディアは編集者の方々のボランティアで成り立つ百科事典サイトですが、著作権侵害の形跡を履歴に残してしまう編集方法はエヴァンズの秘書さんにとってもウィキペディアにとっても何の得にもなりませんので、今後は上記説明ページの内容をよくご理解頂き、誤った方法による編集をしないよう注意していただけると幸いです。

では、用件のみですが失礼します。--Afj19xak23会話2023年3月25日 (土) 09:56 (UTC)[返信]

このたびは、Wikipedia:ページの分割と統合#項目一部転記の手続きをせずに、具体的には一部転記の提案をしないまま、からかい上手の高木さんから記事の一部をからかい上手の高木さん (アニメ)に転記したことでご迷惑をおかけし、申し訳ございません。Wikipedia:ウィキペディア内でのコピーと同じ手順、具体的にはa) ハイパーリンクの記載「要約欄に記事名から転記といった形で記述する」と同じやり方で問題ないものと思い違いをしておりました。
今後は項目一部転記を行う場合は、ご教示いただきましたとおり、Wikipedia:ページの分割と統合#項目一部転記の手続きに沿って一部転記の提案を行う等、手順を遵守してまいりますので、よろしくお願いいたします。--エヴァンズの秘書 2023年3月25日 (土) 16:19 (UTC)[返信]
横から失礼 横から失礼 上記依頼サブページにて、著作権関連でよく権限を行使されておられる管理者たる柏尾菓子会話 / 投稿記録 / 記録さんが仰る様に、エヴァンズの秘書さんの転記では履歴継承は出来ており、ケースB-1には該当しないものと思いますので、削除の方針のどれにも当てはまらず(強いて言うならケースEかも知れませんが、特筆性は確実にありますので該当しません)、単純に手順不備という事であれば一旦リダイレクト化した上で再度分割提案をするなりそのままリダイレクトにしておくなりすれば良いもので、はっきり言って削除依頼は行き過ぎで言いがかりレベルの依頼と言っても過言ではないと思います。そもそも今回の件は、提案失効後にも拘らず、強引に分割を実行したSerori123会話 / 投稿記録 / 記録氏(こちらも履歴継承は出来ている)の落ち度であり、態々エヴァンズの秘書さんに削除依頼をお知らせするのはやり過ぎだと思います(注意するとしても、手順を踏んでね程度のもので良いかと)。したがって、エヴァンズの秘書さんにはあまり落ち度は無いと思います。--122.31.1.53 2023年3月30日 (木) 11:42 (UTC)[返信]
あまり落ち度は無いとかばっていただき、ありがとうございます。ですが手続き不備については指摘を受けている通りですので、処理については管理者の方々の裁定に従います。ご承知のほど、お願いいたします。--エヴァンズの秘書 2023年3月30日 (木) 16:32 (UTC)[返信]

接続助詞「も」について[編集]

こんにちは。エヴァンズの秘書さんが接続助詞「も」を「ものの」に変えておられるのを何度か拝見しましたが、その際の「も」が古語特有の用法であると言う言説の根拠は何でしょうか?修正時に要約欄で挙げられている助詞#接続助詞の表を見ても「も」が載っていないと言うだけで、古語特有の用法であるとは書かれていません(そもそも、この表自体が無出典でWikipedia的にはどうなの?と思いますが…)。

当方の手元にある辞書(電子版)では『広辞苑』第七版(紙では2018年1月12日発売)で逆説の接続詞として「泣くも認められず」「期限は今日に迫りたるも準備は未だ成らず」と現代文の例文が、『明鏡国語辞典』第二版(紙では2010年12月1日発売)でも逆説の接続詞として(「古風な言い方」との注釈はありますが)「今日に至るも完成を見ない」「どんなに多くも五人までだ」「遅くも三時までには着く」と現代文の例文が、『新明解国語辞典』第七版(紙では2011年12月1日発売)でも逆説の接続詞として(こちらも「やや古風な表現」との注釈はありますが)「提案するも賛同を得られず」「連絡するも応答なし」と現代文の例文がそれぞれ載っています。また、コトバンクでも、デジタル大辞泉で逆説の接続詞として「見たくも見られない」「努力するも報われなかった」と現代文の例文が載っています。

要約欄で「古語にしか無い用法」だと断言されるのであれば、それなりの根拠をお持ちかと存じますが、如何でしょうか?--122.31.1.53 2023年3月30日 (木) 11:42 (UTC)[返信]

上記ご指摘をいただき、ありがとうございます。
まず誤解のないようにお願いしたいのは、私は要約蘭に「古語にしか無い用法」だとは記載しておりません。実際に現代文でも(例えばスポーツ新聞や一般紙のスポーツ欄などでも)よく見かける用法です。私の記載はそうではなく、「古語の逆接の接続助詞で、現代語の接続助詞にはない」です。実際に使われているかどうかではなく、現代語の文法の話です。それと、「接続詞」と記載されていますが、「も」は「接続詞」ではなく「接続助詞」です。この点、お間違いのないようお願いいたします。
接続助詞の「も」は古語であることについては、『学研全訳古語辞典』(Weblio古語辞典は『学研全訳古語辞典』を引用しています)の「」の説明をご確認願います。「「接続助詞《接続》動詞と動詞型活用助動詞の連体形に付く。①〔逆接の確定条件〕…けれども。…のに。…が。出典 源氏物語 橋姫「内裏(うち)へ参らむとおぼしつるも、出(い)で立たれず」」とあります。まず、接続助詞の「も」は古語であることはご承知をお願いいたします。
次に、122.31.1.53さんは『広辞苑』等の現代文の例を挙げられていますが、例えば『広辞苑』の当該「も」の全文は、「➌(接続助詞)①動詞的活用の語の連体形に接続して譲歩の気持から、逆接を表す。…でも。…のに。万葉集4「来むといふ―来ぬ時あるを来じといふを来むとは待たじ来じといふものを」。源氏物語橋姫「心一つにいとど物思はしさ添ひて内裏へ参らむと思しつる―出で立たれず」。堤中納言物語「月にはかられて夜深くおきにける―思ふらむ所いとほしけれど立ち帰らむも遠き程なれば」。平治物語「矢は当らざりし―痛手は負ひぬ」。「泣く―認められず」「期限は今日に迫りたる―準備は未だ成らず」」とあります。現代文の例文として挙げられているのはこの最後の2つですが、実際の出典からの引用は、万葉集源氏物語橋姫、堤中納言物語平治物語と、いずれも古典によるものばかりです。
長くなるので全文は割愛しますが、『デジタル大辞泉』での出典からの引用も、〈源・宿木〉(源氏物語宿木のこと)、〈方丈記〉と、出典からの引用はいずれも古典によるものです。つまり、現代文の例文は、古典の用法を現代文として用いればこうなります、という説明に過ぎません。
『明鏡国語辞典』と『新明解国語辞典』には出典からの引用はありませんが、「古風な言い方」「やや古風な表現」との注釈は、上記を踏まえてのものと思われます。
そのため実際、現代日本語の接続助詞一覧には、Wikipedia以外でも「も」が載っているものは見られません。Weblio辞書の接続助詞一覧東京外国語大学言語モジュールの日本語文法 接続助詞:解説、日本語トレーダーの接続助詞(せつぞくじょし)の一覧表【日本語】、文亭 - fumitei -札幌発、オンライン文章講座の接続助詞、about_jo-shi.pdfのわかりやすい文章を書くための国語文法 助詞、NPO法人eboard:映像授業で勉強を応援!の接続助詞などをご参照ください。
Wikipediaは百科事典ですので、正しい文法で文章を記載する必要があります。ご承知のほど、よろしくお願いいたします。--エヴァンズの秘書 2023年3月30日 (木) 18:43 (UTC)
東京外国語大学言語モジュールと日本語トレーダーのリンクが逆になっていたので、リンクを訂正しました。--エヴァンズの秘書 2023年3月30日 (木) 18:51 (UTC)
コメント IPアドレス変わっていますが同一人物です 初めに「古語の逆接の接続助詞で、現代語の接続助詞にはない」との要約欄での文言を「古語にしか無い用法」と曲解した事、お詫び申し上げます。申し訳ありません。また、「逆説の接続詞」についてですが、こちら当方が使用しているGoogle 日本語入力による予測変換(「逆説の」まで入力すると何故か出て来る)を修正せずに投稿した結果で、予測変換を使用していない節タイトルと冒頭文ではキチンと「接続助詞」と書いておりますし、接続詞と接続助詞が違う事は存じております(ズボラして申し訳ありません…)。
辞書に於ける例文はあくまで例文で文法の説明ではない、との事でしょうかね。やはり、辞書類の語釈や例文も百科事典と同じで出典の有無が大事なのだ、と今回の件で勉強させて戴きました。当方の無知に基づく無礼な質問に、丁寧に答えて戴き有難う御座います。
最後に老婆心ながら、利用者ページへのリンクが無かったり、末尾に全角スペースが入っていたり、と署名がおかしな事になっているのですが、大丈夫でしょうか?--153.190.18.90 2023年4月3日 (月) 11:46 (UTC)[返信]
私の説明をご理解いただき、ありがとうございます。「接続詞」の件はGoogle 日本語入力の予測変換によるものとのこと、承知しました。それで気が付いたのですが、「逆説」ではなく「逆接」(「順接」「逆接」の「接」)なのに、「逆説の」まで入力すると何故か「接続詞」が出て来るというのが不思議ですね。Google 日本語入力、どういう変換システムになっているのでしょうね?(変換システムの件はひとり言みたいなものなので、わざわざ返信いただかなくて結構です)
それと、利用者ページへのリンクの不備や全角スペースの不備をご指摘いただき、ありがとうございます。ご指摘をいただくまで気が付いておりませんでした。今後はこのような不備がないよう気を付けてまいります。--エヴァンズの秘書 2023年4月3日 (月) 15:36 (UTC)[返信]

荒らしへの対応について[編集]

かがみの孤城ノート / 履歴 / ログ / リンク元に於いて、LTA:SELFREVERTと思しき(或いは既に同LTAとしてブロック済みの)IPユーザの投稿を2版とも取り消す行為を為さっておられますが、同LTAの編集後の記事(最新版)は特段問題のある版でもありませんし、私論「利用者:Y-dash/Essay/荒らし対応は淡々と」(作成者は元管理者でもあらせられます)にも「極力『スルー』に近い対応で済ませるべき」とある様に、差し戻しはせずに静観して戴くようお願い申し上げます。でなければ、2版とも取り消す行為はWP:3RRギリギリの行為ですし、Wikipedia:連続投稿を減らすにある様に、履歴の見通しが若干悪くなる上、後になって前の版にケースB案件が発覚した場合、版指定削除する版が増える原因にもなりますので、今後は同LTAと思しきIPユーザが現れても、差し戻しはせずに静観して戴くよう宜しくお願い致します。--153.182.88.76 2023年6月27日 (火) 11:26 (UTC)[返信]

上記ご指摘をいただき、ありがとうございます。
LTAと思しきIPユーザーに限らず、荒らし編集であっても編集後の記事に問題がない場合は巻き戻しをせずに静観することにつきまして、承知いたしました。
今後は、編集後の記事に問題がある場合のみ、取り消しをするよう心がけてまいりますので、よろしくお願いいたします。--エヴァンズの秘書 2023年6月27日 (火) 14:52 (UTC)[返信]
感謝 突然の不躾なお願いにも拘わらずご理解を賜り有難う御座います。--153.182.88.76 2023年6月28日 (水) 11:36 (UTC)[返信]

接続助詞の「も」は古語というほど古くありません[編集]

逆接の「も」は明治38年の「文法上許容すべき事項」https://dl.ndl.go.jp/pid/2950066/1/5 で許容された用法です。わざわざ許容したわけですから、それまで誤用とされていた比較的に新しい用法で、古語というわけではありません。また、明治時代に一時的に流行しただけで今は完全に廃れたというわけでもなく、最近の新聞記事にも散見されます。

先ごろ推理小説の記事で「呼ぼうとするも」→「呼ぼうとするものの」と変更されたのを是非元に戻すべきだとまでは言いませんが、だからといって、片端から「するも」を「するものの」に変更する編集をなさることがあれば、それはおかしいです。--モノノハズミ会話2023年7月12日 (水) 09:48 (UTC)[返信]

上記ご指摘をいただき、ありがとうございます。
まず誤解のないようにお願いしたいのは、「接続助詞の「も」は古語というほど古くありません」と項目名に記載されていますが、接続助詞の「も」が古語であることについては、『学研全訳古語辞典』(Weblio古語辞典は『学研全訳古語辞典』を引用しています)の「」の説明をご確認願います。「「接続助詞《接続》 動詞と動詞型活用助動詞の連体形に付く。①〔逆接の確定条件〕…けれども。…のに。…が。出典 源氏物語 橋姫「内裏(うち)へ参らむとおぼしつるも、出(い)で立たれず」」とあります。まず、接続助詞の「も」が古語であることは、ご承知をお願いいたします。
次に、明治38年の「文法上許容すべき事項」で許容されているとのことですが、これは「教科書ノ検定又ハ編纂ニ関シ文法上許容スヘキ事項ヲ定ムルコト左ノ如シ」とあるとおり、「明治38年当時」の教科書検定と教科書編纂においてのことです。Mononohazumiさんは、「明治38年当時」の検定が、現代教科書の検定においてもそのまま生かされているとお考えなのでしょうか。例えば(面倒なので、カタカナ書きの箇所は、ひらがなで記載します)、二「しく・し・しき」活用の終止言(終止形)を「悪しし」「勇ましし」や、三 過去の助動詞の「き」の連体言(連体形)「し」を終止言(終止形)に用いる「鎮火せざりし」「見ざりし」など、(古典の教科書や国語の教科書で明治・大正時代の文豪の小説、日本史で戦前の文章を引用する場合以外で)このような時代錯誤な用例が認められるとは思いにくいのですが、いかがでしょうか。
また、「最近の新聞記事にも散見されます」とのことですが、それについては2つ上の方「接続助詞「も」について」への回答にも記載していますが、たしかに実際に現代文でも(例えばスポーツ新聞や一般紙のスポーツ欄などでも)よく見かける用法です。私の記載はそうではなく、「古語の逆接の接続助詞で、現代語の接続助詞にはない」です。実際に使われているかどうかではなく、現代語の文法の話です。
Mononohazumiさんは教科書検定の例を挙げられていますが、現代教科書の国語文法においては、「も」は現代語の逆接の接続助詞としては認められておりません。ですので接続助詞一覧表にも逆接「も」が載っていないのです。
Wikipediaは百科事典ですので、正しい文法で文章を記載する必要があります。ご承知のほど、よろしくお願いいたします。--エヴァンズの秘書 2023年7月12日 (水) 12:08 (UTC)[返信]
ある表現が時代錯誤であるかどうかは現代において実際に使われているかどうかで決まると私は思いますが、エヴァンズさんは実際に使われているかどうかと関係なくもっぱら古語辞典に載っているかどうかで決まるのだとお考えなのですか?--モノノハズミ会話2023年7月12日 (水) 20:28 (UTC)[返信]
古語辞典に載っているかどうかで決まるのではなく、現代の国語文法の接続助詞一覧表に載っているかどうかで、現代語における正しい文法であるかどうかが決まると述べています。ご承知のほど、よろしくお願いいたします。--エヴァンズの秘書 2023年7月12日 (水) 23:10 (UTC)[返信]
現代語で書かれた文章に現代の国語文法の接続助詞一覧表に載っていない古い接続助詞を使うのは文法的な誤りであるとエヴァンズさんはお考えなのですね。しかし、それは世間で広く認められた考えではなく、エヴァンズさん独自の風変わりな考えではありませんか? その考えが世間で一般的であるというソースをお示し願えますか。例えば、文化庁が各新聞社に対して接続助詞の「も」を使うのは文法的な誤りなので止めるように指示しているとか、どこの学校でも国語の時間に「新聞には接続助詞の『も』を現代文に使うという文法的な誤りが多く含まれるので、国語の勉強のつもりで新聞を読むのは絶対にやめなさい」と生徒に指示しているとか。--モノノハズミ会話2023年7月13日 (木) 08:02 (UTC)[返信]
エヴァンズさんのおっしゃることを鵜呑みにしていましたが、そもそも国語辞典にも載っていますよ。
[接助]形容詞・形容詞型活用語の連用形、動詞・動詞型活用語の連体形に付く。逆接の意を表す。…とも。…ても。…けれども。「見たく―見られない」「努力する―報われなかった」
--モノノハズミ会話2023年7月13日 (木) 09:04 (UTC)[返信]

(インデントを戻します)

Mononohazumiさん、上記ご指摘につきまして、まず、デジタル大辞泉に載っているとのこと、2つ上の方「接続助詞「も」について」への回答にも同様の回答をしていますが、『広辞苑』でも同様のことです(広辞苑「も」③接続助詞(広辞苑無料検索))。長くなるので詳細は割愛しますが(「接続助詞「も」について」に詳しく記載しています。ご参照願います)、『広辞苑』での実際の出典からの引用は、万葉集源氏物語橋姫、堤中納言物語平治物語、『デジタル大辞泉』での出典からの引用は、〈源・宿木〉(源氏物語宿木のこと)、〈方丈記〉と、出典からの引用はいずれも古典によるものです。つまり、現代文の例文は、古典の用法を現代文として用いればこうなります、という説明に過ぎません。『大辞林』に至っては、現代文の例文すらありません(大辞林「も」二(接助)(広辞苑無料検索))。
そもそも「も」が逆接の接続助詞に載っていないと申していますのは、「接続助詞一覧」です。東京外国語大学言語モジュールの日本語文法 接続助詞:解説、日本語トレーダーの接続助詞(せつぞくじょし)の一覧表【日本語】、文亭 - fumitei -札幌発、オンライン文章講座の接続助詞、NPO法人eboard:映像授業で勉強を応援!の接続助詞などをご参照ください。
また、現代の国語文法の接続助詞一覧表に載っていない古い接続助詞を使うのは文法的な誤りであるという考えが世間で一般的であるというソースを示してくださいとのこと、その例として「どこの学校でも学校でも国語の時間に「新聞には接続助詞の『も』を現代文に使うという文法的な誤りが多く含まれるので、国語の勉強のつもりで新聞を読むのは絶対にやめなさい」と生徒に指示しているとか」を挙げられていますが、それは逆で、授業で教える逆接の接続助詞は「ても・でも・けれど・けれども・が・のに・ながら・つつ・ところで・ものの・ども」だけで、他の接続助詞との区別を叩き込むのが精一杯なのに、わざわざ接続助詞一覧表に載っていない「も」を使わないようになどと教えて生徒を混乱させるようなことはしません。これについては、信州大学教育学部の中学校国語教科書から見た助詞の分布と文章ジャンルとの相関という論文に(PDFファイルの104ページの表 11に)「接続助詞の使用状況」がまとめられています。もちろん、「も」はありません。授業で接続詞一覧表に載っていない逆接の「も」は教えないのだから、逆接の「も」が載っていないテキストを選んでいるわけで、当然の結果といえるでしょう。
それと、現代の国語文法の接続助詞一覧表に載っていない古い接続助詞を使うのは文法的な誤りであるという考えは、世間で広く認められた考えではなく、私独自の風変わりな考えではないかとの点につきましては、別に独自でも風変わりなわけでもなく、百科事典が現代国語文法を遵守するのは当然のことだというだけのことです。一例として、コトバンク 織田信長で各百科事典が逆接の接続助詞をどのように記載しているか、以下に挙げてみます。
  • 日本大百科全書(ニッポニカ) 「織田氏は近江(おうみ)津田氏と関係があると伝えられているが、」「のち上・下尾張に織田氏も分かれるが、」「初め藤原氏を称したが、」「上総介(かずさのすけ)と署名するが、」「信長の生涯は戦闘に明け暮れたが、」「信長は天下の実権を握るが、」「信長は初め朝廷の官職を辞退したが、」「577年に従二位右大臣となるが、」「反抗した延暦寺などを焼討ちはしたものの、」「堺(さかい)などの武装を解除したが、」「信長は禅宗であるが、」「名物をも集めたが、」「室町幕府よりもはるかに新しいが、」(以上、「が」12例、「ものの」1例)
  • 百科事典マイペディア 「統一政権樹立を進めたが,」(以上、「が」1例)
  • ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典「義昭を将軍職につけたが,」「やがて中国経略を志して毛利氏と対立したが,」(以上、「が」2例)
  • 旺文社日本史事典 三訂版「天下統一の事業は挫折したが,」(以上、「が」1例)
  • デジタル版 日本人名大辞典+Plus(逆接の接続助詞なし)
  • 精選版 日本国語大辞典「統一政権樹立の基礎を固めたが、」(以上、「が」1例)
  • デジタル大辞泉、デジタル大辞泉プラス(ともに逆接の接続助詞なし)
  • 世界大百科事典 第2版「藤原氏を称したが,」「祖父は信貞といったらしいが,」(以上、「が」2例)
  • 山川 日本史小辞典「義昭を将軍に擁立したが,」「一向一揆などの包囲をうけて苦戦したが,」(以上、「が」2例)
  • 世界大百科事典「《形見送(経盛)》(廃曲)も同材だが,」「石山合戦ともいうが,」「守護細川氏の支配がかろうじて続いたが,」「三好義継の部下が家原城その他に分封されたが,」「和田惟政の館にいたことがあるが,」「朝倉氏より社領の保護をうけたが,」「義竜・竜興と継承されたが,」「京中に貸米の制度を実施するが,」「三河一向一揆が起きたが,」「5万の兵で3方面から攻撃したが,」「軍用米・金としては兵粮料(ひようろうりよう)があったが,」(以上、「が」11例)
以上、コトバンク内の百科事典・各種事典・辞典での逆接の接続助詞の記載は、「が」32例、「ものの」1例で、合計33例あり、圧倒的に「が」が多く、「も」は1例もありません。この結果が、百科事典は現代国語文法を遵守し、そこから逸脱している「も」は用いないという証左にはなりはしないでしょうか。この結果に疑問をお持ちでしたら、ご自身でご確認をお願いいたします。また、他の人物でもご確認ください。特に道半ばで落命した人物(明智光秀、高杉晋作、坂本龍馬、西郷隆盛、大久保利通など)には、逆接の接続助詞の記載が多いと思います。いずれの人物でも結果は同じ(逆接の接続助詞として「も」の記載はない)と思いますが、(古典の引用や戦前の文章の引用ではなく現代文で)万が一にも逆接の接続助詞として「も」の記載がありましたら、潔く考えを改める所存でございます。
繰り返しになりますが、Wikipediaは百科事典ですので、正しい文法で文章を記載する必要があります。ご承知のほど、よろしくお願いいたします。--エヴァンズの秘書 2023年7月13日 (木) 14:03 (UTC)[返信]
>現代文の例文は、古典の用法を現代文として用いればこうなります、という説明に過ぎません。
デジタル大辞泉に接続助詞「も」を使った現代文の例が載っているのは、「も」は古文の接続助詞であり現代文で使うのは文法的誤りだが、その文法的誤りをあえて犯せばこのようになるという例としてだという趣旨ですか? だとしたら、そうとう無理のある解釈です。デジタル大辞泉の凡例に「本辞典では、古文にしか現れない助詞等についても、説明のため現代文中に無理矢理に使った例を示すものとします」という記載でもありますか? 他の項でも現代文に使わない助詞等を現代文に無理矢理に使った例を挙げていますか?--モノノハズミ会話2023年7月13日 (木) 21:11 (UTC)[返信]
>デジタル大辞泉の凡例に「本辞典では、古文にしか現れない助詞等についても、説明のため現代文中に無理矢理に使った例を示すものとします」という記載でもありますか? 他の項でも現代文に使わない助詞等を現代文に無理矢理に使った例を挙げていますか?
それはMononohazumiさんの方でご確認お願いいたします。私の主張の主旨は既に述べておりますとおり、現代の国語文法の接続助詞一覧表に載っているかどうかで、現代語における正しい文法であるかどうかが決まる、百科事典は現代国語文法を遵守し、そこから逸脱している「も」は用いないというものです。そして、現にコトバンク 織田信長内の百科事典と各種事典・辞典には逆接の接続助詞として「も」が一文字も載っていないことを確認しています。さらに、他の人物(できごとでもいいですが)に万が一にも逆接の接続助詞として「も」の記載がありましたら、潔く考えを改める所存であるとまで述べています。
他の人物(できごとでもいいですが)で、同百科事典と各種事典・辞典内での逆接の接続助詞として「も」の記載の有無のご確認をお願いいたします。
再度の繰り返しになりますが、Wikipediaも百科事典ですので、他の百科事典と同様に、正しい文法で文章を記載する必要があります。ご承知のほど、よろしくお願いいたします。--エヴァンズの秘書 2023年7月13日 (木) 23:18 (UTC)[返信]
二人だけで議論していても平行線になりそうなので、どこか他の人が議論に参加してくれそうな場所に移りましょう。--モノノハズミ会話2023年7月14日 (金) 07:43 (UTC)[返信]
推理小説のノートで話しましょう。--モノノハズミ会話2023年7月14日 (金) 08:54 (UTC)[返信]
上記ご提案をいただき、ありがとうございます。他の人が議論に参加してくれそうな場所に移ることに異存はありません。ただ、逆接の接続助詞として「も」を記載するかしないかは、推理小説のページを編集をされる方には関心がないように思いますが。
表記の問題ですので、表記ガイドのノート(Wikipedia‐ノート:表記ガイド)の方がふさわしくないでしょうか。その方が、表記の仕方について詳しくかつ関心を持たれる方の議論への参加が見込まれるのではないかと思います。ご検討のほど、よろしくお願いいたします。--エヴァンズの秘書 2023年7月14日 (金) 11:33 (UTC)[返信]
言われてみればそうですね。Wikipedia‐ノート:表記ガイドで話しましょう。--モノノハズミ会話2023年7月14日 (金) 12:00 (UTC)[返信]
Wikipedia‐ノート:表記ガイドでの議論に賛同いただき、ありがとうございます。よろしくお願いいたします。--エヴァンズの秘書 2023年7月14日 (金) 14:05 (UTC)[返信]

Wikidataについて[編集]

Wikipedia‐ノート:表記ガイドでお会いしたシェン,アーナリー,ン,アーバァ.です。

エヴァンズの秘書さんは、推理小説および文学などを中心に細やかな編集活動をなさっているように感じます。その丁寧で専門的な編集様式をウィキデータでも生かしてみませんか。

試しに、en:The Inugami Curseとリンクする (Q115152547)犬神家の一族などとリンクする犬神家の一族 (Q4924904)を言語間リンクするべきか、編集に参加してくださるととてもうれしいです。

このほか、ウィキデータには推理小説 (Q120742462)アガサ・クリスティ (Q35064)などの項目があります。なお、興味がなかったらご放念下さい。--シェン,アーナリー,ン,アーバァ.(お気軽に会話ページへご連絡ください) 2023年7月19日 (水) 15:03 (UTC)[返信]

シェン,アーナリー,ン,アーバァ.さん、先日は接続助詞「も」の討議で大変お世話になり、ありがとうございました。また、上記のお誘いをいただき、ありがとうございます。
ただ、せっかくのお誘いですが、編集活動の範囲を今以上に広げるのは、マイペースで無理のない編集活動を心がける身としましては、いささか負担が大きいように感じます。
ご期待に沿えず申し訳ございませんが、ご了承のほどよろしくお願いいたします。--エヴァンズの秘書 2023年7月19日 (水) 16:55 (UTC)[返信]

ガイドラインの適用に関して[編集]

エヴァンズの秘書さん、こんにちは。細かな表記の微修正など、いつもどうもありがとうございます。先日の「翻訳版が、○○語で行なわれている。」など、言われてみればエヴァンズの秘書さんのご指摘の方向で「出版されている」にしてよかったなと思います。今回の「片腕 (小説)」や「眠れる美女」でのハイフン間の半角スペース挿入([4][5])もありがとうございました。

ただ、今回の場合は、ガイドラインを遵守されているエヴァンズの秘書さんの修正で何の問題もなく私としても特に異存はありませんが、一応表記ガイドの冒頭文に「このガイドラインはすべての記事に絶対に適用しなければならないものではありません。」ともあるように、なにがなんでも絶対にハイフン間に半角スペースを入れることを全記事で統一しなければいけないということもないため、あまり教条的にどこの記事でもそれを適用して廻るということは、場合によってはその記事の主執筆者とのトラブルの元になることもあるうるかと思います。なので、基本的には記述の内容が間違っているとか誤字があるとかの内容に関わる大事なこと以外の、どちらでもいいような性質のものは、内容を執筆した人の裁量に大体はまかせておけばいいのではないかなと思います。

というのは、年月の範囲を示している箇所が沢山あるような場合には(リストなど)、スペースの節約やバイト数の節約などから、あえてそのようなスペースを入れずに省くという選択肢もありえますから(誤字とかではないので)、そういうことも今後の編集活動の際に頭の片隅にでも入れておいていただければありがたく存じます。--みしまるもも会話2023年9月8日 (金) 01:10 (UTC)[返信]

みしまるもも会話)さん、いつもお世話になっております。最近は上記「片腕 (小説)」や「眠れる美女」のほか、「櫻の樹の下には」等の文学作品のページの要約欄で何度かやり取りをさせていただいております。この会話ページでは「#「伊豆半島#伊豆地方を舞台にした小説」の表記について」でお世話になって以来かと思います。その節はいろいろご教示いただき、ありがとうございました。
また、今回は上記のご指摘をいただきありがとうございます。ご指摘につきましては、場合によってはその記事の主執筆者とのトラブルの元になりこともあるうることをご心配になってのご助言と受け取らせていただきます。
表記ガイドの冒頭文には、確かにみしまるももさんが挙げられている「このガイドラインはすべての記事に絶対に適用しなければならないものではありません。」の記載がありますが、その前に、「ウィキペディア全体の表記の一貫性を目指し、コンピュータ上で作られる文書であることに配慮しながら、印刷物の慣行に近づける意図があります」とあり、百科事典であるウィキペディアの体裁を整えるため、編集者によってまちまちな表記にならないよう、表記の仕方を統一するという主旨が掲げられています。そして、その主旨の実現のために「記事執筆の際は、できるかぎりこのガイドラインに従うことが推奨されます」と記載されています。
私は、この表記の仕方を統一するという主旨に沿って、日ごろから表記ガイドに則した編集を心がけるようにしております。要約欄に「Wikipedia:表記ガイド#ハイフン「期間・区間・範囲をハイフンで表すときには、「 - 」(半角スペース+ハイフン+半角スペース)とします。 例:1990年 - 1999年」に基づき、「2月-12月」→「2月 - 12月」に修正。」と、事細かに説明を記載しているのも、表記ガイドの記載を知らない人や表記ガイドの記載を守っていない人に、表記ガイドに則した編集を心がけるようにしてもらいたいとの思いからです。
ただ、表記ガイドで推奨されているのは「できるかぎり」ガイドラインに従うことですので、「できない」場合や「困難な」場合には従う必要がないという意味で、「このガイドラインはすべての記事に絶対に適用しなければならないものではありません。」とされているのだと思われます。ハイフン間に半角スペースを入れることに関して言えば、ご指摘いただきましたとおり、リストなどで年月の範囲を示している場合には、スペースを入れることにより表の体裁が崩れるなど弊害も考えられます。この場合は表記ガイドに沿った記載が「困難な」場合に該当しますので、そういう場合にはなにがなんでも絶対にハイフン間に半角スペースを入れるということをしないよう配慮いたします。
今後もより良い記事になるよう編集を心がけてまいりますので、引き続きご教示のほど、よろしくお願いいたします。--エヴァンズの秘書 2023年9月8日 (金) 13:06 (UTC)[返信]
  • エヴァンズの秘書さん、ご理解どうもありがとうございます。ただ少し気になった点として、「できない」「困難」以外は統一しなくてはいけないみたいなことはガイドラインで提唱してはいないと思います。表記のガイドラインは、できるかぎり従うことが推奨されるものですが、やはり冒頭にも以下の文言があるように、全ての記事に「絶対に適用」しなくてはいけないということではなく、できない、困難な場合以外は全部統一しろ、という強制もしてはいません。
できるかぎりこのガイドラインに従うことが推奨されます。ただし、このガイドラインはすべての記事に絶対に適用しなければならないものではありません。
  • 人物記事の冒頭部の生年月日と死亡年月日の箇所などは、半角スペースが入れる一貫性があった方が妥当だと思いますが、上で申したように、大量のリストなどは、それぞれの記事でレイアウト的にもやり方が様々あり、バイト数やスペースの節約などの面から、掲載月日の間の特に意味のない半角スペースはあえて省くという判断も、その内容の執筆者の裁量で許容されるべきものだと思います。
  • 例えば、『』と「」の収録関係の表記などは、書籍の一般的な凡例にも則した妥当性のあるガイドラインですが、このハイフンの半角スペースというのは、はっきり言って日本文学系の分野ではどちらでも大差のない類いのことです。本来的には使用可能ならば「~」が日本語的には適切であって、実際、作家の事典などの紙媒体では「~」で示されているものも多いです。
  • ですが「~」は使えませんから、ウィキペディアでは仕方なくハイフン的なもので代用しているわけです。そして、ハイフン間の半角スペースというのは、理数系の記事では意味のある重要なことなのかもしれませんが、少なくとも日本文学分野においては、その有無は特にどちらでもいいような類いのことです。
  • なので、この範囲の半角スペースの件などは、今後、文学のローカルルール的には少し臨機応変な許容を持たせる方向を提案するかもしれず、エヴァンズの秘書さんのおやりになっていることが無駄になってしまう可能性もありますから、もしもそうしたガイドライン遵守作業をなさりたい場合には、半角スペースを入れない「enダッシュ」の方がいずれにしても無駄にならないと思いますので、よろしくお願いいたします。--みしまるもも会話2023年9月11日 (月) 06:40 (UTC)[返信]
みしまるもも会話)さん、上記のご返信をいただきありがとうございます。ただ、いささか承服しかねるところがございます。
まず、
できるかぎりこのガイドラインに従うことが推奨されます。ただし、このガイドラインはすべての記事に絶対に適用しなければならないものではありません。
と続けて記載されていますが、それは違うのではないでしょうか。表記ガイド冒頭の記載は、
記事執筆の際は、できるかぎりこのガイドラインに従うことが推奨されます。
ただし、このガイドラインはすべての記事に絶対に適用しなければならないものではありません。ここに掲載されている表記法と異なる表記を分野ごと、記事ごとに使用する場合、関連分野のウィキポータルウィキプロジェクトや、個別記事のノートで合意形成をし、合意事項をわかりやすい形でまとめておくとよいでしょう。
です。まず大前提というか原理原則が「記事執筆の際は、できるかぎりこのガイドラインに従うことが推奨されます」です。そのためここで改行し、その後に例外として「ただし、このガイドラインはすべての記事に絶対に適用しなければならないものではありません」とし、適用しない場合(ここに掲載されている表記法と異なる表記を分野ごと、記事ごとに使用する場合)には「関連分野のウィキポータルウィキプロジェクトや、個別記事のノートで合意形成をし、合意事項をわかりやすい形でまとめておく」ことを勧められています。大変失礼ながら、みしまるももさんは、ご自身の主張に合うように、例外の「ただし、このガイドラインはすべての記事に絶対に適用しなければならないものではありません」を強調し過ぎておられませんでしょうか。
また、「バイト数やスペースの節約などの面から、掲載月日の間の特に意味のない半角スペースはあえて省くという判断も、その内容の執筆者の裁量で許容されるべきものだと思います」と記載されていますが、これは「ここに掲載されている表記法と異なる表記を分野ごと、記事ごとに使用する場合」には「合意形成をし、合意事項をわかりやすい形でまとめておくとよいでしょう」を逸脱しているのではないでしょうか。また、一般的に「できる限り」と言う場合は、例えば「できる限り期限までに提出してください。どうしても間に合わない場合は事前に連絡(相談)ください」とか「できる限り規定の文字数に合わせてください。また、文字数が規定を超える場合は最小限にとどめてください」などとされるもので、まずは原理原則に従い、例外は最小限にとどめるものではないかと思います。
そもそも、みしまるももさんが主張されるように、バイト数やスペースの節約などの面から半角スペースを省くことが執筆者の裁量で許容されるとすれば、その程度の規定は(表記ガイドの定めを「規定」と呼ぶのが正しいかどうかは別として)必要ないということになるのではないでしょうか。期間・範囲を表すのに「半角スペース+ハイフン+半角スペース」を用いるということが、どのような主旨の基、どのような経緯で定められたのかは存じませんが、バイト数やスペースの節約の方が優先されるのであれば、「enダッシュ」と同様にハイフンの場合も前後に半角スペースを入れないように(あるいは期間や範囲を表す場合は「enダッシュ」に限定するように)改訂すべきではないでしょうか。このことは「記事執筆の際は、できるかぎりこのガイドラインに従うことが推奨されます」と「ただし、このガイドラインはすべての記事に絶対に適用しなければならないものではありません」のどちらに重きを置くかの問題ではなく、期間や範囲を「半角スペース+ハイフン+半角スペース」で表すという規定の問題ではないかと思います。
私は、別に期間や範囲を「半角スペース+ハイフン+半角スペース」を用いること自体にはこだわりはありません。表記ガイドで推奨されているとおり「できるかぎり」ガイドラインに従うものですので、現在の規定「半角スペース+ハイフン+半角スペース」をイフンの場合も前後に半角スペースを入れないように(あるいは期間や範囲を表す場合は「enダッシュ」に限定するように)改訂いただければ、改訂に従います。
今後もご教示のほど、よろしくお願いいたします。--エヴァンズの秘書 2023年9月11日 (月) 14:01 (UTC)[返信]
  • エヴァンズの秘書さん、こんにちは。おそらくハイフン使用の場合に半角スペースを入れるのは、マイナスとかプラスの記号を数式で使用することの多い理数系の記事で、マイナスと紛らわしくなるから、範囲を示す場合は半角スペースを入れるということではないかなと思います。文学系の記事では、半角スペースが無いことで、他の記号と混同することはありませんから、教条的になにがなんでもどんなところでも半角スペースを入れろみたいな強制は、少なくとも日本文学系の記事内では、体裁を崩してまでその半角スペースに何の意味があるのか? という話になってきます。だから、上で申したように膨大なリストなどでは臨機応変に認められる許容範囲のことだと思います。別に波ダッシュを使用しているわけではなく、リストなどでハイフン間の半角スペースを入れない程度のことを、予めノートで合意を取るというのもあまり現実的ではなく(執筆者がほぼ一人の場合はなおさら)、「合意形成をし、合意事項をわかりやすい形でまとめておくとよいでしょう」というのも、あくまでも「よいでしょう」という提案であって、ないからといって「逸脱」ということにはなりえません。
  • 表記のガイドラインというものは、記事を執筆しやすく、あるいは読みやすくするための「指針」であって、なるべく従うことが推奨されますが、統一することを目的にする人がいると、あちらこちらでトラブルの元になります。また、「合意」というは、基本的にはその記事の内容の執筆に関わった人たちの間でなされるものだと思うので、内容に一切関わってもいない人が、ガイドラインを伝家の宝刀のように振りかざし、突然とその表記だけ、それだけを置き換えることを目的に、半角スペースを絶対に入れろみたいに押しつける行為自体が、場合によっては、記事全体の体裁のことを無視した「ルールの悪用」的な行為にもなりかねず、その正しさの押しつけが行きすぎるとスムーズな記事執筆の妨害行為にもなると思うのです。
  • なので、事の本質は、そのガイドラインを改訂しろという話ではなくて、改訂したらしたで、また今度は半角スペースを省いたり、今あるハイフン使用を「enダッシュ」に置き換えたりする行為をして廻るという事案が発生しますから(エヴァンズの秘書さんがそれをやるという話ではなく、ウィキペディア全体の話として)、ガイドラインをガチガチに守るという、黒か白かみたいな姿勢自体を、もう少し柔軟に対応していただけるようにしてもらえればと願っています。--みしまるもも会話2023年9月12日 (火) 03:17 (UTC)[返信]
みしまるもも会話)さん、何度もご返信をいただきありがとうございます。ただ、残念ながら、やはりみしまるももさんのおっしゃりようには承服いたしかねます。黒か白かみたいな姿勢自体を、もう少し柔軟にとおっしゃられますが、その黒か白かを明記するのが、記事を執筆しやすくするための「指針」としての表記ガイドというものではないでしょうか。
みしまるももさんは表記のガイドラインというものは、記事を執筆しやすく、あるいは読みやすくするための「指針」であると記載されています。そして現在の「期間・区間・範囲をハイフンで表すときには、「 - 」(半角スペース+ハイフン+半角スペース)とします」という指針ははっきりしていて分かりやすいです。これが「黒か白か」でいえば「白」として、みしまるももさんが挙げられている「リスト」や「スペースの節約やバイト数の節約」が例外の「黒」だとします。この例外(体裁を整えるため「リスト」内のハイフンは前後に半角スペースを入れないでください。「スペースの節約やバイト数の節約」のためハイフンが〇〇件以上の場合は前後に半角スペースを入れないでください。等)を明記するのが指針としての役割を持つ表記ガイドというものではないでしょうか。そうでないと、指針である表記ガイドにしたがって編集しているのに、表記ガイドに記載されていないことを理由にこの編集はおかしいなどと言われるのは、誰しもとまどうことになるのではないでしょうか。また、それでは表記ガイドは指針としての役割を果たしていないのはないでしょうか。
それに統一することを目的にする人がいると、あちらこちらでトラブルの元になりますとのことですが、統一することが「ウィキペディア全体の表記の一貫性を目指」すという表記ガイドの目的ではないのでしょうか。統一することを目的にしないいと、いつまでたっても「ウィキペディア全体の表記の一貫性を目指」すという表記ガイドの目的を果たせないのはないでしょうか。
前回も申しましたが、「半角スペース+ハイフン+半角スペース」を用いることに不都合が生じるということであれば、それは現在の表記ガイドの規定「期間・区間・範囲をハイフンで表すときには、「 - 」(半角スペース+ハイフン+半角スペース)とします」に不備があるということです。ですので、その不備を改めるために、例外として前後に半角スペースを入れない場合を明記する、あるいはハイフンの場合は前後に半角スペースを入れないことにする、あるいは期間や範囲を表す場合は「enダッシュ」に限定するなどの改訂が必要に思います。それともみしまるももさんは、私のように表記ガイドを遵守している人がいたら、一人ひとりにガイドラインをガチガチに守るような編集はしないでくださいと、その都度指摘されていかれるのでしょうか。それは非常に非効率的ではないかと思いますが、いかが思われますでしょうか。
みしまるももさんにおかれましては、現在の表記ガイドの規定「期間・区間・範囲をハイフンで表すときには、「 - 」(半角スペース+ハイフン+半角スペース)とします」に不都合がある場合があるとお考えでしたら、それは表記ガイドの問題ですので、表記ガイドを改訂される方向でのご検討をぜひともお願いしたいと思います。
今後もより良い編集を心がけてまいりますので、よろしくお願いいたします。--エヴァンズの秘書 2023年9月12日 (火) 17:18 (UTC)[返信]
  • まあ、こうした件は、それぞれの人の思考や認識が違いますから、「Wikipedia‐ノート:表記ガイド#期間・区間・範囲を表わすハイフン「 - 」などについて」で、少し一例を書き加えることを提案いたしましたので、よかったら参加してください。なぜ「半角スペース」を入れる必要があるのか、あるいは入れなくていいのか、などの疑問点なども、そのノートでお訊ねになってみてもいいかもしれません(上で私が推測している理数系云々とは違うかもしれないので)。
  • エヴァンズの秘書さんが「ハイフン、半角スペース有り」にこだわってはいないように、私もリストで必ず「ハイフン、半角スペース無し」にこだわっているわけではなく、この場合の半角スペースのような類いのものは、臨機応変に変えうるということを願っているのです。
  • エヴァンズの秘書さんは、以前私が対話した方(短編小説はいつでもどこでもずっと「」で固定したものだと主張されていた方)とは異なり、ガイドラインを真面目に遵守しようとなさっているだけのとても誠実で良性の方なので、その表記ガイドのノート(あるいは今後、文学ポータルで文学系分野の例外的な提案をするかもしれません)で、解決策は容易に見つかると思っています。こちらこそ、今後もよろしくお願いいたします。--みしまるもも会話) 2023年9月13日 (水) 01:37 (UTC) 誤字--みしまるもも会話2023年9月13日 (水) 01:47 (UTC)[返信]
みしまるもも会話)さん、「Wikipedia‐ノート:表記ガイド#期間・区間・範囲を表わすハイフン「 - 」などについて」で、一例を書き加えることを提案いただきありがとうございます。前々回に記しましたが、現在の「半角スペース+ハイフン+半角スペース」が、どのような主旨の基、どのような経緯で定められたのか存じませんので、基本的にはそういったことが詳しい方々の討議にお任せ(「お任せ」という言葉は失礼かも知れませんが、他に適切な言葉が思いつきませんので)したいと思います。
私としましては、前回意見を述べさせていただきましたとおり、記事を執筆しやすいように分かりやすい内容であれば、基本、どのようなものであっても(半角スペース有りでもなしでも、あるいは「enダッシュ」に限定するなどでも)構わないと思っております。それで討議の様子を拝見させていただき、必要があれば意見を述べさせていただければと思っております。どうぞよろしくお願いいたします。
話は変わりますが、みしまるももさんが「以前対話した方」というのは、「#「伊豆半島#伊豆地方を舞台にした小説」の表記について」でお世話になった際に、(その方は今無期限ブロックで活動していませんが)と記載されていた方のことでしょうか。おそらくはそこで紹介いただいている「Wikipedia:井戸端/subj/小説における著作物名の表記の『』と「」の区別の仕方について」の中の新頭痛さん(頭痛さんの別アカウント名)かと思いますが、頭痛さんとは10年ほど前、『不思議の国のアリス』関連で何度か投稿が競合していました。とくに「ハートの女王」では、それまで私が出典を元にマザーグースとの関連を記載していたものを「キャロルのハートの女王を童謡の派生のように書くのはおかしい。」とにべもなくひっくり返されて、いささか不愉快な思いをしましたが、会話ページでの会話や要約欄の記載など、かなり攻撃性の強い方のようにお見受けし、積極的には関わらないようにしていました。今となってはもうどうでもいいことですが。
今回はいろいろとお手間をおかけしてしまいましたが、今後もより良い編集を心がけてまいりますので、引き続きご教示のほど、よろしくお願いいたします。--エヴァンズの秘書 2023年9月13日 (水) 17:19 (UTC)[返信]

エヴァンズの秘書さん、こんにちは。やはりこの件について、文学分野のローカルルールを設けて明文化しておくのが今後皆さんに分かりやすいと思い、「Portal‐ノート:文学#期間・区間・範囲を表わすハイフン「 - 」の例外的ローカルルール制定」を提案いたしましたので、よろしくお願いいたします。--みしまるもも会話2023年9月21日 (木) 07:46 (UTC)[返信]

みしまるもも会話)さん、「Portal‐ノート:文学#期間・区間・範囲を表わすハイフン「 - 」の例外的ローカルルール制定」を提案されたとのご連絡をいただき、ありがとうございます。また、返信が遅くなりましたこと、申し訳ございません。
意見を申し上げたいことは、あるにはあるのですが、実は先日から体調が思わしくなく、頭がボーっとして上手く考えがまとめられない状態でございます。
体調が良くなりましたら、ご意見を申し上げさせていただきたいと思いますので、よろしくお願いいたします。--エヴァンズの秘書 2023年9月22日 (金) 10:56 (UTC)[返信]

いえいえ、返信が遅くはないので気になさらなくも大丈夫です。ローカルルール制定のことよりもご自身の体調の方を優先なさって、レモンやみかん等の天然のビタミンCを補給なさって十分お休みください。ローカルルールの方は、たぶん成立しないでしょうから、何も気になさらず健康にご留意してください。--みしまるもも会話2023年9月23日 (土) 02:06 (UTC)[返信]

お気遣いいただきありがとうございます。ローカルルールの方は、たぶん成立しないでしょうとのこと、反対意見もあるようですのでそうかもなぁとは思っています。ただ、せっかく何度もやり取りを経てご提案いただいたものですので、やはり意見は意見として申し上げさせていただきたいと思います。
あと2、3日中には回復すると思いますので、よろしくお願いいたします。--エヴァンズの秘書 2023年9月23日 (土) 04:23 (UTC)[返信]
みしまるもも会話)さん、大変遅くなりましたが、ようやく先ほど「Portal‐ノート:文学#期間・区間・範囲を表わすハイフン「 - 」の例外的ローカルルール制定」に意見を述べさせていただきました。ご確認のほど、よろしくお願いいたします。--エヴァンズの秘書 2023年9月26日 (火) 16:41 (UTC)[返信]

和暦と西暦の関係について[編集]

倉敷市この編集について。

  • 「延享3年」を「1746年(延享3年)」に変更なさっていましたが、これは誤りの可能性があります。ご承知かとは思いますが、明治6年以前は、和暦と西暦は1対1で対応していません。太陰太陽暦#日本の太陰太陽暦旧暦など参照。
  • たとえば「延享3年」は、グレゴリオ暦かユリウス暦かの問題もありますが、「1746年」と「1747年」のどちらかの可能性があり、単純に「1746年」と換算できません。
  • なので、単純機械的な書き換えはしないでください。(その都度、情報源を検証し、西暦が記されていることを確認しているならばオッケーです。)
    • Wikipedia:表記ガイド#西暦・和暦の「旧暦を採用している時期などで、出典から正確な西暦の日付を特定できない場合などには、それ以外の暦を先に表記することができます。」にあたります。
  • 今回の場合には、出典の問題もありました。(これはエヴァンズの秘書さんのせいではありません)
  • 当該記事では出典の示し方が不十分で、1000ページ以上ある文献の書名しか示されていませんでした。なので、記事本文だけでは「年」を確定することもできません。今回は当該部について私のほうで改めて文献を確認し、ページ番号も記しておきました。結果的には、その情報源内に、「1746年」と併記されていましたので、結果オーライです。(同書が、正しく旧暦の日付まで確認したうえで「1746年」としているのかどうかは、検討の余地はあるのですが、まあひとまず検証可能性の観点ではヨシとしましょう。)--柒月例祭会話2024年5月18日 (土) 03:07 (UTC)[返信]
柒月例祭さん、上記のご指摘をいただき、ありがとうございます。ご指摘は「和暦においては、太陽暦移行(1873年〈明治6年〉1月1日)以後は新暦を、それより前は原則として旧暦を用います。」とも連動する内容ですね。
私は「原則として西暦を先に表記します。しかし旧暦を採用している時期などで、出典から正確な西暦の日付を特定できない場合などには、それ以外の暦を先に表記することができます。」の後半部分は、例えば今回の「延享3年」であれば、Wikipediaの「延享」のページで「1744年から1748年までの期間を指す。」との記載を確認して3年目の「1746年」と見なし、さらに「1746年」のページで「延享3年」との記載を確認したので、それで西暦が特定できたものと解釈して今回の倉敷市の編集を行ったものですが、それでは不十分というか「出典から正確な西暦の日付を特定」するという要件を満たしていなかったわけですね。記載が理解できておらず、大変失礼しました。
今後は同様のケース(太陽暦移行(1873年〈明治6年〉1月1日)以前)におきましては、例えば今回の「延享3年」であれば、出典から正確な西暦の日付を特定できた場合のみ「1746年(延享3年)」に変更するよう心がけてまいります。今後もご教示のほど、よろしくお願いいたします。--エヴァンズの秘書 2024年5月18日 (土) 04:36 (UTC)[返信]
  • 正直、日本史の明治6年以前についてはややこしいです。これは現実世界がややこしい。
  • 西暦の側では、グレゴリオ暦とユリウス暦があります。Wikipediaではグレゴリオ暦を採用することになっていますが、世の中の情報源が必ずグレゴリオ暦を採用しているとは限りません。(天正#西暦の改暦も参照)
  • 和暦の場合、そもそも情報源が、当時の記述(旧暦・太陰暦)に則って書いているのか、現在の新暦に換算して日付を書いているのか、不明瞭なことが多いです。
  • ごく最近の真摯な歴史研究書では、「天正10年6月2日(グレゴリウス暦1582年6月21日)」みたいに表記してくれることがあります。が、多くの場合単に「6月2日」とかだったりして、どっちなのかわからんこともよくあります。「閏3月」とかだと確実に旧暦だと推測できることもあります。
  • さらに改元をいつしたのか問題もあります。明治のときは、慶応4年の途中で「1月1日に遡って明治ということにする」と決まったわけで、元日時点では「慶応4年」だったのに、後世では「国の公式発表に基づくならば明治元年1月1日」ということになります。当時の時局からすると、必ずしも「新日本政府の公式発表に従わない」勢力もいたわけで、彼らの立場からすると「慶応4年」だったりします。
  • さらに、義務教育レベルのテキストなどでは、実際の改元した月日にかかわらず、1月1日に改元したものとして教科書を記述するというルールになっています。たとえば、大阪夏の陣は、「慶長20年3月(グレゴリオ暦1615年)」に起きたのですが、その後、7月に「元和」に改元しています。なので、大阪夏の陣を「元和元年3月」と書くとマチガイ(不正確)なのですが、教科書ではそう書きます。我々が最近経験した事例でいうと、「令和元年」は5月1日から始まったので、令和元年には「4月1日」は存在しなかったのですが、これを「令和元年4月1日」とか書いちゃうと、ツッコミが入るでしょう。(「令和元年4月1日に、5月1日から元号を令和にすると発表した」とかね、)
  • とにかく、ここらへんは、現実がややこしいのでしょうがないのですが、いちいち裏をとったほうがいいです。--柒月例祭会話2024年5月18日 (土) 06:03 (UTC)[返信]
柒月例祭さん、再度詳細かつ丁寧なご説明をいただき、ありがとうございます。改元年の和暦の表記は確認が必要なこと、明治6年以後でも改元年の和暦の表記は同様のこと、承知しました。今後の編集の際にはこれらもしっかり確認するよう心がけてまいります。今後もご教示のほど、よろしくお願いいたします。--エヴァンズの秘書 2024年5月18日 (土) 22:59 (UTC)[返信]

問題を解決させずにテンプレートを剥がす行為について[編集]

こんにちは、エヴァンズの秘書さん。ウィキペディアに参加して頂きまして、どうもありがとうございます。

吉備寺から{{No footnotes}}を除去編集しておられましたが、Wikipedia:ウィキペディアでやってはいけないこと#恣意的にメンテナンス用テンプレートを剥がそうとすることをお読み頂くとお解りの通り、そのような行為は推奨されておりません。

理由あってテンプレートが貼付されているのですから、テンプレートが貼られたことに対して意見があるのでしたらその記事のノートページやテンプレートを貼った利用者の会話ページに質問を書き込むなどして、今後はそのような行動は慎んで頂きたく思います。どうぞご了承のほど、よろしくお願いします。

こちらの編集についてですが、本文中で脚注を用いて参考文献を参照しないまま当該テンプレートを剥がすのは些か問題が御座います。確かに、杓子定規にテンプレートの注意文を読むと、脚注節より後に脚注が生成されそうですが、参考文献節に置いた参考文献について本文中で参照しようとなると、(参考文献に{{Cite book}}などの{{Citation}}テンプレートを|ref=harv付きで適用して)本文中で{{Sfn}}や{{Harv}}を用いてハーバード方式で脚注を挿入する事になります。したがって、今回の件は「本文中で」脚注を挿入する様に書かれていないテンプレートの注意文の方に問題があり、テンプレートを記事から除去するよりも、テンプレートの注意文を治す方が得策かと存じます。--119.231.190.250 2024年6月21日 (金) 20:39 (UTC)[返信]

問題解決されないままテンプレートを除去しないことにつきまして、承知いたしました。上記編集については差し戻ししました。今後もご教示のほど、よろしくお願いいたします。--エヴァンズの秘書 2024年6月21日 (金) 23:35 (UTC)[返信]

修正作業について[編集]

いつも雑草とりお疲れ様です。ただ、貴方の作業の中で2点だけ気になる点が御座います。

1つは、WP:WAVEDASHに基づく波ダッシュの修正についてです。全角チルダについて、PC版の編集画面の下部にある選択ボタンから波ダッシュに修正されている、との事ですが、かなりの確率で、何故かガイドラインで非推奨の半角チルダに変換されておられる様で、本当に選択ボタンから修正されておられるのか疑問です。今一度お手を止めて戴き、過去の修正作業について見直して戴けないでしょうか(この修正作業しかしていないのに、バイト数が減っている編集は全て同様のミスが発生しています)。併せて{{}}というテンプレートについても紹介しておきます。

2つ目は、注釈のテンプレートについてです。ヘルプ文書で推奨されていない、という事を理由に、{{efn}}を{{Efn}}に修正されておられますが、リンクを踏んで戴くとお分かりになる様に、この2つは同じテンプレートなので、これだけを修正する作業はハッキリ申し上げると、無駄の一言に尽きるかと存じます。標準名前空間と同じく、テンプレートなども、先頭の英字は大文字・小文字を区別せず、強制的に大文字で表示されるだけですので、どうしても気になる様でしたら、他の修正や推敲の作業と一緒に為される事をおすすめ致します。

以上、お願いばかりとなりますが、ご一考戴けると幸いです。--119.231.190.250 2024年6月28日 (金) 23:06 (UTC)[返信]

上記2点のご指摘についてですが、1点目のご指摘については理解できません。ウィキペディア編集画面の投稿ボタンの下にある特殊文字の中の「記号」の1番左上の記号が「~」です。他に「〜」に該当する記号はありません。もしもウィキペディア編集画面の投稿ボタンの下の記号から選択することがいけないということであれば、Wikipedia:表記ガイド#波ダッシュをやむを得ず使用する場合の「Windows環境においては、通常のキーボードによる「〜」の入力は(上述の理由により)決して行わず、その代わり、ウィキペディア編集画面の投稿ボタンの下にある「記号」の中の「〜」を選択する方法で入力してください」という記載が不備ということではないでしょうか。そちらの改変をノートページでご提案をお願いいたします。
2点目の{{efn}}を{{Efn}}への修正の件、これだけを修正する作業は無駄なので他の修正や推敲の作業と一緒に行うことにつきましては、承知いたしました。ただし、逆に{{Efn}}を{{efn}}に変えられる方がいらっしゃいますので、その場合は差し戻しさせていただきます。ご承知のほど、よろしくお願いいたします。--エヴァンズの秘書 2024年6月28日 (金) 23:30 (UTC)[返信]
波ダッシュについては、恐らくバグが発生しているのではないかと思います。当方も以前、その方法で波ダッシュを入力するとキチンと波ダッシュが入力されましたし、エヴァンズの秘書さんの編集でも、きちんと波ダッシュが入力されている時もある様なので。バグの報告に報告した方が良さそうですね。--119.231.190.250 2024年6月28日 (金) 23:57 (UTC)[返信]
バグかどうかはともかく、実際に不備があるということですので、Wikipedia:表記ガイド#波ダッシュをやむを得ず使用する場合に基づき「ウィキペディア編集画面の投稿ボタンの下にある「記号」の中の「〜」を選択する方法で入力」した結果、「〜」が半角チルダ「~」になっていた日立グループ館の半角チルダ「~」を「〜」が表示されるよう{{}}のテンプレートの入力に修正しました。
今後は投稿ボタンの下にある「記号」は用いず、{{}}のテンプレートの入力にて編集してまいります。今後もご教示のほど、よろしくお願いいたします。--エヴァンズの秘書 2024年6月29日 (土) 00:26 (UTC)[返信]