利用者‐会話:へーへー/sandbox
picture credit: NASA | |
基本情報 | |
---|---|
NSSDC ID | 1989-096A |
所属 | Soviet space program |
主製造業者 | NPO Lavochkin[1] |
打上げ日時 | 1 December 1989[2] |
打上げ場所 |
Baikonur Cosmodrome (LC200/40) |
打上げ機 | Proton rocket[3] |
ミッション期間 | 9 years |
落下時期 | May 25, 1999[2] |
質量 |
4 metric tons (experiments 2.3 metric tons) |
軌道 | Highly elliptical[1] |
軌道高度 |
apogee 200,000 km perigee 2,000 km (initial values)[4] |
軌道周期 | 4 days[3] |
所在地 | Geocentric orbit |
形式 |
coded mask (SIGMA)[5] coded mask (ART-P)[6] |
観測波長 | X-ray to gamma ray[7] |
開口面積 | 800 cm² (SIGMA)[7] |
観測装置 | |
SIGMA | X-ray/gamma-ray telescope |
ART-P | X-ray telescope |
ART-S | X-ray spectrometer[7] |
PHEBUS | Gamma-burst detector[8] |
WATCH | All-sky monitor[7] |
KONUS-B TOURNESOL |
Gamma-ray burst experiments[7] |
公式サイト |
hea.iki.rssi.ru/GRANAT/index.html hea.iki.rssi.ru/GRANAT/granat.html |
脚注: [1][2][3][4][5][6][7][8] |
国際天体物理学望遠鏡"グラナート"はフランス、デンマーク、ブルガリアとの協力で開発されたソビエト(後のロシア)の宇宙望遠鏡である。これは1989年12月1日にプロトンロケットに乗せて発射され、高度に偏心な軌道に4日間位置し、そのうち3日間が観察に費やされた。ほぼ9年間作動した。
1994年9月、ほぼ5年間の管理された観測のあとで、姿勢制御装置へのガスの供給が尽き、その観測所は管理されていない状態になった。1998年11月27日についに通信が途絶えた。[3]
7つの異なる装置を載せて、グラナートはX線からガンマ線の範囲のエネルギーで宇宙を観測するために設計された。その主要な装置、SIGMAは硬X線と軟ガンマ線の両方の出所を画像化することができた。PHEBUS装置はガンマ線バーストや他の一過性のX線源の研究のためのものだった。他の実験、例えばART‐Pのような実験は、X線源を35keVから100keVの範囲で画像化するためのものだった。一つの装置WATCHは空を連続的に観察し、他の装置に新たな、もしくは、興味深いX線源に対する注意を喚起するために設計された。ART‐Sスペクトル計はX線エネルギーの範囲を扱っていたのに対し、KONUS‐BやTOURNESOLという実験はX線とガンマ線の両方のスペクトルを扱っていた。
宇宙機
[編集]グラナートは3つの軸で安定化された宇宙機で最後のべネラ-ラヴォーチキン記念科学製造合同によって生産された宇宙機-である。それは、1983年から1989年の間に機能していたアストロン望遠鏡に類似している。このことから、この宇宙機は当初はアストロン2として知られていた。その重さは4.4トンでほぼ2.3トンの国際科学機器を運んでいた。グラナートは高さ6.5メートルで全長8.5メートルの太陽電池をもっていた。科学機器が利用できる電力はおおよそ400Wだった。[1]
発射と軌道
[編集]その宇宙機は1989年12月1日にカザフスタンのバイコヌール宇宙基地からプロトンロケットに乗って発射された。それは初期遠地点/近地点がそれぞれ200,000km/2,000kmで、傾きが51.5度の高偏心98時間軌道に配置された。[4]このことは、太陽や月の摂動が、軌道傾斜をかなり増加させる一方で、離心率をかなり減少させることを意味している。その結果、1994年9月にグラナートが管理された観察を完了したときには軌道は円に近い形になっていた。(1991年までに近地点は20,000kmまで増加し、1994年9月までに遠地点/近地点は59,025km/144,550、傾斜は86.7度まで増加した。)
4日間のうち3日間は軌道の観測に専念した。[8] 軌道上での9年間の後、その観測所は1999年5月25日についに地球の大気へと再突入した。[2]
日にち | 近地点 (km) | 遠地点 (km) | 近地点の偏角 (deg) | 軌道傾斜角 (deg) | 昇交点経度 (deg) |
---|---|---|---|---|---|
1989年12月1日 | 2,000 | 200,000 | 285 | 51.5 | 20.0 |
1991年12月1日 | 23,893 | 179,376 | 311.9 | 82.6 | 320.3 |
1994年12月1日 | 58,959 | 144,214 | 343.0 | 86.5 | 306.9 |
1996年12月1日 | 42,088.8 | 160,888 | 9.6 | 93.4 | 302.2 |
計装
[編集]SIGMA
[編集]硬X線、低エネルギーガンマ線SIGMA望遠鏡はCESR(トゥールーズ)とCEA(サクレ)の共同制作品である。それは、800 cm2の有効面積と、~5°×5°の最大感度視野によって、35–1300 keV,[5]の範囲のエネルギーを扱っている。最大角分解能は、15 arcmin[9]である。エネルギー分解能は8%で511 keV[8]である。その画像処理能力は符号化マスクと、アンガーカメラの原理に基づいた位置検出器の提携に由来している。[3]
ART-P
[編集]
ART-P X線望遠鏡はモスクワのIKIが責任を持っている。その器具は画像処理のために4~60 keV の範囲のエネルギーを扱い、分光と時間の計測のために4~100 keV の範囲のエネルギーを扱っている。ART-P望遠鏡には、4つの同一のモジュールがあり、それぞれはURA符号化マスクととともに位置敏感型マルチワイヤ比例計数から成り立っている。それぞれのモジュールはおおよそ600 cm²の有効面積を持ち、1.8° 1.8°の視野を生じさせている。角分解能は5arcmin,時間的及びエネルギー解像度はそれぞれ3.9 msと22%で6 keVである。[6] 最大の時間解像度は4 msである。[3][8]
ART-S
[編集]ART-S X線スペクトル計もまた、IKIによってつくられたものであり、3~100 keVの範囲のエネルギーを扱っている。その視野は2° 2°である。その器具は分光MWPCに基づいた4つの検出器からなっていて、10 keV で2,400 cm² 、100 keVで800 cm²の有効面積をつくっている。時間解像度は200マイクロ秒である。[3]
PHEBUS
[編集]PHEBUS実験は100 keV~100 MeVの範囲の高エネルギー過渡現象を記録するために、CESR (トゥールーズ)によって、計画された。それは2つの同一の検出器とそれらの関連づけられたエレクトロニクスからなっている。それぞれの検出器は直径78 mm、厚さ120 mmゲルマン酸ビスマス(BGO)結晶からなっていて、プラスチックの抗一致ジャケットに囲まれている。2つの検出器は4πステラジアンの観測のために宇宙機上に配置された。0.1~1.5 MeV のエネルギー範囲における計数率がバックグラウンドレベルを0.25秒または1.0秒のいずれかで8 sigma 超えるたとき、バーストモードが稼働する。[3]
WATCH
[編集]デンマーク宇宙研究所によって設計され、1990年1月に動き始めた4つのWATCHはグラナート観測所で動作していた。この器具は、回転変調コリメータを使って、0.5°の範囲内で 6~180 keVの光源の位置を特定することができた。 まとめると、その器具の3つの視野はおおよそ空の75%をカバーしていた。FWMHエネルギー分解能は60 keVであった。静かな期間は、2つのエネルギー帯(6~15、15~180 keV)の計数率はのっているコンピュータのメモリの可用性によって、4,8または16秒で蓄積する。バーストまたは過渡事象の間、計数率は36個のエネルギーチャンネルにつき1秒の時間解像度で蓄積する。[3]
KONUS-B
[編集]サンクトペテルブルクのヨッフェ物理技術研究所で設計されたKONUS-Bは、宇宙機の周りに分散された、8 MeVのエネルギーに対し、10 keV のフォトンで応答する7つの検出器からなっている。それらは、ベリリウム入射窓の背後の 厚さ50 mmで直径200 mmの、ヨウ化ナトリウムシンチレータ結晶からなっている。側面の表面は厚さ5 mm の鉛の層によって保護されている。バースト検出の敷居は、バーストスペクトルと立ち上がり時間によって、1平方センチメートルあたり500~50マイクロジュール(5 × 10-7 to 5 × 10-8 erg/cm²)である。スペクトラは、2つの31チャンネル波高分析器(PHA)によって、採取されていた。PHAのうち最初の8つは、計数率に応じて、1/16 s で時間解像度と可変時間解像度の残りで測定した。解像度の範囲は0.25~8 sであった。
KONUS-Bは1989年12月11日から1990年2月20日までさどうしていた。その期間にわたって、実験のための "on"時間は27日だった。60の太陽フレアと19の宇宙ガンマ線バーストが検出された。[3]
TOURNESOL
[編集]フランスのTOURNESOLは4つの比例計数管と2つの光検出器からなる。比例計数管は6° 6°の視野で 2 keVと20 MeV の間のフォトンを計測する。可視検出器は5° 5°の視野を持っていた。その器具は高エネルギーの出来事のスペクトル分析を実行するためだけでなく、硬エネルギ―バースト源の光学対応を探すために設計された。
科学的な結果
[編集]指向観測の最初の4年間でグラナートは、銀河中心の深いイメージング及び分光法、ブラックホール候補の幅広い観察、そして、X線新星を重視し、多くの銀河と銀河系外のX線源を観察した。1994年以降、観測所は調査形態へと切り替わり、40~200 keVのエネルギー帯で、敏感な全天サーベイを実行した。
含まれるハイライトの一部:
- 銀河中心領域の非常に深いイメージング(500万秒以上の持続時間).[10]
- 銀河マイクロクエーサー 1E1740-294 とX線新星 Muscaeからのエレクトロン-ポジトロン消滅ラインの発見
- ブラックホール候補のスペクトルと時間変動の研究.[7]
- 観察の8年間にわたって、グラナートは20程度新しいX線源、すなわち、ブラックホール候補及び中性子星を発見した。その結果、それらの名称はグラナートがもとであることを意味する "GRS" で始まる。".[8] 例は GRS 1915+105 (銀河系で発見された最初のマイクロクエーサー)と GRS 1124-683.[8][9]
ソビエト連邦解体の影響
[編集]ソビエト連邦解体後、計画に2つの問題が生じた。ひとつ目の問題は本来は地政学的な問題だった。主要な宇宙船制御センターはクリミア地域のイェウパトーリア施設に位置していた。この制御センターはソ連の宇宙計画において重要なもので、国内に2つしかない70 mのパラボラアンテナのうちの1つがあった。連邦の崩壊によって、クリミア地域は、ほとんどロシア民族が居住していたが、それ自体を新たに独立したウクライナの一部だと考え、新たな政治的障害物を促し、中心はウクライナの国際管理下に置かれた。[1]
しかしながら、主要でもっとも緊急な問題は、ソ連崩壊後のロシアの支出危機の中で、宇宙船の継続的な運用を支援する資金を見つけることだった。科学的及び経済的にその計画にすでに大きな貢献をしていたフランス国立宇宙研究センターは直接、継続事業に資金を供給するためにそれ自体を引き継いだ。[1]
参照
[編集]引用
[編集]この記事にはパブリックドメインである、アメリカ合衆国連邦政府のウェブサイトもしくは文書本文を含む。
- ^ a b c d e f “Granat X-ray and Gamma-ray Observatory”. The Federation of American Scientists. 2007年12月6日閲覧。
- ^ a b c d “1999 Reentries” (PDF). The Aerospace Corporation, Center for Orbital and Reentry Debris Studies. 2007年12月6日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j “GRANAT”. NASA HEASARC. 2007年12月5日閲覧。
- ^ a b c d NPO Lavochkin, Orbital Astrophysical Observatory "Granat": Problems of Control, Zemlya i Vselennaya, 1994, no. 2. Only four rows from a table of twenty used here. N.G. Kuleshova, I.D. Tserenin, A.I. Sheikhet, from
- ^ a b c Mandrou P, Jourdain E. et al. Overview of two-year observations with SIGMA on board GRANAT, A&A Supplement Series, 1993, no. 97.
- ^ a b c Molkov, S.V., Grebenev, S.A., Pavlinsky, M.N., Sunyaev. "GRANAT/ART-P OBSERVATIONS OF GX3+1: TYPE I X-RAY BURST AND PERSISTENT EMISSION", Mar 1999. 4pp. arXiv e-Print (astro-ph/9903089v1).
- ^ a b c d e f g “The Granat Satellite”. NASA HEASARC Imagine the Universe!. 2007年12月5日閲覧。
- ^ a b c d e f g “International Astrophysical Observatory "GRANAT"”. IKI RAN. 2007年12月5日閲覧。
- ^ a b M.G. Revnivtsev, R.A. Sunyaev, M.R. Gilfanov, E.M. Churazov, A. Goldwurm, J. Paul, P. Mandrou and J. P. Roques "A hard X-ray sky survey with the SIGMA telescope of the GRANAT observatory", (2004) Astronomy Letters, vol. 30, p.527-533
- ^ “SIGMA Telescope”. IKI RAN. 2008年5月25日閲覧。
外部リンク
[編集]- Official GRANAT Observatory homepages: English Russian
- Encyclopedia Astronautica: On This Day
- Global Telescope Network: Granat
- Gunter's Space Page: Granat (Astron 2)