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八馬兼介 (初代)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

初代八馬 兼介[1](はちうま かねすけ、後名・兼翁[2]1839年8月31日天保10年7月23日[3][4] - 1918年大正7年)2月3日[1])は、日本商人米穀商)、船舶業者[5]資産家[6]実業家八馬汽船創業者。幼名は兼吉[2]。族籍は兵庫県平民[3]

経歴

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西宮浜石才町に生まれる[2]。八馬勝蔵の長男[1][3][4]。22歳の時、1861年に米穀小売商開業[7]、「八馬屋」といった[1]1868年に米穀問屋となった[2]

1878年帆船西尾丸を購入して、初めて海運業に従事する[1][7]。回漕業を営む[4]

西宮貯金銀行西宮銀行頭取[3][8]西宮酒造監査役[3][9]をつとめた。

養子永蔵の長男栄之助が1916年早稲田大学商科を卒業すると、初代は翌年隠居し、栄之助に三代兼介を称させて家督を相続させた[10]

人物

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祖業精米商を継承し、後海運業に転じて巨利を博し[11]、八馬家の基を起こした[12]

思慮深く、行き届いていて、そつがなく、決断力のある性格を併せ持ち、信念の強い人だった[1]

住所は兵庫県武庫郡西宮町浜久保[3](現・西宮市)。

家族・親族

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八馬家

脚注

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  1. ^ a b c d e f 『100年の歩み』1 - 3頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年11月19日閲覧。
  2. ^ a b c d 『兵庫県人物事典 中巻』135頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年11月22日閲覧。
  3. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r 『人事興信録 第4版』や12-13頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2019年6月14日閲覧。
  4. ^ a b c 『大正人名辞典 第3版』978頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年2月19日閲覧。
  5. ^ 『関西実業名鑑 明治40年』62頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2019年6月14日閲覧。
  6. ^ 『全国五十万円以上資産家表 時事新報社第三回調査』9頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2019年6月14日閲覧。
  7. ^ a b 企業情報 会社沿革、八馬汽船公式サイト。
  8. ^ 『日本全国諸会社役員録 明治34年』438頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2019年6月14日閲覧。
  9. ^ 『日本全国諸会社役員録 明治35年』上編466頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2019年6月14日閲覧。
  10. ^ a b 『日本財閥経営史 地方財閥』218-219頁。
  11. ^ a b 『人事興信録 第10版 下』ハ53頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2019年6月14日閲覧。
  12. ^ a b 『人事興信録 第7版』は11頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2019年6月14日閲覧。
  13. ^ 『西宮市史 第2巻』279頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年11月20日閲覧。
  14. ^ a b 『豪閥 地方豪族のネットワーク』385-393頁。

参考文献

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  • 商業興信所編『日本全国諸会社役員録 明治34年』商業興信所、1893-1911年。
  • 商業興信所編『日本全国諸会社役員録 明治35年』商業興信所、1893-1911年。
  • 橋本治策編『関西実業名鑑 明治40年』関西実業名鑑編纂所、1908年。
  • 人事興信所編『人事興信録 第4版』人事興信所、1915年。
  • 『全国五十万円以上資産家表 時事新報社第三回調査』時事新報社、1916年。
  • 東洋新報社編『大正人名辞典 第3版』東洋新報社、1917年。
  • 人事興信所編『人事興信録 第7版』人事興信所、1925年。
  • 人事興信所編『人事興信録 第10版 下』人事興信所、1934年。
  • 『西宮市史 第2巻』西宮市、1960年。
  • 『兵庫県人物事典 中巻』のじぎく文庫、1967年。
  • 『100年の歩み』八馬汽船、1978年。
  • 森川英正『日本財閥経営史 地方財閥』日本経済新聞社、1985年。
  • 佐藤朝泰『豪閥 地方豪族のネットワーク』立風書房、2001年。

関連項目

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