全羅南道 (日本統治時代)
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(全羅南道 (植民地時代)から転送)
位置 | |
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地図 | |
各種表記 | |
ハングル: | 전라남도 |
漢字: | 全羅南道 |
日本語読み仮名: | ぜんらなんどう |
片仮名転写: | チョルラナムド |
英語表記: | Zenranan-dō / Jeollanam-do |
統計 | |
行政 | |
国: | 大日本帝国 |
全羅南道(ぜんらなんどう、チョルラナムド)は、日本統治時代の朝鮮の行政区画の一つ。現在の大韓民国の全羅南道、済州特別自治道及び光州広域市を合わせた地域にあたる。道庁所在地は光州。
概要
[編集]朝鮮西南部、全羅道地方の南部。南方の海上に浮かぶ済州島もその領域とする。北は全羅北道、東は慶尚南道と接する。
人口
[編集]昭和11年現住戸口調査より
- 総人口 2,416,341人
- 内訳
- 内地人 44,154人
- 朝鮮人 2,370,853人
- その他 1,334人
- 内訳
行政区分
[編集]昭和20年(1945年)当時
府
[編集]郡
[編集]- 光山郡
- 松汀邑、孝池面、石谷面、芝山面、飛鴉面、河南面、林谷面、東谷面、大村面、西倉面、極楽面、瑞坊面
- 潭陽郡
- 潭陽邑、鳳山面、月山面、金城面、龍面、武貞面、昌平面、古西面、南面、大徳面、水北面、大田面
- 谷城郡
- 谷城面、梧谷面、三岐面、石谷面、木寺洞面、竹谷面、古達面、玉果面、立面、兼面、火面
- 求礼郡
- 求礼面、艮田面、文尺面、土旨面、馬山面、光義面、龍方面、山洞面
- 光陽郡
- 光陽面、玉龍面、骨若面、玉谷面、津上面、津月面、多鴨面
- 麗水郡
- 麗水邑、双鳳面、三日面、召羅面、栗村面、華陽面、突山面、南面、華井面、三山面
- 順天郡
- 順天邑、海龍面、西面、黄田面、月灯面、双巌面、住巌面、松光面、外西面、楽安面、別良面、道沙面、上沙面
- 高興郡
- 高興面、豊陽面、道陽面、錦山面、道化面、浦頭面、蓬莱面、占岩面、過駅面、南陽面、東江面、大西面、豆原面
- 宝城郡
- 宝城邑、筏橋邑、蘆洞面、弥力面、兼白面、栗於面、福内面、文徳面、鳥城面、得粮面、会泉面、熊峙面
- 和順郡
- 和順面、寒泉面、春陽面、清豊面、梨陽面、綾州面、道谷面、道巌面、二西面、北面、同福面、南面、東面
- 長興郡
- 長興邑、南面、冠山面、大徳面、安良面、長東面、長平面、有治面、夫山面
- 康津郡
- 康津邑、郡東面、七良面、大口面、道岩面、城田面、鵲川面、兵営面、晻川面
- 海南郡
- 海南面、三山面、花山面、県山面、松旨面、北平面、玉泉面、渓谷面、馬山面、黄山面、山二面、門内面、花源面
- 霊岩郡
- 霊岩面、徳津面、金井面、新北面、始終面、都浦面、郡西面、西湖面、鶴山面、美岩面、三湖面
- 務安郡
- 二老面、三郷面、一老面、夢灘面、清渓面、錦城面、玄慶面、望雲面、海際面、智島面、荏子面、慈恩面、飛禽面、都草面、黒山面、荷衣面、長山面、安佐面、巌泰面、押海面
- 羅州郡
- 羅州邑、栄山浦邑、細枝面、旺谷面、潘南面、公山面、洞江面、多侍面、文平面、三道面、本良面、平洞面、老安面、金川面、山浦面、南平面、茶道面、鳳凰面
- 咸平郡
- 咸平面、孫仏面、新光面、鶴橋面、厳多面、大洞面、羅山面、海保面、月也面
- 霊光郡
- 霊光面、大馬面、畝良面、仏甲面、郡西面、郡南面、塩山面、白岫面、法聖面、弘農面、蝟島面、落月面
- 長城郡
- 長城邑、珍原面、南面、東化面、森西面、森渓面、黄龍面、西三面、北一面、北二面、北上面、北下面
- 莞島郡
- 莞島邑、郡外面、薪智面、古今面、金日面、青山面、所安面、蘆花面
- 珍島郡
- 珍島面、郡内面、古郡面、義新面、臨淮面、智山面、鳥島面
島
[編集]- 済州島
- 済州邑、涯月面、翰林面、大静面、安徳面、中文面、西帰面、南元面、表善面、城山面、旧左面、朝天面、楸子面
歴代全羅南道知事(道長官を含む)
[編集]1919年8月以前は「全羅南道長官」。
氏名 | 在任期間 | 備考 |
---|---|---|
能勢辰五郎(のせ たつごろう) | 1910年10月1日 - 1911年5月15日 | 全羅南道長官、死去。元オタワ総領事、初代シカゴ領事[1][2] |
工藤英一(くどう えいいち) | 1911年5月24日 - 1916年3月28日 | |
宮木又七(みやぎ またしち) | 1916年3月28日 - 1919年9月26日 | 1919年8月より全羅南道知事 |
亥角仲蔵(いすみ なかぞう) | 1919年9月26日 - 1921年8月5日 | |
元応常(ウォン・ウンサン) | 1921年8月5日 - 1924年12月1日 | |
張憲植(チャン・ホンシク) | 1924年12月1日 - 1926年8月14日 | |
石鎮衡(ソク・ジンヒョン) | 1926年8月14日 - 1929年1月19日 | |
金瑞圭(キム・ソギュ) | 1929年1月19日 - 1929年12月11日 | |
馬野精一(うまの せいいち) | 1929年12月11日 - 1931年9月23日 | |
矢島杉造(やじま うぎぞう) | 1931年9月23日 - 1935年2月20日 | |
近藤常尚(こんどう つねたか) | 1935年2月20日 - 1936年6月29日 | |
松本伊織(まつもと いおり) | 1936年7月6日 - 1937年7月3日 | |
新貝肇(しんがい はじめ) | 1937年7月3日 - 1940年9月2日 | |
武永憲樹(たけなが かずき) | 1940年9月2日 - 1943年9月30日 | 厳昌燮(オム・チャンソプ)で改名 |
兵頭儁(ひょうどう まさる) | 1943年9月30日 - 1945年5月20日 | |
八木信雄(やぎ のぶお) | 1945年5月20日 - | 日本統治下最後の知事 |
法院(裁判所)
[編集]昭和16年(1941年)当時
- 光州地方法院
- 光州地方法院順天支庁
- 光州地方法院木浦支庁
- 光州地方法院長興支庁
- 光州地方法院済州支庁
刑務所
[編集]昭和16年(1941年)当時
- 光州刑務所
- 木浦刑務所
警察
[編集]昭和2年(1927年)当時
- 全羅南道警察部
- 光州警察署
- 木浦警察署
- 潭陽警察署
- 谷城警察署
- 求礼警察署
- 光陽警察署
- 麗水警察署
- 順天警察署
- 高興警察署
- 宝城警察署
- 和順警察署
- 長興警察署
- 康津警察署
- 海南警察署
- 霊岩警察署
- 羅州警察署
- 咸平警察署
- 霊光警察署
- 長城警察署
- 珍島警察署
- 済州警察署
憲兵警察制度下における憲兵部隊
[編集]大正4年(1915年)当時
- 光州憲兵隊
- 長城憲兵分隊
- 栄山浦憲兵分隊
- 長興憲兵分隊
- 順天憲兵分隊
- 和順憲兵分隊
税務
[編集]昭和16年(1941年)当時
税務署
[編集]- 光州税務署
- 木浦税務署
- 順天税務署
気象
[編集]昭和17年(1942年)当時
- 済州測候所
- 木浦測候所
- 光州測候所
医療
[編集]昭和16年(1941年)当時
- 小鹿島更生園
高等教育機関
[編集]- 光州医学専門学校
鉄道
[編集]昭和20年(1945年)の路線
総督府鉄道
[編集]道路
[編集]昭和2年(1927年)当時
一等道路
[編集]- 京城木浦線
- 光州法聖浦線
- 羅州海南線
- 霊岩長興線
- 馬山左水営線
二等道路
[編集]- 全州麗水線
- 光州安養線
- 光州宝城線
- 光州順天線
港湾
[編集]昭和6年(1931年)当時
開港
[編集]- 木浦港
地方港
[編集]- 法聖浦港
- 麗水港
- 山地港
- 城山浦港
- 西帰浦港
- 桂馬里港
- 右水営港
- 於蘭鎮港
- 莞島港
- 豊南港
- 筏橋港
- 金寧港
- 朝天港
- 翰林港
- 表善港
鉱山
[編集]- 光陽鉱山(金・銀・銅)
神社
[編集]企業
[編集]道内に本社を有する資本金50万円以上の企業である(昭和15年・1940年当時)
農林水産業
[編集]- 全南殖産
- 福田農事
- 国武農場
- 高瀬農場
- 鶴坡農場
- 又松農場
- 宝城興業
- 鮮一拓産
- 栄和農場
- 篠埜農園
鉱業
[編集]- 鶏林鉱業
- 順天産業
製造業
[編集]- 朝鮮棉花
- 全南道是製糸
- 全南棉花
- 本田繰棉工場
- 朝鮮寒天海藻
- 朝鮮重工業
- 朝鮮レーヨン
運輸業
[編集]- 晃陽汽船
- 全南日之出自動車
卸売小売業
[編集]- 樋口商店
- 全南産業
- 朝鮮薄荷
不動産業
[編集]- 金谷商会
不動産業
[編集]- 三光土地
マスメディア
[編集]ラジオ放送局
[編集]昭和20年(1945年)8月当時
- 朝鮮放送協会光州放送局(呼出符号:JBHK)
- 朝鮮放送協会木浦放送局(呼出符号:JBNK)
日本語新聞
[編集]昭和16年(1941年)当時
- 木浦新報
- 光州日報
出身有名人
[編集]この時代に生まれ育つか、または活躍した者を掲載
脚注
[編集]- ^ The Japan Year Book1906, p85
- ^ 高峰譲吉博士とシカゴ領事館 NPO法人 高峰譲吉博士研究会、平成29年1月27日
参考文献
[編集]- 戦前期官僚制研究会編『戦前期日本官僚制の制度・組織・人事』(東京大学出版会、1981年)
関連項目
[編集]
前の行政区画 (二十三府制・十三道制を挟んで) 全羅道 |
全羅南道の 歴史的行政区画 1910年 - 1945年 |
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