栄駅 (北海道)
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(似湾駅から転送)
栄駅 | |
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さかえ Sakae | |
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所在地 | 北海道勇払郡穂別町字栄(現:むかわ町穂別栄) |
所属事業者 | 日本国有鉄道(国鉄) |
所属路線 | 富内線 |
キロ程 | 22.4 km(鵡川起点) |
電報略号 | サエ |
駅構造 | 地上駅 |
ホーム | 1面1線 |
開業年月日 | 1923年(大正12年)6月12日[1] |
廃止年月日 | 1986年(昭和61年)11月1日[2] |
備考 | 富内線廃線に伴い廃駅[1] |
栄駅(さかええき)は、北海道(胆振支庁)勇払郡穂別町字栄[3](現・むかわ町穂別栄)にあった日本国有鉄道(国鉄)富内線の駅(廃駅)である。事務管理コードは▲132304[3]。
歴史
[編集]- 1923年(大正12年)
- 1924年(大正13年)3月3日 - 鉄道会社名を北海道鉄道(2代目)に改称、それに伴い同鉄道の駅となる。
- 1943年(昭和18年)8月1日 - 北海道鉄道が戦時買収により国有化。線路名を富内線に改称、それに伴い同線の駅となる。同時に栄駅に改称[1]。
- 1977年(昭和52年)2月1日 - 貨物・荷物取扱い廃止[1]。無人化[5](簡易委託)。
- 1986年(昭和61年)11月1日 - 富内線の廃線に伴い廃止となる[2]。
駅構造
[編集]昭和30年代の栄駅には保線区があり、多くの鉄道員が配置されていた。駅前には、周辺の森林から切り出された丸太を集積する土場があり、日本通運の担当者が丸太を貨車に積み込む作業が行われていた[6]。
廃止時点で、島式ホーム(片面使用)1面1線を有する地上駅であった。ホームは線路の北側(日高町方面に向かって左手側)に存在した[7]。かつては島式ホーム1面2線を有する列車交換可能な交換駅であった。使われなくなった駅舎側の1線は、交換設備運用廃止後も鵡川方の転轍機及びホーム端までの線路が側線として残っていた(但し1983年(昭和58年)時点では転轍機の先、ホームに至る間の部分に車止めが設置されていた[7])。
無人駅(簡易委託駅)となっていたが、有人駅時代の駅舎が残っていた。駅舎は構内の北側に位置した[7]。
駅名の由来
[編集]この節の加筆が望まれています。 |
当駅の所在する地名より。
旧駅名の似湾(にわん)は、アイヌ語の「ニ・アン・ペツ」(木の生えた川)に由来する[7]。
利用状況
[編集]- 1981年度(昭和56年度)の1日乗降客数は36人[7]。
駅周辺
[編集]- 北海道道74号穂別鵡川線
- 北海道道59号平取厚真線
- 似湾郵便局(集配局)
- むかわ町立仁和小中学校
- 鵡川[8]
- 似湾川[8]
昭和20年代の駅周辺には、駅前の道路沿いに20軒以上の民家、商店街(旅館、菓子店、薬局、パチンコ屋、鍛冶、劇場、診療所等)があった[9]。
駅跡
[編集]木材加工場の敷地となっている。2011年(平成23年)時点では旧駅構内には雑草が生い茂っている[10]。
隣の駅
[編集]- 日本国有鉄道
- 富内線
脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]- ^ a b c d e 石野哲 編『停車場変遷大事典 国鉄・JR編 II』(初版)JTB、1998年10月1日、866頁。ISBN 978-4-533-02980-6。
- ^ a b “日本国有鉄道公示第109号”. 官報. (1986年10月14日)
- ^ a b 日本国有鉄道営業局総務課 編『停車場一覧 昭和41年3月現在』日本国有鉄道、1966年、229頁。doi:10.11501/1873236 。2022年12月10日閲覧。
- ^ 『官報』 1923年11月20日 鉄道省彙報「地方鉄道運輸開始」(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ “「通報」●日高本線浜厚真駅ほか17駅の駅員無配置について(旅客局)”. 鉄道公報 (日本国有鉄道総裁室文書課): p. 2. (1977年1月31日)
- ^ 辻喜美男 「昔の栄地区を思い出して」『穂別高齢者の語り聞き史(昭和編)大地を踏みしめて 上 』穂別高齢者の語りを聞く会、2014年、p24頁。
- ^ a b c d e 書籍『国鉄全線各駅停車1 北海道690駅』(小学館、1983年7月発行)106ページより。
- ^ a b 書籍『北海道道路地図 改訂版』(地勢堂、1980年3月発行)11ページより。
- ^ 布施武光 「86年間思いつくまま」『穂別高齢者の語り聞き史(昭和編)大地を踏みしめて 上』穂別高齢者の語りを聞く会、2014年、p39頁。
- ^ 書籍『北海道の鉄道廃線跡』(著:本久公洋、北海道新聞社、2011年9月発行)84ページより。