五郎右衛門邸
五郎右衛門邸 | |
---|---|
北緯34度50分32秒 東経134度42分07秒 / 北緯34.842241度 東経134.701894度 | |
国 | 日本 |
都道府県 | 兵庫県 |
市町村 | 姫路市 |
面積 | |
• 合計 | 0.023 km2 |
人口 | |
• 合計 | 202人 |
• 密度 | 8,800人/km2 |
等時帯 | UTC+9 (日本標準時) |
郵便番号 |
670-0857[3] |
市外局番 | 079[4] |
ナンバープレート | 姫路 |
五郎右衛門邸(ごろうえもんてい)は兵庫県姫路市の地名。郵便番号670-0857[3]。
地理
[編集]五郎右衛門邸は姫路市中心部、姫路城外曲輪の北東部、外堀の端部に位置する。歴史的に野里地区の一部とされるが、外曲輪内であることから内町にも分類される。北に野里堀留町、以下時計回りに野里東同心町・同心町・金屋町・橋之町・福本町・米屋町・鍛冶町と接する。
歴史
[編集]鋳物師棟梁の芥田五郎右衛門の土地であったことに由来する町名である。一部を除き町名に「町」が付かないのは姫路における元武家地の特徴である。
13世紀半ば以前から鋳物師の中心地で当地は芥田家の畠地であったが、池田輝政による築城における「慶長の町割り」のため召し上げられ芥田家は大野町へ移された。のちに芥田家に旧地が返還されて鍛冶裏新町(正徳4年(1714年)に米屋町と改称)となるが、残りの畠地は明暦4年(1658年)再度召し上げられて組屋敷となる。当初「足軽町」と呼ばれたが、芥田五郎右衛門にちなんで「五郎右衛門屋敷」のちに「五郎右衛門邸」と呼ばれるようになった[5][6][7][8]。
大区小区制については飾磨県にあっては第八大区第四小区に、兵庫県にあっては播磨国第八大区第一小区に属した[9]。1889年(明治22年)に姫路に市制が施行された当初から姫路市に属している[10]。1945年(昭和20年)の2度の姫路空襲では被災を免れ[11]、城下町の防御のために道の交差をずらした「あてまげ」などの特徴が残っている[12]。
世帯数と人口
[編集]2024年(令和6年)3月31日現在の世帯数と人口は以下の通りである。
町名 | 世帯数 | 人口 |
---|---|---|
五郎右衛門邸 | 99世帯 | 202人 |
それ以前の世帯数と人口は以下の通りである。
調査年 | 世帯数 | 人口 | 出典 |
---|---|---|---|
1898年(明治31年) | 67世帯 | 222人 | [13] |
1921年(大正10年) | 96世帯 | 355人 | [14] |
1949年(昭和24年) | 111世帯 | 427人 | [15] |
1951年(昭和26年) | 126世帯 | 485人 | [16] |
1978年(昭和53年) | 114世帯 | 347人 | [17] |
1984年(昭和59年) | 116世帯 | 337人 | [18] |
1990年(平成2年) | 109世帯 | 313人 | [19] |
1995年(平成7年) | 101世帯 | 263人 | [20] |
2000年(平成12年) | 105世帯 | 259人 | [21] |
小・中学校の学区
[編集]市立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる[22]。
区域 | 小学校 | 中学校 |
---|---|---|
全域 | 姫路市立野里小学校 | 姫路市立城乾中学校 |
交通
[編集]以下は町外。
施設・旧跡
[編集]- 元侍屋敷 - 姫路城周辺にわずかに現存する江戸期の武家屋敷。他には坊主町に現存する(共に個人宅、非公開。2020年時点[23])。
- 姫路城外濠跡碑 - 姫路城外堀の現存する部分の北端にある石碑と説明板(野里堀留町との境界)[24]。
脚注
[編集]- ^ “兵庫県姫路市五郎右衛門邸 (282010390)”. 国勢調査町丁・字等別境界データセット. 2023年10月7日閲覧。
- ^ “町別人口・年齢別人口-令和6年(2024年)3月末-”. 姫路市 (2024年4月5日). 2024年4月7日閲覧。
- ^ a b “兵庫県 姫路市 五郎右衛門邸の郵便番号 - 日本郵便”. 日本郵便. 2024年4月14日閲覧。
- ^ “市外局番の一覧”. 総務省. 2023年10月7日閲覧。
- ^ 橋本 1956, p. 12.
- ^ 新・姫路の町名 2007, p. 110.
- ^ 平凡社歴史地名 1999, p. 480.
- ^ 野里校区の今昔 2012, p. 9.
- ^ 兵庫県総務部地方課(編) 1962, p. 694-697.
- ^ 兵庫県総務部地方課(編) 1962, p. p.692-693間の合併経緯図.
- ^ 第一復員省資料課. “戦災概況図姫路”. 国立公文書館デジタルアーカイブ. 2024年4月14日閲覧。
- ^ “あてまげ”. 姫路市Webマップ. 2024年4月14日閲覧。
- ^ 姫路市 1903, p. 10.
- ^ 姫路市 1921, p. 11.
- ^ 姫路市調査課 1949, p. 73.
- ^ 姫路市調査課 1951, p. 9.
- ^ “昭和53年9月末 姫路市町別人口・年齢別人口”. 姫路市. 2024年4月7日閲覧。
- ^ “昭和59年9月末 姫路市町別人口・年齢別人口”. 姫路市. 2024年4月7日閲覧。
- ^ “平成2年3月末 姫路市町別人口・年齢別人口”. 姫路市. 2024年4月7日閲覧。
- ^ “平成7年3月末 姫路市町別人口・年齢別人口”. 姫路市. 2024年4月7日閲覧。
- ^ “町別人口・年齢別人口-平成17年(2005年)3月末-”. 姫路市. 2024年5月5日閲覧。
- ^ “市立小学校・中学校・義務教育学校への入学・転校などのご案内”. 姫路市. 2022年3月15日閲覧。
- ^ 『2020年姫路町屋等調査(野里地区)報告書 概要版』姫路・町屋再生塾、2021年7月、4頁。
- ^ “姫路城外濠跡碑”. 姫路市Webマップ. 2024年4月14日閲覧。
参考文献
[編集]- 『姫路市統計一斑 明治31-33年』姫路市、1903年 。
- 『姫路市統計書 大正10年』姫路市、1921年 。
- 『市勢要覧 昭和24年版』姫路市調査課、1949年 。
- 『市勢要覧 昭和26年版』姫路市調査課、1951年 。
- 橋本政次『姫路市町名字考』1956年。(再録:『播磨考・姫路市町名字考』臨川書店〈兵庫県郷土誌叢刊〉、1987年 。)
- 兵庫県総務部地方課(編)『兵庫県市町村合併史 上』兵庫県、1962年 。
- 『兵庫県の地名Ⅱ』平凡社〈日本歴史地名大系〉、1999年。
- 播磨地名研究会『新・姫路の町名』神戸新聞総合出版センター、2007年。ISBN 9784343004444。
- 野里校区地域夢プラン実行委員会・野里地区連合自治会, ed (2012). ふるさとのあゆみ 野里校区の今昔(平成25年度地域夢プラン展開事業). 野里校区地域夢プラン実行委員会・野里地区連合自治会