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二川孝広

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
二川 孝広
名前
カタカナ フタガワ タカヒロ
ラテン文字 FUTAGAWA Takahiro
基本情報
国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1980-06-27) 1980年6月27日(44歳)
出身地 大阪府高槻市
鹿児島県生まれ)
身長 168cm
体重 63kg
選手情報
ポジション MF (SH, OH)
利き足 右足
ユース
1996-1998 日本の旗 ガンバ大阪ユース
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1999-2019 日本の旗 ガンバ大阪 430 (47)
2016-2018 日本の旗 東京ヴェルディ (loan) 22 (1)
2018 日本の旗 栃木SC (loan) 7 (0)
2019-2022 日本の旗 FCティアモ枚方 27 (5)
通算 493 (53)
代表歴2
2006 日本の旗 日本 1 (0)
監督歴
2023- 日本の旗 FCティアモ枚方
1. 国内リーグ戦に限る。2022年11月20日現在。
2. 2006年10月4日現在。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

二川 孝広(ふたがわ たかひろ、1980年6月27日 - )は、大阪府高槻市出身の元サッカー選手、サッカー指導者。ポジションはミッドフィールダー。元日本代表

来歴

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小中学生時代は地元高槻市である高槻FCに所属した。小学時代は大阪でもベスト4が最高成績だったが、中学時代は3年時にクラブユース選手権関西大会でJリーグクラブの下部組織を抑え優勝し、自身もMVPを受賞した。

1996年ガンバ大阪ユースに入団。主にボランチで活躍。3年時はキャプテンとしてチームを牽引し、クラブユース選手権にて優勝、高円宮杯にて準優勝という成績を収めた。

1999年にトップチームに昇格。同期昇格の大黒将志とはユース時代からのコンビで、大黒が札幌にレンタル移籍した1年間を除いて、2005年まで同じチームでプレーしていた。 

昇格2年目の2000年頃から出場機会を増やし、2002年にG大阪の監督に就任した西野朗からも中盤の様々なポジションで起用され、繊細なボール感覚と抜群のパスセンスを発揮し、遠藤保仁らと共にG大阪の攻撃サッカーの中軸を担い[1]、2003年からは背番号を10番に変更。リーグ初制覇した2005年は、主に3-5-2の中盤の左アウトサイドとして出場していた。2006年以降は主に4-4-2の二列目の左MFとして出場している。

2006年8月アジアカップ予選の西アジア遠征で日本代表に初招集される。同年10月4日キリンチャレンジカップ2006・ガーナ戦で背番号10を着けてA代表初出場を果たした。2007年のリーグ戦は全試合に出場した。

2008年、Jリーグ選抜に選出され[2]、韓国・Kリーグ選抜とのオールスターゲームJOMO CUPに出場。AFCチャンピオンズリーグ2008では、グループリーグで3得点を決め、決勝第2戦のアデレード・ユナイテッド戦でも、ルーカスの2得点目をアシストし、クラブのアジア制覇に貢献。同年度の日刊スポーツ提供「黄金の脚賞」を受賞した[3]。同年12月に開催されたFIFAクラブワールドカップ2008では怪我をおして出場するが、初戦のアデレード戦で怪我していた部分を再び痛め、本人も楽しみにしていたヨーロッパ王者マンチェスター・ユナイテッドとの準決勝は欠場。3位決定戦のCFパチューカ戦では途中出場するも、試合終了間際にレッドカードを提示され退場処分を受けた。

2009年は前年に負った怪我により復帰が遅れるも復帰以降は好調を維持し、天皇杯決勝の名古屋戦では、試合を決定づける3得点目を決め、チームの天皇杯連覇に貢献した。2010年の前半戦は攻撃陣に負傷者が続出する中、活躍を見せたものの、夏に体調を崩してからは不調に陥り、後半戦はこの年台頭した宇佐美貴史の活躍もあり控えに回ることもあった[1]。それでも2011年には復活を遂げ、4年ぶりにリーグ戦30試合以上に出場した。2012年もシーズン通して安定した活躍を見せるもチームは初のJ2降格となった。

自身初のJ2でのプレーとなった2013年、多くの若手選手が台頭したが、シーズン通してレギュラーの座を譲らずG大阪のJ2優勝と1年でのJ1復帰に貢献した。

2014年は主にスーパーサブとして出場し、G大阪の昇格1年目での三冠達成に貢献した。2015年の出場はほとんどがカップ戦でリーグ戦は過去最小のわずか2試合の出場に留まった。しかしACLのグループリーグ最終節の城南FC戦、準々決勝2ndLegの全北現代戦、準決勝2ndLegの広州恒大戦と絶対に勝たなければならない勝負どころの一戦では先発出場するなど存在感を示した。特に広州恒大戦では不動のスタメンだったエース宇佐美貴史の代わりに先発出場を果たした。チームは敗れたものの、持ち前の決定的なパスを量産し、攻撃の起点となった。

2016年、ガンバ大阪U-23J3リーグ開幕戦にオーバーエイジ枠として出場し、同一チームでのJリーグ3カテゴリー出場となった。4月3日の第3節・カターレ富山戦ではJ3初ゴールも挙げた。しかし、トップチームでの前半戦の出場はACLの1試合のみで、J1リーグ戦では出場機会はおろかベンチ入りすら1試合もなかった。前半戦終了後、元G大阪監督の竹本一彦がGMを務める東京ヴェルディからオファーを受け、G大阪側からは慰留されたが、出場機会を求め17年過ごしたG大阪からの移籍を決断。6月28日、東京Vへの期限付き移籍が発表された[4]

2018年3月、栃木SCへ期限付き移籍[5]

2019年1月18日、FCティアモ枚方へ完全移籍[6]

2022年9月にサッカースクールを開設した[7]。同年11月16日、現役を引退すると発表した[8]

2022年11月20日、2023シーズンのFCティアモ枚方のトップチーム監督就任を発表[9]

人物

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  • 無口で寡黙な性格で知られている[10]。インタビューも苦手で2009年にG大阪の公式応援番組『GAMBA TV〜青と黒〜』で、MCのたむらけんじと対談したが、たむらの質問に淡々と答えるトークがほとんどであった[11]。また、2009年の年内最終放送の特別企画では、「収録に出てきてくれた」という理由で『GAMBA TV』の2009年MVPを受賞した。
  • 好きなサッカー選手はという問いには「見てて面白いから」という理由で、元ブラジル代表ロナウジーニョを挙げている[12]
  • 2013年1月8日、一般女性と結婚したことを発表した[13]。2014年に第一子が誕生。
  • 2016年7月に経営者として箕面市に鍼灸院を開院[14]

所属クラブ

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個人成績

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国内大会個人成績
年度クラブ背番号リーグ リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
出場得点 出場得点出場得点 出場得点
日本 リーグ戦 リーグ杯天皇杯 期間通算
1999 G大阪 32 J1 5 0 2 0 2 0 9 0
2000 16 21 0 2 0 3 1 26 1
2001 26 2 4 1 3 1 33 4
2002 8 28 2 7 0 2 0 37 2
2003 10 29 5 5 0 2 0 36 5
2004 30 4 7 0 3 0 40 4
2005 29 0 8 0 2 0 39 0
2006 33 6 2 0 5 1 40 7
2007 34 7 11 3 4 1 49 11
2008 29 1 4 2 1 0 34 3
2009 21 4 2 0 6 1 29 5
2010 27 3 2 0 3 0 32 3
2011 32 5 2 0 1 0 35 5
2012 29 3 0 0 4 0 33 3
2013 J2 36 4 - 2 0 38 4
2014 J1 19 1 6 0 2 1 27 2
2015 2 0 4 1 0 0 6 1
2016 0 0 - - 0 0
東京V 32 J2 20 1 - 2 0 22 1
2017 2 0 - 1 0 3 0
2018 0 0 - - 0 0
栃木 50 7 0 - 0 0 7 0
2019 枚方 10 関西1部 6 3 - - 6 3
2020 6 1 - 1 0 7 1
2021 JFL 7 0 - - 7 0
2022 8 1 - - 8 1
通算 日本 J1 394 43 68 7 43 5 505 56
日本 J2 65 5 - 5 0 70 5
日本 JFL 15 1 - - 15 1
日本 関西1部 12 4 - 1 0 13 4
総通算 493 53 68 7 49 6 610 66

その他の公式戦

国内大会個人成績
年度クラブ背番号リーグ リーグ戦 期間通算
出場得点 出場得点
日本 リーグ戦 期間通算
2016 G大23 10 J3 10 1 10 1
通算 日本 J3 10 1 10 1
総通算 10 1 10 1
  • 2006年
  • 2007年
    • スーパーカップ 1試合1得点
  • 2010年
    • スーパーカップ 1試合0得点
国際大会個人成績 FIFA
年度 クラブ 背番号 出場 得点 出場 得点
AFCACLクラブW杯
2006 G大阪 10 5 1 -
2008 12 3 2 0
2009 1 0 -
2010 7 1 -
2011 7 1 -
2012 5 0 -
2015 4 0 -
2016 1 0 -
通算 AFC 42 6 2 0

その他の国際公式戦

公式戦
Jリーグ

タイトル

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クラブ

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ガンバ大阪ユース
ガンバ大阪

FCティアモ枚方

個人

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  • Jリーグ優秀選手賞:3回(2004年、2006年、2007年)

代表歴

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試合数

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  • 国際Aマッチ 1試合 0得点(2006年)


日本代表国際Aマッチ
出場得点
2006 1 0
通算 1 0

出場

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No. 開催日 開催都市 スタジアム 対戦国 結果 監督 試合概要
1. 2006年10月4日 日本の旗 日本, 横浜市 日産スタジアム  ガーナ ●0-1 オシム キリンチャレンジカップ2006

指導歴

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脚注

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  1. ^ a b 18歳・宇佐美、G大阪の「黄金の中盤」に新風 日本経済新聞、2010年12月2日
  2. ^ 「JOMO CUP2008 8/2@国立」メンバーにバレー&二川選手が選出! ガンバ大阪オフィシャルサイト、2008年7月7日
  3. ^ 2008 BMW提供ファンが選ぶ『MVP』を中澤選手が受賞!そして恒例の日刊スポーツ提供『黄金の脚』賞は二川選手に! ガンバ大阪オフィシャルサイト、2008年12月7日
  4. ^ “二川 孝広選手 東京ヴェルディへ期限付き移籍のお知らせ”. ガンバ大阪. (2016年6月28日). http://www.gamba-osaka.net/news/index/c/0/no/4508/ 2016年6月28日閲覧。 
  5. ^ “二川 孝広選手 東京ヴェルディより期限付き移籍加入のお知らせ”. 栃木SCオフィシャルサイト. (2018年3月29日). https://www.tochigisc.jp/info/9416 2018年3月29日閲覧。 
  6. ^ 二川孝広選手 期限付移籍期間満了及びFCティアモ枚方へ完全移籍のお知らせ』(プレスリリース)栃木SC、2019年1月18日https://www.tochigisc.jp/info/102742022年11月16日閲覧 
  7. ^ “FUTTA SOCCER SCHOOLがOPEN!”. FUTTA SOCCER SCHOOL. (2022年8月19日). https://futta-soccer.com/post211/ 2022年11月16日閲覧。 
  8. ^ “G大阪の黄金期支えた名手が現役引退”. ゲキサカ. (2022年11月16日). https://web.gekisaka.jp/news/soccer/detail/?372930-372930-fl 2022年11月16日閲覧。 
  9. ^ FCティアモ枚方. “二川 孝広氏 FCティアモ枚方 監督就任のお知らせ|FC ティアモ枚方オフィシャルサイト|枚方・寝屋川・交野を中心とした北河内地域からJリーグへ!”. FC ティアモ枚方 公式サイト. 2022年11月20日閲覧。
  10. ^ G大阪MF二川「1日店長」だけど無口 日刊スポーツ、2010年9月20日
  11. ^ 二川孝広選手インタビュー サッカーを始めたきっかけ GAMBA TV〜青と黒〜 インタビュー
  12. ^ 二川孝広選手インタビュー 好きなサッカー選手 GAMBA TV〜青と黒〜 インタビュー
  13. ^ 二川孝広選手 入籍のお知らせ ガンバ大阪公式サイト ニュースリリース 2013年1月8日
  14. ^ 二川、大阪で鍼灸院オープンへ セカンドキャリア見据え - スポーツニッポン 2016年7月26日

関連項目

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外部リンク

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