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久保田畯

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

久保田 畯(くぼた たおさ、1897年明治30年)8月4日[1] - 1991年平成3年)5月27日[2])は、大正から昭和期の内務警察官僚弁護士。官選福井県知事陸軍司政長官

経歴

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熊本県阿蘇郡山西村(現在の西原村)出身[3]。久保田愿の二男として生まれる[1]第五高等学校を卒業[4]1920年(大正9年)10月、高等試験行政科試験に合格[4]1921年(大正10年)東京帝国大学法学部法律学科(英法)を卒業[1][4]内務省に入省し地方局属となる[1][4]

以後、北海道庁理事官愛知県警視、内務事務官兼関東庁事務官、千葉県書記官・警察部長、宮城県書記官・警察部長、岐阜県書記官・学務部長、群馬県書記官・警察部長、愛媛県経済部長、山梨県総務部長神奈川県書記官・総務部長[5]などを歴任[1]

1940年(昭和15年)12月、福井県知事に就任[1]1942年(昭和17年)1月、知事を退任[1]。退官後の同年3月7日、第25軍軍政部ペラ州長官に就任(1943年4月まで在任)[6]、同月17日に陸軍司政長官に発令された[7]。その後、軍需省四国軍需管理部長を務めた[1]。戦後に公職追放となった[4]

その後、弁護士を開業し[1]日本工営監査役を務めた[2]

栄典

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脚注

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  1. ^ a b c d e f g h i 『新編日本の歴代知事』481頁。
  2. ^ a b 『現代物故者事典 1991~1993』222頁。
  3. ^ 北海道人名辞書 1923, p. 101.
  4. ^ a b c d e 『日本官僚制総合事典:1868 - 2000』227頁。
  5. ^ 『官報』第3913号、昭和15年1月25日。
  6. ^ 『日本官僚制総合事典:1868 - 2000』137頁。
  7. ^ 『官報』第4555号、昭和17年3月18日。
  8. ^ 『官報』第4438号・付録「辞令二」1941年10月23日。

参考文献

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  • 金子信尚編『北海道人名辞書』北海民論社、1923年。 
  • 歴代知事編纂会編『新編日本の歴代知事』歴代知事編纂会、1991年。
  • 『現代物故者事典 1991~1993』日外アソシエーツ、1994年。
  • 秦郁彦編『日本官僚制総合事典:1868 - 2000』東京大学出版会、2001年。