久保田畯
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久保田 畯(くぼた たおさ、1897年(明治30年)8月4日[1] - 1991年(平成3年)5月27日[2])は、大正から昭和期の内務・警察官僚、弁護士。官選福井県知事、陸軍司政長官。
経歴
[編集]熊本県阿蘇郡山西村(現在の西原村)出身[3]。久保田愿の二男として生まれる[1]。第五高等学校を卒業[4]。1920年(大正9年)10月、高等試験行政科試験に合格[4]。1921年(大正10年)東京帝国大学法学部法律学科(英法)を卒業[1][4]。内務省に入省し地方局属となる[1][4]。
以後、北海道庁理事官、愛知県警視、内務事務官兼関東庁事務官、千葉県書記官・警察部長、宮城県書記官・警察部長、岐阜県書記官・学務部長、群馬県書記官・警察部長、愛媛県経済部長、山梨県総務部長、神奈川県書記官・総務部長[5]などを歴任[1]。
1940年(昭和15年)12月、福井県知事に就任[1]。1942年(昭和17年)1月、知事を退任[1]。退官後の同年3月7日、第25軍軍政部・ペラ州長官に就任(1943年4月まで在任)[6]、同月17日に陸軍司政長官に発令された[7]。その後、軍需省四国軍需管理部長を務めた[1]。戦後に公職追放となった[4]。
その後、弁護士を開業し[1]、日本工営監査役を務めた[2]。
栄典
[編集]- 1940年(昭和15年)8月15日 - 紀元二千六百年祝典記念章[8]
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 金子信尚編『北海道人名辞書』北海民論社、1923年。
- 歴代知事編纂会編『新編日本の歴代知事』歴代知事編纂会、1991年。
- 『現代物故者事典 1991~1993』日外アソシエーツ、1994年。
- 秦郁彦編『日本官僚制総合事典:1868 - 2000』東京大学出版会、2001年。