串原義直
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串原 義直(くしはら よしなお、1926年9月7日[1] - 2008年10月21日)は、日本の政治家、日本社会党に所属し、衆議院議員を4期務めた[2]。
来歴
[編集]長野県下伊那郡下條村出身。1945年旧制下條実科中学校卒業。地元の農協に勤務した後、代議士秘書となった[2]。飯田市議会議員を2期、長野県議会議員を4期務めた[2]。1979年の総選挙で旧長野3区から社会党公認で立候補したが落選。次の1980年の総選挙で初当選し、4期務めた[2]。1993年の総選挙で落選、1996年の飯田市長選に立候補したが落選。その後、長野県日中交流協会会長[3]、信州日報社会長などを務めた[2]。
2008年10月21日、大腸癌のため飯田市内の病院で死去、82歳没[2]。
おもな著書
[編集]脚注
[編集]- ^ 『新訂 現代政治家人名事典 : 中央・地方の政治家4000人』185頁。
- ^ a b c d e f “串原義直氏死去”. 中日新聞・朝刊: p. 27. (2008年10月22日) - 中日新聞・東京新聞記事データベースにて閲覧
- ^ 串原義直、夏祖芬「21世紀に向けての日中友好協力関係を目指して--串原義直長野県日中交流協会会長・前衆議院議員に聞く」『北京週報』第37巻第43号、1999年10月26日、23-24頁。 NAID 40005208592
参考文献
[編集]- 『新訂 現代政治家人名事典 : 中央・地方の政治家4000人』日外アソシエーツ、2005年。