中村真衣
| ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
選手情報 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
フルネーム | 中村真衣 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
国籍 | 日本 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
泳法 | 背泳ぎ | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
所属 | JSS長岡 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
生年月日 | 1979年7月16日(45歳) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
生誕地 | 新潟県長岡市 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
身長 | 170cm[1] | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
体重 | 67kg[1] | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
中村 真衣(なかむら まい、1979年7月16日 - )は、新潟県長岡市出身の元競泳選手。2000年シドニーオリンピック100m背泳ぎ銀メダリスト・400mメドレーリレー銅メダリスト。
経歴
中村が幼い頃に両親が離婚し、以後母親の手ひとつで育てられた。
4歳から市内のスイミングスクール、JSS長岡に通ったが、徐々に力をつけ地元の大会で好成績を収めるようになる。中学3年生で日本選手権100m背泳ぎで初優勝を果たした。
1996年、高校2年生で1996年アトランタオリンピックに出場するが、女子100m背泳ぎは4位入賞と惜しくも表彰台を逃した。ほか女子200m背泳ぎは9位、女子4x100mメドレーリレー(田中雅美・青山綾里・千葉すず)は予選落ちに終わった。
1998年、中央大学法学部に進学するが、故郷の母親を気遣い、引き続きJSS長岡に籍を残し、以後大学の大会以外にはJSS長岡登録選手として出場した。
大学3年で出場した2000年シドニーオリンピックに出場。女子100m背泳ぎでは惜しくも優勝を逃したが2位入賞を果たして銀メダルを獲得。そして女子4×100mメドレーリレー(田中雅美・大西順子・源純夏)では3位入賞で銅メダルを獲得、五輪で2つのメダルを獲得した。
2002年に中央大学卒業後は直ちに帰郷、プロスイマーに転向し、2004年アテネオリンピックへの出場を目指したが、中村礼子ら後輩の成長や自身の体の衰えもあり、3大会連続の五輪出場を逃した。引退を考えていた矢先の2004年10月23日、新潟県中越地震に被災、母親と数日間の車中泊も経験。そこで「もう一度奮起することで、ふるさとの人たちを勇気付けたい」と、現役続行を決断した。
しかしやはり体の衰えには勝てず、2006年に入ると、肩の不調を訴えるようになった。この年の日本選手権で代表を勝ち取った2007年の世界選手権で惨敗。間を置かずに行われた日本選手権には出場せず、同年4月27日、地元長岡で選手引退を表明した。今後については、何らかの形で水泳にかかわっていきたいとしており、現在は主に、子供を対象とした水泳指導を中心に活動している。また、同年6月27日にテレビ東京系列で放送された『いい旅・夢気分』では、かつての代表としての戦友でもある田中雅美・岩崎恭子とともに伊豆を旅した(岩崎・田中は元々仲がいい友達であり同番組には度々登場していたが、中村が引退してタレント活動もできるようになったのを契機に、大学の先輩である田中から声がかかったようである)。
2013年9月から1年間アメリカ合衆国へコーチ留学を行った[2]。
2025年の参院選新潟県選挙区に向けた自由民主党新潟県連が行う候補者の公募に応募したことが、2024年7月6日に判明[3][4]。同年9月20日、自民党新潟県連は中村を公認候補とするよう党本部に申請することを決めた[5][6]。
出演
脚注
- ^ a b “シドニーオリンピック日本代表選手団名簿”. JOC. 2020年2月14日閲覧。
- ^ 朝日新聞デジタル
- ^ “シドニー五輪銀メダリスト中村真衣氏、来夏参院選の自民候補に応募”. 朝日新聞. (2024年7月6日) 2024年7月20日閲覧。
- ^ 00年五輪競泳銀の中村真衣政治の世界へ 来夏の参院選へ自民党新潟県連の候補者公募に応募 2024年7月6日 日刊スポーツ閲覧。
- ^ “自民新潟が五輪競泳「銀」中村真衣氏の参院選公認申請了承 「県民の幸せ実現に努力」”. 産経新聞. (2024年9月20日) 2024年9月20日閲覧。
- ^ “[次期参議院選挙・新潟2025]元競泳選手・中村真衣氏の擁立を正式決定、自民党県連が全会一致”. 新潟日報. (2024年9月20日) 2024年9月20日閲覧。
外部リンク
- マザーランド公式ホームページ(中村真衣)
- 中村真衣 - 国際オリンピック委員会
- 中村真衣 - オリンピックチャンネル
- 中村真衣 - Olympedia
- 中村真衣 - Sports-Reference.com (Olympics) のアーカイブ
- 中村真衣 - 世界水泳連盟
記録 | ||
---|---|---|
先代 ニーナ・ズヒベインスカヤ |
女子50m背泳ぎ 世界記録保持者(長水路) 2000年4月25日 – 2000年6月17日 |
次代 サンドラ・ボルカー |
- 日本の女子競泳選手
- 競泳日本代表選手
- 競泳のオリンピックメダリスト
- 日本のオリンピック銀メダリスト
- 日本のオリンピック銅メダリスト
- オリンピック競泳日本代表選手
- 世界水泳選手権競泳日本代表選手
- 世界水泳選手権競泳競技メダリスト
- ユニバーシアード競泳日本代表選手
- 日本のユニバーシアード金メダリスト
- ユニバーシアード競泳競技メダリスト
- パンパシフィック水泳選手権日本代表選手
- パンパシフィック水泳選手権メダリスト
- アジア競技大会競泳日本代表選手
- 日本のアジア競技大会銀メダリスト
- 日本のアジア競技大会銅メダリスト
- アジア競技大会競泳競技メダリスト
- 背泳ぎの選手
- 帝京長岡高等学校出身の人物
- 中央大学出身の人物
- 新潟県出身のスポーツ選手
- 1979年生
- 存命人物