伊藤華英
| |||||||||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
選手情報 | |||||||||||||||
フルネーム | 伊藤 華英 | ||||||||||||||
ニックネーム | ハナ | ||||||||||||||
国籍 | 日本 | ||||||||||||||
泳法 | 自由形、背泳ぎ | ||||||||||||||
所属 | セントラルスポーツ研究所 | ||||||||||||||
生年月日 | 1985年1月18日(39歳) | ||||||||||||||
生誕地 | 埼玉県大宮市(現・さいたま市) | ||||||||||||||
身長 | 173cm[1] | ||||||||||||||
体重 | 61kg[1] | ||||||||||||||
|
伊藤 華英(いとう はなえ、1985年1月18日 - )は、日本の元水泳選手。さいたま市教育委員。マネージメント会社は芸能事務所サムデイ[2]。
経歴
埼玉県大宮市(現さいたま市)出身で、幼少期より実家近傍の岩槻市(現さいたま市岩槻区)にあるセントラルスポーツのスイミングスクールで練習した。
1997年に東京成徳大学中学校、2000年に東京成徳大学高等学校へそれぞれ入学する。高校1年の秋に、練習拠点を千葉県市川市のセントラルスポーツ研究所に移し、寮生活を始めた[3]。以後、高校総体と国体で東京都代表として出場し、寺川綾と並ぶ日本女子水泳界のアイドル的存在になる。寺川は伊藤のことをハナと呼んでいる。
2003年に日本大学へ進学し、2004年4月のアテネオリンピック代表選考レースは3位でオリンピック出場を逃した[4]。学生時代に寺川は大学選手として大会に出場したが、伊藤は大学大会以外では「セントラルスポーツ関係者」として出場した。
2007年日大卒業後はクラブ研究所所属の正社員として、選手育成のためのプログラム開発などに携わりながら北京五輪を目指した。
2008年4月17日の日本選手権女子100m背泳ぎを日本新記録で優勝する。規定により自身初の五輪代表の座を獲得した。予選と準決勝ではハイレグカットではなくロングスパッツ式の水着を着用し、出場したが中村礼子の記録を上回らず、決勝は従来のハイレグカットを着用して優勝し、五輪代表選出となり、前日の予選で中村が出した日本記録の59秒96も更新した。
5月17日の日本大学と中央大学の対抗大会はレーザー・レーサーを着用し、100m背泳ぎで1分0秒59を記録した[5]。欧州遠征ではレーザーレーサーを着用し、200m背泳ぎで自己ベストの2分08秒80を記録した[6]。
北京オリンピックは100mで1分00秒18の8位[7]、200mで2分09秒86の12位となった。
大学卒業後は、研究所の拠点が千葉に移転し、[要出典]選手登録先も東京都から千葉県に変更した。寺川は大阪府から東京都に登録先を変えた。
北京オリンピック後は記録が振るわず2010年の日本選手権は自由形一本に絞り、同種目でパンパシフィック選手権代表の座を獲得する。広州アジア大会と翌年の世界選手権は結果が振るわず、寺川とアベック出場した2012年のロンドンオリンピックは200m自由形で決勝出場を逃し、同年のぎふ清流国体を最後に現役を引退した[8]。
2013年度日本オリンピック委員会「オリンピックふれあいアンバサダー」[9]になる。
2014年3月に早稲田大学スポーツ科学学術院スポーツ科学研究科スポーツマネジメント専攻を修了する。
同年4月に順天堂大学大学院スポーツ健康科学研究科精神保健学専攻博士後期課程へ進学。現在は日本大学の非常勤講師を務める[10][11]。
2019年1月20日に京都で結婚式を挙げた[12]。品川区在住で、『しながわ2020スポーツ大使』を務める[13]。
2023年7月1日付でさいたま市教育委員に就任した[14]。12月18日にHEROs AWARD 2023 アーティスト部門を受賞した[15]。
水着問題への対応
高校時代は学校の部活動ではアシックスの水着でレースに臨むこともあったが、大学進学後、寺川とともに当時ミズノがライセンシーとなっていたSPEEDOのイメージガールを務めていた。
その関係もありミズノが自社ブランドに切り替えてからはミズノの水着を着用していたが、北京オリンピック代表権を獲得して以降、同僚・森田智己の影響もあり、SPEEDO社の最新式水着「レーザー・レーサー」のロングスパッツ式をテスト。日本水泳連盟が自由化方針を示したことから五輪本番では「レーザー・レーサー」を着用した。[16]
戦績
国内大会
- 2003年 日本選手権水泳競技大会
- 200m背泳ぎ 優勝
- 2005年 日本選手権水泳競技大会
- 100m背泳ぎ 優勝
- 2006年 日本選手権水泳競技大会
- 100m背泳ぎ 優勝、200m背泳ぎ 優勝
- 2008年 日本選手権水泳競技大会
- 100m背泳ぎ 優勝(タイム:59秒83)
国際大会
- 2005年 世界水泳選手権モントリオール大会
- 100m背泳ぎ 6位、200m背泳ぎ 4位
- 2006年 パンパシフィック水泳選手権
- 100m背泳ぎ 優勝(タイム:1分0秒36)
- 2008年 北京オリンピック
- 100m背泳ぎ 8位、200m背泳ぎ 準決勝敗退
- 2009年 世界水泳選手権ローマ大会
- 200m自由形 棄権
- 2012年 ロンドンオリンピック
- 400mフリーリレー7位、800mフリーリレー8位
関連項目
脚注
- ^ a b “ロンドンオリンピック日本代表選手団名簿”. JOC. 2012年10月4日閲覧。
- ^ サムデイ(伊藤華英)
- ^ a b “173cmのアイドルスイマーは小食で偏食、食に興味がなかった/伊藤華英さん(上)”. アスレシピ (2018年9月3日). 2020年8月22日閲覧。 “高校1年の秋に、練習拠点を千葉・市川市のセントラルスポーツに移し、寮生活を始めた。ソウルオリンピック金メダリストの鈴木大地氏(現スポーツ庁長官)を育てた鈴木陽二コーチの元で、英才教育を受けるためだ。”
- ^ “(33)三たび、五輪目前で…”. 読売新聞. 2012年6月3日閲覧。
- ^ “伊藤華英 スピード社水着は「全然違う。速い」”. スポーツニッポン (2008年5月18日). 2012年6月3日閲覧。
- ^ “華英「破けた」…スピード水着ポロリ危機”. スポーツニッポン (2008年6月14日). 2012年6月3日閲覧。
- ^ “礼子6位、華英8位 二百でリベンジだ!”. スポーツニッポン (2008年8月13日). 2012年6月3日閲覧。
- ^ “「悔いはない」伊藤華英 涙の引退…今後は海外留学へ”. スポーツニッポン (スポニチアネックス). (2012年9月17日) 2020年8月22日閲覧。
- ^ 日本オリンピック委員会「オリンピックふれあいアンバサダー」プロフィール
- ^ 伊藤華英 プロフィール
- ^ 日刊スポーツ(2018年11月14日)
- ^ 日刊スポーツ(2019年1月30日)
- ^ “『しながわ2020スポーツ大使』の伊藤華英さんが入籍しました!”. 品川区オリンピック・パラリンピック特設サイト (2019年2月8日). 2020年8月22日閲覧。 “オリンピック元競泳選手で『しながわ2020スポーツ大使(以下、「スポーツ大使」)』の伊藤華英さんが、1月18日(月)に品川区役所で入籍届を提出されました。お相手は同じく品川区民の方で、(後略)”
- ^ “教育委員に伊藤華英さん 競泳元五輪代表、さいたま”. 産経新聞. (2023年7月1日) 2023年7月1日閲覧。
- ^ “一青窈、喜ばれるなら「命ある限り歌いたい」 『HEROs AWARD』アーティスト部門を受賞”. ORICON NEWS. oricon ME (2023年12月18日). 2023年12月18日閲覧。
- ^ 伊藤の場合は当初は基本的に単なるテスト目的だったが、森田は記者会見などで「五輪本番でSPEEDO社の水着を着たい」という意向を示していた。
- ^ a b “寺村逃げ切り圧勝五輪!渡部封じた/伊藤華英評論”. 日刊スポーツ (2016年4月7日). 2020年8月22日閲覧。 “寺村美穂選手(21)は、セントラルスポーツの後輩です。”
- ^ “寺村美穂の底知れぬ根性ただ1人日本記録/伊藤華英”. 日刊スポーツ (2016年10月25日). 2020年8月22日閲覧。
外部リンク
- 所属事務所HP内プロフィール - ウェイバックマシン(2014年4月6日アーカイブ分)
- 伊藤華英 (@hanaesty) - X(旧Twitter)
- 伊藤華英 - オリンピックチャンネル
- 伊藤華英 - Olympedia
- 伊藤華英 - Sports-Reference.com (Olympics) のアーカイブ
- 伊藤華英 - 世界水泳連盟
- 伊藤華英 - SwimRankings.net