山口昌男
やまぐち まさお 山口 昌男 | |
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文化功労者顕彰に際して 公表された肖像写真 | |
生誕 |
1931年8月20日 日本・北海道網走郡美幌町 |
死没 |
2013年3月10日(81歳没) 日本・東京都 |
居住 | 日本 |
研究分野 | 文化人類学 |
研究機関 |
イバダン大学 東京外国語大学 静岡県立大学 札幌大学 |
出身校 |
東京大学文学部卒業 東京都立大学 (1949-2011)大学院 社会科学研究科修士課程修了 |
影響を 受けた人物 |
クロード・レヴィ=ストロース ダン・スペルベル |
影響を 与えた人物 | 今福龍太 |
主な受賞歴 | 大佛次郎賞(1996年) |
プロジェクト:人物伝 |
山口 昌男(やまぐち まさお、1931年〈昭和6年〉8月20日 - 2013年〈平成25年〉3月10日)は、日本の教育者・文化人類学者。位階は正四位。勲等は瑞宝中綬章。東京外国語大学名誉教授、文化功労者。
麻布中学校教諭、イバダン大学講師、東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所教授、東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所所長、静岡県立大学国際関係学部教授、札幌大学文化学部教授、札幌大学文化学部学部長、札幌大学学長などを歴任した。
経歴
[編集]北海道美幌町出身。9人兄弟の次男。父親は鳥取県倉吉市の庄屋の生まれで、地租改正で没落後職を転々とし、網走で菓子屋を営んでいた。
美幌尋常小学校、旧制網走中学校を経て新制網走高校(現・北海道網走南が丘高等学校)を1950年3月に卒業。
同年4月から青山学院大学文学部第二部に入学し、在学中に展覧会と古書店に頻繁に訪れる。
1951年、東京大学文学部に入学。同学年に作曲家となる三善晃、美学者となる宇波彰らがいた[1]。東京大学駒場美術研究会では、磯崎新らと交遊する。
1955年、坂本太郎の指導のもと、卒業論文「大江国房」を提出して同国史学科を卒業。
同年4月から61年3月まで麻布学園で日本史を教える。同学園での教え子に川本三郎、山下洋輔らがいた。
1957年に東京都立大学大学院に入学し、社会人類学を専攻。1960年、修士論文「アフリカ王権研究序説」を提出して同学大学院社会研究科社会人類学専攻修士課程を修了し、博士課程に進学。
1963年10月からナイジェリアのイバダン大学社会学講師となる。
1966年、東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所講師、翌年助教授となり、通称「AA研」と呼ばれた同研究所を拠点に、69年に「文化と狂気」を『中央公論』に、「道化の民族学」を『文学』に連載、「王権の象徴性」(『伝統と現代』)、「失われた世界の復権」(『現代人の思想 第15巻 未開と文明』解説)を執筆して注目される。[2]
岩波書店発行の雑誌『文学』1969年1~8月号に論文「道化の民俗学」を連載した。[3]
中村雄二郎と共に1970年代初頭から、創刊間もない青土社の月刊誌『現代思想』に寄稿し始め、構造主義や記号論を紹介して既存の学問の方向性を転換した上で議論を活性化。西洋近代的知の体系への懐疑を促す大きな力となった。
1970年6月から「本の神話学」を『中央公論』に連載。[4]
1980年代の浅田彰、中沢新一らによって本格化したいわゆるニューアカ(ニュー・アカデミズム)」ブームの下準備をした。
1984年から1994年まで磯崎新、大江健三郎、大岡信、武満徹、中村雄二郎と共に学術季刊誌『へるめす』(途中から隔月刊、岩波書店)の編集同人として活躍した。
1989(平成元)年、東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所所長となり、1994年に同研究所を定年退職。この間の1992年、電通総研で「経営の精神文化史研究会」発足に尽力。
1994年、静岡県立大学大学院国際関係学研究科教授および中央大学総合政策学部客員教授となる。
1995年、晩年の大著となる『「挫折」の昭和史』、『「敗者」の精神史』の刊行以来、近代日本史の中で重要視されていなかった「旧幕臣」系または「趣味人」系の人々の、人的ネットワークを洗い出し検証する著作が多かった。
1997年に札幌大学文化学部長、1999年同学長となった。
2008年に脳梗塞で倒れてから療養生活を送っていたが、2013年3月10日に肺炎のため東京都内の病院で死去[5][6]。歿日付けで正四位に叙された。死去の約二ヵ月後、『ユリイカ』2013年6月号で「山口昌男-道化・王権・敗者」と題する特集が組まれた。墓所は府中市観音寺墓地。
エピソード
[編集]- 研究室には膨大な蔵書が山積みになっていた。しかし海外出張中に電話をかけ「何番目の山の何冊目の何ページを引用するから探せ」と指示を出したという[7]。蔵書は札幌大学図書館に寄贈、「山口文庫」で一般開放されている。
- 20代の頃から漫画評論を手がけており、先駆的存在である。
学説
[編集]アジア・アフリカ・南アメリカなど世界各地でフィールドワークを行い、両性具有・トリックスターをテーマとした著作で「中心と周縁の理論」を発表し評価が高い[8]。
家族・親族
[編集]NHK美術監督の山口類児は長男。札幌大学女子短期大学部教授の山口拓夢は次男。
年譜
[編集]- 1950年 旧制網走中学・新制網走高校(現・北海道網走南ヶ丘高等学校)卒業、1学期のみ青山学院大学文学部仏文科に通う。
- 1955年 東京大学文学部国史学科卒業。卒論は「大江匡房―平安末期一貴族の意識」、指導教官は坂本太郎。麻布中学校教諭に着任(日本史担当、教え子に川本三郎、山下洋輔など[9])。
- 1960年 旧・東京都立大学大学院社会科学研究科社会人類学専攻修士課程修了。修論は「アフリカ王政研究序説」。国際基督教大学非常勤助手。
- 1961年 麻布学園を退職。
- 1963年 ナイジェリア・イバダン大学社会学講師。
- 1965年 東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所講師。
- 1968年 東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所助教授。
- 1970年 エチオピア調査を経て、パリ大学ナンテール分校客員教授。
- 1973年 東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所教授。
- 1977年 メキシコ大学院大学客員教授。
- 1989年 東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所所長。
- 1994年 静岡県立大学大学院国際関係学研究科教授、中央大学総合政策学部客員教授。
- 1997年 札幌大学文化学部長。
- 1999年 札幌大学学長。
- 2013年3月10日 肺炎のため、東京都三鷹市の病院内にて病没[10][5][6]。81歳没。
受賞歴
[編集]栄典
[編集]著書
[編集]単著
[編集]- 「アフリカの神話的世界」(岩波新書、1971年)
- 「人類学的思考」(せりか書房、1971年 / 筑摩書房(新編)、1979年 / 筑摩叢書、1990年)
- 「本の神話学」(中央公論社、1971年 / 中公文庫、1977年、増補新編・2023年8月 / 岩波現代文庫、2014年)
- 「歴史・祝祭・神話」(中央公論社、1974年 / 中公文庫、1978年 / 岩波現代文庫、2014年)
- 「道化の民俗学」(新潮社、1975年 / 筑摩叢書、1985年 / ちくま学芸文庫、1993年 / 岩波現代文庫、2007年)
- 「道化的世界」(筑摩書房、1975年 / ちくま文庫、1986年)
- 「文化と両義性」(岩波書店〈哲学叢書〉、1975年 / 岩波現代文庫、2000年)
- 「世界の歴史6 黒い大陸の栄光と悲惨」(講談社、1977年)
- 「アフリカ史」(講談社学術文庫、2023年8月)- 今福龍太改訂
- 「知の遠近法」(岩波書店、1977年 / 岩波同時代ライブラリー、1990年 / 岩波現代文庫、2004年)
- 「知の祝祭 文化における中心と周縁」(青土社、1979年 / 河出文庫、1988年)
- 「文化とその痛み」(現代研究会〈現代セミナー10〉、1979年)- 講演冊子
- 「道化の宇宙」(白水社、1980年 / 講談社文庫、1985年)
- 「仕掛けとしての文化」(青土社、1980年 / 講談社学術文庫、1988年)
- 「文化人類学への招待」(岩波新書、1982年)
- 「文化の詩学 I・II」(岩波書店〈岩波現代選書〉、1983年、新装版1998年 / 岩波現代文庫、2002年)
- 「笑いと逸脱 Scrap book1」(筑摩書房、1984年 / ちくま文庫、1990年)
- 「文化と仕掛け Scrap book2」(筑摩書房、1984年)
- 「流行論 週刊本」(朝日出版社、1984年)
- 「演ずる観客 劇空間万華鏡」(白水社、1984年)
- 「祝祭都市 象徴人類学的アプローチ」(岩波書店〈旅とトポスの精神史〉、1984年)
- 「河童のコスモロジー 石田英一郎の思想と学問」(講談社学術文庫、1986年)
- 「冥界遊び Scrap book3」(筑摩書房、1986年)- 各・雑文集
- 「スクリーンの中の文化英雄たち」(潮出版社、1986年)
- 「学校という舞台-いじめ・挫折からの脱出」(講談社現代新書、1988年 / 「いじめの記号論」岩波現代文庫、2007年)
- 「モーツァルト好きを怒らせよう 祝祭音楽のすすめ」(第三文明社、1988年)
- 「「知」の錬金術」(講談社、1989年)
- 「天皇制の文化人類学」(立風書房、1989年 / 岩波現代文庫、2000年)
- 「知の即興空間 パフォーマンスとしての文化」(岩波書店、1989年)
- 「気配の時代」(筑摩書房、1990年)
- 「のらくろはわれらの同時代人 漫画論集」(立風書房、1990年)
- 「宇宙の孤児 演劇論集」(第三文明社、1990年)
- 「病いの宇宙誌」(人間と歴史社、1990年)- 対話も収録
- 「トロツキーの神話学」(立風書房、1991年)
- 「自然と文明の想像力」(宝島社、1993年)- 対話も収録
- 「「挫折」の昭和史」(岩波書店、1995年 / 岩波現代文庫(上下)、2005年)- 三部作
- 「「敗者」の精神史」(岩波書店、1995年 / 岩波現代文庫(上下)、2005年)- 三部作
- 「知の自由人たち」(日本放送出版協会〈NHKライブラリー〉、1998年)[13]
- 「踊る大地球 フィールドワーク・スケッチ」(晶文社、1999年)- 精選されたスケッチ約100点を収録
- 「敗者学のすすめ」(平凡社、2000年)- 近代日本を人類学で論ず
- 「独断的大学論―面白くなければ大学ではない!」(ジーオー企画出版、2000年)
- 「内田魯庵山脈 〈失われた日本人〉発掘」(晶文社、2001年 / 岩波現代文庫(上下)、2010年)- 三部作
- 「山口昌男著作集」(筑摩書房(全5巻)、2002年 - 2003年)- 今福龍太編・解説
- 1.知、2.始原、3.道化、4.アフリカ、5.周縁、のテーマ別編集
- 「山口昌男ラビリンス」(国書刊行会、2003年)- 1980年代以降の単行本未収録の文集の大著
- 「経営者の精神史-近代日本を築いた破天荒な実業家たち」(ダイヤモンド社、2003年)
- 「本の狩人 読書年代記」(右文書院、2008年)- 巻末に著書目録
- 「学問の春 〈知と遊び〉の10講義」(平凡社新書、2009年)
- 「山口昌男コレクション」(ちくま学芸文庫、2013年6月)- 今福龍太編・解説
- 「エノケンと菊谷栄―昭和精神史の匿れた水脈」(晶文社、2015年1月)- 80年代に執筆した遺稿を編んだ
- 「古本的思考―講演敗者学」(晶文社、2018年9月)- 単行本未収録
対話集
[編集]- 「挑発としての芸術 対話集」(青土社、1980年)
- 「書物の世界 共同討議」(青土社、1980年)- 高階秀爾・中村雄二郎と
- 「二十世紀の知的冒険 対談集」(岩波書店、1980年)- 外国人学者と
- 「知の狩人 続・二十世紀の知的冒険 対談集」(岩波書店、1982年)- 同上
- 「語りの宇宙 記号論インタヴュー集」(冬樹社、1983年、新版1990年)- 聞き手・三浦雅士
- 「文化人類学の視角」(岩波書店、1986年)- 12名との対話
- 「身体の想像力 対談集 音楽・演劇・ファンタジー」(岩波書店、1987年)
- 「ミカドと世紀末 王権の論理」(平凡社、1987年 / 新潮文庫(増補版) 1990年 / 小学館文庫(再訂版) 1998年)- 猪瀬直樹との対論・対談
- 「知のルビコンを超えて 山口昌男対談集」(人文書院、1987年)
- 「古典の詩学 山口昌男国文学対談集」(人文書院、1989年)
- 「オペラの世紀 山口昌男音楽対談集」(第三文明社、1989年)
- 「はみ出しの文法 敗者学をめぐって」(平凡社、2001年)- 12名との対話
- 「回想の人類学」(晶文社、2015年9月)- 聞き手・川村伸秀
編著・共著
[編集]- 「現代人の思想 15 未開と文明」(平凡社、1969年、新版2000年)[14]
- 「近代日本思想大系 26 林達夫集」(筑摩書房、1974年)- 解説「精神史のフォークロア」
- 「日本民俗文化大系 8 石田英一郎 河童論」(講談社、1979年)- 上記の文庫は新編
- 「知の旅への誘い」(岩波新書、1981年)- 中村雄二郎との共著
- 「見世物の人類学」 (三省堂、1983年)- ヴィクター・ターナーとの共編
- 「火まつり」(リブロポート、1985年)
- 「世界は舞台 林達夫座談集」(岩波書店、1986年)
- 「越境スポーツ大コラム」(TBSブリタニカ、1987年)
- 「魯庵の明治 内田魯庵」(講談社文芸文庫、1997年) - 坪内祐三との共編
- 「魯庵日記」(講談社文芸文庫、1998年) - 坪内祐三との共編
- 「記号論の逆襲」(東海大学出版会、2002年) - 室井尚との共編
- 「山口昌男 人類学的思考の沃野」(東京外国語大学出版会、2014年10月)。真島一郎・川村伸秀共編
- 追悼論集。単行本未収録の論考、詳細な研究記録、写真・スケッチ、年譜・著作目録を収録
翻訳
[編集]- ジャック・ブリアール「青銅時代」(白水社 文庫クセジュ、1961年)
- アンリ・ラブレ「黒いアフリカの歴史」(白水社 文庫クセジュ、1962年)
- ユベール・デシャン「黒いアフリカの宗教」(白水社 文庫クセジュ、1963年)
- レヴィ=ストロース「仮面の道」(渡辺守章共訳、新潮社「創造の小径」、1977年)。渡辺公三補訳、ちくま学芸文庫、2018年
関連人物
[編集]美幌町時代
[編集]- 藁科雅美 Masami Warashina(音楽評論家、訳書・バーンスタイン物語、1950年第1回美幌町文化賞受賞)。戦後、北海道美幌町に疎開中の藁科雅美から英語の個人指導を受ける。藁科雅美はその後(1952年)團伊玖磨に北海道美幌農業高等学校校歌作曲を依頼、(1953年)武満徹に美幌町町歌作曲を依頼する。
都市の会
[編集]「へるめす」同人
[編集]麻布中学時代の生徒
[編集]「東京外骨語大学」
[編集]山口昌男が「学長」の交流会。
「例の会」メンバー
[編集]季刊誌として創刊された「へるめす」前身となる会。
その他
[編集]- 由良君美
- 網野善彦
- 青木保
- 高山宏
- 四方田犬彦
- 大室幹雄
- 松岡正剛
- 今福龍太
- 中沢新一[15]
- 種村季弘
- 寺山修司
- 上野千鶴子
- 栗本慎一郎 - 栗本慎一郎自由大学に参加
- 本多勝一(「調査される側の眼」で文化人類学を批判。山口昌男がこれに反論、論争となった)
脚注
[編集]- ^ “山口昌男 :: 東文研アーカイブデータベース”. www.tobunken.go.jp. 2023年3月2日閲覧。
- ^ “山口昌男 :: 東文研アーカイブデータベース”. www.tobunken.go.jp. 2023年3月2日閲覧。
- ^ 道化の民俗学 - 岩波書店
- ^ “山口昌男 :: 東文研アーカイブデータベース”. www.tobunken.go.jp. 2023年3月2日閲覧。
- ^ a b “文化人類学者の山口昌男さん死去 「中心と周縁」理論”. 朝日新聞. (2013年3月10日) 2013年3月10日閲覧。
- ^ a b “「道化の民俗学」文化人類学者の山口昌男氏死去”. 読売新聞. (2013年3月10日) 2013年3月10日閲覧。
- ^ 磯崎新「喪友記 再現できぬ回路 山口昌男氏を悼む」日本経済新聞(2013年3月20日40面)
- ^ この方面での代表作は『文化と両義性』(岩波書店)
- ^ (EV.Cafe)村上龍・坂本龍一との対談の中で教え子として二人の名前を挙げている
- ^ “文化人類学者の山口昌男氏が死去 「中心と周縁」理論”. 日本経済新聞. (2013年3月10日) 2020年2月6日閲覧。
- ^ “山口昌男名誉教授・前学長が、平成21年度春の叙勲で瑞宝中綬章を受章”. 札幌大学 (2009年4月30日). 2023年3月20日閲覧。
- ^ “平成23年度 文化功労者”. 文部科学省 (2011年11月3日). 2011年12月20日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年4月12日閲覧。
- ^ 放送テキスト『「知」の自由人たち』を改訂。※1997年10月-12月にNHK教育テレビ「NHK人間大学」で放映。
- ^ 新版は「未開と文明 現代人の思想セレクション3」、他は鶴見俊輔、篠田一士編
- ^ 高山宏との対話で「インヴェンション」- [第4章 軽業としての学問―山口昌男をめぐって]、明治大学出版会、2014年。がある
参考文献
[編集]- 大塚信一『山口昌男の手紙 : 文化人類学者と編集者の四十年』トランスビュー、2007年。ISBN 9784901510547。 NCID BA83171274 。
- 『北海道 人物・人材情報リスト2004 な-わ』(日外アソシエーツ編集・発行、2003年)
- 「山口昌男教授:略歴と著作目録」『アジア・アフリカ言語文化研究』46・47、東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所、1994年、491-540頁、ISSN 03872807、NAID 120000991675。
関連文献
[編集]- 『ユリイカ 詩と批評:特集山口昌男 道化・王権・敗者』(2013年5月号、青土社)
- 『山口昌男山脈 第1~5号』 めいけい出版→川村オフィス、2002年から2005年に発行
- 村上龍; 坂本龍一『EV.Cafe 超進化論 「Stage 6 速度 山口昌男」』講談社文庫、1989年1月。ISBN 978-4061843592。元版・講談社、1985年11月
外部リンク
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