下館市
しもだてし 下館市 | |||||
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廃止日 | 2005年3月28日 | ||||
廃止理由 |
新設合併 下館市・真壁郡明野町・協和町・関城町 → 筑西市 | ||||
現在の自治体 | 筑西市 | ||||
廃止時点のデータ | |||||
国 | 日本 | ||||
地方 | 関東地方 | ||||
都道府県 | 茨城県 | ||||
市町村コード | 08206-6 | ||||
面積 | 86.25km2 | ||||
総人口 |
64,002人 (推計人口、2005年3月1日) | ||||
隣接自治体 |
茨城県結城市、協和町、明野町、関城町 栃木県小山市、二宮町 | ||||
市の木 | サクラ | ||||
市の花 | バラ | ||||
下館市役所 | |||||
所在地 |
〒308-0825 茨城県下館市大字下中山732番地1 | ||||
座標 | 北緯36度18分26秒 東経139度58分59秒 / 北緯36.30711度 東経139.98308度座標: 北緯36度18分26秒 東経139度58分59秒 / 北緯36.30711度 東経139.98308度 | ||||
ウィキプロジェクト |
下館市(しもだてし)は、かつて茨城県北西部に存在した市。下館都市圏の中核をなしていた。
地理
[編集]隣接していた自治体
[編集]歴史
[編集]「下館」の地名については諸説あるが、平安時代の940年(天慶3年)に下野押領使の藤原秀郷(俵藤太)が平将門の乱平定のため、上館・中館・下館の三館を築いたことが、その始まりといわれている[1]。平安晩期から鎌倉時代にかけては伊佐氏(常陸伊佐氏)の領地であった。室町時代の1478年(文明10年)頃に、下総・結城氏の家臣、水谷伊勢守勝氏によって下館城が築城される。その後水谷氏が結城家から独立、江戸時代には下館藩の城下町となり、水谷氏に代わって入封した松平頼重(徳川光圀の兄)により水戸城下にならった町割りが行われた。その後真岡木綿や結城紬などを扱う商業の町として発展、「関東の大阪」と呼ばれるまでになった[1]。
1889年(明治22年)の町制施行時に、城下の区域を以て真壁郡下館町が成立。明治から大正にかけ、下館駅に水戸鉄道(現JR水戸線)、真岡軽便線(現真岡鐵道真岡線)、常総鉄道(現関東鉄道常総線)が相次いで開業し、交通の要衝となった[1]。1954年(昭和29年)、いわゆる昭和の大合併で五所村、中村、河間村、大田村、嘉田生崎村の周辺5村を編入して市制施行し下館市が誕生、のちに伊讃村、養蚕村、竹島村を編入した。
平成の大合併では、2005年(平成17年)に下館市は関城町、明野町、協和町との合併により筑西市となる。市内に「下館」のつく大字・小字名がなく、また新設もされなかったため、1000年以上の歴史を持つ「下館」の地名はこれにより消滅することになった[1]。
年表
[編集]- 781年 - 藤原魚名が奥州勢に備え三つの館(上館、中館、下館)を築いたとされる(下館の地名のおこり)。
- 940年 - 平将門の乱で、平将門平定のため藤原秀郷らが上館・中館・下館にて陣を敷く。
- 秀郷は魚名の子孫。秀郷が三館を築いたとの説もある。
- 1111年 - 藤原実宗が常陸介に任じられ伊佐郡に住まい、伊佐氏(常陸伊佐氏)を名乗る(のちの伊達氏の祖という)。
- 鎌倉期には当時常陸国で活動していた親鸞の影響を受け、その弟子により光徳寺、最勝寺といった現在も続く寺が建てられた。
- 1478年 - 水谷勝氏が結城氏広から下館領を与えられ、下館城築城。水谷氏による治世がその後4代続く。
- 1742年 - 与謝蕪村が下館の中村風篁を訪ね、中村家に滞在(現在中村家は「中村美術サロン」を運営)。
- 天保期 - 天保の大飢饉に見舞われる。
- 1851年 - 石川総貨が真岡より二宮尊徳を招聘。下館領内五所宮(現・筑西市五所宮)にて仕法させるなど藩政改革に着手。
- 1871年(明治4年)7月14日 - 廃藩置県により下館県となる。最後の藩主は石川総管。同年11月14日、茨城県に統合。
- 1878年(明治11年) - 郡区町村編制法により、下館に真壁郡役所が設置される。
- 1884年(明治17年) - 加波山事件。下館からも富松正安ら3名の参加者があった。
- 1889年(明治22年)1月16日 - 水戸鉄道(現在の水戸線)が開業。下館駅設置。
- 明治30年代になると足袋底織が発達。
- 1912年(明治45年)4月1日 - 真岡軽便線(現在の真岡線)の下館駅 - 真岡駅間が開業。
- 1913年(大正2年)11月1日 - 常総鉄道(現在の常総線)が取手 - 下館間が開業。
- 1915年(大正4年) - この頃に湿地の埋立や耕地整理を行い、鷹場町・田中町・稲荷町などで人口が増加し始める。
- 昭和10年前後に足袋底織の最盛期を迎える(年間24万反あまりを生産したという)。戦後まで全国市場をほぼ独占していた。
- 1939年(昭和14年) - 大田村に陸軍下館飛行場建設。
- 1940年(昭和15年)5月15日 - 映画館から出火。家屋100戸(134棟)全焼。死者2名、負傷者6名[2]。
- 1949年(昭和24年)6月1日 - 下館電報電話局設立。
- 1951年(昭和26年)4月1日 - 下館町と伊讃村が合併し、新たな下館町が発足。
- 1953年(昭和28年)5月18日 - 国道122号(現在の国道50号)が制定。
- 1954年(昭和29年)
- 1956年(昭和31年)4月21日 - 鷹場町の大火。83世帯を焼失。
- 1959年(昭和34年) - 下館第一高等学校が第41回全国高等学校野球選手権大会(夏の甲子園)に出場する。
- 1970年(昭和45年)4月1日 - 国道294号が制定。
- 1987年(昭和62年) - 台風10号により小貝川が氾濫し市域一帯で大洪水となる。
- 1989年(平成元年) - 前々年の小貝川氾濫で浸水被害の大きかった3地区の集団移転地の盛土が完了(現在の旭ケ丘)。
- 1991年(平成3年)5月 - 下館駅前再開発事業として、京成ストア跡地に下館SPICA建設、核テナントとして下館サティが入居。
- 1991年(平成3年)5月24日 - 新字名として、大字旭ヶ丘(旧・大字嘉家佐和の一部)を新設[3]。
- 1995年(平成7年)3月23日 - 常総バイパスが開通。
- 2000年(平成12年) - 土地区画整理事業により、みどり町1,2丁目(旧・乙、菅谷、一本松の各一部)を設定[4]。
- 2002年(平成14年)8月 - 下館サティ閉店。下館SPICA閉鎖。以後も核テナントの開業・撤退を繰り返す。
- 2002年(平成14年) - 土地区画整理事業により、下岡崎1〜3丁目(旧大字下岡崎、二木成、下中山、西榎生の各一部)、榎生1丁目(旧大字下岡崎、下中山、東榎生、西榎生の各一部)を設定[5]。
- 2005年3月28日 - 真壁郡関城町・明野町・協和町と合併して筑西市となる。合併後の人口は約11万5000人。
行政区域変遷
[編集]- 変遷の年表
下館市市域の変遷(年表) | ||
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年 | 月日 | 旧下館市市域に関連する行政区域変遷 |
1889年(明治22年) | 4月1日 | 町村制施行に伴い、以下の村がそれぞれ発足[6][7]。
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1949年(昭和24年) |
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1954年(昭和29年) | 2月1日 | 養蚕村・竹島村は下館町に編入。 |
3月15日 | 五所村・中村・河間村・大田村・嘉田生崎村は下館町に編入。
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1978年(昭和53年) | ||
1979年(昭和54年) |
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2005年(平成17年) | 3月28日 | 下館市は関城町・明野町・協和町と合併して筑西市が発足。下館市は消滅。 |
- 変遷表
下館市市域の変遷表(※細かな境界の変遷は省略) | |||||||
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1868年 以前 |
明治元年 - 明治22年 | 明治22年 4月1日 |
明治22年 - 昭和64年 | 平成元年 - 現在 | 現在 | ||
下館城下 | 明治15年 下館城下 |
下館町 | 昭和26年4月1日 下館町 |
昭和29年3月15日 市制 |
平成17年3月28日 筑西市 |
筑西市 | |
田中村 | |||||||
西郷谷村 | |||||||
粕礼新田 | |||||||
飯島村 | 伊讃村 | ||||||
菅谷村 | |||||||
外塚村 | |||||||
西谷貝村 | |||||||
神分村 | |||||||
西大島村 | |||||||
石原田村 | |||||||
笹塚村 | |||||||
小川村 | |||||||
下平塚村 | |||||||
栗島村 | |||||||
岡芹村 | |||||||
谷中村 | |||||||
伊佐山村 | |||||||
下川島村 | |||||||
女方村 | |||||||
九蔵新田村 | |||||||
小林村 | 竹島村 | 昭和29年2月1日 下館町に編入 | |||||
直井村 | |||||||
高島村 | |||||||
市野辺村 | |||||||
稲野辺村 | |||||||
金丸村 | |||||||
川澄村 | |||||||
成田村 | 養蚕村 | ||||||
島村 | |||||||
蕨村 | |||||||
塚原村 | |||||||
上川中子村 | |||||||
下中山村 | |||||||
川連村 | |||||||
茂田村 | |||||||
徳持村 | |||||||
大塚村 | |||||||
森添島村 | 五所村 | 五所村 | 昭和29年3月15日 下館町に編入 | ||||
子思議村 | |||||||
五所宮村 | |||||||
小塙村 | |||||||
山崎村 | |||||||
掉ケ島村 | |||||||
下江連村 | |||||||
西山田村 | |||||||
上平塚村 | |||||||
大谷村 | |||||||
灰塚村 | |||||||
中館村 | 中村 | 中村 | |||||
谷部村 | |||||||
林村 | |||||||
石塔村 | |||||||
泉村 | |||||||
口戸村 | |||||||
樋口村 | |||||||
折本村 | |||||||
柴山村 | |||||||
筑瀬村 | |||||||
国府田村 | 河間村 | 河間村 | |||||
上中山村 | |||||||
蒔田村 | |||||||
落合村 | |||||||
北大関村 | 明治11年 大関村 | ||||||
南大関村 | |||||||
八田村 | |||||||
下高田村 | |||||||
羽方村 | |||||||
奥田新田村 | 明治18年 奥田村 | ||||||
野村 | |||||||
二木成村 | 大田村 | 大田村 | |||||
野殿村 | |||||||
下野殿村 | |||||||
玉戸村 | |||||||
西方村 | |||||||
西方町村 | |||||||
布川村 | |||||||
嘉家佐和村 | 嘉田生崎村 | 嘉田生崎村 | |||||
飯田村 | |||||||
西石田村 | |||||||
野田村 | |||||||
東榎生村 | |||||||
西榎生村 | |||||||
下岡崎村 |
地域
[編集]- JR水戸線・関東鉄道常総線・真岡鐵道真岡線の三線が乗り入れるターミナル駅の下館駅の北部が中心市街地。住居表示で言えば、甲・乙・丙の三地区および周辺地区が含まれる。「甲乙丙」の三地区は明治期の旧・下館町にあたり、「旧市内」或いは単に「下館地区」と呼ばれる。かつて下館の商人たちは「下館商人」と呼ばれ、彼らの力により町の整備が進み「関東の大阪」と呼ばれる商都として隆盛を極めた。
下館地区の通称町名
[編集]旧市内は「甲乙丙」の住所表記とは別に、通称としての町名が存在する。自治会や子供会は町単位で設置され、下館祇園祭では各町ごとに神輿を出し、地区運動会では町対抗競技が行われる。またどの町にも「児童館」があり、子供会の行事からカラオケ大会まで老若男女を問わない町の集会所となっている。行政上の正式な住所表記ではないのだが、「甲乙丙」は旧市内を便宜的に3地域に分けたもの(地番も甲乙丙通しで振られている)に過ぎないため、旧市内においては甲乙丙よりも町名が親しまれており、字名(甲・乙・丙)を通称町名と併記する場合は、町名を先に書く習慣がある。
- (例「下館市本城町甲x番地」…「本城町」は「甲」の中にある町の1つであるが、「甲本城町x番地」と書くことは無い。郵便物は「本城町x番地」「本城町甲x番地」「甲x番地」のいずれでも届く。行政上の住所では「下館市甲x番地」と町名を省く。)
- 合併で誕生した筑西市は住所を文字通りそのまま引き継いだため、行政上の住所は「筑西市甲x番地」と「下館」が全く入らないものになったが、「筑西市本城町甲x番地」と町名を使う習慣はそのまま引き継がれている。
- 下館地区の通称町名一覧(五十音順)
- 通称町名はあくまで「通称」であり、その境界は厳格に定められているわけではない。概ねその家や店がどの町の自治会に入っているかや、伝統的な暗黙の境界線によるところが大きいので、町の境界線は住民自身も把握しきれないほど曖昧で複雑だが、基本的に変わることはなく、代々受け継がれる。また、町が甲乙丙の区分に跨ることはほとんど無いが、必ずしも合致しているわけではない。
- (例:田中町の場合、JR下館駅は「田中町乙」、スピカビルは「田中町丙」。)
町名 | よみがな | 所属 | 備考 |
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旭町 | あさひちょう | 甲 | |
東町 | あずまちょう | 乙・丙 | またがっている町名 |
荒町 | あらまち | 乙 | |
泉町 | いずみちょう | 乙 | |
稲荷町 | いなりちょう | 丙 | |
大町 | おおまち | 甲 | 一・二・三丁目がある |
春日町 | かすがちょう | 丙 | |
金井町 | かないちょう | 甲 | |
栄町 | さかえちょう | 乙 | |
桜町 | さくらまち | 丙 | |
十軒町 | じっけんまち | 甲 | |
新花町 | しんはなちょう | 乙 | |
末広町 | すえひろちょう | 丙 | |
鷹場町 | たかばちょう | 丙 | |
田中町 | たなかちょう | 乙・丙 | またがっている町名 |
田町 | たまち | 甲 | |
西町 | にしまち | 甲 | 一・二・三丁目がある |
根岸町 | ねぎしちょう | 甲 | |
富士見町 | ふじみちょう | 乙 | |
南町 | みなみちょう | 乙 | |
本城町 | もとしろちょう | 甲 | |
薬師町 | やくしまち | 甲 |
下館都市圏
[編集]一般的な都市圏の定義については都市圏を参照。
「10%都市圏」(通勤圏)
[編集]都市圏の変遷
[編集]都市雇用圏(10%通勤圏)の変遷
自治体('80) | 1980年 | 1990年 | 1995年 | 2000年 | 自治体('06) |
下館市 | 下館都市圏 11万0843人 |
下館都市圏 11万7699人 |
下館都市圏 11万8078人 |
下館都市圏 9万8261人 |
筑西市 |
関城町 | |||||
協和町 | |||||
明野町 | つくば都市圏 |
行政
[編集]歴代市長
[編集]特記なき場合『日本の歴代市長 : 市制施行百年の歩み』などによる[8]。
代 | 氏名 | 就任 | 退任 | 備考 |
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1 | 秋山源吉 | 1954年(昭和29年)3月15日 | 1955年(昭和30年)4月14日 | 旧下館町長 |
2 | 菊池豊 | 1955年(昭和30年)5月13日 | 1956年(昭和31年)9月30日 | |
3 | 松岡龍雄 | 1956年(昭和31年)11月15日 | 1972年(昭和47年)11月14日 | |
4 | 下條正雄 | 1972年(昭和47年)11月15日 | 1976年(昭和51年)11月14日 | |
5 | 浜野正 | 1976年(昭和51年)11月15日 | 1992年(平成4年)11月14日 | |
6 | 鈴木良一 | 1992年(平成4年)11月15日 | 1996年(平成8年)11月14日 | |
7 | 冨山省三 | 1996年(平成8年)11月15日 | 2005年(平成17年)3月27日 | 廃止 |
教育
[編集]高等学校
[編集]交通
[編集]鉄道
[編集]かつてはバスも走っていた。
道路
[編集]施設
[編集]公共施設
[編集]娯楽施設
[編集]- 下館シネマ1 - 映画館
- 下館シネマズシアター - 複合映画館
- 下館映画劇場・下館ミラノ座・下館オスカーの3スクリーン
出身著名人
[編集]歴史上の人物
[編集]- 石川重之 - 最後の下館藩主石川総管の長男で、子爵
- 常陸入道念西 - 伊達氏の祖
- 水谷正村(水谷蟠竜斎) - 戦国武将・下館城主
- 渋谷伊予作 - 下館藩士。後に脱藩し天誅組に合流。
- 富松正安 - 自由民権運動家。金井町にあった有為館館長を務めた。
経済人
[編集]文化人
[編集]- 板谷波山 - 陶芸家、文化勲章受章、名誉市民[9]
- 森田茂 - 洋画家、文化勲章受章、名誉市民[9]
- 飯泉俊夫 - 洋画家
- 飯野農夫也 - 木版画家
- 中丸三千繪 - オペラ歌手(マリア・カラス賞受賞)
- 中嶋博行 - 小説家(江戸川乱歩賞受賞)
- 吉川潮 - 作家
芸能人
[編集]スポーツ選手
[編集]脚注
[編集]- ^ a b c d 小野寺敦 監修 『茨城「地理・地名・地図」の謎』 (2014, pp. 29–30)
- ^ 日外アソシエーツ編集部 編『日本災害史事典 1868-2009』日外アソシエーツ、2010年9月27日、57頁。ISBN 9784816922749。
- ^ “字の区域の設定(平成3年5月13日 茨城県告示第569号) (PDF)”, 茨城県報 (茨城県) 第241号: pp. p.1-2, (1991年5月13日)
- ^ “町の区域の設定(平成12年4月17日 茨城県告示第511・512号) (PDF)”, 茨城県報 (茨城県) 第1152号: pp. p.2-3, (2000年4月17日)
- ^ “町の区域の設定(平成14年11月5日 茨城県告示第1418号) (PDF)”, 茨城県報 (茨城県) 第1413号: pp. p.1-4, (2002年11月5日)
- ^ 角川日本地名大辞典編纂委員会『角川日本地名大辞典 8 茨城県』、角川書店、1983年 ISBN 4040010809より
- ^ 日本加除出版株式会社編集部『全国市町村名変遷総覧』、日本加除出版、2006年、ISBN 4817813180より
- ^ 歴代知事編纂会 1983, 521-524頁.
- ^ a b c “筑西市名誉市民”. 筑西市. 2022年7月25日閲覧。
参考文献
[編集]- 歴代知事編纂会 編集『日本の歴代市長 : 市制施行百年の歩み』 第1、歴代知事編纂会、1983年。
- 小野寺敦 監修「地名と方言にまつわる不思議にせまる」『茨城「地理・地名・地図」の謎』(初版)実業之日本社〈じっぴコンパクト新書〉、2014年、pp.29-30頁。ISBN 978-4-408-45517-4。