河間村 (茨城県)
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かわいむら / かわまむら 河間村 | |
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廃止日 | 1954年3月15日 |
廃止理由 |
編入合併 真壁郡大田村・嘉田生崎村・河間村・五所村・中村 → 下館町 |
現在の自治体 | 筑西市 |
廃止時点のデータ | |
国 | 日本 |
地方 | 関東地方 |
都道府県 | 茨城県 |
郡 | 真壁郡 |
市町村コード | なし(導入前に廃止) |
隣接自治体 |
茨城県下館町、中村、小栗村、新治村 栃木県久下田町、物部村 |
河間村役場 | |
所在地 | 茨城県真壁郡河間村大字羽方 |
座標 | 北緯36度21分01秒 東経139度59分47秒 / 北緯36.35014度 東経139.99636度座標: 北緯36度21分01秒 東経139度59分47秒 / 北緯36.35014度 東経139.99636度 |
ウィキプロジェクト |
河間村(かわいむら / かわまむら)は、茨城県真壁郡にかつて存在した村である。
概要
[編集]旧下館市域の北東部(現・筑西市)に位置し、村域は現在の筑西市立河間小学校の学区と一致する。ほとんどは平地で、東を小貝川、西を五行川に挟まれていることが村名の由来である。
読み方は、資料によって「かわい」と「かわま」が混在している[1]。国立国会図書館サーチによれば、1915年(大正4年)に『茨城縣眞壁郡河間村是』という出版物があり、タイトルの「河間」の読みは「かわい」で登録されている[2]。
現在一帯は河間(かわま)地区と呼ばれ、河間小学校[3]や河間郵便局[4]など「河間」を冠する施設はいずれも「かわま」と読む。河間小学校校歌[5]にも「河間(かわま)」という歌詞があり、校歌制定は1951年(昭和26年)とされる[5]ことから、遅くともその頃には「かわま」の読みが定着していたと考えられる。
歴史
[編集]- 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制施行により、羽方村、国府田村、上中山村、蒔田村、落合村、大関村、八田村、下高田村、奥田村、野村が合併し真壁郡河間村 が発足。
- 1954年(昭和29年)3月15日 - 大田村・嘉田生崎村・五所村・中村とともに下館町に編入。同日河間村廃止。
大字
[編集]- 国府田(こうだ)
- 上中山(かみなかやま)
- 蒔田(まくだ)
- 落合(おちあい)
- 大関(おおぜき)
- 八田(はった)
- 下高田(しもたかだ)
- 羽方(はがた)
- 奥田(おくだ)
- 野(の)
人口・世帯
[編集]人口
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- 総数 [単位: 人]
1891年(明治24年) | 2,481 |
1920年(大正 9年) | 3,942 |
1935年(昭和10年) | 3,129 |
1950年(昭和25年) | 3,818 |
世帯
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- 総数 [単位: 世帯]
1920年(大正 9年) | 499 |
1935年(昭和10年) | 519 |
1950年(昭和25年) | 594 |
脚注
[編集]- ^ 『角川日本地名大辞典 8 茨城県』では「かわいむら」で、”「かわまむら」ともいった”と併記されている一方、『全国市町村名変遷総覧』では「かわま」としている。
- ^ 茨城縣眞壁郡河間村是 | NDLサーチ | 国立国会図書館 - 2024年12月1日閲覧。
- ^ 筑西市立河間小学校ホームページ - 2024年12月1日閲覧。
- ^ 河間郵便局 (茨城県) - 日本郵政グループ - 2024年12月1日閲覧。
- ^ a b 河間小学校総合竣工記念事業実行委員会『「かわま」河間小学校総合竣工記念誌』(1985年)より。校歌は海老沼正男作詞、岩井清志作曲。
参考文献
[編集]- 角川日本地名大辞典編纂委員会『角川日本地名大辞典 8 茨城県』334頁、角川書店、1983年、ISBN 4040010809
- 日本加除出版株式会社編集部『全国市町村名変遷総覧』、日本加除出版、2006年、ISBN 4817813180