下長者町
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下長者町 | |
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国 | 日本 |
都道府県 | 愛知県 |
市 | 名古屋市 |
行政区 | 中区 |
町名廃止 | 1966年(昭和41年)3月30日 |
等時帯 | UTC+9 (日本標準時) |
市外局番 | 052[1] |
ナンバープレート | 名古屋[2] |
下長者町(しもちょうじゃまち)は、愛知県名古屋市中区にあった町名
地理
[編集]学区
[編集]- 小学校 - 名古屋市立名城小学校[3]→名古屋市立御園小学校[4]
人口の変遷
[編集]国勢調査による人口の推移
1950年(昭和25年) | 291人 | [3] | |
1955年(昭和30年) | 534人 | [3] | |
1960年(昭和35年) | 798人 | [4] | |
1965年(昭和40年) | 601人 | [4] |
歴史
[編集]町名の由来
[編集]清洲城下にあった長者町が移転した清洲越しによる町名であり、在清須時代に富豪が多く住んでいたことによるとみられる[6]。上長者町に対して名古屋城から離れているため、「下」の字を付けた[5]。
沿革
[編集]- 1871年(明治4年)9月29日 - 八百屋町の一部を合併[7]。
- 1878年(明治11年)12月20日 - 郡区町村編制法により、名古屋区下長者町となる[7]。
- 1889年(明治22年)10月1日 - 市制施行に伴い、名古屋市下長者町となる[7]。
- 1908年(明治41年)4月1日 - 行政区新設に伴い、西区所属となる[7]。
- 1936年(昭和11年)1月1日 - 一部が広小路通となる[8]。
- 1944年(昭和19年)2月11日 - 栄区新設に伴い、栄区所属となる[7]。
- 1945年(昭和20年)11月3日 - 栄区が中区に統合され、中区所属となる[7]。
- 1966年(昭和41年)3月30日 - 住居表示実施に伴い、全域が錦二丁目となり消滅[7]。
出身・ゆかりのある人物
[編集]脚注
[編集]- ^ 総務省総合通信基盤局電気通信事業部電気通信技術システム課番号企画室 (2014年4月3日). “市外局番の一覧” (PDF). 総務省. p. 7. 2015年5月23日閲覧。
- ^ “管轄区域”. 愛知県自動車会議所. 2021年9月23日閲覧。
- ^ a b c 名古屋市総務局企画室統計課 1957, p. 80.
- ^ a b c 名古屋市総務局企画部統計課 1967, p. 74.
- ^ a b 名古屋市計画局 1992, p. 321.
- ^ 名古屋市計画局 1992, p. 332.
- ^ a b c d e f g 名古屋市計画局 1992, p. 781.
- ^ 名古屋市計画局 1992, p. 782.
- ^ 『中京名鑑』7頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2021年11月2日閲覧。
参考文献
[編集]- 『中京名鑑』名古屋毎日新聞社、1932年。
- 名古屋市総務局企画室統計課 編『昭和31年版 名古屋市統計年鑑』名古屋市、1957年。
- 名古屋市総務局企画部統計課 編『昭和41年版 名古屋市統計年鑑』名古屋市、1967年。
- 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 編『角川日本地名大辞典 23 愛知県』角川書店、1989年3月8日。ISBN 4-04-001230-5。
- 名古屋市計画局『なごやの町名』名古屋市計画局、1992年3月31日。全国書誌番号:93012879。