上越信号場
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(上越駅から転送)
上越信号場 | |
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上越信号場から中越信号場方を眺める | |
かみこし Kamikoshi | |
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所在地 | 北海道上川郡上川町字上越 |
所属事業者 | 北海道旅客鉄道(JR北海道) |
所属路線 | ■石北本線 |
キロ程 | 64.9 km(新旭川起点) |
電報略号 | ミコ |
駅構造 | 地上 |
ホーム | 2線 |
開業年月日 | 1932年(昭和7年)10月1日[1] |
備考 | 駅として開業。1975年(昭和50年)12月25日より信号場。 |
上越信号場(かみこししんごうじょう)は、北海道上川郡上川町字上越にある北海道旅客鉄道(JR北海道)石北本線の信号場である。電報略号はミコ。事務管理コードは▲122511[2]。石北本線の最高地点(石北トンネル内、644m[3])に近い標高634 m に位置し[4][5]、現存する北海道内の停車場では最も高い所にある[6]。
歴史
[編集]当初は駅として設置され、現在は信号場として運用される。
- 1932年(昭和7年)10月1日:鉄道省石北線中越駅 - 白滝駅間延伸開業に伴い上越駅として設置[7]。一般駅[1]。
- 1949年(昭和24年)6月1日:公共企業体である日本国有鉄道に移管。
- 1960年(昭和35年)9月15日:貨物取り扱い廃止[1][8]。
- 1961年(昭和36年)4月1日:所属路線が石北本線に改称[7]。
- 1975年(昭和50年)12月25日:旅客、荷物取り扱いを廃止し、上越信号場となる[8][7]。
- 1983年(昭和58年)1月11日:『上川町史』第2巻(1984)に同年同月「廃止駅となる[11]」との記述。仮乗降場としての旅客扱いの終了と推測される。
- 1987年(昭和62年)4月1日:国鉄分割民営化によりJR北海道に継承[7]。
信号場名の由来
[編集]→「中越」「茅刈別」の由来については「中越信号場#信号場名の由来」を参照
「中越」よりも峠の頂上に近い上流側に位置するため、「上越」と名付けられた[12][13]。
字名としては1938年(昭和13年)の字名改正まで、中越と神越は「茅刈別(ちかるべつ)」に包摂されていたが、この改正で「中越」と「上越」に分割し現在に至っている[14]。
構造
[編集]2線あり列車交換が可能。2線とも両方向に出発信号機があり、同方向に向かう列車同士の追い抜きも可能な構造である。網走方に側線が1本あり、分岐器はスノーシェルターで覆われている。
利用状況
[編集]夏は浮島峠への行楽や山菜採り、冬季はチトカニウシ山のスキー場(当信号場からおよそ6km[13])へのスキー登山客に用いられ、特にチトカニウシ山へのスキー列車は旭川鉄道管理局の年中行事のひとつに数えられた[11]。
旅客営業当時の乗車人員の推移は以下のとおり。年間の値のみ判明している年については、当該年度の日数で除した値を括弧書きで1日平均欄に示す。乗降人員のみが判明している場合は、1/2した値を括弧書きで記した。
年度 | 乗車人員 | 出典 | 備考 | |
---|---|---|---|---|
年間 | 1日平均 | |||
1965年(昭和40年) | (2,179.0) | (6.0) | [11] | 年間乗降客数:4,358 地区人口68人[9]。 |
1966年(昭和41年) | (2,794.0) | (7.7) | 年間乗降客数:5,588 | |
1967年(昭和42年) | (2,540.0) | (6.9) | 年間乗降客数:5,080 | |
1968年(昭和43年) | (3,300.0) | (9.0) | 年間乗降客数:6,600 | |
1969年(昭和44年) | (2,177.0) | (6.0) | 年間乗降客数:4,354 | |
1970年(昭和45年) | (824.0) | (2.3) | 年間乗降客数:1,648 地区人口26人[9]。 | |
1971年(昭和46年) | (564.0) | (1.5) | 年間乗降客数:1,128 | |
1972年(昭和47年) | (616.0) | (1.7) | 年間乗降客数:1,232 | |
1973年(昭和48年) | (149.0) | (0.4) | 年間乗降客数:298 | |
1974年(昭和49年) | (161.0) | (0.4) | 年間乗降客数:322 | |
1975年(昭和50年) | (21.0) | (0.1) | 年間乗降客数:42 同年旅客営業終了。地区人口0人[9]。 |
周辺
[編集]峠の上川側の途中である。留辺志部川と山に挟まれている。道路と川と森林のみである。
- 国道333号
- 北見峠(石北トンネル)
- 旭川紋別自動車道浮島インターチェンジ
隣の駅
[編集]脚注
[編集]- ^ a b c 石野哲 編『停車場変遷大事典 国鉄・JR編 II』(初版)JTB、1998年10月1日、918頁。ISBN 978-4-533-02980-6。
- ^ 日本国有鉄道営業局総務課 編『停車場一覧 昭和41年3月現在』日本国有鉄道、1966年、244頁。doi:10.11501/1873236 。2023年3月21日閲覧。
- ^ 都竹一衛・青野績 編『上川町史』上川町、1966年9月10日。doi:10.11501/3021451 。2022年11月23日閲覧。
- ^ 宮脇俊三、原田勝正 著、二見康生 編『北海道630駅』小学館〈JR・私鉄各駅停車〉、1993年6月20日、128頁。ISBN 4-09-395401-1。
- ^ 「特急オホーツク厳寒の旅路」『鉄道ジャーナル』第33巻第4号、鉄道ジャーナル社、1999年4月、28頁。
- ^ かつての道内最高地点駅は十勝三股駅(1978年バス代行化、1987年廃止)で、旅客取り扱いを行っている停車場では、標高538 mのトマム駅(1981年開業)が道内で最も標高の高い旅客取り扱い駅である。
- ^ a b c d 曽根悟(監修) 著、朝日新聞出版分冊百科編集部 編『週刊 歴史でめぐる鉄道全路線 国鉄・JR』 28号・釧網本線/石北本線、朝日新聞出版〈週刊朝日百科〉、2010年1月31日、22-23頁。
- ^ a b 宮脇俊三、原田勝正 著、二見康生 編『北海道630駅』小学館〈JR・私鉄各駅停車〉、1993年6月20日、178頁。ISBN 4-09-395401-1。
- ^ a b c d 都竹一衛・中条良作・松下敏雄 編『上川町史』 2巻、上川町、1984年、129-130頁。doi:10.11501/2992391 。2022年11月23日閲覧。
- ^ 宮脇俊三「第7章」『時刻表2万キロ』角川書店、1984年11月。ISBN 978-4041598016。
- ^ a b c 都竹一衛・中条良作・松下敏雄 編『上川町史』 2巻、上川町、1984年、689-696頁。doi:10.11501/2992391 。2022年11月23日閲覧。
- ^ 山田秀三『北海道の地名』(2版)草風館、浦安市〈アイヌ語地名の研究 山田秀三著作集 別巻〉、2018年11月30日、102頁。ISBN 978-4-88323-114-0。
- ^ a b 『北海道 駅名の起源』(第1版)日本国有鉄道北海道総局、札幌市、1973年3月25日、210頁。ASIN B000J9RBUY。
- ^ 都竹一衛・青野績 編『上川町史』上川町、1966年9月10日、541-543頁。doi:10.11501/3021451 。2022年11月23日閲覧。