成木村
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(上成木村から転送)
なりきむら 成木村 | |
---|---|
廃止日 | 1955年4月1日 |
廃止理由 |
編入合併 吉野村、三田村、小曽木村、成木村 → 青梅市 |
現在の自治体 | 青梅市 |
廃止時点のデータ | |
国 | 日本 |
地方 | 関東地方 |
都道府県 | 東京都 |
郡 | 西多摩郡 |
市町村コード | なし(導入前に廃止) |
面積 | 22.52[1] km2. |
総人口 |
3,547人 (1950年10月1日) |
隣接自治体 |
東京都三田村、小曽木村、古里村 埼玉県飯能市、原市場村、名栗村 |
成木村役場 | |
所在地 | 東京都西多摩郡成木村 |
座標 | 北緯35度49分27秒 東経139度14分55秒 / 北緯35.82419度 東経139.2485度座標: 北緯35度49分27秒 東経139度14分55秒 / 北緯35.82419度 東経139.2485度 |
ウィキプロジェクト |
成木村(なりきむら)は、東京都西部の西多摩郡に属していた村である。
地理
[編集]現在の青梅市の北部に位置する。現在の青梅市成木1 - 8丁目にあたる地域。
歴史
[編集]村域の変遷
[編集]- 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制施行により、上成木村下分、上成木村上分、下成木村上分、下成木村下分、北小曽木村が合併し神奈川県西多摩郡成木村が成立する。
- 1893年(明治26年)4月1日 - 西多摩郡が南多摩郡、北多摩郡とともに東京府へ編入する。
- 1943年(昭和18年)7月1日 - 東京都制施行。
- 1955年(昭和30年)4月1日 - 吉野村、三田村、小曽木村とともに青梅市へ編入され、消滅。
変遷表
1868年 以前 |
明治22年 4月1日 |
昭和30年 4月1日 |
現在 | |
---|---|---|---|---|
上成木村上分 | 成木村 | 青梅市 に編入 |
青梅市 | |
上成木村下分 | ||||
下成木村上分 | ||||
下成木村下分 | ||||
北小曽木村 |
大字
[編集]- 上成木上分(かみなりきかみぶん) - 現在の成木6,7丁目[2]
- 上成木下分(かみなりきしもぶん) - 現在の成木3,4,5丁目
- 下成木上分(しもなりきかみぶん) - 現在の成木2丁目
- 下成木下分(しもなりきしもぶん) - 現在の成木1丁目
- 北小曽木(きたおそき) - 現在の成木8丁目
行政
[編集]- 歴代村長
- 木崎雄蔵(兼収入役) 1889年5月 - 1896年7月[3]
- 佐藤谷五郎(兼収入役) 1896年8月 - 1897年9月[3]
- 中島佐助 1897年11月 - 1898年12月[3]
- 木崎浦八 1899年1月 - 1903年1月[3]
- 井上五右衛門 1903年2月 - 1904年3月[3]
- 野村安五郎 1904年4月 - 1908年4月[3]
- 木崎平六 1908年6月 - 1910年10月[3]
- 西村忠之助 1910年12月 - 1913年3月[3]
- 野崎真一 1913年4月 - 1914年6月[3]
- 井上峯正 1914年7月 - 1923年5月[3]
- 阿部善次郎 1923年8月 - 1927年8月[3]
- 中島重兵衛 1927年8月 - 1945年4月[3]
- 井上一二 1945年4月 - 1946年11月[3]
- 木崎茂男 1947年3月 - 1951年3月[3]
- 木崎鉄一郎 1951年4月 - 1955年3月[4]
- 歴代助役
- 野崎大助(兼収入役) 1889年5月 - 1893年5月[3]
- 市川平三郎 1893年7月 - 12月[3]
- 西村十兵衛 1894年2月 - 1897年2月[3]
- 中島佐助 1897年2月 - 11月[3]
- 木崎浦八(兼収入役) 1897年12月 - 1899年1月[3]
- 野村安五郎(兼収入役) 1899年2月 - 1903年2月[3]
- 阿部直次郎(兼収入役) 1903年3月 - 1905年4月[3]
- 山田常吉(兼収入役) 1905年5月 - 7月[3]
- 西村忠之助(兼収入役) 1905年9月 - 1910年12月[3]
- 野崎真一 1911年2月 - 1913年4月[3]
- 井上峯正 1913年5月 - 1914年7月[3]
- 阿部善次郎 1914年9月 - 1918年9月[3]
- 木崎浦八 1918年10月 - 1922年10月[3]
- 武藤伊之助 1922年10月 - 1927年8月[3]
- 山田富造 1927年9月 - 1933年4月[4]
- 武藤伊之助 1933年12月 - 1937年12月[4]
- 山田茂男 1937年12月 - 1939年7月[4]
- 吉崎俊三 1939年10月 - 1941年9月[4]
- 武藤十郎 1941年12月 - 1945年9月[4]
- 木崎茂男 1945年9月 - 1947年3月[4]
- 武藤信一 1947年5月 - 1948年8月[4]
- 中島重郎 1948年9月 - 1950年3月[4]
- 清水六郎 1950年3月 - 1955年3月[4]
人口・世帯
[編集]人口
[編集]総数 [単位: 人]
1913年(大正2年) | 3,920[5] |
1920年(大正9年) | 3,172[6] |
1925年(大正14年) | 3,213[7] |
1930年(昭和5年) | 3,123[8] |
1935年(昭和10年) | 3,028[9] |
1940年(昭和15年) | 3,052[10] |
1947年(昭和22年) | 3,582[11] |
1950年(昭和25年) | 3,547[12] |
世帯
[編集]総数 [単位: 世帯]
1913年(大正2年) | 507[5] |
1920年(大正9年) | 571[6] |
1925年(大正14年) | 594[7] |
1930年(昭和5年) | 601[8] |
1935年(昭和10年) | 581[9] |
1940年(昭和15年) | 576[10] |
参考文献
[編集]- 角川日本地名大辞典編纂委員会『角川日本地名大辞典 13 東京都』、角川書店、1978年、ISBN 4040011309
- 日本加除出版株式会社編集部『全国市町村名変遷総覧』、日本加除出版、2006年、ISBN 4817813180
- 青梅市史編さん委員会『増補改訂 青梅市史 下巻』1995年10月20日。
- 東京都西多摩郡役所『東京府西多摩郡第一囘郡勢一斑』、東京都西多摩郡役所、1914年11月
- 臨時国勢調査局『国勢調査速報. 世帯及人口』、帝国地方行政学会、1920-1921年
- 内閣統計局『国勢調査報告. 大正14年 第3巻』、内閣統計局、1926年
- 東京府知事官房調査課『東京府市町村勢要覧. 昭和6年9月刊』、東京府、1931年
- 東京府総務部調査課『東京府市町村勢要覧. 昭和11年12月刊』、東京府総務部調査課、1936年
- 東京府総務部調査課『東京府市町村勢要覧. 昭和16年刊行』、東京府総務部調査課、1941-1942年
- 総理庁統計局『臨時国勢調査結果報告. 昭和22年 第2』、1948年
- 大蔵省印刷局『官報. 1951年02月10日』、日本マイクロ写真、1951年
脚注
[編集]- ^ 東京府市町村勢要覧. 昭和16年刊行 p.3 - 国立国会図書館デジタルコレクション
- ^ 第7支部 - 青梅自治会連合会HP
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa ab 『増補改訂 青梅市史 下巻』p.1224
- ^ a b c d e f g h i j 『増補改訂 青梅市史 下巻』p.1225
- ^ a b 東京府西多摩郡第一囘郡勢一斑 p.36 - 国立国会図書館デジタルコレクション
- ^ a b 国勢調査速報. 世帯及人口 p.33 - 国立国会図書館デジタルコレクション
- ^ a b 国勢調査報告. 大正14年 第3巻 p.12 - 国立国会図書館デジタルコレクション
- ^ a b 東京府市町村勢要覧. 昭和6年9月刊 p.25 - 国立国会図書館デジタルコレクション
- ^ a b 東京府市町村勢要覧. 昭和11年12月刊 p.16 - 国立国会図書館デジタルコレクション
- ^ a b 東京府市町村勢要覧. 昭和16年刊行 p.15 - 国立国会図書館デジタルコレクション
- ^ 臨時国勢調査結果報告. 昭和22年 第2 p.35 - 国立国会図書館デジタルコレクション
- ^ 官報. 1951年02月10日 p.5 - 国立国会図書館デジタルコレクション