霞村 (東京都)
表示
かすみむら 霞村 | |
---|---|
廃止日 | 1951年4月1日 |
廃止理由 |
新設合併 青梅町、霞村、調布村 → 青梅市 |
現在の自治体 | 青梅市 |
廃止時点のデータ | |
国 | 日本 |
地方 | 関東地方 |
都道府県 | 東京都 |
郡 | 西多摩郡 |
市町村コード | なし(導入前に廃止) |
面積 | 16.19[1] km2. |
総人口 |
10,403人 (1950年10月1日) |
隣接自治体 |
【東京都】 青梅町、調布村、小曽木村、 西多摩村、瑞穂町 【埼玉県】 飯能町、金子村 |
霞村役場 | |
所在地 | 東京都西多摩郡霞村 |
座標 | 北緯35度47分17秒 東経139度16分30秒 / 北緯35.78817度 東経139.275度座標: 北緯35度47分17秒 東経139度16分30秒 / 北緯35.78817度 東経139.275度 |
ウィキプロジェクト |
地理
[編集]現在の青梅市の東部に位置する。
- 河川:霞川
歴史
[編集]村名の由来は、霞川によるとも、また霞下・霞ヶ関などの小字が多いことから名づけたともいう。
村域の変遷
[編集]- 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制施行により、大門村、野上村、吹上村、塩船村、谷野村、木野下村、今寺村、根ヶ布村、師岡村、新町村、今井村、藤橋村が合併し神奈川県西多摩郡霞村が成立する。
- 1893年(明治26年)4月1日 - 西多摩郡が南多摩郡、北多摩郡とともに東京府へ編入する。
- 1943年(昭和18年)7月1日 - 東京都制施行。
- 1951年(昭和26年)4月1日 - 青梅町、調布村との合併により青梅市が発足。霞村は消滅。
変遷表
1868年 以前 |
明治7年 | 明治22年 4月1日 |
昭和26年 4月1日 |
現在 | |
---|---|---|---|---|---|
今井村 | 霞村 | 青梅市 | 青梅市 | ||
藤橋村 | |||||
新町村 | |||||
木野下村 | |||||
今寺村 | |||||
谷野村 | |||||
大門村 | |||||
塩船村 | |||||
吹上村 | |||||
野上村 | |||||
上師岡村 | 師岡村 | ||||
下師岡村 | |||||
根ヶ布村 |
大字
[編集]- 今井(いまい)
- 藤橋(ふじはし)
- 新町(しんまち)
- 木野下(きのした)
- 今寺(いまでら)
- 谷野(やの)
- 大門(だいもん)
- 塩船(しおぶね)
- 吹上(ふきあげ)
- 野上(のがみ)
- 師岡(もろおか)
- 根ヶ布(ねかぶ)
行政
[編集]- 歴代村長
- 福岡吾平 1889年6月 - 1892年7月[4]
- 山崎孫七 1892年8月 - 1893年7月[4]
- 安藤常造 1893年9月 - 1895年5月[4]
- 内田春太郎 1895年7月 - 1899年7月[5]
- 野崎伴蔵 1899年8月 - 1903年8月[5]
- 福岡禎三 1903年9月 - 1907年9月[5]
- 野崎伴蔵 1907年10月 - 1915年10月[5]
- 石井邦太郎 1915年10月 - 1919年10月[5]
- 吉永米吉 1919年10月 - 1922年11月[5]
- 笹本長十郎 1922年11月 - 1944年6月[5]
- 五十嵐與作 1944年7月 - 1946年11月[5]
- 橋本守三 1947年4月 - 1951年3月[5]
- 歴代助役
- 吉沢与八 1889年6月 - 1893年7月[4]
- 秋葉貞次郎 1893年4月 - 1897年4月[4]
- 川鍋丈助 1897年6月 - 1921年8月[4]
- 関塚金太郎 1921年11月 - 1925年11月[5]
- 百瀬真澄 1925年12月 - 1926年8月[5]
- 野崎彦太郎 1926年8月 - 1930年8月[5]
- 吉永太一 1926年7月 - 1947年4月[5]
- 五十嵐與作 1943年4月 - 1944年7月[5]
- 吉沢賢吾 1947年6月 - 1951年3月[5]
経済
[編集]産業
[編集]- 農業
『大日本篤農家名鑑』によれば、霞村の篤農家は「福岡禎三、宮川豊作、下田庄吉、山下半次郎、濱中八百太郎、野村伴蔵」などがいた[6]。
人口・世帯
[編集]人口
[編集]総数 [単位: 人]
1913年(大正2年) | 6,622[7] |
1920年(大正9年) | 6,261[8] |
1925年(大正14年) | 6,578[9] |
1930年(昭和5年) | 6,812[10] |
1935年(昭和10年) | 7,035[11] |
1940年(昭和15年) | 7,294[12] |
1947年(昭和22年) | 9,862[13] |
1950年(昭和25年) | 10,403[14] |
世帯
[編集]総数 [単位: 世帯]
1913年(大正2年) | 900[7] |
1920年(大正9年) | 1,117[8] |
1925年(大正14年) | 1,182[9] |
1930年(昭和5年) | 1,214[10] |
1935年(昭和10年) | 1,268[11] |
1940年(昭和15年) | 1,320[12] |
脚注
[編集]- ^ 東京府市町村勢要覧. 昭和16年刊行 p.3 - 国立国会図書館デジタルコレクション
- ^ 『増補改訂 青梅市史 下巻』p.46
- ^ 『旧新町字 旧新地番 対照表 昭和54年4月1日施行(昭和52年2月5日現在地番)』
- ^ a b c d e f 『増補改訂 青梅市史 下巻』p.1219
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o 『増補改訂 青梅市史 下巻』p.1220
- ^ 『大日本篤農家名鑑』281頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2022年3月26日閲覧。
- ^ a b 東京府西多摩郡第一囘郡勢一斑 p.36 - 国立国会図書館デジタルコレクション
- ^ a b 国勢調査速報. 世帯及人口 p.33 - 国立国会図書館デジタルコレクション
- ^ a b 国勢調査報告. 大正14年 第3巻 p.12 - 国立国会図書館デジタルコレクション
- ^ a b 東京府市町村勢要覧. 昭和6年9月刊 p.25 - 国立国会図書館デジタルコレクション
- ^ a b 東京府市町村勢要覧. 昭和11年12月刊 p.15 - 国立国会図書館デジタルコレクション
- ^ a b 東京府市町村勢要覧. 昭和16年刊行 p.15 - 国立国会図書館デジタルコレクション
- ^ 臨時国勢調査結果報告. 昭和22年 第2 p.35 - 国立国会図書館デジタルコレクション
- ^ 官報. 1951年02月10日 p.5 - 国立国会図書館デジタルコレクション
参考文献
[編集]- 大日本篤農家名鑑編纂所編『大日本篤農家名鑑』大日本篤農家名鑑編纂所、1910年。
- 東京都西多摩郡役所『東京府西多摩郡第一囘郡勢一斑』、東京都西多摩郡役所、1914年11月。
- 臨時国勢調査局『国勢調査速報. 世帯及人口』、帝国地方行政学会、1920-1921年。
- 内閣統計局『国勢調査報告. 大正14年 第3巻』、内閣統計局、1926年。
- 東京府知事官房調査課『東京府市町村勢要覧. 昭和6年9月刊』、東京府、1931年。
- 東京府総務部調査課『東京府市町村勢要覧. 昭和11年12月刊』、東京府総務部調査課、1936年。
- 東京府総務部調査課『東京府市町村勢要覧. 昭和16年刊行』、東京府総務部調査課、1941-1942年。
- 総理庁統計局『臨時国勢調査結果報告. 昭和22年 第2』、1948年。
- 大蔵省印刷局『官報. 1951年02月10日』、日本マイクロ写真、1951年。
- 角川日本地名大辞典編纂委員会『角川日本地名大辞典 13 東京都』、角川書店、1978年、ISBN 4040011309。
- 東京都青梅市『旧新町字 旧新地番 対照表 昭和54年4月1日施行(昭和52年2月5日現在地番)』1979年。。
- 青梅市史編さん委員会『増補改訂 青梅市史 下巻』1995年10月20日。。
- 日本加除出版株式会社編集部『全国市町村名変遷総覧』、日本加除出版、2006年、ISBN 4817813180。