レバーク
表示
参戦年度 | 1979年 |
---|---|
出走回数 | 1[1] |
コンストラクターズ タイトル | 0 |
ドライバーズタイトル | 0 |
優勝回数 | 0 |
通算獲得ポイント | 0 |
表彰台(3位以内)回数 | 0 |
ポールポジション | 0 |
ファステストラップ | 0 |
F1デビュー戦 | 1979年カナダGP |
初勝利 | - |
最終勝利 | - |
最終戦 | 1979年カナダGP |
レバーク(Team Rebaque)は1979年にコンストラクターとしてF1に参戦していたレーシングチーム。
F1
[編集]1978年
[編集]レバークは、1978年にヘクトール・レバークが自分自身がドライバー兼オーナーとなって設立したチームである。この時のマシンは型落ちのロータス・78を購入し出走した。全16戦にエントリーするも、予備予選落ちが3回、予選落ちが4回、完走は4度という散々な結果だった。このような状況にもかかわらず、第11戦ドイツGPで6位入賞を果たした。
1979年
[編集]1979年も引き続き第13戦まで(第6戦モナコGPは欠場)ロータスで参戦。第14-16戦は自チームからマシンを自製して参戦。マシンはチャンピオンマシンのロータス・79とレバーク・HR100。しかし予選落ち4度、決勝リタイヤ6度で、入賞も一度もできなかった。
この年使用したレバーク・HR100は純粋なオリジナルマシンではなかった。HR100はジェフ・フィリスが設計、ペンスキーの工場で作られたが、79をベースにした改造車である。
チームは解散し、レバークは翌年以降は他チームから参戦をしている。
F1における全成績
[編集]年 | シャシー | エンジン | タイヤ | ドライバー | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12 | 13 | 14 | 15 | 16 | 順位 | ポイント |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1978年 | ロータス・78 | コスワース・DFV 3.0 V8 | G | ARG |
BRA |
RSA |
USW |
MON |
BEL |
ESP |
SWE |
FRA |
GBR |
GER |
AUT |
NED |
ITA |
USE |
CAN |
21位 | 1 | |
ヘクトール・レバーク | DNQ | Ret | 10 | DNPQ | DNPQ | DNPQ | Ret | 12 | DNQ | Ret | 6 | Ret | 11 | DNQ | Ret | DNQ | ||||||
1979年 | ロータス・79 | コスワース・DFV 3.0 V8 | G | ARG |
BRA |
RSA |
USW |
ESP |
BEL |
MON |
FRA |
GBR |
GER |
AUT |
NED |
ITA |
CAN |
USE |
NC | 0 | ||
ヘクトール・レバーク | Ret | DNQ | 14 | Ret | Ret | Ret | 12 | 9 | Ret | DNQ | 7 | |||||||||||
レバーク・HR100 | G | ヘクトール・レバーク | DNQ | Ret | DNQ |
脚注
[編集]- ^ エントリー数は3。また、ロータスのプライベーター時代も含めるとエントリー数は30、出走数は19。