ルーカス・ニール
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名前 | ||||||
本名 |
ルーカス・エドワード・ニール Lucas Edward Neill | |||||
ラテン文字 | Lucas Neill | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | オーストラリア | |||||
生年月日 | 1978年3月9日(46歳) | |||||
出身地 | シドニー | |||||
身長 | 185cm | |||||
体重 | 82kg | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | DF (CB, SB) | |||||
利き足 | 右足 | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
1995-2001 | ミルウォール | 152 | (14) | |||
2001-2007 | ブラックバーン | 188 | (5) | |||
2007-2009 | ウェストハム | 79 | (1) | |||
2009-2010 | エヴァートン | 12 | (0) | |||
2010-2011 | ガラタサライ | 37 | (1) | |||
2011-2012 | アル・ジャジーラ | 19 | (3) | |||
2012 | アル・ワスル | 11 | (0) | |||
2013 | シドニーFC | 3 | (0) | |||
2013 | 大宮アルディージャ | 9 | (0) | |||
2014 | ワトフォード | 1 | (0) | |||
2014 | → ドンカスター (loan) | 4 | (0) | |||
通算 | 515 | (24) | ||||
代表歴 | ||||||
1997 | オーストラリアU-20 | 8 | (3) | |||
1999-2000 | オーストラリアU-23 | 13 | (0) | |||
1996-2013 | オーストラリア | 96 | (1) | |||
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ルーカス・エドワード・ニール(Lucas Edward Neill, 1978年3月9日 - )は、オーストラリア・シドニー出身の元同国代表のサッカー選手。ポジションはDF(両SB、CB、元々はSHであった)。
経歴
[編集]クラブ
[編集]1994年から1995年までオーストラリア国立スポーツ研究所にサッカーの奨学金で所属していた。
1995年11月、イングランドのミルウォールFCでプロキャリアをスタートさせた。2月17日のルートン・タウンFC戦でデビューを果たし、その後6年間所属し、174試合で13得点を記録した。ニールはミルウォールに最も長く在籍したプレーヤーであったが移籍を希望し、2001年9月、ブラックバーン・ローヴァーズFCに移籍した。開幕戦のサンダーランドAFC戦でデビューを果たし、ボルトン・ワンダラーズFC戦で初ゴールを決めた。その後右サイドバックとしてレギュラーを獲得した。2006年8月4日、ブラックバーンはニールとの契約を更新しないことを発表した。
2007年1月、ウェストハム・ユナイテッドFCと契約をした。2007年2月、ワトフォードFC戦でデビューを果たす。2009年9月17日、エヴァートンFCに1年契約で移籍した。2010年1月13日、ガラタサライに1年半契約で移籍した。わずか4カ月でエヴァートン退団となった。契約終了後、2011年8月19日、アル・ジャジーラ・クラブへと移籍した。
2013年8月18日、大宮アルディージャに加入[1]したが、同年末をもって退団した。
2014年2月24日、ワトフォードFCに加入[2]、しかし出場機会に恵まれず、3月27日にドンカスター・ローヴァーズFCにレンタル移籍した[3]。
代表
[編集]1996年10月、オーストラリア代表としてサウジアラビア代表戦でデビューを果たした。ハリー・キューウェルに次ぐ2番目に若い18歳と7ヶ月でのデビューとなった。2000年にはU-23代表としてシドニーオリンピックメンバーにも選ばれた。
2005年11月16日、2006 FIFAワールドカップ・予選の大陸間プレーオフウルグアイ代表戦では勝利に貢献しこの試合のマンオブザマッチに選ばれた。2006 FIFAワールドカップでは4試合すべてに出場した。ベスト16のイタリア代表戦ではロスタイムにファビオ・グロッソをペナルティーエリアで倒してしまいPKを与えてしまいチームは敗退した。
2006年10月から代表の第50代キャプテンを務めている。2013年6月11日の2014 FIFAワールドカップ・アジア4次予選、ヨルダン戦で、代表通算90試合目の出場にして代表初得点を挙げた。しかし代表での活躍とは裏腹に2012年にアル・ジャジーラを退団してからは、所属クラブをコロコロと変える影響をアンジェ・ポステコグルー監督から危惧され、ついにはキャプテンの座をはく奪と同時に2014 FIFAワールドカップの予備登録メンバーからも落選する結果となった。
個人成績
[編集]国内大会個人成績 | |||||||||||
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年度 | クラブ | 背番号 | リーグ | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | ||||
出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
イングランド | リーグ戦 | FLカップ | FAカップ | 期間通算 | |||||||
1995-96 | ミルウォール | FL Div.1 | 13 | 0 | 13 | 0 | |||||
1996-97 | FL Div.2 | 39 | 4 | 39 | 4 | ||||||
1997-98 | 6 | 0 | 6 | 0 | |||||||
1998-99 | 35 | 6 | 35 | 6 | |||||||
1999-2000 | 31 | 1 | 31 | 1 | |||||||
2000-01 | 24 | 2 | 24 | 2 | |||||||
2001-02 | FL Div.1 | 4 | 1 | 4 | 1 | ||||||
ブラックバーン | イングランド・プレミア | 31 | 1 | 31 | 1 | ||||||
2002-03 | 34 | 0 | 34 | 0 | |||||||
2003-04 | 32 | 2 | 32 | 2 | |||||||
2004-05 | 36 | 1 | 36 | 1 | |||||||
2005-06 | 35 | 1 | 35 | 1 | |||||||
2006-07 | 2 | 20 | 0 | 20 | 0 | ||||||
ウェストハム | 34 | 11 | 0 | 11 | 0 | ||||||
2007-08 | 2 | 34 | 0 | 34 | 0 | ||||||
2008-09 | 34 | 1 | 34 | 1 | |||||||
2009-10 | エヴァートン | 23 | 12 | 0 | 12 | 0 | |||||
トルコ | リーグ戦 | トルコ杯 | オープン杯 | 期間通算 | |||||||
2009-10 | ガラタサライ | 12 | スュペル・リグ | 14 | 1 | 14 | 1 | ||||
2010-11 | 2 | 25 | 0 | 25 | 0 | ||||||
UAE | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | |||||||
2011-12 | アル・ジャジーラ | 2 | UFL | 19 | 3 | 19 | 3 | ||||
2012-13 | アル・ワスル | 11 | 0 | 11 | 0 | ||||||
オーストラリア | リーグ戦 | リーグ杯 | FFA杯 | 期間通算 | |||||||
2012-13 | シドニーFC | 32 | Aリーグ | 3 | 0 | 3 | 0 | ||||
日本 | リーグ戦 | リーグ杯 | 天皇杯 | 期間通算 | |||||||
2013 | 大宮 | 22 | J1 | 9 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 9 | 0 |
イングランド | リーグ戦 | FLカップ | FAカップ | 期間通算 | |||||||
2013-14 | ワトフォード | 29 | FLチャンピオンシップ | 1 | 0 | 1 | 0 | ||||
ドンカスター | 27 | 4 | 0 | 4 | 0 | ||||||
通算 | イングランド | イングランド・プレミア | 279 | 6 | 279 | 4 | |||||
イングランド | FL Div.1/ FLチャンピオンシップ |
22 | 1 | 22 | 1 | ||||||
イングランド | FL Div.2 | 135 | 13 | 135 | 13 | ||||||
トルコ | スュペル・リグ | 39 | 1 | 37 | 1 | ||||||
UAE | UFL | 30 | 3 | 30 | 3 | ||||||
オーストラリア | Aリーグ | 3 | 0 | 3 | 0 | ||||||
日本 | J1 | 9 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 9 | 0 | ||
総通算 | 517 | 24 | 517 | 24 |
代表歴
[編集]試合数
[編集]- 国際Aマッチ 96試合 1得点(1996年-2013年)[4]
オーストラリア代表 | 国際Aマッチ | |
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年 | 出場 | 得点 |
1996 | 1 | 0 |
1997 | 0 | 0 |
1998 | 1 | 0 |
1999 | 0 | 0 |
2000 | 0 | 0 |
2001 | 0 | 0 |
2002 | 0 | 0 |
2003 | 3 | 0 |
2004 | 5 | 0 |
2005 | 12 | 0 |
2006 | 9 | 0 |
2007 | 8 | 0 |
2008 | 7 | 0 |
2009 | 7 | 0 |
2010 | 10 | 0 |
2011 | 16 | 0 |
2012 | 9 | 0 |
2013 | 8 | 1 |
通算 | 96 | 1 |
私生活
[編集]長年の恋人であるリンゼイ・モリスとの間に男女の双子の子供がいる。
脚注
[編集]- ^ “新加入選手のお知らせ”. 大宮アルディージャ公式サイト (2013年8月18日). 2013年8月18日閲覧。
- ^ “ワトフォード、ニール獲得を発表”. Goal (2014年2月25日). 2014年2月25日閲覧。
- ^ “オーストラリア主将、ドンカスターへ期限付き移籍”. Qoly.jp (2014年3月28日). 2014年3月28日閲覧。
- ^ ルーカス・ニール - National-Football-Teams.com
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- ルーカス・ニール - オーストラリアオリンピック委員会
- ルーカス・ニール - Olympedia
- ルーカス・ニール - Sports-Reference.com (Olympics) のアーカイブ
- ルーカス・ニール - National-Football-Teams.com
- ルーカス・ニール - Soccerway.com
- ルーカス・ニール - Soccerbase.comによる選手データ
- ルーカス・ニール - FootballDatabase.eu
- ルーカス・ニール - WorldFootball.net
- ルーカス・ニール - Transfermarkt.comによる選手データ
- ルーカス・ニール - FIFA主催大会成績
- FFA - Socceroo profile
- OzFootball profile
- ESPN Profile
- オーストラリアのサッカー選手
- サッカーオーストラリア代表選手
- ミルウォールFCの選手
- ブラックバーン・ローヴァーズFCの選手
- ウェストハム・ユナイテッドFCの選手
- エヴァートンFCの選手
- ガラタサライの選手
- アル・ジャジーラ・クラブの選手
- アル・ワスルFCの選手
- シドニーFCの選手
- 大宮アルディージャの選手
- ワトフォードFCの選手
- ドンカスター・ローヴァーズFCの選手
- オリンピックサッカーオーストラリア代表選手
- FIFAワールドカップオーストラリア代表選手
- FIFAコンフェデレーションズカップ2005出場選手
- 2006 FIFAワールドカップ出場選手
- 2010 FIFAワールドカップ出場選手
- AFCアジアカップ2007出場選手
- AFCアジアカップ2011出場選手
- オーストラリア国立スポーツ研究所の人物
- シドニー出身の人物
- 1978年生
- 存命人物