ニキータ・ルカヴィツヤ
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名前 | ||||||
本名 |
ニキータ・ヴァジモヴィチ・ルカヴィツヤ Nikita Vadimovich Rukavytsya | |||||
ラテン文字 | Nikita Rukavytsya | |||||
ウクライナ語 | Микита Вадимович Рукавиця | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 |
オーストラリア ウクライナ | |||||
生年月日 | 1987年6月22日(37歳) | |||||
出身地 | ソビエト連邦 ムィコラーイウ | |||||
身長 | 183cm | |||||
体重 | 74kg | |||||
選手情報 | ||||||
在籍チーム | ウェスタン・ユナイテッドFC | |||||
ポジション | FW / MF | |||||
背番号 | 13 | |||||
利き足 | 左足 | |||||
ユース | ||||||
2000 | トルペド・ムィコラーイウ | |||||
2001-2003 | イングルウッド・ユナイテッド | |||||
2003-2004 | パースSC | |||||
2005-2006 | オーストラリア国立スポーツ研究所 | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
2007-2009 | パース・グローリー | 42 | (16) | |||
2009-2010 | トゥウェンテ | 5 | (0) | |||
2010 | → ルーセラーレ (loan) | 9 | (4) | |||
2010-2012 | ヘルタBSC | 56 | (5) | |||
2012-2014 | マインツ05 | 8 | (0) | |||
2013 | マインツ05 II | 2 | (0) | |||
2013-2014 | → FSVフランクフルト (loan) | 19 | (2) | |||
2014-2015 | ウェスタン・シドニー・ワンダラーズ | 23 | (3) | |||
2015-2016 | ベイタル・エルサレム | 30 | (14) | |||
2016-2021 | マッカビ・ハイファ | 152 | (64) | |||
2021-2022 | ハポエル・ベエルシェバ | 28 | (10) | |||
2022-2023 | マッカビ・ハイファ | 18 | (1) | |||
2023- | ウェスタン・ユナイテッド | |||||
代表歴2 | ||||||
2006 | オーストラリア U-20 | 1 | (0) | |||
2008 | オーストラリア U-23 | 13 | (1) | |||
2009- | オーストラリア | 21 | (1) | |||
1. 国内リーグ戦に限る。2023年9月27日現在。 2. 2021年11月16日現在。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
ニキータ・ヴァジモヴィチ・ルカヴィツヤ(ウクライナ語:Микита Вадимович Рукавиця、ラテン文字:Nikita Vadimovich Rukavytsya、1987年6月22日 - )は、ウクライナ(当時はソビエト連邦)・ムィコラーイウ出身のサッカー選手。ポジションはフォワード、ミッドフィルダー。
来歴
[編集]クラブ
[編集]ウクライナで生まれるが、14歳の時に家族でオーストラリアのパースに移住。地元クラブのユースチームに所属後、2005年から2年間はオーストラリア国立スポーツ研究所のサッカー部門に所属していた。
Aリーグの2006-07シーズンの終盤に短期間の契約でパース・グローリーFCに入団。そこで出場機会を得て活躍したため、2007年3月に契約を2008-09シーズンまで延長した。
2008年4月、ドイツのハノーファー96に招待されてトライアルを受けるが不合格となる。2009年1月にはオランダのFCトゥウェンテのトライアルを受け見事合格、Aリーグのシーズン終了後に移籍。2009年6月、Aリーグでの活躍によってオーストラリアの23歳以下の最優秀選手に贈られる「ハリー・キューウェル・メダル」の初代受賞者となった[1]。
2010年1月、ベルギーのKSVルーセラーレへレンタル移籍。ルーセラーレでは11試合5ゴールと結果を残すも、トゥウェンテの新監督となったミシェル・プロドームから構想外と判断され放出される。同年7月、ブンデスリーガ2部に降格したヘルタ・ベルリンに入団。
ヘルタでの1年目は31試合に出場し、4ゴールに加えリーグ2位の12アシストを記録し1部復帰に貢献。初のブンデスリーガ1部でのプレーとなった2011-12シーズンは24試合に出場したが、チームは16位で入れ替え戦に回り、フォルトゥナ・デュッセルドルフに敗れ2部降格となった。
2012-13シーズン開幕時はヘルタに所属していたが、移籍期限の2012年8月31日にブンデスリーガ1部の1.FSVマインツ05に移籍。
2014年10月13日、出場機会を求めてウェスタン・シドニー・ワンダラーズFCに移籍した[2]。
2015年5月にウェスタン・シドニー・ワンダラーズを退団した。
2015年9月、イスラエルのベイタル・エルサレムに移籍した[3]。
2016年6月8日、マッカビ・ハイファに移籍した。2019-20シーズンは22得点、2020-21シーズンは19得点を挙げ、2シーズン連続でリーグ得点王となった。
代表
[編集]ルカヴィツヤはウクライナ代表とオーストラリア代表のどちらかを選ぶ権利を有していたが、2008年夏にオーストラリアの北京五輪代表に選ばれたのを機にオーストラリア代表を選択。北京五輪ではグループリーグの3戦ともに出場した。
2009年8月、アイルランドとの親善試合でスコット・マクドナルドと交代出場してA代表デビューを果たした。
2010 FIFAワールドカップのメンバーに選ばれ、南アフリカ大会のオーストラリア代表の最年少選手となった。グループリーグ初戦のドイツ戦と第2戦のガーナ戦に途中出場した。
2012年11月14日の韓国との親善試合で代表初得点を挙げた。
タイトル
[編集]クラブ
[編集]- エールディヴィジ 2009-2010
- 2. ブンデスリーガ 2010-2011
- イスラエル・プレミアリーグ 2020-21, 2022-23
- グヴィア・ハメディナ 2021-22
脚注
[編集]- ^ Cahill and Rukavytsya Win Inaugural PFA Footballer of the Year Awards
- ^ ウェスタンシドニー、マインツから豪州代表FWを獲得
- ^ “Rukavytsya signs with Israeli club”. www.fourfourtwo.com/au/. FourFourTwo (6 September 2015). 2 October 2015時点のオリジナルよりアーカイブ。1 October 2015閲覧。
外部リンク
[編集]- ニキータ・ルカヴィツヤ – FIFA主催大会成績
- ニキータ・ルカヴィツヤ - UEFA主催大会成績
- ニキータ・ルカヴィツヤ - Aussie Footballers
- ニキータ・ルカヴィツヤ - National-Football-Teams.com
- ニキータ・ルカヴィツヤ - fussballdaten.de
- ニキータ・ルカヴィツヤ - Soccerbase
- ニキータ・ルカヴィツヤ - ESPN FC
- オーストラリアのサッカー選手
- ウクライナのサッカー選手
- パース・グローリーFCの選手
- FCトゥウェンテの選手
- KSVルーセラーレの選手
- ヘルタ・ベルリンの選手
- 1.FSVマインツ05の選手
- FSVフランクフルトの選手
- ウェスタン・シドニー・ワンダラーズFCの選手
- ベイタル・エルサレムの選手
- マッカビ・ハイファの選手
- ハポエル・ベエルシェバFCの選手
- ウェスタン・ユナイテッドFCの選手
- サッカーオーストラリア代表選手
- オリンピックサッカーオーストラリア代表選手
- 2008年北京オリンピックサッカー出場選手
- FIFAワールドカップオーストラリア代表選手
- 2010 FIFAワールドカップ出場選手
- FIFAクラブワールドカップ2014出場選手
- オーストラリア国立スポーツ研究所の人物
- 帰化オーストラリア人のサッカー選手
- ウクライナ系オーストラリア人
- ムィコラーイウ出身の人物
- 1987年生
- 存命人物